私しか知らない
体にのしかかる重みが苦しくて目が覚めた。私に乗っているそれは腕と足で、顔を上げれば目を瞑っている綺麗な顔が傍にあった。びっくりして声をあげそうになるのを抑え、まじまじとそれを見てしまう。寝息をたてる茨くんは、寝るつもりが無かったからか眼鏡をかけっぱなしで、寝たせいで斜めにずれていた。
というか、なんで一緒に寝てるの。自分の状況を理解して心臓がばくばくとうるさく鳴るのがわかる。私に絡んできている茨くんの足や腕は重いけど、どかしたら起きてしまうだろう。もう少し、このまま夢を見ていたい。
撫でたくなるような綺麗な肌に、整った顔のパーツに長めの睫毛。潤っている唇は柔らかそうで、見ているだけで恥ずかしくなってきて、つい生唾を飲み込んでしまう。
手を繋いだしハグもしたし手にキスをしたり頬にされたり、同じベッドで寝泊まりしたり。偽物の恋人関係でそこまでして、この唇に触れてはいけない理由は何だろう。俳優としての仕事も来るようになった茨くんなんて、どうせそのうちどこかの女優とのキスシーンだってあって、付き合ってもいない人と何度も唇を重ねることになるのだろう。私よりも茨くんのことを知らない人と。
自分の思考が怖くなり、茨くんの懐に顔を埋めて抱き付いた。肺が茨くんの匂いで満たされるみたいでむずがゆい。ぎゅうぎゅうと抱き付いていたら、優しく後頭部を撫でられた。
「…どうかした?…怖い夢でも、見ましたか?」
寝起きの掠れた声で、寝ぼけたため口で問いかけられドキッとする。敬語じゃないね、なんて突っ込んでいいのだろうか。いっそのことずっとその砕けた感じでもいいんだけど。
「自分がついていますので、大丈夫ですよ。もう心配ありません」
黙っていたら優しい口調で頭や背中を撫でられて、もっと!とおねだりしたくなってしまう。
「甘えん坊ですねぇ」
「うん…」
「ベッドの中で男と抱き合うなんて、危ないですよ?」
警戒しろとか、茨くんには散々言われた。でも茨くんが居るときの甘い雰囲気のせいで、つい警戒することを忘れてしまう。
「ねぇ、芹さん?聞いてます?」
ぐぐ、と体を押されて肩をベッドに押さえつけられて、あっという間に茨くんに見下ろされてしまう。
「…聞いてるよ」
「ではなぜ抵抗しないんです?このまま襲われても文句言えませんよ?」
「…茨くんは、そんなことできないよ」
「はぁ、ナメられたもんですね。これでも自分、男なんですが」
不機嫌そうに眉間にシワをよせるその表情すらかっこよくて、惚けてしまう。
「…でも、言ったよね、キスもそれ以上もしないって」
「ええ、しませんよ。貴方がして欲しくないならね」
「…茨くんは?したいの?」
質問すれば、じっと数秒見つめられる。私とキスをすることを、想像でもしているのだろうか。
「…したい、と言ったらさせてくれますか?」
ドクン、と心臓が大きく波打つのを感じた。茨くんの切なそうな顔に、死にそうなほどに緊張してしまう。
「いけませんよ。好きでもない、付き合ってもいない最低野郎を許可しては」
「いいよ、茨くんがしたいなら」
全部、全部熱のせいで出た戯言だと、後で言えばいい。
「…無責任な発言は身を滅ぼしますよ。後で訴えないでくださいね」
茨くんは眼鏡を外して雑にそのへんに置くと、直ぐに顔を近付けてきた。
「最低野郎ですみませんね」
視力のせいかいつもより目付きが鋭くて、なんだか怖くなってしまう。だがここまで煽っておいて逃げたらそれはそれで気まずくなりそうで。
茨くんの手が私の頬に添えられて、覚悟を決めてぎゅっと目を瞑った。数秒置いて、唇に柔らかいものが押し付けられる。ものの1秒くらいで離れてしまったが、ドキドキはしているのだが感想としては、やってしまったといった感じの呆気ないものだった。目を開ければ、茨くんにも同じような困惑した色が見えた。
「…あの、大変申し訳ないことを申し上げてもよろしいですか?」
「…どうぞ」
「自分…キスがド下手くそかもしれません」
それは私も思ったし、私自身もそうなのだと思い、「はは、」と乾いた笑いが出てしまった。
「…笑い事じゃありませんよ。言いづらかったので隠していましたが今度の撮影、キスシーンあるんですよ」
「嘘!?」
「この状況でそんなしょうもない嘘つきませんよ。ムードもへったくれも無い上にド下手くそは流石に俺の株が下がる…」
あああ、と声を漏らしながら茨くんは私の胸に顔を埋めて全体重をかけてそのままのし掛かってきた。へこむのは分かるがその恥ずかしいことをしながら苦しめてくるのはやめてくれ。
「…練習、する?」
我ながら馬鹿な提案だとは思う。だが大事に取っておいたファーストキスが呆気なく微妙な雰囲気で終わってしまって、もどかしいのは確かだ。
「風邪がうつったら看病してくださいね」
背中とベッドの間に茨くんの腕が入ってきて、無理やり体を起こされた。治ったかと思ったけど、動いたらまだ少し頭は痛かった。
「…唇、お借りしますよ。本当によろしいですか?」
もうヤケだと思いうなづけば、顎を指で掬われて少し上を向かされる。仕事中みたいな真面目な顔で、もう一度唇を重ねられた。さっきほど緊張していなかったせいか、唇の感触がわかりやすかった。
「…目、瞑って貰えますか」
「わ、ごめん」
素直に目を瞑れば、それから何度も何度もキスをされ、普段もこうやって歌やダンスも反復練習しているんだろうなぁなんて、意識をそらすために考えてしまう。
「どうして、ここまでできるんです?」
「へ、」
「自分の身を差し出してまで、俺に尽くして貴方が得られるものは何なんですか?」
私は別に、自分の身を差し出しているとかそんな重苦しいことは考えていない。ただ、魅力的に見えてしまった茨くんの唇に、触れてしまいたいと邪な気持ちが沸いているだけだ。
「…他のアイドルにも、こんな簡単に許しているんですか?」
「そんなわけ!キスしたのだって、茨くんが初めてだよ…」
恥ずかしいことをわざわさ白状させられ頬が熱くなる。
「…いいですね、その顔。もっと見せてください」
両頬に手を添えられて、真っ直ぐ顔を見つめられる。赤面したところを隠せなくするのは本当にずるい。茨くんは余裕そうに唇を重ね、少しだけ長く擦り合わせて唇を食んだ。ちゅ、と音をたてながら唇を離すと「リップ音があるとそれっぽくていいですね」なんて言って、今度はリップ音をたててキスをする練習をし始めた。
「…顔、とろけてますよ」
「…誰のせいだと思ってるの」
「他でもなく自分のせいですね、いやぁ申し訳ない」
声が楽しそうで、全然悪いなんて思っていなさそうだ。
「今夜、どうします?帰ります?泊まっていきます?」
「…泊まる選択肢があるの?ダメでしょ、仕事行かなきゃ」
「自分はともかく芹さんはまだ休んでくださいね。ここでは休まらないというのなら家まで送りますが…、そうでないならもう1日看病しますよ。倒れてからろくなものを食べてないので、自分が料理くらいしますし」
「茨くんだって明日仕事でしょ…?」
「アイドルとしての仕事の予定は運良く有りませんからね。副所長としての仕事なら手元のパソコンでもできますしどうにかなりますよ」
茨くんこそ、自分の身を削って私に尽くしすぎなのでは。何が得られるの?って、こっちこそ聞きたいくらいだ。
「甘えるチャンスですよ。一緒に居たい、と仰って頂ければもう1日甘やかして差し上げますよ」
ちゅ、と頬に唇を寄せられる。もう1日、こんな良い思いをしても許されるというのか。偽りの愛だと初めから知っているのに、愛されているような感覚に浸っていたくなる。
「…一緒に居たい」
言わされたようなものだけど、嘘ではない。茨くんは満足そうに微笑んで、私を抱き締めてきた。
「貴方と居ると、気が狂いそうになりますね」
「…私も、そんな感じ」
こんなに近くにいて、抱き締めあって温もりも感じているのに、終わることが確定しているなんて。終わりたくないと、駄々をこねたらどうなるだろう。もっと愛してと伝えたら、困るだろうか、呆れるだろうか。
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