寝起きドッキリ
何時間くらい眠ったのだろうか。枕元を探ってもスマホが無いし、手首にいつもはめているスマートウォッチもついていなくて時間がわからない。壁掛け時計のある方に目を向けたが、時計がない。それどころか部屋の内観が私の部屋ではない。枕もベットも掛け布団も、いつも私が使うものよりも上質な手触りで知らない物だった。部屋の中は殺風景だけれど、医務室でもなければビジネスホテルでもない。何もわからない中で一つだけ覚えがあるものは、布団の匂い、というかこの部屋の匂いだった。
「…嘘でしょ」
創くんの膝枕の後の記憶が何も無く、思い出されるのは太ももの感触と創くんのキス待ち顔と創くんの額の冷たさくらいのものだ。ふと額に手を触れれば、布のような感触があった。熱を冷ますシートが貼られているようだが、冷たさは全て私に取り込まれて意味をなさない物になっていたため、剥がして粘着面を内側にして折りたたんだ。
現状を把握するためにひとまずこの部屋から出てみようと思い、体を起こせばズキンと頭が締め付けられるような痛みがあった。痛かった側頭部を撫でていたら、ガチャリと部屋の扉が開かれた。
「おや、おはようございます芹さん。お目覚めのようですね」
「……いばにゃん」
「その呼び方はよしてくださいね〜?食欲はありますか?ご飯、食べれます?」
言われてみればしばらく何も食べていない気がする。喉も乾いたしお腹も空いた。
「…お腹空いた」
「それは結構。廊下に出て右側にお手洗いも洗面所もありますので、お好きに使ってくださいね。スキンケアも置いてあるのでご自由にどうぞ。歯ブラシと歯磨き粉も新品のものをご用意しておきました」
「あ、化粧…」
「寝る前に落としておいたのでご心配無く」
「えっっ」
肌に触れてみるとたしかに化粧品の感触ではなく、潤っていた。素顔を茨くんに見られてしまった、恥ずかしい。
「…どういう状況?」
「顔を洗ってきちんと目を覚ましてからご説明致しますよ。自分はリビングで朝食を用意してお待ちしてますね」
茨くんはにこりと笑って部屋から出ていった。
私はあのあと、創くんが呼んだ茨くんによって茨くんの家に連れ込まれた、ということだろうか。判断がどうもおかしいと思うけど、考えてもわからない。ひとまず言われたとおりに顔を洗おうと思って、かぶっていた毛布をめくってベットからおりようとしたら、履いていたはずのタイツを履いていなかった。まさか、脱がされたのか。何のために。
サイドテーブルにはご丁寧に畳まれた茨くんのものと思われるルームウェアがあり、その上に私の腕についていたはずのスマートウォッチが置いてあった。これに着替えろということだろうか。
寝たせいでシワになってしまったスーツのスカートを脱いで、ブラウスも脱ごうとボタンに手をかけると、胸元がいつもより二つほど多めに空いて下着のシャツが見えていた。
「何なの…」
いや、でもこれは寝ながら私がボタンを外しただけかもしれないし、茨くんを疑うのは良くない。ボタンを全て外し、シャツも脱いでルームウェアを着た。茨くんのサイズなので袖も裾もだぼだぼで捲らなければいけないし、何より茨くんの匂いがして頬が熱くなる。
気が狂いそうになりそうなのを抑えながら、トイレと洗顔と歯磨きを済ませ、リビングと思わしき扉を開いた。
「…おはよう」
「おはようございます。大したものは無かったんですが、食べないとまた倒れてしまうのでひとまず胃に入れてください」
二人がけの食卓には二人分の朝ごはんが並べられていた。ジャムの塗られた食パンと、サラダとスープとヨーグルトだった。質素ではあるが、私がいつも食べる朝食はコンビニの菓子パン一つなのでそれと比べるととても豪華な朝ごはんだった。というか、茨くんが用意をしてくれたというだけで、何よりも豪華で価値のあるものに思えてしまう。
「ありがとう、いただきます」
一緒に朝ごはんを食べ始めたのはいいものの、顔も洗って歩き回ってご飯を食べ始めて、もう完全に私の目は覚めているので昨日からの出来事の説明が欲しかった。何か話してくれないものかと茨くんをちらちら見ていたら目があった。
「あぁ、言っておきますがやましいことはしていませんからね。貴方が全く目を覚まさないので、家に帰そうにもアパートの暗証番号は知らないですし、あんずさんも今日は大事な仕事があったようなので他に信頼できる宛がなく自分が引き取ることになった次第であります」
「…それは、ご迷惑をおかけしました」
どうしようもないからと言って医務室で寝かせ続けるわけにもいかなかっただろうし。きちんと面倒をみてくれるなんて、優しい。
「今日は芹さんも自分も休日でありますので、このままお家デートといきましょうか。体調が悪いことだけが気がかりですが、自分が貴方を甘やかして休ませるだけなので問題ありませんね」
「そんな、茨くんが疲れちゃうよ…」
「誰かに見られるリスクを負って真っ昼間から貴方を外に連れ出し家までお送りすることよりは、ここで一緒に過ごす方がうんと楽ですよ」
あぁたしかに、今外に出たところを誰かに見られでもしたらどうなることか。プロデューサーをお持ち帰りだとかアイドル宅から朝帰りだとか記事にされてしまうだろう。茨くんにそんな傷をつけるわけにはいかない。
「紫之氏に聞きましたよ。貴方この連勤中に徹夜もしていたそうですね」
「…うん、なんか、寝るタイミング逃しちゃったときはあったかも」
「それで毎日残業までして。体を壊すのも当然でありますね」
無理をして茨くんに迷惑をかけて、どれだけ叱られても受け入れるしかない。
「…ごめんね、でも、茨くんがいてくれて良かった」
ここまで手厚くお世話をしてくれる人はなかなか居ないだろうし、創くんは寮生活だし実家は家族みんないるだろうし。というかそもそも、なぜ創くんは真っ先に茨くんを頼ったんだろう。困ったらなずなくんや友也くん、英智先輩だっているのに。
「ねぇ、なんで創くんは茨くんを頼って……、茨くん?」
「え?あ、いえ、仕事以外で感謝されることが普段無いので処理に時間を要してしまいました」
ぼーっとしている珍しい茨くんを見てしまった。仕事以外で感謝されないとか、それってプライベートで人と関わらないからってだけじゃないのか。普通に優しいから他の人も感謝はしてると思うけど。
「憶測ですが、朝じめ…紫之氏と会った時に自分が芹さんに急ぎの用事で連絡をしたが応答が無いので何か知らないかと訊ねたからだと思いますよ。自分に助けを求めれば連絡がつかなかったのは体調が悪いからだとダイレクトに伝わりますからね」
わざわざじめにゃんって言いそうになったのを言い直してくるとは。本人のいるところでしかじめにゃんって呼ばないつもりかな。
創くんがあのとき他の人を頼っていたら、私が寝込んだことがすぐに茨くんに伝わらなくて朝の連絡を無視したままになると思って茨くんを呼んでくれたのだろう。今度美味しいごちそうでもおごってあげよう。
「あ、っていうか、昨日モーニングコール何回もしてくれてたのに出れなくてごめんね。慌ててたから返事もできなくて…」
「構いませんよ。芹さんが寝坊しても自分に害はありませんからね」
「そうだけど、茨くんの朝の貴重な時間を費やしてもらっちゃったわけだし…、私としても寝坊するし遅刻するし朝イチのおはようは聞けないしで散々だったよ」
「おや、芹さんにとって自分のモーニングコールはただのアラーム以上の価値を生み出せていたんですかね」
そりゃあだって、アラームと違って会話して起こしてもらえるんだから頭はきちんと覚醒するし。しかもそれが親に叩き起こされる声などではなく、アイドルであり恋人役の七種茨の声なんだから、気持ちのいい朝で1日を始められるというものだ。
「茨くんの声、好きだから」
「なんと、恐悦至極であります!自分なんかの喧しい声でよろしければいくらでもお聞かせ致しますよ」
「…今日は、ずっと茨くんの声が聞けるから嬉しいよ」
「ほう、嬉しいのは声だけですか?こんな生活感丸出しの七種茨の姿はなかなか貴重なものではありますので、声だけでなく見れるところは見ておいた方がお得ですよ」
「…わかってるよ、起きた瞬間からお得さ味わってるよ…」
茨くんの匂いの中で起きて、おはようも聞けて、茨くんの服を着て、朝ごはんも用意してもらって、もう既に茨くんを堪能しすぎてお腹いっぱいだ。それなのに今日はまだまだ時間がたっぷり有ると思うと、茨くんの過剰摂取で胸焼けでもしてしまうかもしれない。
「朝ごはんも食べたことですし、シャワーでも浴びてきますか?だるくて動きたくなければ自分は構いませんが」
「…浴びようかな。冬とはいえ熱のせいで汗かいたし…」
「ええ、どうぞ。バスタオルは脱衣所にあるものをご自由にどうぞ」
「うん、ありがとう」
茨くんは早速、食べ終えた食器を片付け始める。何から何までやってもらって申し訳ない。
「あ、そうだ」
「はい?」
「…起きたらタイツ、履いてなかったんだけど」
「あぁ、寝苦しそうに布団を蹴っていたので脱がしました」
「ぬっ…!?」
脱がしたっていうことは何、スカートに手突っ込まれたってこと?ていうかよく間違ってパンツまで脱がしたりしなかった、しなかったよね?え、こわい。
「ブラウスのボタンを外したのも自分ですね。暑そうでしたので。それ以上の余計なことはしていませんのでご安心を」
「ほ、ほんとに?信用していい?」
「自分を信用するかどうかはご自身で決めてくださいね〜。考えることを放棄したら死ぬ世界ですよ、ここは」
信用したいところだけどそう言われると考えてしまう。でもこんな熱でやられた頭では大して考えられないし。
「…弱った人間相手に意地悪言わないで」
「これは失敬、弱っていることを失念しておりました。ちなみに自分は弱って張り合いの無い恋人に手を出すほどのクズ野郎ではないつもりですよ」
「そう…じゃあそういうことにしておくね」
解らないことを考えるのはやめよう。考えることを放棄して、私は浴室に向かった。
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