おやすみなさい



もう一泊すると宣言したのはいいものの、下着を変えたくてどうしようかと恥ずかしながらぼやいたら、それを予想していたようで私が寝ている間に女装してコンビニに女物のパンツを買いに行ってくれていたらしい。行動自体は他人事なら笑えるのだが、茨くんが買ったパンツを履かなきゃいけないのは死ぬほど恥ずかしくてうろたえた。
夜は同じベッドで2人並んで、隣に茨くんがいると意識したまま寝ることになってしまった。

「おやすみ…」
「…それだけですか?」
「…す、好きだよ」
「それだけ?」

電気を消して真っ暗な中で、おやすみと共に好きを言うそれを言わされる。これ以上何か言う話もしていないし、わからなくて茨くんの方に顔を向けるけど、まだ目が暗闇にそれほど慣れていなくて見えやしない。

「せっかくなので、おやすみのキスをしませんか」

布団の中で、そっと手を握られる。茨くんからそんな少女漫画のような提案が出ると思っていなくて動揺する。

「…ダメならいいです。このまま手を繋いで眠ることだけはお許し頂きたい」
「いや、あの、だ、だめじゃ、ない、よ」
「本当に?」
「ん…」

握られた手から腕、肩、首と撫でながら布団から出てきた手が、正確に私の頬に触れる。

「おやすみなさい、愛していますよ」

電話越しではない生の声に脳がやられる。今の声を忘れることはないだろう。
動いて衣擦れの音をさせながら茨くんは近付いてきて、ゆっくりと優しく唇を合わせた。お互いに塗ってあるリップクリームのせいで、ぬるっとした感触でぞくぞくする。完全に力が抜けていたせいか、唇をあまがみされたあと、舌の侵入を防ぐことができなかった。驚いている間に舌は絡めとられ、口内を犯される。さっきまでただのキスすら下手くそだったくせに。絶対にキスの仕方とか検索して調べたにちがいない。

「ん、ぅ、」

息をするのもやっとで、苦しくて、どきどきして、頭がおかしくなりそうだった。誰も知らないであろう茨くんの唇の感触も、舌の感触も温かさも、全部私しか知らないんだ。
このままえっちなことでもしてしまいそうな程に熱い茨くんの舌と手が、私の体温をも上げていく。

「ん、はぁ…芹さん…」

長い長いキスがようやく離れたと思うと、妙に色っぽい声で名前を呼ばれてぞくぞくする。暗闇に目が慣れてきたせいで、茨くんの切ない表情が見えてしまう。

「…キスやそれ以上はしないという約束、破ってしまい申し訳ございませんでした」
「そ、んなの…こっちこそ、ごめん…」

まさかこのタイミングで謝られるなんて思っていなくて、反射的に私も謝ってしまう。

「…貴方が優しすぎるので、つい漬け込んでしまいます」
「別に、茨くんが思うほど優しくないよ…」
「それでも、俺に対しては優しいですよ。優しすぎて心配になるくらい」

そういう茨くんこそ優しい手付きで私の頬や頭を撫でてくる。茨くんがこんなに優しくて甘々なことができるなんて、知らなかった。真面目でストイックで強そうで、かっこいい茨くんしか知らなかった。

「今日はたくさん眠りましたけど…まだ寝られそうですか?」
「うん…目瞑ったら、また寝れそう」
「…明日は、きちんと起きていてくださいね。せっかくこうして一緒に居るのですから、眠ってばかりいてはもったいないですからね」

同じ時間を起きて一緒に過ごしたいと、そう思ってくれているのだろうか。確かに眠りすぎてしまったせいで、こんなに長く2人きりでいるのに大して会話ができていない。物理的な距離はとても近付いた気はするが、私はまだまだ茨くんのことを知れていないと思う。

「おはようって、起こしてね。ちゃんと起きるから」
「ええ、もちろん。声で起きて貰えなかったら叩き起こしますからね」
「痛いのはやだなぁ、優しくしてね」
「……えぇ、もちろん」

私も茨くんに触れたくて、手を握る。あと何日、あと何回、こんな気軽に茨くんに触れることができるのだろう。

「…芹さんは、この関係が終わるのを寂しいと仰って下さいましたね」
「うん…」
「自分も、寂しく思いますよ。仮にとは言え、どうやら自分たちは近付きすぎてしまったようですね」

そう、終わりがくるのをわかっていながら、近付きすぎてしまった。私はこの手を離したくないし、離して欲しくない。

「…おやすみなさい。今度は良い夢を見てくださいね。悪い夢を見てしまったら、自分を起こしてくれてもいいですよ」
「…ありがとう、おやすみ」

もう何日も、何週間も、茨くんには良い夢を見させて貰っている。この関係がまがい物だという真実だけが、私にとっての悪い夢だ。


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