「ごめんくっださーい」
緊張感のない声が、松野家に響く。居間にいた僕たちは、すぐその声の主に思い至った。僕以外の五人はすぐさま玄関に向かって、開け放たれた襖の向こう側で玄関が開く。
そこに立っていたのは、予想通りなまえで、けれどその姿は予想外のものだった。
「いらっしゃいなまえー!あれ?なんか今日オシャレしてね?」
「フッ、オレのためにドレスアップしてくれたのか?そんなことをしなくてもお前は数多の星たちより輝いゲフゥン゛!」
「退け邪魔松。…可愛いじゃん。どうしたの」
「なまえちゃん可愛いー!!あれっすか!?デートっすか!?」
「それ今季の流行色じゃん、え、本当にデートなの?」
なまえは、まるであのときのようにオシャレしていて、誰もが納得するほど可愛かった。デート、という言葉が飛び交っているが、本当にデートなんだろうか。
っていうか、そんな格好して僕ら以外の男に会うの?ありえないんだけど。だって、可愛すぎんじゃん。相手が僕らみたいな童貞じゃなかったらどうするの?すぐ食われちゃうよ絶対。
「んー、デートっていうか、ご飯行くだけだよ」
「そんなのお前も美味しく頂かれちゃうだろうが!!!」
「あ、チョロ松居たの?」
「居たよ!!つかそんなことより!そんな格好してデデデデデデートだとう!?お父さんが許しても俺が許さんぞ!!!」
「なにこいつ、どうしたの?」
「さぁ?またライジングしてんじゃない?」
「うぜぇ…」
「ラッイジーーッング!!」
「フッ、ブラザーの言い分も分かるぜ。つまり、今のなまえは女神すら嫉妬する「とにかくそんな格好でデートとかありえねぇから!!!」えっ」
勢いをつけて息巻いてる僕のことなど歯牙にも掛けず、なまえはのほほんと笑ってやがる。こいつ、今の僕の言葉聞こえてたわけ?
「あはは、チョロ松オモシローイ。あ、そうそう、トド松に言われてたDVD持ってきたの」
「オオオオーーーイイ!さらっと流してんじゃねぇえよ!!!」
「わー!ありがとう!これ二作目出てから気になってたから助かるよぉ」
「てめぇもてめぇだよ!!なに和んでやがんだよ!!」
「チョロ松どうしたの?欲求不満?」
「なんだそうなの?シコ松してこいよシコ松」
「それ動詞でも名詞でもねぇから!!!」
「ねぇ、今日会う人どんな人なのー?」
「え?うーんと、年上だよ。優しいとは思う」
「優しいだけの男なんか信用なるか!!!」
「仕事してる人?」
「そりゃまぁ。確か、公認会計士?だったかなぁ」
「公認会計士!?一軍中の一軍じゃん!!?そりゃ止められないわーチョロ松兄さん」
「ぎゃあああ!!大変だ!チョロ松が泡吹いて倒れた!!!」
「ブラザー!!?」
「チョロ松兄さんんん!!」
「うわぁマジかよ」
「チョロ松兄さん虚弱メンタルだなぁ…」
「ええー…」
意識がブラックアウトして、僕は底の深い暗闇に身を投げ出した。
・
・
・
あたたかい。
なんだろう、良い匂いがする。
「…あ、起きた?」
瞼を押し上げて、暗闇にさよならを言うと、最初に目に入ってきたのはなまえの顔だった。
「……え、なにしてんの」
「なにって、アンタが倒れたから看ててやったんでしょうが」
そうか、彼女は僕なんかの面倒を看ててくれたのか。
「…っえ!?あ?!お前、予定は!?」
「今日は無理って断ったよ」
驚いて起き上がっても、なまえは顔色ひとつ変えずにそうのたまった。
平然としていることから、別に残念でもなんでもないんだってことが読み取れて、なんだかホッとする。
「よかったのかよ…」
「うん、今回は縁が無かったってことで。あっちも忙しいし、また来月予定立て直しかな」
そうか、会う予定自体がご破算になったわけではないのか。
見回せば、自室のソファの上だった。申し訳程度にかけられていたバスタオルは、起き上がったことで腰の上にぐしゃりと溜まっている。なまえはソファにもたれて床に座っていた。腕をソファに置いて、僕のことを見上げている。上目遣いってあざとくてうざいなと思ってたけど、意外と攻撃力があるみたいだ。あれ、もしかしてさっき温かいって思ったのってなまえの手だったんじゃないだろうか、もしかして頭でも撫でてくれてたのか、うわ、もっと黙って寝てればよかった。
周りに兄弟の姿が無いことを確認。もう夜みたいだから、どうせ下でだらけてんだろう。
「……あのさ」
「ん?」
「…それ、」
「どれ」
「…行ってほしくないんだけど」
「え、どこに?」
「話の流れ!!分かれよ!!」
「もー、すぐ怒鳴る…。んで、なんだって?」
「っだから、その、男と…会ってほしくないんだよ」
「え、なんで?先越されるのが嫌なの?」
「はあ?違ぇよ!!だから…っああもう!なんて言ったらいいんだよ!?」
「いや、知らないよ」
クッソ、僕だって分かんないんだよ!なんでその男と会ってほしくないって思うのか、分かるわけないだろ?!だって、今もお前のことに関して執着してる自分が信じられないんだ。むしろ今までなんであんなに興味無かったのかも分かんないし、急な感情に自分自身も戸惑ってんだから、そこは色々察してくれ!
「チョロ松起きたのー?」
ガラリと襖が開いて、見知った馬鹿面がアホ面さげて顔を出した。
「うん、起きたよ」
「ご飯どうする?つってもおかずは俺らで食べちゃったから、ご飯と味噌汁だけだけど」
味噌汁無くなったー!
階下から十四松の声が聞こえてきた。
「あ、ごめんご飯だけだわ」
ご飯もないよー!
「あ、米もねぇわ」
「お前ら俺に食わす気なかっただろう!!?」
「じゃあ、チビ太んとこ行く?私も食べてないし」
「えっ、あ、いや…今、手持ちが…」
「絞りだせよ」
「無理言うな!!」
「ほら、行くよチョロ松」
「あ、ちょっ!本当に金ないんだって!あいや、チビ太のとこならツケでも…いいや!やっぱりダメだ!!」
「うるさいチョロ松早くしてお腹空いてんだけど私」
「だああ!もう!分かった行くよ!!」
こいつの分もツケにしよう!
そう腹を決めて玄関に向かうと、居間から兄弟たちのだらしない声。
「なにチビ太んとこ行くのー?」
「お土産よろしくー」
「んなもんあるかボケェ!!!」
怒鳴る僕の腕を引いて、なまえは玄関を出た。
夜道を並んで歩いて、チビ太がおでん屋を出してる赤塚団地を目指す。こうして近い位置を歩いていると、嫌でもあの日のデートのことを思い出してしまう。ゲロったこととかはさて置いて、あのとき僕こいつの手を握ってたんだよな。初めて握った母さん以外の女性の手は、ふわふわと柔らかくてすべすべしてて、あったかくて、女の子の手ってなんでこんな壊れそうなんだろうと思って変な汗も掻いてた気がする。なまえ相手のはずなのに、手が震えて、ひどく緊張した。
でも、すごく気持ちよかったなぁ。
目線を下げて、なまえの手を見る。歩くのに合わせて揺れる様は、なんだかそれだけべつの可愛い生き物みたいに思えてくる。なんだそれ、大丈夫か僕。
きっと今触っても、柔らかくてあったかくて気持ちいいんだろうな。なまえの手のくせに、反則だろ。
「?どったの、チョロ松?」
「…なんでもない」
なまえは、僕より他の兄弟たちとのほうが仲が良い。それにはきっと色々理由があるんだろうけど、一番の理由は、多分僕自身にある。なんでか僕はこいつのことが昔から気に食わなかった。理由はなんであれ、今は全然そんなこと思いもしないのだけど、染み付いた昔の名残で優しく出来ないっていうのは一種の障害だとも思える。兄弟を相手にしてるときと同じ対応っていうのは、一応女である彼女に対して些か失礼だろう。僕が夢見る女の子と、なまえは全然違う。だけど、僕が夢見る女の子と同じように良い匂いがするし柔らかい。そして、僕が夢見る女の子より断然気兼ねが無い。僕みたいに、女の子相手にすぐポンコツになっちゃう奴には珍しくて貴重な相手だ。
自分でも不思議に思うくらい、僕はなまえのことを見下してたみたいだ。べつに、馬鹿にしてるわけでもないし、見下してるとも思ってないんだけど。ああ上手く説明出来ない。
ただひとつ言えるのは、僕は昔からなまえのことを他の女の子と一緒に見てはいなかったってことだけだ。
悶々としている間にチビ太のおでん屋に着いた僕たちは、暖簾をくぐる。
「やっほーチビ太ぁ」
「よぉー、なんだなまえ可愛い格好しやがって!チョロ松なんかとデートか?!」
「なんかとって言うな」
「違うよ、普通にご飯食べに来ただけ」
「おめぇも大変だな、六つ子なんかに纏わりつかれてよ」
「なんかにって言うな」
「まぁそれなりに楽しいよ」
「お前も否定しろよ!」
拳ひとつ分の間を空けて座った僕たちの前に、おでんとビールが用意される。なにも注文してはいないけれど、これが今日のオススメってやつなんだろう。
「うまぁーい!いやぁ、ほんと良い出汁出てるよねぇチビ太のおでん」
「てやんでぇバーロー!ったりめぇだぜチキショーめ!もっと食うか?」
「ありがとー」
「チビ太ちょろすぎだろ」
「チョロ松には負けるでしょ」
「うっせー」
ビールを二杯、味の染みた大根とちくわぶ、はんぺんに餅巾着、玉子、と食べた辺りで、なまえが僕の右肩をつついてきた。
「んで、どうしたのさチョロ松」
「どうって、なにが」
「今日変じゃん、急に泡吹いて倒れるし」
「………べつに、どうもしてない」
「また虚弱メンタルのせい?チョロ松は意識高すぎなんだよ、もっと身の丈にあった願望抱きなよ」
「身の丈ってなんだよ」
「えー、うーん…なんだろ、」
「身の丈とか考えてぼくがふらふらしてる間に、お前結婚しちゃったりするだろ」
「え?また飛躍するなぁ。じゃあ、ふらふらしてないで早く働けば?」
「簡単に言うなよ」
「また怒る。チョロ松は私がなに言っても怒るよね」
「怒ってねぇよ!!」
「…………」
「……ほんとに、怒ってないから。ぼくが声を張り上げるのは、ツッコミ気質だからと言うか、中の人の仕様みたいなところがあると言うか…」
「なかのひと?」
「ごめん、なんでもない忘れて」
「かみや?」
「中の人など居ない!!!」
ガタンと立ち上がったら、ビールがこぼれてチビ太となまえに怒られた。僕のせいかよ。
「なんかさぁ、チョロ松やっぱり変だよ」
「お前…さっきからそればっかだな」
「変っていうか、変わった」
「変わった?どこが」
「んー…どこだろ。てかだいたいさぁ、なんで私と二人で出掛けようとか思ったの?」
「はぁ?」
「だって、今まで無かったじゃん。二人きりで出掛けること」
「…そうだっけ?」
誤魔化すようにビールに口をつけて、なまえから視線を外した。目の前に居るチビ太はこっちの会話に混ざらないようにしているのか、ビール瓶のケースにでも座っているのだろう、僕からは禿げあげた頭しか見えない。
「うん、いつもは最低でも三人で遊んでたし」
「三人じゃデートの練習出来ないだろ」
「あ、確かに。そうか、じゃあチョロ松は嫁探しに本気になったってことなんだね?」
「嫁探しって…、べつに、ぼくもこのままじゃまずいと思っただけだよ」
「あー、確かにまずいもんねぇ君ら」
「ニヤニヤすんな」
僕の説明に納得したのか、なまえはもうおでんに興味を持っていかれてる。
「チョロ松にも早く春が来るといいねー」
「その言い方、他の誰かには春が来てるように聞こえるんだけど」
「六つ子に春って来るのかな…」
「遠い目すんな!!」
「まぁ、まずチョロ松は自意識をもうちょっと低くしてだねぇ」
「ちょっと高いくらいがいいだろ」
「ちょっとじゃないから言ってんだけどね」
「おめぇら、実は仲良かったんだな」
「あ?」
「え?」
視線を屋台の奥に戻せば、チビ太が腕を組んで珍しげに僕らを見ていた。
「実はってこともないけど」
「そうか?おめぇら二人で居るところも珍しいと思ったけどよ。二人とも他の奴らと居るときと感じ違うじゃねぇか」
「え、そう?」
「そうか?」
「チョロ松だって、女の子相手にしてると思えねぇし」
「べべべべつに、ぼくだって女の子と普通に喋れるっつの!!」
「え、私のこと女の子って認識し始めたの?」
「はあ!?」
「だって、チョロ松私のこと性別女くらいにしか思ってなかったでしょ?」
「そそそそそんなことねぇよ!」
「いや、現に先日そう発言されたし」
「い、いいだろ!?俺だって考えが変わったりするよ!!」
「うんまぁ、そうだね」
「やっぱりおめぇら仲良いなぁ」
「バッ!!仲良いわけないだろ!?」
「うん、仲良しだよー」
「お前もなんか言えよ!!」
「言ってるじゃん」
「ちが…っ、だからぁ!」
「否定すんのもおかしくない?二人でおでん食べに来てるのに」
「そりゃ…っ、そう、だけど」
「それに、今日の予定断ってチョロ松優先させたんだから、仲良しじゃん私たち」
「…………」
「まぁ、今は恋愛より友情の方が縁があると思って過ごすことにするよ」
「お前…っ、バカ!!!」
「え、どこに怒られる要素が?」
「チョロ松、おめぇも大変だな…」
「はっ?!はああ!?た、大変とかじゃねぇし!!てめぇが勘違いしてるようなことは一切ねぇかんな!!!」
「はー、ビールうまー」
「お前も否定しろよ!!」
「えっ、なにを?」
腑に落ちないまま宥められて、ビールでモヤモヤを呑み込む。なにがモヤモヤしてるのかも分からないから更にイライラする。
「つーか、ここの払い俺が持つかんな」
「え、どうせツケのくせに?」
「うるせえ!俺が持つったら持つんだよ!!」
「うるさいのはチョロ松だよ、さっきから叫びすぎ」
「叫ばすな…っ!!」
「はいはい分かったよ。じゃあチビ太、今日の払いはチョロ松にツケといてー」
「いいけどよ、チョロ松も自分のツケ払ってから言えよそういうのは」
「うるせぇチビ太!黙ってろ!!」
「えー…」
僕はまだ先日のパンケーキ代分のことを根に持ってるのだ。チビ太のおでん奢ったくらいじゃ釣り合い取れないかもしれないけど、少しでも色々挽回しないといけないんだから、これぐらいはさせてもらいたい。待て、挽回ってなんだ。
「そういや、今日の予定断ってって言ってたけどよ、その格好見るにデートだったんだろ?いいのか?チョロ松なんかと飲んでて」
「んー、大丈夫。来月会えるってLINE来たから」
「は?!いつの間に!?」
「さっき」
「おおおおお俺と一緒に居るのに他の男と連絡とってたのかよ!!」
「うん、そうだね」
「俺さっき、そいつと会ってほくないって言ったよな!?」
「言ってたかも」
「言ってたの!!」
「でも、それはそれでしょ」
「なにが!!」
「チョロ松が会ってほしくない理由も分かんないし、単純に一軍様と会ってほしくないとかならそれを聞き入れる必要ないかなって」
「ぼ、ぼくは心配してやってんの!その男にボロ雑巾みたいに捨てられても知らねえからな!?」
「うん、分かった」
「…あ、会わないでくれるの?」
「え?いや、会うけど」
「なにも分かってなーーーーい!!!」
「私がボロ雑巾みたいに捨てられても、チョロ松には関係ないってことが分かった」
「違う!違うんだよ!!そこじゃなくて…!!」
「意味分からん」
「クソッ…!!!ぐぐぐ…ッ、…分かった!」
「なにが?」
「ぼくともう一回デートしろ」
「……いいけど、なんで」
「前回のリベンジだ。そのデートが完璧だったら、その公認会計士を騙るクズに会うのはやめろ」
「クズはお前だし、彼は職業騙ってないけど、そこまで言うなら…まぁ、はあ」
「いいか、これは約束だかんな」
「納得はしてないけどね」
「次の休みな」
「はいはい」
勢いとはいえ、またなまえとのデートを約束してしまった。
僕はどうしてこんな頑なに、なまえとその男を会わせたくないのだろう。その理由を考えるとイライラしたのでビールで全部呑み込んだ。
リベンジマッチ
なんとしても成功させてやる
(2016.07.18)