「……ん、…ぅ……?」

目が覚めると、室内はしんと静まり返っていた。
ぼんやり窓の外を見ると、景色全部が青く霞んでいる。夕方、辺りだろうか。

「ああ、起きた?」
「…んっ…あ…一子さん…」

襖が開いて、室内がぼんやりと明るくなる。
寝惚け眼を擦りながら起き上がると、部屋の明かりをつけられて、眩しさに両瞼を覆った。

「さっきおそ子から連絡があって、そろそろ旅館着くって」
「…あ、まだおそ子先輩たち着いてなかったんですね」
「結局秘宝館で合流して他にも色々見て来たみたいよ。アンタが作った地図が役に立ったって」
「!それは、良かったです」

それを聞いて、嬉しくなる。やっぱり作ってきた甲斐があった。
にへにへ。だらしなく笑っていたら、するりと一子さんの手が前髪を掻き上げて額に触れた。
すん、と良い匂いがする。

「顔色は良くなったみたいだし、熱も無いわね」
「はい、もう大丈夫ですよ!」

夢も見ずにしっかり眠ったからか、体は軽くなっているし、頭もすっきりとしている。元気いっぱいだ。
両手でガッツポーズを作って一子さんを見上げたら、額をぺちんっと叩かれた。なぜ!?

「油断は禁物」
「はい…すみません…」

一子さんが厳しい。

「あ゛ーっ、疲れたぁあ」
「もぉ、足パンッパン」
「お腹空いたぁあ…」
「十四子もお腹空いたぁ」
「早く温泉入りたーい」

がやがやとした音が近づいて来るなぁと思っていたら、スパン、と襖を開けて五人が雪崩れ込んで来た。それぞれ顔に疲れを浮かべ、へばるように畳に身を預ける姿に、お茶を用意しようと立ち上がる。

「皆さん、お疲れ様です。大丈夫ですか?」
「あーなまえちゃんお茶ありがとー!」
「もう、カラ子が途中でお腹壊すからバス二本も逃して大変だったのよ?」
「仕方ないじゃない!絶対あの定食屋で当たったのよ!」
「お腹出してるから冷やしただけでしょー?」
「カラ子は野生過ぎー、文明社会にはちゃんと上着ってものがあるんだからね」
「知ってるわよ!!」

一気に室内に満ちたみんなの会話に、つい私も聞きながら笑ってしまう。

「あっ、なまえちゃんは体調大丈夫?」
「はい!寝たらすっかり良くなりました!ご心配お掛けしまして、すみません…」
「いいのよぉ、そんなの!」
「んねぇ、これからどうするー?先お風呂行くー?」
「そうねぇ、お腹も空いてるけど先に温泉入っちゃったほうが良いんじゃない?」
「夕食って宴会場だっけ?お風呂上がりにそのまま行く?」
「そうねー、そうしましょ」
「なまえちゃんも行ける?」
「あ、はい!行きます!」
「一子は?」
「私もう入ってきたから、いいわ」

ああ、だからさっき一子さんから良い匂いがしたのかぁ…

「って、ええ?!もう入って来ちゃったんですか!?」
「ありえなくない?!普通待つでしょ、ふ つ う !!」
「っるさいわねぇ…、良いでしょべつに。アンタたちが遅いから先に入ってきただけよ」
「一子ってこういうとこあるよねぇ」
「もういいじゃん、行かないって言うんだからほっとけば。私らはとりあえず温泉行こー」

そう言ったカラ子さんに、みんながそうだねと賛同する。でも私はまだモヤモヤしたものを抱えたままだ。
だって、一子さんと一緒に温泉入れると思って楽しみにしてたのに…!!ちょっと想像してドキドキとかしてたのに!なんならドキドキし過ぎて眠れなくなったりとかしてたのにぃー!!

「なまえー、行くよー?」
「…ッハ!あ、はい!…じゃあ一子さん、夕食のときに宴会場で会いましょうね!それは一緒ですよね!?」
「はいはい、行くから心配しないで。いってらっしゃーい」

飄々とする一子さんに悔しい思いを抱きつつも、私はみんなと一緒に大浴場へと向かった。大浴場はその名に恥じない広さを誇り、温泉の種類も豊富だけれど、露天風呂からは海が一望出来る。と旅館のサイトに書いてあったので、この旅行の楽しみの一つでもあった。本当なら一子さんと一緒に入りたかったけれど、こればっかりは仕方ない。仕方ないんだ…!

「なまえちゃんて、脱いでも華奢なのねぇ」
「へっ?」

脱衣場の籠に衣服を入れていると、おそ子先輩からそんな言葉を頂いた。それはどういう意味なんだろう?と首を傾げて、自分を見下ろしてみる。寸胴というわけでもなく、特別くびれているというわけでもなく、胸も無い。あっ悲しくなってきた。

「いいじゃん!可愛い!」
「きゃあ!?」

突然後ろから両胸を鷲掴まれて、更に背中に豊満なお胸がむにゅっと押しつけられた。手は絶えず揉み揉みされるし、どうしていいか分からなくてちゃんとした言葉が頭に浮かんでこない。

「ふ、へあぁ…!?っ?!」
「ちょっと十四子、なまえちゃんが嫌がってるでしょ!」
「だってなんか襲いたくなっちゃったんだもんっ!」
「もんっ!じゃないから、離してあげなさいって」
「すごーいなまえめちゃめちゃドキドキいってるー!」
「ぅあっ、あっ、ぅ、わた、わたしはダイジョブ、ですっ」
「いや全然大丈夫に見えないし聞こえないんだけど」
「やだーおっぱい柔らかいし、肌が吸いついてくる〜!やっぱ若いから?」
「ごめんなさいっごめんなさいっ!」
「ほら!もうなまえちゃんが訳わかんないことになってるから!!」

おそ子先輩とチョロ子さんになんとか十四子さんを離してもらえて、私は訳も分からずその場に蹲った。両手で前を隠すけど、ちょっと赤くなってるのがまた恥ずかしい。

「だ、大丈夫?なまえちゃん」
「ダイ、ダイジョウブデス…!」
「もう、十四子ぉ!なまえちゃんが完璧に腰立たなくなってるじゃない!」
「やだぁ、十四子ってテクニシャン?んふ!」

トド子さんが私の代わりとばかりに十四子さんを怒ってくれるけど、私はもう怒りとかそんな感情ではない。羞恥心で気が狂いそうである。心臓はまだドッドッドッと大きく動いて、痛いくらいでもあった。

「十四子、なまえはこういうのに慣れてないんだからちゃんと謝んな」
「ごめーん、なまえが初心で可愛いから、つい!」
「だ、だいじょぶ、大丈夫です…っ」

なんとか気を取り直し、私たち六人は大浴場の中へと入った。頭や体を洗ってからみんなと合流すると、これから露天風呂に向かうところらしい。夕飯時の時間帯だからか、大浴場には人が少なく、露天風呂は私たち六人の貸し切り状態だった。

「っはぁぁ〜…生き返るぅ…」
「やだぁ、おそ子オバサンくさーい」
「うっさいわね!」
「ッカー!良い眺めじゃん!」
「カラ子、全裸で身を乗り出すのやめなよみっともない」
「ふふん、なぁに?私の引き締まったボディに見惚れるんじゃないの?トド子はぷにぷにだもんね」
「うるっさいなぁ!ちょっとお肉があったほうが男ウケするんだからね!カラ子のはもう食べるとこのない筋繊維だらけって感じー」
「温泉受けとか良いんじゃない…?旅行好きイケメンと温泉擬人化美少年との一夜限りの逢瀬…!そうなるとやっぱり、温泉まんじゅうプレイとかを織り込みつつ…」
「私が言うのもなんだけど、チョロ子それはぶっ飛んでると思うよぉ?」
「アンタたちもう少し静かに入れないの!?」

まったり。
おそ子先輩たちは楽しそうに会話しているけれど、私は肩までお湯に浸かりながら、のんびりとした気持ちで夜の海を眺めていた。
一子さんも一緒に来れば良かったのに。朝とか、一緒に入れないかなぁ…。いや、こんなに言うと私がただの変態みたいになるけど、違くて!私はただ一子さんと色んな楽しみを共有したいだけであって、べつに一子さんの裸が見たいとかそんなことは一切これっぽっちも考えてなんかいない。断じてない。

「一子も来れば良かったのに」

ドキリ、とした。温泉に肩まで浸かっておきながら、冷や汗なんて。ちょっと邪念が過ぎたかもしれない。

「私ぃ、一子が一緒にお風呂入らない理由なんとなく分かるよぉ?」
「えっ」
「え、なんで?」

十四子さんの言葉につい反応してしまう。それが分かればもしかして一緒にお風呂に入れる機会も作れるのでは?
!…お願いだから私の純粋な心よ帰ってきて、お願いだから。

「ズバリ!…胸よ」
「胸ぇ?」
「そ!一子って自分が貧乳なこと超気にしてるんだから!」
「なるほどねー、確かに一子って胸無いもんねぇ」
「まぁ猫背だから胸は目立たないけど、それにしたって平らかもねー」
「アンタたちがそうやってイジるから、一子が気にして一緒に温泉にも入ってくれないんでしょう?」

なるほど、そういう経緯があって一子さんはみんなと別でお風呂に入っちゃったのか。そんなの、私だって無いようなもんなんだし…気にしなくてもいいのに。…いや、他人がどう思おうと、気にするのは一子さん本人なんだから、勝手なことは言っちゃだめだ。私だって、もし誰かに「男性恐怖症のことは気にしない」なんて言われても困ってしまう。

「…コンプレックスって、周りがどう思おうと本人の問題ですし、本人の気持ちは本人にしか変えられないものですよね…」
「?なまえは小さいけど形が良いから合格だと思うよ?」
「むっ、胸の話では、にゃっ、にゃいのでしゅ…!」
「あはは!なになになんでそんな噛むの〜!かっわい〜!」
「なにアンタ、そんなに胸に自信ないの?」
「カラ子さんまで…!私はべつにっ、自分の体はどうでもいいです…っ」
「えー、でもちょっとは綺麗にしてたいとかは思わない?見せるときに困るしぃ」
「見せる、とき…?」

ふっと一子さんの顔が浮かんでしまった。…いや、一子さんに裸を見せるってどんな状況だ。痴女じゃあるまいし。

「今日秘宝館行って思ったよね、私たち」
「「「ご無沙汰すぎる」」」
「だよねー…、思うよねぇー…」
「あんなデカいのとか暫く拝んでないんだけど」
「いやアレサイズは無理でしょ、入らなくない?」
「カラ子はスポーツで発散してんじゃなかったの?」
「理想と現実ってやつよね」
「あーファックスしたいー!もう誰でも良いから!」
「あの、なんの話なんですか?」

ぴたり。
私の一言でみんなの動きが止まってしまった。え、失言だっただろうか。

「えっと、秘宝館ってファクシミリ博物館みたいなところだったとか…?」
「なまえちゃん」
「はい」
「今の会話、全部頭から消去で!」
「えっ!?おそ子先輩!?」
「あーもーやだやだ、自分が汚れてるみたいになるからなまえちゃんもう喋べらないでー」
「えっ、えっ、ごめんなさい…?」
「なまえって秘宝館がどんなところかってことは調べてないの?」
「あ、はい…、地元の隠れた名産とか宝物になるような原石とかが展示されてる博物館かなって勝手に想像してたんですが、違うんですか?」
「なまえちゃんは秘宝館行かないほうがいいよ」
「えっ!?」
「てか、行かなくて良かったよねぇ ー、絶対トラウマになるよ」
「トラウマ…FAXがトラウマに…?」
「あ、グーグル先生に聞いたりするのも禁止ね。なまえちゃんはそのまますくすく大きくなって?」
「なまえがオトナになったら連れてってあげるわよ」
「私、もう大きい大人なんですが…」
「なまえちゃん、そういう抜けたところも、萌えポイントと思えばそれもまた良しだよ」

終始よく分からないまま、話はそこで終わってしまった。なんとなく、呆れられたことだけは感じ取れました。

少し逆上せそうになってきた頃、お腹も空いたしそろそろ上がろうかという話になった。掛け湯をして脱衣場に戻ったあとも、体はぽかぽかしている。温泉効果ってすごいなぁ、なんて思いながら服を着ていると、とんでもない会話が耳に飛び込んできた。

「つーか、今彼氏居るのって一子くらい?」
「え、一子彼氏居るの?!」
「居るんじゃない?ついこの間一緒に歩いてるの見たよ?」
「あ、それ私も見たかもー」
「マジか。涼しい顔してやることやってんのねぇ…」
「こっちだって、ヤることヤりてーっての」

みんなの笑い声が遠くに聞こえる。
え、え?彼氏?一子さんに?彼氏?彼氏って、あの交際している男性っていう意味の彼氏?

「なまえちゃん?」
「………っえ?」
「大丈夫?まだ体調良くない?」
「いえ…、お腹、空いたなぁって」
「だよねー、早く宴会場行こー?」
「十四子今日は魚の気分〜」
「今日はよく動いたし、肉でしょ!肉、肉!」
「メニューなんだろうね」

わいわい楽しそうなみんなに一歩遅れて、宴会場を目指す。遅れる私に気づいて、おそ子先輩が隣に並んでくれた。私を壁側にして歩いてくれるのは、やっぱりおそ子先輩が心底優しいからだ。

「ほんとに平気?体調悪いならちゃんと言ってね」
「ありがとうございます。本当に平気ですよ、そんなに顔色悪いですか?」
「んんー…、顔色っていうか…」
「あれ?一子居ないよー?」

歩きながら話していたら、宴会場に着いていたらしい。チョロ子さんが宴会場の中を見回して、私たちを振り返る。カラ子さんと十四子さんは空腹が限界なようで、「ほっとけばそのうち来るよ」「そうそう、いいじゃんべつに」なんて言って私たちに割り当てられたテーブルへと向かって行く。チョロ子さんとトド子さんも、まぁいっかとそれに続いて行ってしまった。

「…私、一子さん呼んできますね」
「え?一人で行くの?!」
「大丈夫です、部屋まではすぐですから。走って呼んできますよ」
「ちょっと、なまえちゃん!」

明るく言って、おそ子先輩から踵を返し走り出した。本当は全然大丈夫なんかじゃない、もし廊下で男性と鉢合わせようものなら、私は途端に動けなくなってしまうだろう。それでも一子さんを呼びに行く決断をしたのは、二人で話せるチャンスだとも思ったからだ。

一子さん、彼氏居るって本当ですか?

私に、そんなことを聞く権利は果たしてあるのだろうか。分からない。私には、まだ一子さんと私の関係が分からないままなのだ。一子さんはただ、普通に生きることさえまともに出来ない可哀想な私の相手をしてくれているだけなのかもしれない。抱き締めてくれるのも、キスしてくれるのも、私がそう望むからそうしているだけなのかも。
一子さんと私の間には、壁なんてもの、いくらでもある。性別、年齢、容姿、外聞、人間としての価値だってきっとまったく違う。
上手く生きられない私と、なにもかも見透かしたように上手く立ち居振る舞える一子さん。彼女のそばに居られるだけで、彼氏だなんだなんてうるさく言うのは烏滸がましい話だ。


誰ともすれ違わず、部屋の前に着いていた。部屋はオートロックの扉を入って、三和土の先に襖がある。襖の向こうから薄っすらと明かりが漏れているのに、私はその薄っぺらな襖一枚開けられないでいた。
ここまで自分の意思で来たっていうのに、いざ目の前にすると、一子さんに会うのが怖い。会った途端、私は一子さんにひどい言葉を吐いてしまうんじゃないかと怖くて仕方ない。
自分でも分かるのだ。私は一子さんに憧れ、甘え、依存しきっている。こんなにも私を変えた一子さんを、私は愛して恨んでいる。それは私が知る中で最も強い感情だ。怖い、自分が変わるのが怖い。でも一子さんとは離れたくない。
どうしていいのか、もう分からないよ。

感情の波に揉まれて動けない私は、たった一枚、薄っぺらなこの襖も開けられないほどの弱虫なのだ。

「だから、行くって言ってるじゃない」

びくり。驚いて顔を上げるけれど、襖は閉じられたまま。私に気づいて声を掛けられたのかと思ったけれど、どうやら一子さんは電話をしているらしかった。

「…ええ、…分かってる」
「今は旅行中なの。え?…いいでしょ、べつに」
「旅行から帰ったらちゃんと入金するから」

入金…?

「アンタ、警察なんだからそれくらいでガタガタ言ってんじゃないわよ!」
「…私の勝手じゃないの。…あーもう、うるさいわね」
「もういい、切るわよ。…ええ、ええ、分かってるってば!…はいはい、勝手にして」

そこで電話は終わったらしい。ぶつくさと文句を言う小さな呟きと一緒に、スマホの終話音が僅かに聞こえた。それからすぐに、こちらに近づく足音が聞こえて逃げようとしたけれど、一足遅く目の前で襖が開かれてしまう。

「え、なまえ…?」
「…あ、あの、…夕食…」
「ああ、今行くところよ。呼びに来てくれたの?」
「……一子さん、」
「ん?なに?」
「…ごめんなさい、さっきの電話、少し聞こえてて…、あの、警察の人に入金って、なにかあったんですか?」

一子さんが心配で見上げるけれど、一子さんはあまり表情を変えずに私から目を逸らした。

「べつに、なんでもないわ。アンタが気にすることじゃないわよ」
「で、でも、もしかして誰かに騙されてたりとか…」
「大丈夫よ、そういう話じゃないから」
「ほんとに、ほんとですか?私で力になれることがあるなら…」
「アンタには、関係ないことよ」

それを言われてしまうと、なにも言えなくなってしまう。

「ほら、夕飯食べに行くんでしょ?ていうか、アンタよくここまで一人で来たわね。大丈夫だった?」

いつも通り、一子さんは私の心配をしてくれる。でも、私はそれにも構えないほど、いっぱいいっぱいになっていた。
渦巻いた気持ちの上に、一子さんから拒絶されたことが、ひどく突き刺さったのだ。そんなこと、と思われるかもしれない。でも、そんなことで、私はもうだめだ。もう、立っていられそうもない。

「ごめん、なさい…私、食欲なくて…」
「え、大丈夫?」
「一子さんは、皆さんのところに行ってください。私は、早めに休むことにします」
「アンタを一人に出来るわけないじゃないの、私も残るから」
「いいから、行ってください!」

ハッとした。一子さんもびっくりした顔をしていて、思わず目を逸らす。一人で考えたって答えなんか出ない。それは分かっているのに、一人になりたかった。一子さんの横を通り抜け、一子さんの前で襖を閉める。ごめんなさい。心で謝ったところで、伝わるはずもない。

「…夕飯食べたら、すぐ戻るから」

襖の向こうから一子さんの気配が遠のき、扉が閉まる音がした。
ぼたぼたと畳に落ちる雫に驚いて顔をを覆う。もう、なにをどうしていいのかも分からず、次ノ間の布団へと潜り込んだ。いつの間にか人数分敷かれている布団の一番端っこ、恐らくさっきまで私が使っていたものだろう布団に包まって、声を殺して泣いた。

自分がなぜ泣いているのか、どうしてこんなにも悲しいのか。どうしてもその答えまで頭が回らない。こんなにも自分が不安定な人間だとは思わなかった。まるで針の上に立っているかのよう。ぐらぐらり、簡単な衝撃で大きく揺れる。踏ん張れば針の先端が刺さり、その痛みに呻く。でも、その針がなにで出来ているのかも私は分かっていないのだ。

ただ、悲しみに身を任せ、私は暗闇の世界に逃げ出した。


The course of true love never did run smooth.

―Shakespeare

真の恋の道は、茨の道である。
―シェイクスピア
(2017.03.20)


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