あたたかさ



檜佐木くんと相談して、私はあの人とトラブルになる前に別れることにした。檜佐木くんの話が本当なら、あの人は私のことなんか好きじゃないだろうし、私もまだ好きになっていなかったから、比較的別れやすいんじゃないかと思う。

「透ちゃん、迎えにきたよ」

今日もやっぱり本郷さんはお迎えに来てくれた。いつもの通りにこにこしているけれど、これすらも、偽物の笑顔なのだろうか。二人で歩く道のりもいつものもので、このあと別れ話を切り出さなければならないなんてと憂鬱だった。

「なんか元気無いけど大丈夫?調子悪い?」
「え…あ、いえ…」
「…顔色悪いよ。今日はもう、帰って休む?部屋まで送ろうか」

それはダメだ。早く終わらせないと、きっとどんどん長引いて、別れ話なんてできなくなる。
でも本郷さんは心配そうに私の顔を覗きこんで、頭を撫でてくれる。この優しさが、本当に偽物なのだろうか。

「…本郷さん、私のこと、飽きたら捨てるつもりなんですか」
「え?そんなわけないだろ。捨てたりしないよ、大事にするって言ったでしょ」
「でもそう言って、ご友人と、笑ってましたよね」

あたかも人に聞いたわけではなく、自分が聞いたていで言ってみた。そうしたら本郷さんはぴたりと動きをとめて、急に冷めた顔になった。

「おいで」

本郷さんは私の腕を掴んで、どんどん人通りの少ない道へと進んでいった。この手を振りほどかないといけないのに、痛いくらいに掴まれたまま引っ張られていて、立ち止まることもできなかった。

「透ちゃんが何を見て何を聞いたのかわからないけど、誤解だよ。俺は透ちゃんのこと好きだよ」

怖くなって、何と返事をしたらいいのかわからなかった。好きならなんでさっき、あんなに冷めた顔をしたの。なんでこんなに強く腕を掴むの。

「愛情表現が足りなかったんだよね、ごめんね。好きだから許して」

本郷さんは私の肩を掴み、すぐに顔を寄せてきた。咄嗟に顔を背けたおかげで、唇は私の唇の横ぎりぎりに押し付けられた。

「…俺のこと、そんなに嫌?」
「…怖いです」
「怖いって何だよ。俺ただ透ちゃんのこと好きなだけじゃん、許してよ」

がばっと抱きつかれて、逃げられなくさせられた。

「ほら、わかるだろ?透ちゃんのこと好きだから、触っただけで勃っちゃった」

お腹のあたりに硬いモノが押し付けられ、背筋がぞわっとした。私はこの人とは、キスもしたくないしそんな触れ合いもしたくなかった。

「これじゃご飯も行けないし、近くで休憩していこうよ。二人きりになれるから、ゆっくり話もできるしさ」
「い……嫌です、ごめんなさい、」
「ふーん……席官に逆らっていいと思ってる?そんなんじゃ昇格できないよ?一生モブ隊員でいいんだ?」

嘘だ、だってこれ仕事と関係ないのに、なんで嫌がっちゃいけないの。おかしいよ。

「ね、賢い行動しようよ」

本郷さんはいやらしい笑みを浮かべ、今度は私が逃げないように両頬に手をあてて顔を近付けてきた。


「本郷さん」

もうダメだと思ったときに、聞きなれた声が本郷さんを呼んだ。

「…何?取り込み中なのわかんない?」
「…すみません。でも、一色が嫌がってるように見えたので」

檜佐木くんは少し息が上がっていた。ここまで、走ってきてくれたのだろうか。

「透ちゃん、嫌がってんの?そんなわけないよね」

本郷さんはいつもの優しい笑みを浮かべて、私の頬を撫でた。こんな薄っぺらい笑顔に騙されていたなんて。たった2週間くらいのことだけど、悔しかった。

「あの、ほんと申し訳ないんすけど、一色にそんな顔させないでくれませんか」

檜佐木くんは私の腕を引いて、自分の腕の中に私を収めた。

「はーん、なるほどね。君が透ちゃんに変な嘘叩き込んだんだろ。ねぇ透ちゃん、俺よりそいつ信じるの?」

もう何も言いたくなくて黙っていたら、本郷さんは大きくため息をついた。

「見せつけてんじゃねーぞくそが。覚えとけよ」

本郷さんは私というよりも檜佐木くんのことを睨み付けて去っていった。仕返しがありそうで怖くなったけど、でもひとまず厄介者を遠ざけることができて、安心した。

「檜佐木くん……」

お礼を言いたくて顔を上げて檜佐木くんを見れば、ありがとうと言う前に抱き締められた。

「遅くなってごめん、怖かったよな。こっそり後つけてたんだけど、途中で見失っちまって」
「ううん…ちゃんと来てくれたから、よかった。私馬鹿だから、一人じゃ逃げれなかった」

残った不安をかき消したくて、すがり付くように檜佐木くんの体に腕を回して抱きついた。檜佐木くんに抱きつくのはたしかこれで三回目だ。最初は檜佐木くんが顔に傷を負って帰ってきたとき。次は入隊試験に受かったとき。そして今日も、大事に大事に抱き締めてくれて、胸が温かくなるのを感じた。

「…守りきれなくて、ごめんな。あいつに、その、キスされてたろ」
「まぁ…でも、ほっぺだったし、やばかったけど、檜佐木くんきてくれたから助かったよ」

腕の力を緩めて檜佐木くんを見上げれば、複雑そうな顔をしていた。

「檜佐木くんがそんな顔しなくていいんだよ?私、檜佐木くん来てくれて嬉しかったよ。本当にありがとう」
「…あいつがまた絡んできたら、絶対教えてほしい」
「…わかった。でも、檜佐木くんも目付けられたと思うから…何かあったら教えてね」
「……あぁ」

檜佐木くんには迷惑をかけっぱなしだ。いつも助けてくれるから、つい甘えてしまう。迷惑をかけて心配かけて悲しませることはもう嫌だ。一人でもどうにかできるくらい、賢く、強くならないと。私はまだまだ弱い。

「ひとまず一件落着だし、とりあえず忘れてご飯行こう!問題片付いたらお腹空いちゃった」
「お前ほんとに色気より食い気だな…」

檜佐木くんは呆れながらも笑ってくれて、頭を優しく撫でてくれた。

「よし、じゃあ俺が奢ってやるし、一色の好きなもん食いに行くぞ」
「やったー!焼肉!」

せめて弱い私にできるのは、檜佐木くんに弱い姿を見せないようにして、心配させないようにすることかな。檜佐木くんの前では、元気でいたい。


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