――― #3


あれから、一週間の時がなにもなく過ぎ去ろうとしていた。
私は依然松野おそ松のまま。家族はゆっくりと心を開いてくれているようだったけれど、私自身が彼らのことを受け止めきれていないというのが現状だ。
一緒に銭湯へは行けなくて、毎日家風呂をお借りしているのだけど、風呂に入ることでやっと一人になれたような気がして、つい溜め息が出てしまう。

もう、戻るとか戻れないって話じゃないのかな。実は私はずっと松野おそ松という人物で、今まで過ごしてきた二十余年が全て夢や妄想だったのかもしれない。
湯船に沈みながら、そんなことを考える。他にどんな説明をつければ良いっていうんだ。だいたい、私はこの赤塚区という街をまるで知らない。同じ都内だけど、そんな街私の記憶には無い。しかも、ここの人たちは驚くほど丈夫で、やることも言うこともぶっ飛びまくっているのだ。
カラ松が屋根から落ちたり車に轢かれるのなんて日常茶飯事だし、血を流しながら帰ってくるのに病院には行かず、家庭内で出来る処置をしておけば二、三日で回復するのだ、信じられるか?十四松が一松を括りつけたバットで素振りをしているのを見たときは、腰が抜けた。外には異常に歯が出てる人とか頭に旗が刺さってる人たちとか顔が横に長い人とかパンツ一枚のおじさんが平然と闊歩しているし、どう考えたって私の知っている日本じゃない。

「ランニングホームランッ!!」

ガラリ!突如風呂の扉が開いたと思ったら、全裸の十四松が立っていた。悲鳴が聞こえないほど高い声で出て、咄嗟に無い胸を隠してしまった。

「じゅっ、じゅじゅじゅじゅぅしまつッ!!?」
「あ!おそ松兄さん!失礼しマッスル!!」
「ちょ、あ、え!?なんで!?」

慌てる私など気にも留めず、十四松は体を洗い始める。なんだ、いったいなに考えてるんだこの人は。十四松はどこまでも謎な人物だ。私が十四松の見分けがつくのも、彼のこの異常なまでの笑顔と行動のおかげであると言えよう。

仕方ない、私が退室するしかないだろう。
湯船から上がろうとしたら、目の前に十四松が立ちふさがる。めちゃめちゃ間近で十四松の十四松が目に飛び込んできて、驚きすぎて湯船の中に尻餅をついてしまった。盛大に上がる水飛沫。「飛び込みっすか!?」嬉々とした声が聞こえたと思ったら、十四松が飛び上がって、そのままダボン!と湯船に飛び込んだ。水飛沫というよりもお湯の荒波に揉まれて、溺れ死ぬかと思った!

「ぶはっ!!十四松ッ!!!」
「あはははは!!お湯無くなっちゃったねー!!」

腰まで下がった湯船の水位。二人で入ってこれだけしか無いのだから、どれだけの量が外に流れ出したのか。

「お、お前意味分かんないよ!?なに!?なんなの急に!?」
「おそ松兄さんと一緒に風呂入りたかったんす!!」

無邪気な笑みで言う十四松に、チクリと胸が痛む。いやでもそれにしたって、こんな強引に実行することはないと思う。

「分かったから、とりあえずお湯足すよ。もう、せっかく温まってたのに…」
「おそ松兄さん!おそ松兄さん!」
「んー?」
「お背中お流ししやっす!!」
「え、いや…もう洗ったあとだし…」
「まあまあそう言わずに〜」

湯船にお湯を溜めている間、私は十四松に言い切られる形で背中を洗ってもらうことになった。誰かに背中を洗ってもらうなんて、物心ついてからは初めての経験だ。

「痒いところは無いっすかー?」
「ははっ、それって頭洗うときのやつじゃないの?十四松の洗い方きもちーよ大丈夫」
「えへへ〜」

嬉しそうに私の背中を洗う十四松を振り返って、その手のタオルを取った。

「今度は、おれが十四松の背中洗うよ」
「マジすか!オナシャッス!!」

爛漫とした笑顔を見ると、こちらもつい笑みが漏れてしまう。向けられる大きな背中を洗いながら、仲良し兄弟だなぁなんて他人事のように考える。まぁ、気持ち的には他人事だからね。

「痒いところはありませんかー?」
「無いっす!!超きもちいー!」
「ふふ、そっか、それはよかった!」
「わぷっ!」

ちょっとした悪戯心で、背中を洗っていたタオルを手放して後ろから十四松の髪をぐしゃぐしゃと撫で回してみた。一瞬驚いた十四松も、すぐに楽しそうに笑い始める。
それからちょっとふざけあって、泡だらけになった体を流したら、お湯の溜まった湯船に二人並んで肩まで浸かった。
一人で入るお風呂が勿論好きだけれど、こうやって誰かと入るお風呂もいいものだ。自然と爺臭い溜め息が出て、一人で笑ってしまった。

「おそ松兄さん、なんで最近銭湯一緒に行かないの?」
「んー…、正直に言うと恥ずかしかっただけなんだけど」
「えー、みんな裸だから?でも銭湯は混浴じゃないよ?」
「それは知ってるよ、面白いこと言うね十四松」

現代のご時勢で混浴の銭湯なんて聞いたことないよ。いや、あるのかもしれないけど。少なくとも私は知らないし行ったことがない。

「明日からは、銭湯行くことにするよ」
「本当っすか!?やったー!」
「じゃないと、こうやって風呂テロに遭うみたいだからね」
「みんなで入るお風呂のほうが楽しいよ!またち●こ当てゲームとかしたいっすね!!」
「それは絶対やらないよ!?」

なにそれ、もしかしなくてもおそ松発案のゲームなのだろうか。やっぱり、私が元からこの松野おそ松という男だったとは思いたくない。早く、元の自分に戻りたい。


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