恋は盲目


定時過ぎに、もう一度九番隊を訪ねることにした。檜佐木さんももう帰ってしまっているかもしれないけど、そしたら諦めるつもりで、執務室の扉を叩いた。
「どうぞ」と声がしたので開けてみれば、檜佐木さんしかいなかった。他の人たちは先に帰らせて一人で残業をしていたのだろうか。

「星野…」
「残業ですか?お疲れさまです」

あんなごたごたがあった後にまた会いに来るなんて、変な奴だと思われただろうか。それでもいい。今の私は、恋する乙女は、手段を選ばない。

「…昼間、ちょっと冷たくしてしまってすみませんでした。部屋まで送ってくれてありがとうって、言うの忘れてました。ありがとうございました。これ、その、お詫びです」

私はいつの間にこんなに口が回るようになったのだろう。阿近さんに貰ったクッキーを檜佐木さんに手渡した。

「…ありがとう。食べてもいいか?」
「もちろん」

薬なんて盛ってごめんなさい。
罪悪感はあったけど、私は檜佐木さんがそれを食べる姿を見守った。

「美味いなこれ、星野が作ったのか?」
「はい」
「へー…すげぇ嬉しい」

檜佐木さんは嬉しそうに笑って、包まれていたクッキーを三枚ともぺろりと食べてしまった。嘘ついてごめんなさい。阿近さんの手作りクッキーです、ごめんなさい。

「あ、悪い。そんなとこ立ってないで座ってくれよ」
「あ、はい」
「ここ」

檜佐木さんはなぜか自分の足を軽く叩いている。そこに座れと言っているのか? 何を言ってるんだこの人は。

「いや、あの、椅子余ってますし」
「こっちの方が座り心地いいから。な?」

どうせ定時過ぎで誰も来ないだろう、なんて思ってしまった自分も馬鹿で、檜佐木さんの膝に座ってしまった。

「本当にありがとな。クッキーまた作ってくれよ」

そして早速、檜佐木さんは私の腰に手を回して抱き締めてきた。密着しすぎて心臓が騒がしい。違う、私はいちゃいちゃしに来たわけではない。檜佐木さんの本音を聞きにきたんだ。

「あの、昼間のことなんですけど、」
「ごめんな。好きでもない男に触られて嫌だったよな。本当にごめんな。あ、もしかして今も嫌だったりするか?」
「い、いや、嫌では、ないですけど、」
「…よかった」

よくはない。しかし檜佐木さんは更にきつく私を抱き締める。背中一面に檜佐木さんの体温を感じていて、頭がおかしくなりそうだ。

「星野に嫌われたかと思って怖かった。仕事どころじゃなくなっちまうし、今日ずっと星野のこと考えてたんだ」
「そ、そうなんですか」
「あぁ、だから会いに来てくれてすげぇ嬉しい。俺のためにクッキーまで焼いて可愛いラッピングまでしてきてくれるし、こんなに密着しても怒らねぇし、お前ほんと可愛いな」

え、可愛いって言った?私が檜佐木さんに食べさせたのって自白剤だよね?ってことは本当に檜佐木さん私のこと可愛いなんて思ってくれてるの?

「小さい体でいつも頑張ってるし、俺のこと慕ってくれるし、いつも一生懸命で尊敬するよ」
「あ、あの、今日は、聞きたいことがあって、会いに来たんです」
「何だ?何でも答えてやるよ」

思考回路がショートする前に聞いておかなければ。意を決して振り向きかけたら、予想以上に近くに檜佐木さんの顔があってビックリして、前を向きなおした。

「真っ赤な顔も可愛いな」
「ちょっと静かにしてください!」
「あぁ、ごめん」

軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

「昨日のこと、忘れてほしいって言ったの、なんでですか?」
「そんなの、星野に嫌な思いさせたくないからに決まってるだろ。好きでもない男に色々されたなんてこと、早く忘れたいだろ?酔ってる星野に俺が無理矢理しちまったわけだから、申し訳なくて」

阿近さんが言ったような理由じゃなかったんだ。ちゃんと、私のことを考えてくれた上で忘れてくれなんて言ったのか。

「でもなぁ星野、俺もショックだったんだぞ。あんなにいちゃいちゃしたのに何も覚えてないなんて言われてさ。俺の僅かな理性があったから唇にキスするのも我慢したし部屋まで送ってやって襲いそうになるのも我慢したってのに。覚えてないならやっちまえばよかった」
「…檜佐木さん?」
「好きな子が酔ってべたべたくっついてきたらいけるかも?って思うだろ?我慢したの褒めてくれよ。今だってすげぇ我慢してんだよ。わざわざ俺に会いに来てくれてんのに俺は告白することもキスすることもできねぇし、何なら顔も見れねぇし」

檜佐木さんって私のこと好きだったの?いやいや、だったら、そんな、自白剤なんか盛って聞きたくなかったんだけど。素直におしゃべりすればよかった。

「ここまで言っちまったらもういいか。星野、俺さぁ、お前のこと好きなんだよ。食っちまいたいくらい好きだ。星野の肌って白いし柔らかいし、どこ食っても美味そうだよな。いい匂いもするし、すげぇそそられる」

言いながら檜佐木さんは私の首筋に顔を埋める。息はかかるしくすぐったい。

「なんか今日やべぇわ、すげぇ好き。後ろから抱くだけじゃ足りねぇんだけど。こっち向いてくれねぇ?」
「い…いやです」
「…そっか、残念」

薬なんか使って告白されてしまって、罪悪感しか湧いてこない。どうしたらいい?このままこんな状態の檜佐木さんを置いといて、他の人に会ってしまったら頭がおかしくなっていることがばれてしまう。せめて薬の効果が切れるまでは見張っておかないと。

「このままずっと、二人で居られたらいいのにな」
「えっ」
「そしたらもう、星野は俺しか見えねぇし、俺も星野しか見えねぇし、幸せだよな。それに、無理矢理星野に手出しても世間体とか気にしなくていいし、星野のことめちゃくちゃにできるのに」
「ひ…檜佐木さん?」
「今から俺の部屋行かねぇか?これ以上無いってくらい星野のこと可愛がってやれると思うんだけど」
「いや、です」
「…そっか」

嫌だと断ればやめてくれるところがまだ救いだ。変な薬を盛られてもその優しさを持っていてくれてありがたい。

「ひかり」
「はい!?」
「ほっぺ触っていいか?」
「…ほっぺなら」
「ありがとな」

檜佐木さんの大きな手で頬を撫でられたりつつかれたりする。恋人になってしまえば毎日こんな風に、愛しそうに名前を呼んで触ってもらえるのかな。

「ん、む」

頬に触れていた指がいつしか唇をなぞるようになり、抗議しようと口を開いたらその指が口内にいれられた。手で押し退けようと思ったらもう既に両手を檜佐木さんの大きな手で押さえられていた。

「口小せぇな」
「あ、うぅ」

軽く指を噛んで動きを止めたのだが、口の隙間から唾液を垂らしてしまいそうなり、それはだらしなくて嫌だから檜佐木さんの指をくわえたまま唾液を飲み込んだ。どうしても舌が指に当たってしまうし、変な感じだ。檜佐木さんの指にはまだクッキーの欠片がついていたらしく、指が美味しかった。

「あー、ひかりの中あったけぇな」

名前で呼ぶのとそのいやらしい言い方を今すぐやめてほしい。

「ひかり…」

檜佐木さんはもぞもぞ動いたかと思うと、私の首筋に吸い付いた。そろそろ本気で抵抗しないとやばいやつだ。

「ひ、ひしゃ、」

喋ろうと口を開いたら指を抜かれた。そしてその濡れた指は、檜佐木さんの口の中へと入っていった。

「これでひかりと間接キスだな」

ぺろりと舌なめずりする檜佐木さんにゾクッとした。檜佐木さんがこんなにも私のこと好きなら、私も我慢しなくていいかな。ほんとは正気の檜佐木さんに好きだって言われてからがいいけど、でも、私だって檜佐木さんと色々したい。
座る向きを横向きにして、体をねじって檜佐木さんと向き合うようにした。こんなにも間近で檜佐木さんの顔を見られる日がくるなんて。

「直接…しますか?」

私にしては大胆なことを言えた気がする。もしかして、さっき檜佐木さんの指についていた薬漬けクッキーを舐めてしまったからだろうか。それだけでこんなに気持ちが昂って抑えきれなくなるなんて、阿近さんはすごい。

「うん、する」
「…目、瞑ってもらっていいですか?」
「嫌だ、ひかりの顔見てたい」
「恥ずかしいから、だめです」
「…けち」

檜佐木さんが目を瞑る。私の持ち前の冷静さはどこへいったんだろう。全部、薬のせいかな。とは言え私が檜佐木さんに好きだと自白していないことを踏まえると、もしかしてこれは自白剤ではなく、

ばんっ!と扉が開かれて、勢いよく人が入ってきた。そしてその人はその勢いのまま檜佐木さんに注射した。

「危なかった…」
「な、何するんですか!」
「お前こそ何してんだ」
「…檜佐木さんとファーストキスをすませようかと」

素直に答えたら阿近さんにきつく頭を叩かれた。

「間違えた俺が悪いのか。これ自白剤じゃなくて惚れ薬だった」
「…はぁ!?」
「引き出し見たら自白剤クッキーの方が残っててよ。もしこいつが惚れ薬の方三枚も食ってたら星野が危なかった」
「…三枚も食べましたよ檜佐木さん」
「…よく耐えられたな」

阿近さんは私の腕を引いて立たせ、クッキーのゴミをポケットに突っ込んだ。

「聞きたかったことは聞けたか?」
「はい」
「じゃあなんでそんな不満そうな顔してんだ」
「…キスしたかった」

もう一度頭を叩かれた。女の子に対してひどすぎる。

「お前も食ったのか?」
「…欠片だけ」
「檜佐木の我慢強さに感謝しろよ。欠片でその効力だ。クッキー三枚分摂取したこいつがこの程度で済んだのは奇跡だぞ」

注射で気絶した檜佐木さんを残して、私たちは技局へと帰った。

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