はじまりの日



お寿司片手にドキドキしながら、副所長室にたどり着いてしまった。仮に付き合っていた時よりも緊張してしまっているのは、余裕が無いからだ。今までは何を言おうがどう甘えようが全部演技だと言ってしまえば誤魔化せたものを、今となっては何をしても私自身の言動になってしまうのが怖い。
恐る恐るノックをすれば、中からどうぞと言う声が聞こえてくる。深呼吸してから入室すれば、茨くんは私を見て目を丸くさせた。

「…出前です」
「は?」
「…ニキくんから、謝罪の気持ちを込めた差し入れ。ごめんね、忙しいのに邪魔しに来ちゃって」
「いえ、邪魔なんかじゃありませんが、普通にびっくりしてしまいました」

忙しいだろうに茨くんは席を立って近付いてくる。うわ〜、近い、と改めて思ってしまう。

「クレビのせいでお仕事増やしてごめんなさいって言ってたよ」
「それはそれは…謝るくらいならヘマしないで頂きたいですが、お気持ちは受け取りますよ。食べ物ですよね、お弁当ですか?」
「そう。晩御飯どうしよっかな〜と思って社員食堂行ったら、なんやかんやでその話聞いて、ニキくんにお弁当持たされて…」

これ以上何の話をしよう。色んな話をできるようなメンタルは持ち合わせていないし、忙しいのが解っているのにここで図々しく一緒に食べようなんて言いづらい。このまま渡して帰ろうか。

「…二度もドタキャンしてしまいすみませんでした。呆れられて見捨てられただろうなと思っていましたが…まさか貴方から会いに来てくれるだなんて思ってもみませんでしたよ。ありがとうございます」
「いや、別にそんな、お仕事のせいだから、ドタキャンになってもしょうがないことだし…茨くんのせいではないんだから気にしないでよ」
「そんな女神のように心優しい言葉ばかりかけて頂かなくていいんですよ?この最低野郎!と怒って文句の一つや二つ言われて責められた方が気が楽ってもんですよ」

怒られたいのか?と一瞬思ったが、申し訳なさそうに眉尻を下げる様子から、罪悪感を覚えさせてしまったのかなとこっちが申し訳なくなってしまう。

「私は…茨くんのこと怒れる立場じゃないし、怒って嫌われたくもないし…、お仕事の、邪魔もしたくないし…」

いけない、こんな陰鬱な感じを見せてしまうくらいなら、やはり会いに来ない方がよかった。絶対に今お仕事の邪魔でしかないし、茨くんが会うのをやめた意味が無くなってしまう。めんどくさい奴だとか思われたくもないのに。

「ごめん、私行くね、邪魔になっちゃうし。落ち着いたらご飯食べてあげてね」

茨くんに差し入れの袋を押し付けて帰ろうとしたのだが、袋ごと手を掴まれてしまった。久々に触れる茨くんの手はなんだか冷えていた。

「1人でこんなに食べられませんよ。しかも寿司じゃないですか。椎名氏にわざわざ作って頂いたんでしょう?一緒に食べませんか?」
「…お仕事の邪魔じゃない?」
「貴方を邪魔だと思ったことなんてありませんよ。どうぞ座ってください」

ぐちゃぐちゃの感情のままどうしていいかわからず、指示されるがままにソファに座らされてしまった。

「…そんな泣きそうな顔しないでくださいよ」
「そんな顔してない」
「そうですか…?それならいいですけど…」

袋からお寿司の入ったパックを2つ取り出すと、お店で出てきそうな綺麗な出来映えのお寿司がいくつも並んでいた。美味しそうなのに、さっきまでお腹が空いていたのに、食欲だけがなぜかどこかに消えてしまったように感じた。

「…芹さん」
「ん?」
「あの、やはり先にお話しませんか?なんというか、この空気のまま食べてもろくに味わえなさそうですし、それも椎名氏に申し訳ないので」
「重い空気まとっててごめん…」
「そういうつもりじゃありませんが…」

食欲が迷子だったから、止めてもらえて助かった。

「…この何でもない関係に戻ると決めて実行したのは自分ですが、以前にも増して隙を見て逃げ出しそうな空気をまとわれると、少し寂しいのですが」
「逃げるつもりなんてないけど…」

以前にも増してって何だ。もともと茨くんから少し逃げていたのバレてるじゃないか。

「逃げずに聞いて頂けるのなら、まずは年末のドタキャンの謝罪から始めてもよろしいですか?」
「えぇ?その謝罪はもう聞いたから充分だよ…?」
「では勝手に話すので、耳を塞ぐかどうかはお任せします」
「ずるい…」

ありがとうもごめんなさいもたくさん聞いたからもう充分だ。強いて言うなら私が聞きたいのはこれからも仲良くしよう!くらいの軽いものだ。終わったことを振り返って恋しくなったら、それこそ泣いてしまいそうだ。

「あの日、撮影が終わって打ち上げがあるから行けないと言いましたが…嘘でした。すみませんでした」
「…え、何?怖い、帰っていい?」
「耳を塞いでもいいですが3分でいいから居てください」

嘘ついてでも私と会うのをやめたってことでしょう、もう後が無いって解っていたのに。そんな話聞きたくないし意味わかんなすぎて泣きたいんですけど。耳を塞いだってどうせ茨くんのくそでかボイスなんて防げるわけがない。

「ほんとはあの日、自分の演技にダメ出しされまくってうまくいかなかったので、撮影は終われなかったんです。感情が表現できてないとか下手くそとか、周りに聞かれて恥ずかしい指摘ばかりでした。でも時間は限られている上、自分にばかり時間を割いてもらうわけにもいかず、何回か撮ったうちのまだマシという程度のもので妥協するなどと言われてしまい、このままでは俳優としてポンコツのレッテルを貼られてしまうと思って、その…」

なんだか焦ったような様子の茨くんは、珍しく言葉を言い淀む。

「要するに…失恋の感情を正しく理解して、正しく演技するには、貴方を失うのが一番手っ取り早かったんです」
「…うん?」
「貴方のおかげで片想い野郎の演技は順調にできていましたが、振られて傷付いて悲しむ表情ができなかった。この話題の映画の見せ所でそんな微妙な姿を晒すことになったら俺の演技の評判が悪くなると判断し、実際に失恋の気持ちを味わう案しか思い付きませんでした。自分勝手な都合で付き合って、勝手な都合で終わらせてしまい、振り回してしまい、本当に申し訳ありませんでした」

たしかに茨くんはヒロインに振られる役だと言っていた。だからまずそのヒロインに惚れている感情を知るために、私に恋人ごっこをして欲しいと言ったんだ。だけどそんな、失恋だなんて。

「…私と、別れて、撮影うまくいったの?」
「えぇ、もちろん。関係者たちから一晩でよく成長したと褒められるほどの演技はできたみたいですよ。まぁ実際に貴方を失ったその身で撮影に挑んだだけなので、演技というより素の感情をさらけ出したというところですが」

茨くん、本当に失恋したの? 私と別れて、その感情を理解できてしまったというのか。

「最初から最後まで、貴方よりも仕事を優先してすみません。本音を言えばもう一度、今度は本気で付き合って欲しいと言いたいところでありますが…余りに身勝手すぎるので自重します。ですが、貴方を好きになってしまったのは本当なので、それだけはお伝えしたかった。俺に嫌われたと勘違いされて、逃げ出されるのは悲しいので」

申し訳なさそうに好きだと言う茨くんの姿がなんだか悲しくて、私の方が泣きそうになってしまった。

「私…もう、用済みなのかと思ってた。仕事のために利用されてるのは最初から解ってたことだけど…、別れてからぱったり連絡無いから、友達としてすら認められてなくて、完全に捨てられたと思ってて…」
「そんなわけないじゃないですか。こっちから終わりを告げた以上、どう連絡していいか解らなかっただけです」

困っていたのは私だけじゃなかったんだ。そんなことなら本当の撮影が終わったあとにでも全部教えてくれれば良かったのに。

「仕事のために貴方を手離したなんて…言い出せなくて。でもこのまま言わずにいて貴方の隣がジュンや誰かのものになるんじゃないかと思ったら、嫌で。最後のわがままのつもりで全部話して、好きだと言っておきたかった。本当のことを知った貴方に幻滅されて嫌われたとしても、それは受け入れるつもりです。貴方のことを大事にできたなかった罰として…」
「…茨くんの、馬鹿」
「ええ、馬鹿で間抜けな最低野郎です。存分に罵って下さって構いません。好きだと思いながらも貴方を傷付ける可能性のある道を選んでしまったんですからね」

好きだって思ってくれてるなら、私も別れたくないって駄々をこねてみればよかった。仕事だから、恋人ごっこだから、と言い聞かせて我慢しまくっていたのが馬鹿みたいだ。

「私も、茨くんと別れて辛かった。失恋ってこういうことか…ってへこんで、年末年始が何もおめでたく無かったし、初売りではしゃぐ元気も無かったし、ずっと、テレビの中の、遠くの茨くん見て、落ち込んでた」
「…失恋、というと、その…」
「私だって…茨くんのこと好きになってたよ。ていうか、好きじゃないただのアイドルに利用されてるのわかってて、あんな…あんな熱烈なちゅーしないよ…!!」

キスしたいとか言われて舞い上がって家にまであげるとか、仕事上だけの関係の男をそんな扱いするわけがない。下心いっぱいに決まってるじゃないか。

「ごめんごめんって、そんなに悪く思ってるなら、ちゃんと、仲良くしようよ…。付き合って欲しいって、言っていいなら言いたい。仕事が大事って言うなら、無理は言わないから…」
「…仕事は大事です。でも俺は、貴方のこともこの手で大事に扱いたいと、思ってはいるんですよ。実際、傷付けてしまったので説得力はありませんが…」

好きだと言われたせいで、心の奥底に封じ込めようとした恋心が、独占欲が、じわじわと膨らんできているのがわかる。はっきり強気に出てくれない茨くんにちょっとだけいらいらして、拳を握りしめてしまう。

「…芹、さん」
「…もう呼び捨てにしてくれないの?」
「いえ、その…では、芹」
「うん」

茨くんのきりっとした鋭い目で真っ直ぐ見つめられ、胸が高鳴る。好きだと、付き合ってと、言ってくれるのだろうかと素直に期待をしてしまう。

「俺と、一緒に住みませんか?」
「はい!?」
「おやおや、二つ返事ではいと仰って頂けるだなんて、恐悦至極であります!」
「ま、待ってよ、急に話飛ぶじゃん!?段階は!?踏まずに飛び越えるの!?」

恋人ごっこを持ちかけられた時のように、俺とお付き合いしていただけませんか?とか、そんな感じのことを言ってくれるのだろうと思ったのに。

「仮にとは言えお付き合いはしてきましたし、ハグもキスもしてお泊まりデートまでして、段階を踏んで進んだ方向は同棲では?」
「そうなの!?」
「それとも、嫌ですか?俺と暮らすの。部屋も広くて綺麗ですし、職場も貴方の家ほど遠くも無いし、セキュリティも万全ですよ。何より、この七種茨が傍にいるというのが最高に安全かと思いますが」

それはそう。権力やら財力やらが有り余っているのはなんかわかるし、守ると決めたら兵器でも使って守ってくれそうなところはある。
両想いだと確信した瞬間にいつもの調子を取り戻す茨くんを見て、私も気が抜けてしまった。

「まぁ、考えておいてくださいね。相思相愛だというのははっきりしたことですし、急にお腹も空いてきました。お寿司いただきますね」
「んぅ、私も食べる、お腹空いた…」

考える時間をくれてほっとする。急に同棲とか言われても頭がついていかなかったから。

「またこうして貴方と共に食事ができて嬉しいですよ。これからも、よろしくお願いしますね」
「…私も、嬉しい」

また、茨くんと過ごせるんだ。気楽に話しかけていいし、傍にいられるし、一緒にご飯も食べられる。
しばらく茨くんと関われていなかった反動で、なんだか泣きそうになってしまった。

「…今度は、傷付けないように大事にしてみせますから」
「うん…うん…」

ありがとう大好き!と言って飛び付きたいところだが、まだ話は終わっていない。大事なことが聞けていない。

「あの…その、今度は、ほんとの彼女…ってことで、いいんでしょうか…?」
「そうですね。お付き合い、して頂けますか?」
「する!」
「なんとも元気なお返事をありがとうございます!これで仲直り…ということでよろしいでしょうか?まだ謝り損ねている罪が有るなら、仰って頂ければいくらでも謝罪しますが」

そんなもの何かあっただろうか。私としては茨くんと仲直りして恋人関係を取り戻せたことに満足していっぱいいっぱいなんだけど。

「あ。今日怒られたジュンくんとのデート写真のことなんだけど…」
「…はい、何でしょう」

すん、と真顔になられて少しびびってしまう。

「…あれ、年末の、茨くんにドタキャンされたとき、偶然会ったジュンくんとご飯行っただけなの。茨くんがデートしてくれれば私はあんなお気に入りの格好でジュンくんとご飯行かなかったし、撮られることもなかったと思うの。だから、あの件のことは怒らないであげて欲しいな…なんて」
「…それはそれは、何というか、申し訳ありませんでした…。自分とのデート用の身なりでジュンとデートされたのかと思うと些か腹が立ちますが…自分の失態でもありますし、多目に見ますよ」

嫉妬のようなことを言われ、なんだか嬉しくなってしまう。前は全部演技だと思って聞き流してきたが、この期に及んでまだ演技なわけがない。

「また…デートしようね、お仕事落ち着いたらでいいから」
「もちろんですよ。行きたいところやしたいこと、いくつでも考えておいてくださいね。もう期限は有りませんし、全部叶えてみせますよ」

この先ずっと、うまくいけば終わりなんて無いんだよなと思うと心が晴れていくような気がした。毎日終わりを考えて悲しくなるようなことはもう味わいたくない。私もずっと、茨くんを、茨くんとの関係を大切にしよう。

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