禁断の果実



電車内では無言でお互いの手に触れあい、見つめ合い、もどかしい気持ちを抱えながら戯れた。構ってくれるのが嬉しくて、寂しかった心が少し満たされるのを感じた。
電車を降りて改札を通ったらまたちゃんと茨くんから手を繋いでくれて、じわりと胸が熱くなる。今日はずっと手を繋いでいたというのにまだ心臓はドキドキうるさくなるし、落ち着きがない。
私の家の最寄り駅あたりは都内でも中心ほど栄えてる訳ではないので、一気に人通りが少なくなって、家に向かって行けば行くほど通行人も減っていた。

「もっとESに近い場所へ引っ越した方がよくありません?いつも残業してこんな人通りの無い所を通ってたんですか」
「だってあっちの方高いし…」
「それでも住めるくらいの給料はあるでしょうに」
「そうだけど…なかなかね、探す暇も無いし、自分のことになるとめんどくさくなっちゃって…」

大事な誰かのためだったら時間を割いて頑張るんだけど、現状普通に生きているからわざわざ引っ越すことを考えるとどうにもめんどうで。家が職場に近くなればもっと残業もできるんだろうなとは思うけど。めんどうで。

「何かあってからでは遅いですからね?自分の身を大事にしてくださいよ」
「うん…考えとく」
「ほんとですかねぇ」

確かに夜道は危ないし怖いなぁとは思うけど。どうにも自分の価値がわからなくて、危機感を持てない。
なんとなく話していたけど、気付けば段々口数も減って、無言になっていた。そうなるとやはり寂しさが湧いてきて、あんなに楽しかったのに、悲しくなってくる。ちゃんとしたデートはこれが最後になるのは目に見えているから。

「…あの、」

しばらく無言で歩いていたら、茨くんがぽつりと呟いた。茨くんを見れば一瞬目があったけど、すぐに前を見てしまって目をそらされた。

「クリスマスのせいで自分、結構浮かれてしまいまして、その状態で1つ貴方におねだりをしたいんですが…」
「…茨くんのおねだりなんて珍しいね?何?」

そんなかしこまらなくても茨くんのおねだりくらい聞いてあげるのに。

「…キスをしたい、と言ったら…嫌でしょうか」

ドクンと心臓が跳ね上がったような気がする。まさか茨くんからおねだりとしてそんなことを要求されるだなんて思ってもみなかった。クリスマスの雰囲気に流されているのだろうか。普通の恋人らしい幸せを、茨くんも味わいたくなったのだろうか。

「…嫌なら結構ですよ、もう充分すぎる程クリスマスデートを楽しませて頂いたきましたし、当初の約束ではそういったことはしないものでしたし」
「私は…、…私も、楽しんだけど、まだ、充分じゃないよ、だから、その……」

茨くんが良いと言うなら、したいと言うなら、私だってしたい。許されるなら少しでも多く、茨くんを堪能したい。

「外は人目がありますので…、少しだけ、お家に上がらせて頂いてもよろしいですか?」
「…うん」

心臓はうるさいし顔は熱いしで、とてもじゃないが茨くんの方を見ることができなかった。
それ以上もう場を繋ぐような世間話も何もできなくて無言のまま、私の住むアパートにたどり着いた。
エレベーターも無いので階段で三階まで上がり、取り出しておいた鍵で急いで扉を開けて茨くんを中へと連れ込んだ。自宅にアイドル七種茨を招き入れているという現状がまず信じられないのに、私を見つめる茨くんの目が熱を持っているようにも感じてしまう。
茨くんは顔を隠すためにつけていたマスクを外して乱雑にポケットへと突っ込むと、すぐに私を抱き締めてきた。コートについていた雪が頬に当たり、ひんやりと冷やされる。それでもお構いなしに、私も茨くんを抱き締めた。茨くんが何を思ってこんな行動に出たのかなんて、もうどうでもよくなっていた。今日会ってからずっと、こうして抱き合いたかった。

外気温と何も変わらない冷えた狭い玄関でしばらく抱き合っていたら、ふと茨くんの腕が緩むのを感じる。合わせて私も腕の力を抜けば、茨くんに肩を少し押されて、背中が壁につく。逃げられない状況で頬を撫でられ、茨くんが顔を近付けてくるのを見て目を瞑った。
優しく触れられる唇は柔らかくて、熱く熱を持っていた。唇をすり合わせながら耳や首なんかを触れられてぞくぞくする。手のやり場に困って茨くんのコートをぎゅっと握れば、唇の隙間から熱い舌が侵入してきた。深く舌が絡められ、頭がぽーっとしてきて茨くんのことしか考えられなくなってしまう。茨くんに触れられて求められていることが嬉しくて、幸せで、どうにかなってしまいそうだ。

やっと唇を離されたと思うと、「芹…」なんて火照った顔で熱っぽく呼ばれ、我慢できなくて私からも背伸びをして唇を寄せた。キスをしながら抱き締められて、後頭部に手を添えられて唇を離せなくされて動揺する。恋愛ドラマでもなかなか見ないような濃厚さで、苦しくって漏れてしまう自分の吐息がやけにやらしく聞こえてしまい、自分で恥ずかしくなってしまう。
夢中でキスをしていたら、同じ階の人も帰ってきたのか外の廊下からコツコツと足音が聞こえてくる。それが解っているのに茨くんはキスをやめてくれなくて、足音が通りすぎて扉の開閉音が聞こえるまで、声が漏れないように必死に我慢した。

「はぁ……ば、ばか…」

足音が完全に消えてから唇を離されたので抗議をすれば、茨くんは愉快そうに口角を上げるし、性格が悪い。

「芹もキスするの上手になりましたね」
「…茨くんのせいだよ」
「おかげ、と言って頂きたいですけどね?」

乱れた息を整えようにも心臓はバクバクとうるさいし、頬の火照った茨くんは色っぽすぎて直視し難いし、完全に逃げ場が無い。

「…大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないよ…なんで茨くんそんな余裕そうな顔してるの」
「おや、そう見えます?…余裕なんか、無いからこんなことしてるんですがね」

もう終わりかと思ったのにまたもや茨くんは顔を近付けてくるし、つい私も目を瞑ってしまって唇が触れあう。いい加減終わりにしないと、クセになってしまったら明日や明後日はキスしたいなんて私からせがんでしまうことになるかもしれない。そんなことをして、本気にしたんですか?なんて言われてしまったら取り返しつかないし一生茨くんに顔向けできなくなりそうだ。
やめたいのにやめたくなくて、ずっとこうしていたいのに引き留めちゃいけなくて、こんなにも嬉しいのに、想いの吐き出し口が無くて、苦しくて涙が頬を伝う感覚があった。目を開けられたら泣いたことがバレるのは確実で、それまではどうにかやり過ごそうと思ったのに、どうにも我慢できなくて、茨くんの胸を押して離れさせてしまった。おかげで顔を見られてギョッとされて、嗚咽が漏れるくらい泣いてしまった。

「す…すみません、浮かれて、調子に乗ってしまって…」

嫌だったから泣いた訳じゃない。それを伝えようにも喋れなくて、首を振るしかなかった。困らせているのはわかるのに涙は止まらなくて、早く泣き止まなきゃと思ってもどうしようもなくて、困っていたらぎゅっと抱き締められた。

「泣かせてしまってすみません…。貴方が落ち着くまで、このままでもいいですか?」
「んぅ…」

こくこくとうなづけば、よりきつく抱き締められて、大事にされているような気がしてしまう。人前で泣いたのなんていつぶりだろうか。甘えることも忘れて、仕事で失敗したときも家で一人で泣くようにしていたのに。やはりここが自宅なせいで涙腺も緩んでいたのだろうか。
しばらく優しく背中を撫でて貰っていたら、段々と落ち着いてきて、至近距離で泣き顔を見られた恥ずかしさが膨らんできた。

「…泣いてごめん」
「構いません。泣かせた自分が悪いので」
「悪くないよ…私が勝手に泣いただけっていうか…むしろ涙が勝手に出てきただけだから」

そう、茨くんのせいでも私のせいでもない。全て涙が暴走したせいなのだ。そうでしかない。

「…涙の理由、解りますか?」
「…そりゃ、自分の涙なので」
「理由、お聞かせ願えますか?」

嫌だけど、こうして慰めてくれる茨くんを蔑ろにはできやしない。

「…これで最後って思ったら、寂しくなっちゃった。それだけ」
「そう…ですか。…大事に、愛してみたかったんですが…逆に寂しがらせてしまったようで、申し訳ありません。どうにもうまくいきませんね」
「ほんと、ごめん…。最後だから、茨くんに楽しんで貰って、笑顔でばいばいしたかったんだけど…失敗しちゃった」

最後なんて考えずに過ごそうと言われていたのに、そんなことはできなかった。とても楽しく過ごせてしまっただけに、失うことが怖くなってしまった。来年のクリスマスも、なんて考えてしまいそうなことが怖かった。

「ごめんね、でも、楽しかったのは本当なんだよ」
「えぇ、自分もとても楽しかったです。本当に、夢でも見ているかのように」

茨くんは抱き締める力を緩め、頬を伝う涙を手で拭ってくれる。メイクも流れてしまっているだろうし、綺麗じゃないのに。

「貴方がいてくれて本当に良かった」
「茨くん…」

好きだと言いそうになるのを堪えてしまう。今はまだ口に出しても許される関係なのに。

「泣いてしまうほど惜しんでくれるなんて、恐悦至極であります。泣かれて喜ぶ最低野郎ですみません」
「最低野郎なんかじゃないってば…」
「そうして否定してくれるのは貴方くらいのものですよ」

よしよしと頭を撫でられ、なんだか子供扱いされているようで恥ずかしくなってくる。

「泣いている貴方を置いて帰るのは忍びないのですが……これ以上ここにいても余計に帰りたくなくなってしまいますし、そろそろ…」
「うん…気を付けて帰ってね」
「えぇ、ありがとうございます。芹も風邪をひかないように温かくして寝てくださいね」
「うん、ありがとう」

ポケットから出したハンカチで頬や目元をなんとなく拭う。楽しかったクリスマスを涙を流したままでは終わらせたくなくて。

「また明日、ESで会おうね」
「そうですね、また連絡します。…本当に、ありがとうございました」
「そう何度も言わなくても伝わってるよ、ありがとうね」
「何度も言いたくなる程感謝しているということであります。…では、おやすみなさい、愛していますよ」
「お…おやすみなさい、…愛してるよ」

大好き、までの表現はしたことがあったが、愛してるなんて初めて口にしてみたら思ったより恥ずかしくて照れてしまった。茨くんはにこりと笑顔のまま、玄関を出ていった。
1人になると寒くて体が震えた。このタイミングで風邪なんか引いたら茨くんに迷惑をかけると思って、急いで部屋に入り暖房をつけた。
コートを脱いでコタツに入って座れば、今日のことをたくさん思い出して恥ずかしくなってくる。
これでもかというくらい茨くんに甘えたし、甘えられた気がする。唇はまだ茨くんの熱を鮮明に思い出せるし、体温も、手の感触も、抱き締められた感覚も、匂いも、全部何一つ忘れたくない。
また明日、なんて言ってしまったけど、明日無事に何事も無かったかのような顔で茨くんと顔をあわせることができるのだろうか。


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