「トド松…っ!!」
状況把握が出来なくて、辺りを見回す。僕の伸ばした両手は天井に向かっていた。
「大丈夫!?も、本当に心配したんだからね!!」
「…なまえちゃん…?」
「憶えてない?ここ、デカパン博士のラボだよ?」
ベッドサイドから僕を心配げに見つめるなまえちゃんは、ゆっくりと優しい声色で僕に話しかける。どうやら頭も撫でられているようだ。
ぼんやりと腕を下ろして、上半身を起き上がらせる。
僕は、現実に帰ってきたようだ。
短い旅だった。それこそ、夢を見ているようなものだった。
気持ちの整理をつけるために、過去からやり直さなきゃいけないなんて、僕はなんて七面倒な感情を抱えてしまったのだろう。
ふと気がついて、なまえちゃんの顔を見る。心配に歪んだ眉に触れて、そのまま頭を撫でた。今なら、彼女に触れられる。ここ最近ずっと求めていて、けれど出来なかったことだ。
「…なまえちゃんは、どうしてここに…?」
「どうしてって、デカパン博士から呼ばれたんだよ。トド松が目を覚まさないって」
「んえ?」
「だから凄く心配して…、体は大丈夫?気分悪くない?」
「…いや、平気だよ」
なにを気遣ってくれたのか、目覚めたときになまえちゃんが居てくれたのは嬉しいけれど。
「……………」
「…?トド松?」
「…ボク、やっぱりなまえちゃんが好き」
「……ふぁっ!?」
「あはは、照れてる〜」
「照れッ、そりゃ、急にそんなの照れるに決まってるよ…っ」
頬を赤らめて慌てるなまえちゃんが可愛くて、思わず吹き出してしまう。こんなささやかなことが幸せで、そしてとても懐かしく感じられた。
「…よかった、」
「ん?」
「最近、トド松と話せてなかったから…、こういうの懐かしくって、それから嬉しい」
「………」
「トド松と普通に話せて、よかった」
僕が不安に思うの同じように、なまえちゃんも僕のことを思って悩んだりしてくれていたのだろうか。そうなら嬉しい、それに、少し優越感を感じる。
「ねぇ、チョロ松兄さんは一緒じゃないの…?」
「あ、今デカパン博士と話してるよ。呼んでくる?」
当然のように居るチョロ松兄さんの存在で、僕は過去を変えることは出来なかったのだと悟った。その事実に、安心する。
なまえちゃんのスマホにちらりと目をやれば、当たり前のようにぶら下がるシルバープレート。それを眺めながら、自分が小さく微笑んでいることに気づいた。
「トド松…?なに笑ってるの?」
「ん?…うん、なんでだろ。ボクも、なまえちゃんと普通に話せて嬉しいからかな」
「………」
「なまえちゃん?」
「ごめんね、トド松」
「え…?」
しゅんと眉を下げるなまえちゃんに、僕は首を傾げる。なにか、謝られるようなことがあっただろうか。
「チョロ松と付き合い始めてからずっとさ、私、トド松のこと考えてあげられなかったと思う」
「え?どうしたの急に」
「今までなんで忘れてたんだろうって、自分でも不思議なんだけど、トド松とさ約束したよね」
「?なにを?」
「トド松が、私に幸せになってほしいって言ってくれたとき、なにがあっても誰とどうなっても、トド松を大事にするよって、私、言ったのに…」
んん?え?そんな話、したことあった?
「あ、あれ?憶えてない?ほら、二人で囲碁したときに」
囲碁、って、
「…ぼ、ボクが、なまえちゃんに告白したとき…?」
「えっと…そ、そう…」
んえ?!だ、だってアレって“もしも薬”使ってるときの出来事だよね!?しかも、僕の知らない情報まで足されてる?!え!?え…、えッ!?
「その時に、私トド松の気持ちは絶対無碍にしないって誓ったのに、私それを全然果たせてなかった…」
「そんなこと…」
「私、トド松ともっと一緒に居たいし、トド松のこと大切にしたい」
「なまえちゃん…」
「だから、これからはもっと遊ぼう!チョロ松がなんと言おうと関係無いよ、私はトド松とこれからも仲良しでいたい」
「っなまえ、ちゃん…」
涙腺がガンッと衝撃を受けた。痛みでつい次々と泣けてしまって、膝に頭を埋める。
「ぼくがなんだって?」
「ぅげっ、チョロ松…!」
「ハハーン、お前ら、なんか良からぬ相談でもしてたな?」
「私たち、チョロ松のみょうじ独占撲滅委員会を発足しました」
「は……はあ!?いやいや、独占ってなに?!ていうか撲滅ってなんだよ過激派宣言かよ!!」
「いやぁ、今更だけど私にも人権があることを思い出したんだよね…、だからチョロ松がなんと言おうと友達とは仲良くします!!ということでトド松とも仲良くします!!」
「ああなんだ浮気宣言か、監禁するよ?」
「早速怖い!!トド松助けて!!暴君が!暴君が居る!!」
溢れた涙は布団で拭って、勢いよく顔を上げる。チョロ松兄さんが見下ろす前で、なまえちゃんの肩を抱き寄せた。
「いくらチョロ松兄さん相手でも、ボクらの関係を壊すことは出来ないよね〜」
「トド松くん、優しいお兄ちゃんもさすがに拳が飛ぶよ?」
「チョロ松兄さんの、すぐ暴力に訴えるところ直したほうがいいよ?」
「私もそう思う」
「ん?ん?喧嘩売ってる?表出ろ?」
「あら、珍しく室内でその言葉聞いた」
コツンと頭に軽い衝撃。見上げたチョロ松兄さんは困り眉のまま笑っていた。
「元気そうじゃん。これなら歩いて帰れるよね。なまえ、外に待たせてるタクシー帰らせておいて」
「分かった、じゃあちょっと行ってくるねトド松。無理しちゃ駄目だよ」
「あ、うん」
なまえちゃんの小さな背中がドアの向こうに消えて、パタンと小さな音でそのドアが閉まる。
見上げると、チョロ松兄さんもなまえちゃんの背中を見送っていた。
「んで、体は大丈夫なの?」
「えっ、あー…うん、体は全然なんとも」
「デカパンから連絡あったときは焦ったよ、なまえも凄い取り乱すしさ」
「…デカパン博士、なんか言ってた?」
「お前ね、あんな怪しい博士の試薬飲むとか正気?自殺行為だよまったく」
呆れ顔のチョロ松兄さんが、改めて僕の額を小突く。それから、チョロ松兄さんは先程までなまえちゃんが座っていたベッドサイドの椅子に座って、どこかバツが悪そうに視線を下げた。
「…悪かったよ」
「え…?」
「こっち来る前に、他の奴らに散々脅された。ぼくは自分のことでいっぱいいっぱいでさ、お前の…っていうかなまえも含めてみんなの気持ちを全然考えてなかった。だから、お前が最近様子がおかしいことも、そりゃ少しは考えなかったわけじゃないけど、でも全然気づけてはいなかったと思う」
「…なにそれ、どうしたのさ急に」
「もしお前が変なことするなら、それはぼくに原因があるって。冗談めかしてだけど、あいつらに言われてやっと気づいたんだよ」
チョロ松兄さんの視線は床を彷徨っている。僕は、アホ毛の整えられた旋毛をなんとはなしに眺めて、視線を自分の足元に向けた。
「お前、憶えてる?」
「え、なにを…?」
「高校生くらいのときかな、お前が急にぼくの胸倉掴んで、なまえちゃんが大好きでどうたら〜!って怒り出してさ、ホント、意味分かんねーって思ったけど、お前は凄い必死だし、仲間外れにすんなって泣くし、…あの時はなに言ってんだコイツって思ったけど。それを最近思い出して、あれってこういうことだったのかなって」
やはりそれは、僕が“もしも薬”を使ってる間の出来事だった。それが、なまえちゃんとチョロ松兄さんの中に記憶として存在していることに、僕は驚きを隠せずにいる。それと共に、二人に許容される自分がこれでもかと言うほど幸福に感じられて仕方なかった。
「…ごめんな、トド松。もう、仲間外れになんかしないから」
「……っ、……、」
「ほら、泣くなよ…、ああもう手の掛かる弟だなぁ」
「っせぇ、ライジング非童貞め…余裕ぶっこきやがって…っ」
「それは貶してんの?褒めてんの?」
「アンタみたいなクズの前に、なまえちゃんみたいな子はもう絶対現れねぇからな!」
「んなこと、知ってるよ」
バカにするように笑うチョロ松兄さんの手が、僕の頭を無遠慮に撫で回す。髪が乱れるから嫌だと抗議したら、更に揉みくちゃにされた。嫌な兄だ。
「あ、チョロ松がトド松をいじめてる」
ガチャリと開いたドアの向こうから、とぼけた表情のなまえちゃんが顔を出した。
「仲直り出来た?」
優しい声と表情でそんなことを訊いてくる。僕はなにも言葉を返せなかった。
隣のチョロ松兄さんが気恥ずかしそうに笑って立ち上がる。そのまま、二人が並ぶ姿を僕はぼんやりと眺めた。
「べつに、喧嘩してたわけじゃないよ」
「えー、そうなの?」
「だいたい兄弟喧嘩なんて有って無いようなもんだから」
「そこが私にはまだミステリーなんだよねぇ」
「いいよ分かんなくても。ほら、トド松、そろそろ帰るよ」
「トド松、帰ろう」
二人の顔が僕に向いて、優しい声音も二つ、僕へと向けられる。
穏やかなその情景は、まるで幸せな物語のエンドロールを見ているようで、僕には少し眩しく感じられた。
「…今、行く」
ベッドから立ち上がって、二人の元へ向かう。二人の間に割り込むと、なまえちゃんは笑って、チョロ松兄さんはムッとした表情を浮かべた。
「あ、帰る前にデカパン博士と話してくる」
「外で待ってるよ」
二人と離れてデカパンのところへ行くと、相変わらずのとぼけた顔でホエホエと出迎えてくれた。
「もう大丈夫だスか?」
「お陰様で、色々吹っ切れちゃった感じかな」
「ホエホエ、それは良かっただス」
目尻に皺を寄せて笑うデカパンに、僕は眉尻を下げて笑い返す。
「ありがとう、デカパン博士」
「ワスには分からないだスが、トド松くんに得るものがあって良かっただス」
「…うん、でも、本当にこれで良かったのかなって思っちゃうんだ。それも勿論ボクの我儘でしかないし、ボクが望んだ通りになったのに変だって思われるかもしれないけど、…ボクは今、もしかしたら嘘の世界に迷い込んでるんじゃないかって、そう思えて仕方ないんだ」
なまえちゃんの温かな微笑みと、チョロ松兄さんからの赦し、僕が望んだ僕のための世界。僕はまだ、“もしも薬”の眠りから覚めていないのではないだろうか。そんなことさえ考えてしまう。
「チョロ松くん、」
「トド松です」
「トド松くん、ワスは言っただス。現在や未来は多くの過去の連なりで出来ているとても強固な存在で、それを変えるのは、非常に困難なことなんだス」
「うん…」
「だから、もしトド松くんの言うようにトド松くんの都合の良い世界に変わっていると思うなら、それはこれからの未来が少し早まって現れただけだと思われるだス」
「…っえ?これからの、未来?」
「そうだス。今トド松くんが見ているものは、近い未来に起こりうる出来事がほんの少しだけ早く訪れただけのことなんだス。トド松くんが今日、“もしも薬”を使っていなかったとしても、未来というのはそう簡単には変わらないものなんだス」
「で、でも、ボクが過去を変えたから…!過去のボクの発言で、二人は…」
「それは例え“もしも薬”を使わずに明日同じことを言ったとしても、今日訪れた未来と同じ結果が訪れたはずだス」
「…そんな、…ほんとに…?」
「これまでの時間の束なりを、そう簡単に変えることは不可能だス。しかし時間と出来事の関係は前後し易いものでもあるんだス」
つまり、僕が望めばいつでも、二人は僕を受け入れてくれていたってこと?
「トド松くん、過程が変わっても結果が変わらないこともあるだス。だから、素直に受け入れて信じてあげることも必要だと、ワスは思うだス」
デカパンの言葉に、僕は外で待っていてくれる二人を振り返った。
僕がなにをしても、二人の関係は変わらないし、二人の優しさだって変わるはずがない。僕が受け入れてほしいと主張したことで、確かに現在の在り方は変わったけれど、それは、僕がいつでも手に入れられるものだった。
「博士、ボク、もう行かなきゃ。二人が待っててくれてる」
「ホエホエ、またなにかあったら気軽に来ていいだスよ」
「うん、ありがとう博士!」
僕は、外で待つ二人のもとへと走った。勢い任せにチョロ松兄さんに飛びつくと、なまえちゃんは可笑しそうに笑って、チョロ松兄さんには怒鳴られた。
僕は久しぶりに大声を出して笑った。
「なんだよ、急に元気になって」
「嬉しいでしょ?ボクが元気で」
「もう少し静かに寝ててくれてよかったのに」
「やだねぇ、素直になれない松は」
「よく言うよ、お前こそ素直じゃないくせに」
「言っとくけど、ボクは兄弟の中でも社交性高くて一番まともだからね。素直じゃないことくらいなんの障害にもならないから」
「お前ね、兄弟間の線引きひとつ理解してないドライモンスターが、どの口で自分のことマトモとか言うの?」
「少なくともライジングシコシコ電三郎兄さんよりは“マシ”だね!」
「最早誰だよソレ!?」
足を止めることなく続いていた僕たちの言い合いに、可愛らしい笑い声が混ざって、僕らは揃ってその声の主を見た。
「ははっ、ふっ、あっ、ごめんごめん…ふふっ、仲良しだなぁと思って」
「なか…」
「…よし?」
口を手で覆ってクスクスと笑うなまえちゃんを前に、僕らは顔を見合わせる。チョロ松兄さんも僕も、少しだけ複雑そうに笑っていた。
「…まぁ、こんなのでも兄なわけだし」
「そうだね、こんなのでも一応弟なわけだし」
「「仲良しではないけど」」
でも、まぁ
「「嫌いじゃないから」」
なまえちゃんは、優しく笑った。
いち、に、さん、と並ぶ影
ボク、なんかお腹空いてきたー
空いたねー
じゃあ飯食いに行く?
行こう行こう!
んじゃ、トド松の奢りな
はあ!?ここはボクの快気祝いで、
チョロ松兄さんの奢りでしょ!!
アホ言え、迷惑料だろ。
わあああんなまえちゃああん!
あはは、仲良しだねぇ
(2017.12.19)