わがままくらい


コズプロの階についたものの、廊下の電気しかついていなくて事務所内は真っ暗だった。茨くんがまだ残っているのかなんて半信半疑ではあったが、事務所にいないなら副所長室にいるはずだ。薄暗い廊下を歩いて、たどり着いた副所長室の扉をノックした。
「はい」と短い返事が聞こえたので重い扉を開ければ、パソコンの向こうに茨くんはいた。

「なんでまだ居るんですか」
「ちょっと残業してまして」
「…何か用ですか?」

会いに来たよ、なんて素直なこと、桃李くんみたいな可愛い子相手にしか出てこない。可愛げのない自分がちょっと嫌になる。

「…一緒に残業してもいい?」
「はぁ!?あんた自分の性別理解してますか?この辺治安は良いですけど帰るまで時間がかかるんですから、明るい内に帰ってくださいよ」
「もう暗いから何時に帰っても一緒だし…」
「…それもそうですけど。…はぁ、家までお送りするので、仕事に一区切りつくまで待って貰ってもよろしいですか?」
「うん、お仕事しながら待つね」

来客用のソファに座り、膝の上でノートパソコンを開いた。いつもと違う場所で仕事をするのも新鮮で面白いな。

「…自分がもう帰っていたらどうしたおつもりで?」
「んー、まだニキくんいたから駅まで送ってもらおうか、と、……」

素直に答えてから後悔した。他の男に送って貰うとかそういうことも軽々しく言うものじゃないよな。馬鹿すぎる。

「わざとですか?」
「…いえ、うっかりです」
「今日は散々ですね、紫之氏への愛を叫ぶところを目撃したり、他の男に送って貰うつもりだったことを告白されるし、姫宮氏と抱き合っていたという話も聞かされるし」
「だ、誰に聞いたの」
「おや、噂は本当だったようですね」

あぁしまった、私ってば馬鹿じゃないの。ほんとに疲れてるから帰って寝た方がいいのかもしれない。
やらかしたなーなんて思っていたら茨くんは傍まで来ていて、私の横に座ってノートパソコンもローテーブルの上へと移動させられた。

「自分のことはまだ芹さんに全然知って貰えていないですし、駅まで送れと頼まれたこともないですし、抱き合ったこともないというのに。やはり自分が恋人になったからと言って、そういったことはできませんか?役が与えられただけでは、距離は縮まりませんか?」
「…あの、」
「急にとは言いませんが、自分も貴方に頼られたい。貴方のことももっと知りたいですし、送迎しろなどのわがままも言われたいですし、触れあいたいです。こんな最低野郎では、ダメですかね?」

演技だか本気だか解らない茨くんに困惑する。本気で言われていたらそれこそびびってしまうけど、それでも、

「最低野郎とか、言わないで。私の恋人は最低なんかじゃない」
「一つ目のわがままですね。いいですよ、聞きいれましょう」
「…帰りは、家まで送って欲しい」
「もちろん。貴女が無事に帰宅できたことを確認できた方が自分も安心できますからね」
「…おやすみの電話、してもいい?」
「いいですよ、寝る前に貴方の声を聞けるなんて、最高の夢が見られそうですね」
「…モーニングコールもして…してほしい」
「そこは貴方からではないんですね?」
「だって朝弱いもん」

思い付くわがままを何個か並べてみれば、茨くんは表情が明るくなっていく。演技だとしたら大したものだ。本当に嬉しく思われてるみたいでむずがゆい。

「…でも、あんまりわがまま言ったらお仕事の邪魔にならない?」
「息抜きになるので構いませんよ」
「ならいいけど…」

まぁたしかに、私も桃李くんに絡まれてもただ癒されたし、仕事の邪魔にはならなかった。だがしかし、私が茨くんにとっての癒しになるかどうかは別の話だ。

「自分からも1つよろしいですか?」
「うん」
「…自分も、貴女を抱き締めてもよろしいでしょうか」

自信無さげに言われてしまい、胸がざわつく。桃李くんは良いのに茨くんはダメだなんて、言えない。
どうぞ!と勢いよく言えるわけでもなくて、恐る恐る茨くんに体を寄せれば、背中に腕を回されてきつく抱き締められた。可愛い桃李くんに抱き付かれた時とは違う感覚に襲われて顔が一気に熱くなる。ここで怯んで逃げてはダメだと思い、私も茨くんの背中に手を回して抱き付いた。絶対に胸も当たっているけど、そんなこと構っていられない。茨くんの抱擁は、ドキドキするけど心地よかった。

しばらく無言のまま固まっていたけど、どちらからともなく力が緩み、体はお互いの熱を残したまま離れていった。

「…やっと、良い顔してくれましたね」

なんて言われたけど、茨くんこそ少し頬が染まっているし、無理をして強がっているようにも見えた。茨くんだって、ドキドキしていたくせに。

「帰りましょうか。こんな時間に可愛らしい貴女と居たら、手を出してしまっても困るので」

それは私も困るけど、茨くんの温もりが、香りが、名残惜しくてもどかしい。
茨くんは席に戻ってパソコンのシャットダウンだけして荷物をバッグにまとめた。

「なんですか、帰りたく無さそうな顔をして。まだ仕事し足りませんかね?」
「そうじゃないけど…」
「そうじゃないなら、もう少し俺と二人きりの時間を過ごしたいということですかね。お望みであれば何時間でもお供しますよ」
「、ばか。いじわる」
「何とでもどうぞ」

茨くんはご機嫌そうに微笑んで、廊下への扉を開けた。

「おや、切られてしまいましたね」
「え、真っ暗…」
「まぁエレベーターまでの道はわかるので大丈夫でしょう」

意地悪は続行しているのか、真っ暗な廊下を茨くんは歩き始めた。まだ暗闇に目が慣れていなくて怖かったから、茨くんの足音の方に急いで近付いたらぶつかってしまった。

「ちょっと、暴れないでくださいよ。暗闇を利用してセクハラですか?」
「ご、ごめん、置いていかれたら怖いから…」
「それは気付けずすみません、お手を拝借致しますね」

私はほとんど見えないというのに、茨くんは正確に私の手を握ってきた。

「置いていったりしませんよ」
「…ありがとう」

暗いというだけで全身が不安で包まれるのに、手を繋いだだけで安心できてしまうのは不思議なものだ。茨くんに手を引かれるままついていけば段々と暗さに目も慣れてきたし、エレベーターにもたどり着いた。

「まだ動いていてよかったであります。ハイヒールの貴女を連れて階段で18階も降りるのは酷でしたので」

エレベーターは私が降りたときのまま18階に止まっていたので、すぐに乗り込むことができた。1階のボタンを押してエレベーターは動き出したのだが、16階まで降りたところでエレベーターは動きを止め、電気も消えてしまった。

「え、うそ、なんで」
「あー…電気も点けずにいたので誰も居ないと思われたんですかね」
「ひ、ひどい、」

暗くて狭くて怖くて、茨くんにしがみついた。

「…暗闇だと積極的なんですね」
「ばか、そういうつもりじゃない」
「怖いんですよね。大丈夫です、自分が傍についているので怖くなんかありませんよ」

茨くんは優しい声でそう言い、私を抱き締めてくれた。ジュンくんや弓弦くんに注意されて警戒しなきゃと覚えているのに、私は茨くんの声で逆に落ち着いてしまっている。誰の言葉を信じたら良いのか解らなくなるが、今私のためにしてくれている茨くんの優しさがただの演技だとか、思いたくなかった。

「人は抱擁によりストレスを軽減することができるそうですよ」
「…軽減した」
「それはよかったです。もう大丈夫ですか?」
「…もうちょっと、だけ」

珍しく優しい茨くんに甘えて、私も茨くんを抱き締め返した。座っていたときよりも体が密着して、ドキドキした。

「…芹さん」
「ん、」

茨くんから抱き締められる力が緩んだかと思うと、腕を掴まれて壁に押し付けられた。

「…可愛いのは良いことですが、TPOは弁えてくださいね。あまりいじらしいことをされると、意地悪してしまいたくなるので」

暗い室内で、目前の茨くんの困ったような表情が何となく見えた。返事に困っていたら、茨くんは今度は片手で私を抱き寄せて、ボタンパネルを押し始めた。電子音のあとに『どうされました?』と男性の声がした。

「すみません、エレベーターに取り残されてしまったので助けて貰えます?」

何度か会話を交わし、復旧するまでお待ちくださいとのことだったのでまた待つことになってしまった。

「芹さん、大丈夫ですか?」
「…大丈夫、茨くんはいつでも落ち着いててすごいね」
「このくらいで慌てていたら副所長は勤まりませんからね」

空いた手でよしよしと頭を撫でられる。なんだか今日だけで、茨くんと物理的な距離がとても近付いた気がする。以前は触ることすら躊躇われたのに、今はこんなにも簡単に、触れあっている。

「頼もしすぎてかっこいいよ、好きになっちゃいそう」
「そうですか、自分は既に芹さんのことが好きですよ」
「うそ!」
「えぇ、嘘です」

ドキッとさせようと思ったのに逆にドキッとさせられてしまった。でも今嘘だとすぐにばらしてくれてよかった、危なかった。

「意地悪」

頬でもつねってやろうと思って、体を離して茨くんの顔に手を伸ばしたら、確かに頬には触れられたのだが、誤って親指が柔らかいものに触れた。おそらく、というか確実に、唇の感触だった。しまった、と思ったと同時に室内の電気が点灯した。

「混乱に乗じてキスでもされるかと思いましたよ」
「ち、違うの!ほっぺつねろうと思っただけで、」
「わかってますよ、夜なので騒がないでくださいね」

軽くあしらわれて、茨くんが一階行きのボタンを押すとエレベーターも動き出した。茨くんの方が余裕そうだし、私が茨くんを翻弄する日は遠いかもしれない。

「よければ、このまま晩御飯でも食べに行きませんか?」
「…行く」
「ありがとうございます。今日はたくさん貴女と過ごせて嬉しいですよ」
「うそ」
「本当です。…何かすねてます?」

すねてる、なんて言われると子供みたいで恥ずかしい。なんかちょっと悔しくなってしまっただけだ。すねてなんかいない。

「なんか今日だけで私の変な姿いっぱい見られた」
「表情豊かで可愛いではありませんか」
「…うそ」
「本当ですってば。以前から思ってましたけど、貴女は可愛らしい方ですよ。でなければ恋人になってくれなんて頼んでませんよ。目に入れても痛くないということです」

悔しいけれど、褒められて全く嬉しくないわけではない。この程度のことで喜んでしまうので、私はちょろい。
エレベーターが一階について扉が開くと、そこもまた薄暗くて、射し込む街灯のあかりだけが頼りだった。

「貴女のおかげで、女性とは自分が思っているよりもかなりか弱い生き物なのだと理解できました、ありがとうございます」
「…私そんな弱そうかな」
「えぇ、守ってあげたくなるという気持ちも何となく解りました」

なんて言いながら頭を撫でられ、胸がざわつく。守ってあげたくなるとか、茨くんにそんな気持ちがあったのか。というか、私がその気持ちを生まれさせたのか。

「…感謝してよね」
「ええ、感謝感激雨霰であります」

私も、私自身が恋愛事になるとあまり素直になれない方なんだと、理解させられてしまった。そこは全然、感謝なんかしてあげない。


- 8 -

←前次→