行かないで



『おはようございます!』
「おはよう…」

今日はもう私は休みだからモーニングコールなんて必要なかったのだが、してくれると言うのでそのままお願いした。

「今日の調子はどーお?」
『ばっちりであります!毎日貴方の美声のおやすみで眠りにつくと睡眠の質が良くなって調子が良いんですよ』
「ふふ、じゃあ今日の撮影はめちゃめちゃ褒められちゃうかもね」
『今日は自分の見せ場なので、褒められなかったら何度でも撮り直して頂く所存ですよ』
「見せ場?」
『キスシーンですね』

いやいやいや!いや!そこを見せ場として作られる意図は理解できるが、うまくいかなかったら何度でも撮り直しって、いや、そんなことして欲しくないけど。なんて口が裂けても言えないけど。

「…いっぱい練習したんだから、一発OK貰ってくれないと。私が体を張った意味がなくなっちゃうからね?」
『それは相手の女優と何度もキスをしないでくれという可愛いお願いでありますか?心配しなくとも最低限の回数で済ましてみせますよ。たくさん練習させて頂いたお陰でキスに自信もつきましたので』

他の女とキスするための練習にされ自信を持たれたなんて、改めて表現されると心に刺さる。所詮私は練習だったんだよなぁとか思ってしまう。

「うますぎて映画公開後に世間にざわつかれるんじゃない?」
『まぁその時はジュンあたりで練習したことにでもさせて貰いますよ』
「そんなこと言っていつかジュンくんに回ってきたキスシーンが下手だったらどうすんの…」
『しばらくその予定は無いので構いませんよ。殿下と練習しますって世間に向けてジュンに言わせておきましょうか』

一部のファンは沸くかもしれないけどやめてあげて。

『…あぁでも、ジュンが万が一芹に練習したいからキスさせろなんて言ってきても、拒否して下さいよ?芹には、本当に好きな人と付き合って、そいつとだけそういうことをして欲しいなと思ったので』
「へぇ、茨くんの口からそんなこと言われるなんて」
『えぇ、本当に。散々好き勝手に手を出した自分が言える立場にはありませんが。…本当に、ご自身の身を大切にしてくださいよ』
「ご心配どーも。これが終わったら仕事とよりを戻して恋人になるから、そんな暇ありません」

本当に自分を大事にしていいなら、このままずっと茨くんと恋人でいたい、本物の恋人になりたい、なんて駄々をこねてしまうけど。
私は茨くんが終わりを選択するなら、それを素直に受け入れる覚悟はもうできている。好きな人の、意思を尊重したいと思っている。

『そうですね、今まで仕事と芹とで二股をかけていた訳ですし、仕事とよりを戻したくても二股に怒った仕事に振られないかが心配でありますな』
「はは、振られたら慰めてあげるよ」
『いえいえ、そんな優しくされたら仕事とよりを戻せなくなってしまうのでいけませんよ。自分を誘惑しないでください』

優しくする程度で、仕事より私を選んでくれるならこれでもかと言うくらいに優しくして甘やかしてあげるんだけどな。

「私…年末年始、茨くんも仕事も無いフリーになっちゃうのか…」
『おや、それは可哀想に。カウントダウンライブにEdenも出るので見て下さいね』
「売れっ子トップアイドルはずっと忙しいね」
『年始も生放送の音楽番組に呼ばれているのでぶっ倒れそうですよ』
「それは…気をつけてね。えっと、がんばってね?」

心配をしていいのか応援をしていいのかわからなくて、両方してしまった。

『もちろん!最高の姿をお見せする気しかありませんよ。ここで告知をしたので、Edenでは七種茨を一番好きでいてくれる貴方が番組を観てくれるはずですから』
「ずるい。年末年始テレビに張り付くしかなくなっちゃったじゃん」
『他にご予定でも有るのですか?』
「…無いですけど」
『ならちょうど良いではありませんか!自分の活躍、見ていて下さいね』
「みるよ〜」

カウントダウンの時だって、年始だって、もう確実に恋人なんかじゃないのに。それでも見ていろなんて余りにも酷だ。むしろ、テレビの向こうの七種茨を見せることによって、遠い存在だと思わせたいだろうか。

『このままでは長電話をしてしまいそうなので、そろそろ…』
「そうだね、お陰でばっちり目も覚めたし朝ごはんでも作ろうかな」
『ええ、ゆっくりしていて下さい。また連絡しますので行ってきますね。今日も愛していますよ』
「んふ、いってらっしゃ〜い。愛してるよ」
『ありがとうございます。では』

これから他の女とキスしに行く男にいってらっしゃいも愛してるも言いたくなんかなかった。行かないで、と冗談で言ったとしても、仕事なのでと言われて終わりだろうし言えやしない。
最近は電話を切る度に、この電話が最後かもしれないなんて考えてしまう。日常に戻ったら、茨くんと仕事の電話をする機会なんて無いに等しい。プライベートでの電話だって、かけていいのかすらわからない。この気持ちをどうにか押し込めて無かったことにしなければ、今までの日常になんて戻れないのかもしれない。


目が覚めてしまったので朝ごはんを食べ、気分を高めるためにRa*bitsのMVを眺めていたら癒されすぎて二度寝をしてしまい、起きると午後二時になっていた。年末年始は担当の仕事が無ければ普通に休暇でしかなくて、皆に会えないのが寂しすぎる。正月は実家に帰った方が良いだろうか。
たくさん睡眠が取れたので体調は万全だし、今日会えるかもしれない茨くんのために身なりを整え、できるだけ可愛く仕上げて家を出た。そうなると自然とクリスマスに茨くんに買って貰った服になってしまい、なんだか気恥ずかしい。
連絡が来るまで行く宛も無いし、会えないなんて言われたら泣きながら帰ることになりそうだけど。

ウィンドウショッピングでもしようかと色んな所をふらふらしてみたが、思うような物は無いし、可愛い服を買い足したところで見せる人も居ないんだよなぁなんて思ったら何も買えなくて、もう買い物がどうでもよくなってしまいゲームセンターへと吸い込まれた。
久々に音ゲーをしてみたが、久々なせいで腕が鈍っていて前ほど良いスコアがでなくなっていて悲しい。

「お姉さんお一人ですか?」

横から話しかけられたような気がするけど、面倒なので無視して選曲していたのだが、その間もお上手ですねとか可愛いですねとかごちゃごちゃ言われていてイライラする。そのせいで集中してゲームできないしスコアはさっきよりも悪くなってしまった挙げ句、「コツ教えましょうか?」なんて言われて、ムカついて思わずその男を睨み付けてしまった。

「貴方がそこにいるせいで集中できないってわかんないですか?」
「あ、すみません、じゃあ終わるまで話し掛けるの待ちますね」
「はぁ?そういうことじゃ…」

口論なんてする程暇ではないのに、どう突き返せばいいのやらと迷っていたら、また別の男が近付いてきた。店員が助けにきてくれたかと思いきやその人は私の肩に手を回してきた。

「俺のツレなんで、そういうのやめてもらえます?」

マスクをしていたがどう見てもジュンくんだし、目付きが鋭いせいもあって効いたのか、男は舌打ちをして逃げるように去っていった。

「ごめん、ありがとう」
「いえいえ。それよりお姉さんお一人ッスかぁ?」
「やめてよジュンくんまで〜。誰かと来てたら一緒にやってるよ」
「へぇ、一人でゲーセンにしては随分とおめかししてるように見えますけどねぇ?誰かさんとデート中なのかと思いましたよ」

言葉のトゲがちくちくと刺さってくる。デート中ではないが、デートのつもりで可愛い格好をしてしまっているので違うとも言いづらい。

「まーだ茨と続いてるんすか」

ため息混じりにそう言われ、ジュンくんには関係無いでしょ!なんて言いたくなるが、ジュンくんに相談を持ちかけたのはこの私だし、そんな理不尽なことは言えやしない。

「たぶん、今日が最後なので。撮影が今日順調に終わっちゃったら打ち上げあるかも〜とは言ってたから、このまま会わずに終わりかもしれないけどね」
「ふぅん……それで、向こうからの連絡をここで暇潰して待ってるってとこですか。そんな可愛い格好でこんなとこ居たらそりゃ変な奴も絡んで来ますよ」

可愛い格好だと言われて気恥ずかしくなる。普段はゲーセンにスカートなんて履いて来ないし、ジュンくんにこんな格好見られたくなかったな。

「…もし、撮影終わったからもう会えないなんてことになったら、代わりに俺と飯行きません?」
「……いいけど、もし会えるって言われたら私茨くんの方行くからね?先約を優先するって決めてるので…」
「いいっすよ。じゃあ連絡来るまで遊びましょうか、久々に。腕の鈍りきったアンタじゃ俺に歯も立たないでしょうけど…♪」
「あ〜〜なめないでよ、ジュンくんだってお仕事忙しくてどうせそんな前みたいにゲーセンに通い詰めてないでしょお?」
「芹さんほどではないんで、油断しないでくださいねぇ」

ジュンくんとは、やはりこのくらいの距離感がちょうどいい。友達として、同じことをして楽しんでいられるくらいの感じが。
茨くんともジュンくんとも、ずっと今の関係でいられたらいいのに。

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