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駅地下モールの少し外れでモルガナを抱えて待っていると、眼鏡をかけたスーツ姿の男性が一人近寄ってきた。わたしに倣い、壁を背にして横に並ぶ。

「……あなたが」

わたしはこんにちは、と会釈した。不安にまみれた瞳が頼りなさを増長している。

「……怪盗お願いチャンネルに書きこまれた、中野原です」

「ストーカー加害者だったヤツだ」

にゃあと小さな声でモルガナが教えてくれる。そんなことをしていたようには見えない、改心は成功しているらしい。
わたしは努めて穏やかに本題へと誘導する。

「ご用はなんでしょうか?」

「怪盗団に改心させて欲しいヤツがいる……班目って画家だ。私は班目の……元弟子なんだ」

「元……」

「そうです、あいつは弟子の作品を盗作して自分の作品と偽って発表しているんだ。私の兄弟子にとても才能のある人がいた。でもその人は盗作されていることを苦に自殺したよ」

淡々と事情を説明していくが、中野原さんは苦悶の表情を浮かべていた。兄弟子とは仲が良かったのかもしれない。身近な人物が死を選ぶというのは、残された側はどのような気持ちになるのか。物心つく前の事故の経験しかないわたしとは、きっと比べることができないくらいやるせないものだろう。

「さすがに怖くなって、私は班目の反対を押し切ってアトリエを出た。……けど、方々に圧力をかけられて、絵の道を断たれてしまった……これでも本気で画家を目指していたんだ。心機一転で区役所に努めたけど……ダメだった。気持ちが歪んでしまって、なんにでも執着するようになった。ついにはストーカーにまで……ハハ……」

自嘲気味に笑う。中野原さんも被害者の一人だった。自分の心を守るために何か犠牲にしてしまったのだろう、その行為自体は許されないともちろんわかっている。それでも、わたしはこの人の気持ちがわかってしまった。こうして生活しているのも誰かの犠牲の上で成り立っているのだから。

「同じ悲劇は繰り返したくない。今もあいつの元には、君と同い年くらいの弟子が一人いる」

「喜多川くんの、ことですね」

「彼と知り合いなのか?」

「先日個展でお会いしました」

「そうか……。彼は絵の才能があるばかりか、身寄りがなくて班目に恩義がある。班目には、格好のカモだ」

思わず目を見開いてしまった。彼はわたしと同じ境遇だったらしい。

「まだ班目のところにいたときに聞いたんだ。班目と一緒にいて辛くないのかいって。そしたら彼、こう言ったよ。逃げられるものなら、逃げ出したいって」

「逃げ……たい……」

「……私が言うのもなんだが、せめて前途ある若者だけでも助けられたら……。班目の改心、検討していただけるよう、どうかよろしくお願いいたします」

中野原さんは改めてわたしの目の前に立ち、深々と頭を下げた。腕に抱いたモルガナを見つめ確認を取り、、怪盗団に伝えておくとだけ告げる。それを聞き、頭を上げた中野原さんはもう一度だけ軽く会釈をしてその場を去って行った。
足が動かなかった。来栖くんたちと合流しなければいけないのに。前足でわたしの胸を叩きながらにゃあと鳴く声が聞こえるが、どこか遠いところから呼ばれているようだった。
ただ俯いて立ち尽くしていたわたしの視界に誰かの靴が入り込んだ。誰だろう、わたしを迎えに来たのか。どうしよう、どうしたら……もう、人間ごっこは終わりか……。また仮面をつけ直せばいいだけ。そうだった、わたしはただの人形だった。
伸ばされた手に触れられる前に目を閉じると、肩を揺さぶられはっと我に返った。

「……大丈夫か?」

「遅いぞ、ジョーカーっ」

目の前にいたのは呼吸の乱れた来栖くんだった。様子のおかしいわたしを心配してモルガナが彼を呼んでくれたらしい。わたしの胸ポケットに入れていた携帯は、来栖くんが左手に握りしめた携帯と通話状態になっていた。中野原さんとの会話を他の皆に届けるために。モルガナがそれを利用したのだ。
想像していた人物ではなかったことで、全身の力が抜ける。抱えていたモルガナが地面へと落ち、わたしの頭は支えを求めて来栖くんへと凭れかかった。

「あ、の、御守さん?」

「……来栖……くん」

それが幻ではないことを実感したくて、彼のジャケットを掴んだ。わたしの足元にモルガナがすり寄ってくる。落としてしまったというのに怒っているようには見えなかった。
わたしは決して逃げることなどできない。今こうしていられるのはただの気まぐれ。どこへ行っても影に怯えて過ごすしかない。今の生活はその環境のおかげなのだから、これ以上何かを求めてはいけない。たった三年間だけでも人間として過ごせたなら、わたしにとっては十分だと。
でも喜多川くんは違う。逃げたいと意志を持って誰かに口にすることができるのだから。彼は誰かの助けを願っているはずだ。

「わたしからも、お願いします……喜多川くんは、まだ、間に合うから」

自身の手をさらにきつく握る。怪盗団のリーダーである来栖くんに縋るように。
わたしに差し伸べてくれるその手を、どうか。

「……俺たち三人の意見は決まった、祐介を助けるよ」

そう言いながら、来栖くんの温かい手がわたしの手に触れる。安心させるように指が一本ずつ解かれ、優しく包み込まれた。

「モルガナも、それでいいよな」

「モチロンだ。マダラメを改心させるのに、もう迷ってるヒマはない」

「……ありがとう、ございます」

ほっと息をつくと彼の手を静かに離し、屈んでモルガナを迎えるために両手を広げ差し出す。そうすると後ろ脚を蹴って跳び乗ってきてくれた。

「落としてしまってごめんなさい」

「気にするな」

しっかり抱えて立ち上がると、肉球が何かを確かめるようにわたしの頬に触れた。柔らかくて少しくすぐったい。

「……どうかしました?」

「いや、泣いてるかと思ってだな……」

「大丈夫ですよ、わたしは泣いたりしません」

モルガナにまで心配させてしまったことを申し訳なく思い、緩く笑顔を作って答えた。

「それならいいが……あまり無理はするなよ」

「はい」

「竜司と杏が待ってる、行こう」

差し伸べられた手を遠慮がちに掴むと、安心したように来栖くんは笑った。今日最初に出会った連絡通路が新しいアジトらしく、先に行っててもらったと言う。わたしが参加して出来ることはないに等しいが、来栖くんの中ではこのまま一緒に行くことになっていて、繋いだ手は弛むことはない。モルガナも抱いているし、自宅へ帰るにしても同じ方向だ。わたしは流れに逆らうことなく、彼の背中について行った。
(2018/9/21)

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