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「あの、付き合って欲しいんだけど」

ルブランに帰宅するなり来栖くんは面と向かってわたしに言った。惣治郎さんが火をつけようとして口に咥えていた煙草をポロリと落とす。わたしは彼の顔があまりにも真剣なので直視できずに、男女の客が探偵王子がテレビ出演すると話題にしているのを横目に見ていた。

「おい、お前、そういうのは雰囲気とかなんかあるだろ。いや、そもそも自分の置かれてる立場、わかってんのか?」

「……居候?」

「ああ、まあ、それも間違ってはいねえけどよ……」

ごちそうさまでした、と客が席を立ったのでお会計を承り、男女は仲良く帰って行った。ありがとうございました、と頭を下げてお見送りをする。
惣治郎さんは次の言葉に迷っている間に来栖くんは再びわたしを見据えていた。

「杏が御守さんに付き合って欲しいって言ってて……」

「ワガハイだけじゃ心許ないって……」

二人とも困っているらしく、しゅんとしていた。いつも自信ありげな眼差しの二人だったので、なんだか面白くて堪えきれない。失礼だと思い着ていたエプロンの裾で口元を隠した。

「ふ……ごめ、んなさい、ふふ、二人とも同じ顔して……」

来栖くんとモルガナは笑っているわたしを見て固まっていた。真意を理解した惣治郎さんが呆れるように食器の片づけを始める。

「瀬那ちゃん、今日はもう店じまいだ。……そいつに付き合ってやってくれ」

未だ笑いが収まらないわたしは、惣治郎さんの気づかいに頷いて答えた。それを確認した来栖くんは軽く惣治郎さんへと会釈した。

「ありがとうございます、御守さん、先に二階に行ってるから」

「遅くならないうちに帰してやるんだぞ、……あと、わかってると思うが、変なことするなよ」

「――、わかってます」

惣治郎さんの忠告に少し気まずそうにして来栖くんが自室へと上がっていく。わざわざ二階にということは怪盗団絡みだろうかと推測する。エプロンを脱いでから数度深呼吸をする。平常心を取り戻したことを確認し、鞄を持って二階へを向かった。




来栖くんはソファに座って机上にいるモルガナと何やら顔を突き合わせていた。どちらかというとモルガナが一方的に何か言っている。

「オマエな、言い方ってものがあるだろうが!」

「別に変なことは言ってない」

「いーや言った!言ったからワガハイまでセナに笑われたんだぞ!」

「……笑ってる御守さん、初めて見た」

「セナはいつも笑うというか困ってるな」

来栖くんが同意を示す。そうか、わたしは上手く笑うことができていないようだ。自分ではできているつもりでも、鏡がないから実際どうなのかわからなかった。先ほどのように声を上げて笑うだなんて、記憶にない。周囲に合わせて口角をあげる以外必要なかったのだ。あれが上手く笑うということなのか、覚えておこう。
意図せず立ち聞きという形になってしまったため、わざとらしくならないように声を掛けて二階へと上がりきる。弾かれたようにモルガナと距離をあけた来栖くんは隣に座るように促した。

「高巻さん、何かあったんです?」

「杏のモデルの話なんだけど」

喜多川くんに頼まれたと高巻さんから聞いていた。彼女は雑誌のモデルもしていると前に話していたから、それ自体に問題があるようには思えない。

「実は、裸婦画だったんだ」

「ら……ふが…………ヌードモデル?」

「そう」

「え、高巻さん、本当に引き受けたんです?」

来栖くんは頷いた。高校生で裸婦画だなんて、芸術家はすごい。

「いや、本当にはやらない……と思う。班目のパレスのセキュリティを解除させるためにあばら家に入らなければならなくて」

「アトリエに一人で行くのは危ないのではないですか」

「だからワガハイもアン殿と一緒に行くんだが……うう……」

モルガナは頭も耳もしっぽも下がってしまった。ああ、それで帰宅時の発言になるのか。

「確かに、こちらの世界のモルガナは……猫ですものね……」

「ネコじゃねーし!!」

「いや、猫だな」

「何回も言うな!さっさと本題に移れよ、ジョーカー!」

「まあ、そういうわけで杏が御守さんにも来て欲しいって言ってるんだ」

もし高巻さんに何かあった場合、猫のモルガナでは太刀打ちできないだろう。わたしたち以外にはただ猫が鳴いているだけにしか聞こえないし、高巻さんが不安に思うのも理解できる。

「でも、わたしが居ても対処は何も出来ないと思いますが……」

男性である来栖くんか坂本くんのどちらかの方が適任ではないか。それに彼は首を振る。

「俺たちは多分あの家には入れてもらえない……それにパレスのセキュリティが再度作動しないように、解除と同時に奥へ行かなければならないんだ」

「そうなのですか……」

「こっちの世界では班目も無謀なことはできないはずだ、危なくなったらパレスに逃げろと杏には言ってある」

「……わたしからも、怪盗団にお願いしたんです。拒否する理由がありません」

「ホントか!」

「ありがとう、御守さん」

来栖くんの声はほっとしているのに表情は複雑で、わたしに協力を求めることは本意ではないようだった。先日の中野原さんの話を聞きに行くときも同じような表情をしていた。ペルソナを持っているわけでもないし、何かに特化しているものもない。ほぼ素性も明らかでないのだから致し方ないが、役に立っていないのではないかという満たされない心を感じていた。

「口説き落としてこいってミッションは成功だな」

「そのようなことを言われたのですね」

「セナのこと信じてるぞ」

「お役に立てれば嬉しいです」

まさかこんなにも高巻さんから頼られるとは思ってもいなかった。とても嬉しい。約束を交わすようにモルガナとわたしの手を合わせた。肉球の感触が何とも言えない。
その感触を楽しんでいたわたしの手に、横から別の手が伸びてくる。自分とは全く違う大きくて少し硬い指の感触。来栖くんと手を繋いだことはあるのに、胸の奥がざわざわしたのは初めてだった。

「無理はしないで」

「はい」

彼らの役に立ちたい。その決心を伝えるたくて、わたしはそっと来栖くんの大きな手を握り返した。

「あ、そうだ。御守さん、こっち」

ちょうどいいと言わんばかりに、来栖くんはソファから立ち上がり部屋の隅へとわたしの手を引いて行った。そこにあるのはまだここが物置のようになっていたときから置かれていた観葉植物だ。その鉢の中をよく見ると緑色の容器が逆さまに刺さっていた。

「あ、栄養剤、買ってきてくてたんですね」

「約束していたから、これでよかったかな」

「実はわたしもあまり詳しくはないんですが……」

「え、そうなの?」

屈んでみると、容器の中身は土にしみ込んでいるため減っていた。葉も心なしか青々として見える。隣の来栖くんもわたしに倣い屈みこんだ。

「前に見たときよりも元気そうで……どうして笑っているんです?」

「いや、まさか詳しくないって言われると思わなくて」

堪えきれなくなった笑みを手で隠し、目線を逸らされる。小刻みに肩が揺れていた。どこかで見たものを自分の知識のように話してしまったので、呆れられてしまっただろうか。

「あの、偉そうに言ってしまってすみま――」

「違うよ、面白くて」

慌てるように来栖くんがわたしの台詞を遮る。視線が交錯すると、彼はまた笑いだした。ごめん、と言いつつも抑えられないようだった。
そんなに面白いことだっただろうか、利いた風な態度をとったことが徐々に恥ずかしくなってきて、両膝を抱えて顔を覆う。

「笑ってごめん」

首を振って謝罪はいらないことを返すと、わたしは顔を少し出して目だけで来栖くんを見上げる。そうすると彼は笑い声を飲み込むようにして動きが止まった。

「先程と逆ですね」

「…………そうかも」

少し戸惑いを感じる返答の遠くで、机の上で寝そべっているモルガナの、ワガハイもいること忘れるなよー、という間延びした声聞こえた。
(2018/9/16)

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