気付かれないように
微かな意識の中でスマホから着信音が鳴るのが聞こえてきた。うっすらと目を開けると部屋は朝日で明るくて、スマホを見ればいつもの時間で、表示されているのは七種茨からの着信を示すものだった。
「おはよ〜…今日もありがとう」
『おはようございます!今日も眠そうですね、きちんと眠れましたか?』
「ん〜…あんまり」
正気を保てないくらいの熱を茨くんから浴びまくって、いつも通りに眠りにつけたわけがないだろう。
『それはよろしくないですね。また倒れたりしないよう気を付けてくださいよ?』
「わかってるよー…」
茨くんは大事なEdenのライブ直前だし、映画の撮影も残っているようなので、私が倒れても面倒なんて見て貰えないし、迷惑をかけるわけにはいかない。
『それと、昨日は本当にありがとうございました。目は腫れたりしてませんか?』
「…まだ鏡見てないけど、大丈夫だと思う」
『それなら良かった。貴方が泣き腫らした目で出勤したら騒ぎになってしまいますからね』
「ふふ、心配させちゃうのはよくないね。もう泣かないように頑張るよ」
創くんなんかは私の変化にすぐ気付きそうだし、めちゃめちゃ心配してくれそうだ。申し訳ないし、やはり私に泣いている暇などない。
『頑張りすぎて潰れないでくださいね?今後も泣きたいようなことがあったら、その、自分で良ければ話くらい聞きますので…』
茨くんにしては珍しく、なんだかとても人間らしいことを言われた気がする。今後も、と言われて上辺だけじゃない言葉のような気がするのは、私の気のせいだろうか。
「ありがとう。茨くんも泣きたかったら私の胸を貸してあげるよ」
『これはこれは、朝からやらしいお誘いをありがとうございます!優しさだとしても、他のアイドルにその言い回しを使うのはよしてくださいね?』
やらしいつもりで胸を貸すと言ったわけではないのだが、茨くんも男の子だということか。
「今のところ茨くんにしか貸したことないよ」
『……』
故意か無意識かは知らないが、家にお邪魔していたときに胸に顔を埋められた記憶が脳裏を過って言ってしまった。茨くんは黙ってしまったし、言わない方が良かったかな。
『…その節はどうも』
「いえ」
『…こんなことを話していたら遅刻しそうなので、すみませんが切りますね?貴方も遅刻しないように』
「はぁい」
二度寝をしないように体を起こせば、ふぁ、とあくびが出てしまう。
『今日も愛していますよ、芹』
「ひゃ!」
『また連絡します。では』
人語で返事をする前に一方的に電話を切られてしまった。言い逃げなんてずるすぎる。朝にそんなこと言われたことないから、びっくりして動悸がする。呼び捨てもまだ継続しているようだし、本格的に会わせる顔が無いかもしれない。
なんだか頭がぐるぐるしてしまい、もう一度ベットに倒れこんで掛け布団を思い切り抱き締めた。
不意に色々思い出してにやけそうになるのを抑えながらも無事に出勤すると、「なんか機嫌良さそうだね?」なんて同僚に話しかけられた。
「このあとRa*bitsのレッスンなので」
「なんだ、クリスマス直後で浮かれてるのかと思った」
「はは、まさか」
私にしては違和感のない返答ができたと思う。クリスマスの出来事は誰にもバレるわけにはいかない。
しばらくメールチェックなどの事務仕事を片付けてから、ra*bitsとのレッスンに向かった。
新年に新曲をテレビで初お披露目のため、それに向けて皆のやる気も充分だった。クリスマスライブでも1度歌ったが、それにより見つかった改善点を良くすることが今日の目的だ。
私も浮かれている場合では無くて、真面目にRa*bitsのレッスンに取り組んだ。
微笑ましい4人のレッスンを目に焼き付けながら真面目に対応していたらあっという間にスタジオ利用時間の終わりが迫ってきた。現状でもばりばり可愛いので全然問題無いように思えるのだが、なんというか自分の欲としてはこの距離でもっとレッスン風景を見ていたい…という思いで名残惜しくなってしまう。とても口には出せないが。
「今日の僕たちどうでしたか?」
「めちゃめちゃ良かった!本番もこの通り踊れたら大丈夫だよ!」
「ふふ、芹さんにそう言ってもらえると自信がつきますね、ありがとうございます」
私だって皆がそうやって私を求めてくれるから自信持ってプロデューサーできるんだよ。今すぐ抱き締めたい衝動を抑え、創くんの頭を撫でておいた。
まだ退室時間では無かったが、扉がノックされる音が聞こえたので振り返れば、次にこのレッスンルームを使う予定なのか、ナギさんが扉の向こうで手を振っていたので、駆け寄って扉を開けてあげた。
「ナギさん、お疲れ様」
「お疲れ様なんだぜ〜!」
「お疲れ様。芹さんは今日も可愛いね」
出会い頭に珍しいことを言われ、びっくりしすぎて手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルを床に落としてしまう。
「な…な、なに?」
「いつも茨が色んな人を褒めているの、見ていて気持ち良かったから真似しようと思って」
「そ、そう、それはとても、良い行いですね…」
「そっか、嫌がられなくてよかった。いい子いい子」
にこりと微笑まれながら、いい子いい子と頭を撫でられる。ここは天国かと一瞬勘違いしたが、自分の置かれた現実に急激に恥ずかしくなり、顔に熱が集まるのを感じた。
「い、い、良い行いではあるんですけども、茨くんの褒め殺しはそういう方向ではなくて…」
「そういうガチっぽいやつ言ったら照れちゃうに決まってるだろ〜?うちの芹ちんを振り回すなよ」
私の異変に気付かれて、に〜ちゃんが来て助け船を出してくれる。さりげなく私を撫でるナギさんの手もどかしてくれた。
「芹さんはもう夢ノ咲の子ではないし、Ra*bitsだけのプロデューサーではないよね?」
「なっ…そ、そうだけど、そうだけど〜…」
控えめに言ってもRa*bitsを贔屓していると誰が見ても思ってしまいそうなくらいには世話を
焼いてしまっているので、に〜ちゃんが『うちの芹ちん』と言ってしまうのも無理はない。私としては大事に思われているようで喜ばしいことだ。
「皆のプロデューサーなんだから、私が芹さんの頭を撫でるのも、芹さんが創くんたちを撫でるのも、同じだよね?」
同じではあるが絵面の問題が…という本音はなかなか口に出せない。余計なことを言ってナギさんが悲しむと嫌だし。
「閣下のような凛々しく雄々しい男と、じめにゃんたちのような愛らしい方たちを同じ生物と思うのはお控えくださいね〜?」
「私たちは同じ人間だよ?」
「違う人間ですよ」
ナギさんの背後から現れた茨くんにドキッとする。顔に出してはいけないと思いつつも、ナギさんのせいで既に顔が熱いのは不幸中の幸いというか何というか。
「なんて顔色してるんですか。閣下が眉目秀麗だからと言って照れていたら、いつかハニートラップにでも引っ掛かってしまうのでは?」
「女の身でハニートラップには引っ掛かりたくないね…!」
むしろ茨くんのハニートラップに今かかっている状態な気もするが、これはそういうことではないのかな。
「あぁすみませんじめにゃんたち、引き続き我々がここを使うので機材はそのままでも構いませんよ」
「ありがとうございます!一通りお掃除だけはしておきますね」
「えぇ、お気遣いありがとうございます」
よし、このまま余計な会話をせずに解散してくれ。あんまり茨くんと会話をすると何かしらの感情が出てきてしまいそうで怖い。
「七種からも言ってくれよ〜。乱が七種の真似とか言って芹ちんの顔みていきなり可愛いとか言って褒め出したんだよ。誰彼構わずそういうこと言うとチャラいイメージついちゃうぞ」
「自分、誰彼構わず可愛いなどと言った覚えはないですが……。人の褒め方でしたら後でレクチャーするので、それまで変なことを口走らないようにして頂きたいですね」
「ありがとう、レッスンが終わったら聞かせてもらおうかな」
ナギさんからのお褒めはこれでしばらくなくなるだろう。威力がありすぎて困る。
しかし茨くん、誰彼構わず可愛いとか言うわけではないのか。私にだけかな、とか浮わついた気持ちになりそうなのを堪えるため茨くんから目をそらせば、ジュンくんと日和さんも来たことに気がついた。
「おはようございます」
「おはよう!今日はRa*bitsのレッスンだったんだね?このまま僕たちのレッスンも見ていく?」
「殿下、」
「いえいえ!ありがとうございます!私ほら、お客としてライブ観に行くので、本番まで全部楽しみにとっておきたいので!」
Edenのライブは心からめちゃめちゃ楽しみなので、練習で先にネタバレをくらうのはもったいない。プロデューサーとしてはレッスン風景も見たいけど、ファンとしての想いが勝ってしまう。
「へぇ、倍率凄かったのにチケット取れたんだね?」
「あ、それは茨くんが余ったやつくれたんです」
「毒蛇が?たまには気の効いたことをするんだね?芹ちゃんが観に来てくれるならみんなもうんとやる気が出るね!ね、ジュンくん?」
「え?はい、そうっすね。み〜んな芹さんのこと大好きですからねぇ。三割増しで頑張っちゃうんじゃないスか?」
ジュンくんの目線が茨くんに向かっているのに気が付いてしまって、なんだか冷や汗をかいてしまう。なんか今すごく怖い空間にいる気がする。早く引き上げよう。
「あ、そろそろ時間だから退こうか」
「そうだな、あんまりおしゃべりしてるとお邪魔になっちゃうし」
「はい。Edenの皆さん、レッスンも明日のライブも頑張ってくださいね、応援してます」
「ふふ、ありがとう」
よし、よし、何事もなくra*bitsのみんなと一緒にレッスン室を出ることができた。ほっと一息ついたのに、背後でガチャと扉の開く音がした。
「芹さん、忘れ物ですよ」
「へ」
振り向けば茨くんが私のra*bits応援タオルを持ってきてくれていて、手に持たされた。
「この調子で明日チケットを忘れた〜なんてことにならないでくださいね?」
「それは大丈夫!例えスマホと財布を忘れたとしてもバッグをひったくられたとしてもチケットだけは手に握り締めて行くから」
「それは頼もしい限りでありますな。ではまた明日、大いに期待してご来場くださいね」
「は〜い、また明日!」
茨くんは軽く敬礼☆してレッスン室の中へと戻って行った。
「いばにゃんご機嫌でしたね」
「俺もそう思ったんだぜ!サエグサ先輩、芹ね〜ちゃんが応援来てくれるの嬉しそうなんだぜ」
「そうかな〜、いつも通りだと思うんだけど」
短期間で仲良くなりすぎてしまっただろうか。不自然なくらいに、他のアイドルたちと同じかそれ以上にフランクに接するようになってしまった。
「いつもそうってことは、いばにゃんはいつも芹さんの前ではご機嫌ってことですね」
「そ……」
そうなのだろうか。私をちょっとからかってくるところも、ご機嫌だから戯れるそれだったのだろうか。
「そう言う創だって芹さんいると三割増しでご機嫌だよな」
「え、僕もそんな感じですか?嬉しいのが顔に出ちゃってましたかね?えへへ」
私がいると嬉しいなんて、素直に言ってくれるのは創くんたちくらいのものだ。嬉しすぎていいものをごちそうしたくなってしまう。
これから皆でスイーツを食べる予定だし、ついでだから私がおごることにしよう。贔屓なんていけないけれど、このくらいは貢がないと皆に感謝しきれない。
「七種か……」
斜め後ろを歩くに〜ちゃんからそんな声がぽつりと聞こえ、反射で振り向いてしまった。ばちりと目が合い、に〜ちゃんの頬が赤らむのが見てとれた。
「にゃ、な、なんでもない、一人言だから…」
「…」
「…お、俺は、何も知らないし、何も言わないぞ」
明らかに何らかの感情に気付いてしまったような反応を見せられるのだが、誰のどの感情を察知しての反応なのかがわからない。知らない振りをしてくれるみたいだし、こちらから刺激を与えるのはやめよう。
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