いつか終わる私達
シャンプーもリンスもボディソープも使って、全身が茨くんと同じ匂いになってしまった。悪いことでは無いのだが、ふと動くだけでも茨くんの匂いがして、緊張する。
「出ましたか。お座りください、早くドライヤーをしないと冷えますからね」
ソファに座らされ、膝にブランケットをかけてくれた。茨くんはすぐに私の背後に回り込み、ドライヤーをかけ始めた。
「在学中はよく閣下にもこうしていたんですよ」
風音がしているのに茨くんの声は普通に聞き取れて笑ってしまう。よく通る声だとは思っていたけどドライヤーにも負けないなんて。
ぼーっとしながら何分も頭をわしゃわしゃされていたら眠くなってきた。もうすぐ乾くだろうから、と耐えれば耐えるほど眠くなってきて、限界がきそうな時に一気に静かになってハッとした。
「このくらいですかね」
「んぁ…ありがと」
「眠くなりました?寝ます?」
「や、大丈夫…もったいない」
「そうですか、睡眠よりも自分との時間をとって頂き嬉しいですよ」
だめだ、頭を働かせないと迂闊なことを言ってしまう。まさか弱った私に弱みを吐かせるために家に連れ込んだのではとも思ってしまう。
「何か映画でも見ます?ライブのDVDなんかもありますが、休みの日までアイドルはいらないですかね」
「ライブ観たい、Edenのやつ」
「恐悦至極であります!ですが気をつかっていただかなくてもいいんですよ?Ra*bitsやfineでなくてよろしいんですか?」
「ん〜〜、…じゃあAdamで」
正直に言うとRa*bitsのライブ映像は好きすぎて、死ぬほど観すぎて逆に真顔で観察してしまうくらいだ。せっかく茨くんがいるのだから、茨くんのかっこいい姿を観たい。もちろん普段、EdenやAdamのライブ映像を観ていないわけではないが。
「仕事でもないのに自分のライブ映像を貴方と観るのは不思議な気分ですが、いいでしょう」
茨くんは慣れた手付きで棚からAdamの円盤を出してプレイヤーに差し込んだ。
「飲み物でも入れましょうか」
「あ、ありがとう」
茨くんがキッチンに行っている間にAdamのライブは始まった。一昨年くらいに私が初めて茨くんが生で歌っているところを観た時のライブだった。SSにEdenとかいうとんでもないアイドルが出るというから調査も兼ねて観に行こうとしたけど、Edenのチケットは取れなくて、Adamのチケットは運良く取れて行けたのだ。すごく後ろの方だったから遠くて肉眼で表情までは見えなかったけど、パフォーマンスと歌声を浴びて震えたことを覚えている。
「古すぎましたかね」
「今よりちょっとだけ幼いね」
自信満々で生意気そうな顔してて可愛い。自信満々なのも生意気なのも今だってそうだけど。
茨くんは甘い香りを漂わせながらマグカップを2つ持ってきた。
「この家にココアなんてあったんだ」
「コーヒーばかりでは飽きますからね」
ローテーブルにマグカップを置くと、茨くんは私の隣に腰かける。家の中らしい距離感にドキッとしてしまうが、何も気付かれないようにしなければ。
「…入る?」
暖房がついているとは言え、私だけブランケットをかけているのは申し訳なくて、ブランケットを茨くんの方へと寄せる。
「お気遣いありがとうございます」
せっかく寄せたのに、茨くんは座っている距離を詰めてきた。仮にも恋人ではあるが、本当に仮の関係でしかないのに、こんなに近くで茨くんを感じていいのだろうか。ファンに殺されそうだ。
「ウブな反応で可愛らしいですね。昨夜は同じベットで寝た仲だというのに」
「何の話!?」
「おや、覚えていませんか?」
同じベットって何それ知らない。たしかにこの家に住んでいるのは茨くん1人だろうからベットは1つしか無いんだろうけど、まさかとは思ったけど一緒に寝ただなんて。
「初めはこのソファで寝ようと試みたんですがね。暖房は有れどさすがにこの冬にソファで寝たら風邪を引きそうだったので、申し訳ないですが入らせて頂きました」
「そ…そう、ですか」
「…すみません、嫌でしたか?」
珍しく弱気な表情を見せられて、私が悪いような気さえしてくる。
「全然、嫌じゃないよ、けどその、びっくりしたっていうか…何も覚えていない自分が情けないというか…」
「貴重な体験をしたのに忘れてしまうのはもったいないですね。なんなら今からもう一度体験してみます?」
「…遠慮します、熱あがっちゃいそう」
「それは困りますね、やめておきましょうか」
茨くんが変なことばかり言うせいで、ライブ映像に全然集中できない。実際、気が休まらないから体調が良くなる気があまりしない。
「…意地悪なことばかり言ってすみませんね。昨日からずっとモヤモヤしていることがありまして」
「へ、何かあった?」
ライブに集中しようとしていたのに、相談事のような雰囲気を出されてつい茨くんの方へと顔を向ける。茨くんもこちらを向いていて、距離の近さにドキッとする。どうしたんだろう、と考える隙も与えられぬまま、頬に優しく手を添えられた。
「昨日、空中庭園にいる時紫之氏と大分近づいていましたよね。それはもう、触れ合っているかのように」
両頬を手で挟まれて固定され、目と鼻の先という言葉通りの距離まで茨くんの麗しい顔を近付けられた。
「貴方を疑いたくはありませんが、こう何度も過度な触れ合いをしている姿を見せられると疑いもしますよね。大好きな紫之氏とこんな距離で、キス以外にすることありますか?」
緊張と羞恥で心臓がバクバク音を立てているのがわかる。茨くんの言葉が曖昧にしか頭に入ってこないけれど、創くんとの関係をまた疑われていることは理解できた。
「おでこ…熱、比べてた」
「…それだけですか?本当に?」
疑いの眼差しのまま、茨くんは私に額をくっつける。前髪のせいでわかりにくかったが、私の額の方が熱がある気がした。
「彼とキスをして膝枕をさせている姿を自分にわざわざ見せつけたのかと思いましたが」
「そ、そんなひどいこと、しないよ」
「そうですね、ひどいことです。恋人が見ていないと思ってよその男とこんな距離まで近付くなんてね」
「…ごめんなさい」
過去最高に怒らせてしまった気がする。顔の距離は離してくれたものの、私の顔は固定されてびくともしないし、眉はしかめっぱなしだし、土下座しても許してくれなさそうな雰囲気だ。
「芹さんから俺に触れてくれることは滅多に無いのに、他の人には簡単に触れますよね。やはり俺では満足できませんか?貴方の恋人として力不足でしょうか?飽きてしまって終わらせたいというのなら甘んじて受け入れますが」
「ま、待って、全然そんなことない、そんな簡単に…終わらせたくない…」
つい引き留めてしまったが、これでは私がまだ茨くんと付き合っていたいと白状しているようなものではないか。恥ずかしくなって顔を隠したいのに、うつむかせてもくれやしない。
「…自分も、まだ貴方との関係を続けていたいですよ」
なんでそういうことを言うの、なんて質問は怖くてできやしない。私を落とす勢いで恋人を演じるとは言われたが、もし本当に私が落ちてしまったら、その時茨くんに何の得があるというのだろう。落としてやったぜという達成感程度のものだろうか。
頬から離された手は私を強く抱き締めてきて、強制的に黙らされた。
「自分の出番はまだですが、映画の撮影はもう始まっているので、この関係の終わりも近付いていますね」
「…私、役に立ててる?」
「ええ、もちろん。色々と参考になりますよ」
参考になったということは、私も少しは茨くんをときめかせられていたということだろうか。稀に見た動揺したような様子にも、本物の反応があったのだろうか。茨くんに振り回されすぎて頭痛がひどくなってきた気がしてしまう。
「女性にどのくらいの力加減で触れていいのか、抱き締め方も、締め具合も、貴方がいなければ解らなかったことです」
「…あんずちゃんなら、協力してくれたでしょ、きっと」
「…バカな人ですね。どうせ恋人役をやってもらうなら、好みの女性に声をかけるに決まっているでしょう」
それでは元からあんずちゃんより私の方が女性として好みだったってこと?私の好感度ってそんなに高かったの?いや、でも、今のも茨くんの私を落とすための言葉かもしれない。疑心暗鬼だ。信じてしまえば、急速に落下してしまう未来が見える。
「…私、責任は果たすから。こうやって迷惑かけちゃうし、誤解もさせちゃったりもするけど…途中で投げ出したりしないから」
「それは頼もしいですね。撮影が終わるまではお付き合いくださいね」
「うん、もちろん…」
そう、この関係は茨くんの撮影が終わるまで。それが終われば、私はお役御免となってしまう。毎日連絡を取り合って、皆に内緒で触れ合って、こんな風に抱き締められるようなことも、無くなってしまうのだ。
「…寂しい」
いままで通りのただの仕事仲間に戻ることを考えると、なんだか悲しくなってしまった。茨くんも寂しいとか言ってくれないかな、なんて期待してみたけれど、それどころか何の返事もしてくれなかった。それさえも悲しくて、どうしようもなくて目を瞑れば、微かに茨くんの鼓動を感じた。緊張しているみたいに速い鼓動に、つられて私までドキドキしてしまう。
耳をすませて茨くんのドキドキを聞いていたら、段々と心地よくなってきてしまい、またしても意識を保っていられなくなってしまった。
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