17
「杏、モナ、御守さん、頼んだ」
坂本くんの力強いエールを受けて、わたしたちは班目のあばら家へと向かった。来栖くんがいないことに少しの不安を感じるが、役に立ちたいという執着が勝っていた。
あばら家前の人目のつかない路地で高巻さんと二人で向き合う。ずいぶんと大きな荷物だなと思っていたが、解決した。
「これ、着るの手伝って」
「……全部、です?」
「時間稼ぎになるかなーって」
「確かに、そうですが……」
服が伸びてしまいそうだ、と口に出すのは止めた。
彼女は持っていた荷物は全て服だった。裸婦画は脱がなければ描けない、なら沢山着こんでしまえ、という案らしい。
「さすがアン殿だ!」
「でしょ?」
賞賛するモルガナはわたしの鞄の中から顔だけ出している。これを全部着るならば急がなければ約束の時間を過ぎてしまうかもしれない。わたしは鞄を手近な地面に置いて、高巻さんの荷物から服を手に取る。
「どれからにすればいいです?」
「小さめのから順番にね」
「モルガナは一応向こうから人が来ないか、見ていてください」
「わかった」
そうして、わたしは高巻さんの指示で着せ替え人形のように服を着せていった。これ、喜多川くんは不信に思わないのだろうか。
事前にわたしも行くことを高巻さんが伝えてくれていたおかげで、喜多川くんはすんなりとあばら家へと招き入れてくれた。会釈した際に一瞬だけ冷たい視線を感じたが気にしないことにしておく。
喜多川くんの後ろについて、わたしたちは彼のアトリエとしている部屋へと足を踏み入れる。彼は背を向けたまま絵を描く道具の準備をし始めた。高巻さんにかける声色は嬉々としている。
「本当に来てくれるなんて……連絡くれたときは、嘘だと思った」
「ごめんね、急で」
「とんでもない」
「ただ、昨日伝えた通り、今日は先生がもう二、三十分もすると戻られる。その……気を遣わせてしまうかもしれないね」
「だから今日来たんだっつーの」
「高巻さん、しーっ」
わたしはとっさ人差し指を口元へもっていった。喜多川くんが不審そうに顔だけでこちらを見て、なにか、と問うたが、すぐに張り付けたような笑顔で高巻さんは首を振った。
「ところで……少し太った?」
振り向いた喜多川くんが高巻さんをまじまじと見る。鈍感なのだろうか、今日彼女と会ってから大分時間が経っている。しかも少しどころの話ではない。この数日で二倍半くらいに膨れ上がることは、常識的に考えてありえないと思うのだが。
「そお?体重、変わってないんだけどお。ムクんでんのかな〜?」
高巻さんなりの演技なのだろうか、間延びした喋り方はお世辞にもうまいとは言えない。顔が引きつりそうになるのを耐えた。
「じゃあ、とりあえず……ここで……用意、いいか?」
「脱げば……いいのね?」
高巻さんの顔色が曇る。やはり不安は拭えないのだろう。彼女の代わりを務められたらどんなにいいか。喜多川くんはわたしに対して全く興味がないようで、視界に入っているのかも謎だった。
時間稼ぎのための作戦だ、頑張って脱いでもらわなければ。部屋の入口で立ち尽くしていたわたしはモルガナ入りの鞄を抱え直す。わたしはわたしの役割を行うのだ。来栖くんの役に立ちたいから。
「わたしは喜多川くんの邪魔をしたくないので、廊下で待ってます。高巻さん、何かあったら呼んでください」
「ああ、うん〜、ちゃんと待っててねえ〜?」
ひらひらと手を振ってくれるのだが、着ぶくれしているせいか振りにくそうだ。それでは、と襖をゆっくりと閉める。数秒そのままの姿勢を保っていたが、喜多川くんが動く気配はない。どうやらわたしの行動を不審に思っていなさそうだ。
開けなければならない扉の位置をわたしは知らない。案内をしてもらうために鞄を開けるとモルガナが飛び出してくる。
「お待たせしました」
「よし、行くぞ」
出来るだけ足音を立てないようにモルガナの後を追う。狭い廊下を進んでいくと一際派手な扉があった。ご丁寧に大きな南京錠がかけられている。目的地はここだ。
「セナ、ヘアピンだ」
「はい」
髪に止めていたヘアピンを少し広げて渡し、モルガナの手が錠に届きやすい位置まで抱き上げた。あとはこの黒猫に託すしかない。班目が帰ってきたときに、この扉が開けば……きっとパレスの扉も開く。認知が変わる。
金属同士が擦れる音があばら家内に響いているように聞こえる。喜多川くんに気づかれて、止められてしまったらおしまいだ。
「この奥って何?」
「それは……」
高巻さんと喜多川くんの声が耳に届いた。あの部屋から出たのか、こちらへ近づいてきている。わたしは黙って見守るしかできない。
わたしから高巻さんが視界に入ってしまった。路地裏で着こんだ服も制服も脱いでしまっていて、タンクトップと短パンという部屋着のような恰好になっていた。まさか制服の下にも着ているとは思わなかった。
まだ扉は開かない。彼女と目が合うと、進捗が思わしくないことに大きな声をあげられてしまった。
「遅ッ!」
「す、すみません……」
「猫の手じゃ……やり辛え!」
「どうかしたのか?……御守さん、何故ここに……」
どうしよう。何とか間を保つしかない。
後ろ手にモルガナを抱えて、喜多川くんから見えないように体を向ける。不自然に見えないように笑顔を作ることも忘れない。
「待ってる間暇だったので……綺麗な扉だなって思って見ていたんです、この部屋はなんです?」
時間稼ぎをしながら情報を引き出そう。喜多川くんの声色が冷静に戻る。
「古い絵の保管庫だ……」
保管庫、高巻さんが呟く。あばら家に似つかわしくない扉と南京錠、見られたくないものが中にあると物語っている。
「ねえ、喜多川くん……この中で……どう?誰にも絶対見つからない場所の方が、わたしも恥ずかしくないし……」
「ここは先生しか入れない」
「お願い……二人っきりになりたいの、いいでしょ?」
くねくねと体を揺らして甘ったるい間延びした声で高巻さんが誘惑している。誘惑……されるのだろうか。疑問に思っていたが、喜多川くんには効いているらしく、いや、その、と戸惑っている。
彼女が頑張っている間は口を挟まないほうがよさそうだ。高巻さんは鍵のかかるこの部屋に入りたいと駄々を捏ね続ける。
その時、玄関が開く音が聞こえた。
「帰ったぞ」
「せ、先生!?」
目的の人物が帰ってきた。と同時に背後から、カチッ、という音が聞こえた。モルガナがわたしの手から床に降りる。
「よし、開いた!」
「高巻さん!」
速足でモルガナと共に部屋の中へ入る。かかっていたはずの鍵が開いていることに驚き、喜多川くんは扉の前で足が止まってしまっていた。
その後ろに険しい顔をした班目がいた。騒がしかったため様子を見にこの場所まできたのだろう。
「そこで何をしている!?」
必死に身の潔白を証明しようとしている喜多川くんを今度は高巻さんが引っ張り部屋の中へと引きずり込んだ。
中には絵が沢山あった。その半数が慈愛に満ちた女性が描かれている。同じ絵……複製を描いているというのか。
「この絵、確か……『サユリ』?なんで、こんな……」
「俺に訊かれても……」
喜多川くんが知るはずがない、ここには入るなと言い聞かせられているだろうから。呆然としていると、班目が怒鳴り声を響かせた。
「出ていけ!」
「先生、これは……?」
「見られてしまたのなら、もう黙ってはいられんな……」
一変して懺悔のように眉尻を下げて語りだした。
借金返済のために『サユリ』を模写し販売している。本物の『サユリ』は昔弟子に盗まれてしまい、ショックでスランプに陥っているからだ。弟子の着想を譲ってもらったのも事実。そして模写でもいいから譲ってほしいという人間が現れたため、という。
もっともらしいことを言い、弟子に許しを請う。お前のために金が必要なんだ、だから仕方なかったんだ、と。
何かがおかしい、高巻さんも顎に手を当てて考えながら話し出した。
「……なんか変、元の絵が盗まれて、どうやって模写したの?」
「画集用の……精密な写真が残っていてね」
「写真のさらに模写を買う人間がいるってことです?」
芸術がわかる人間がそんなものにお金を出すだなんて、疎いわたしでさえ思えなかった。話の内容もその取り繕った表情も、全て嘘に見える。あの人と共にいる、わたしを見る人間たちと同じ顔をしていた。これが、裏の顔なのか。
ウソっぽい、高巻さんのその言葉が逆鱗に触れたのか、班目は、おまえに何がわかる!と叫んだ。
「アン殿、これだけ何か違う!」
姿を隠していたモルガナの声が背後から聞こえ、一つだけ隠されていた絵の布がずり落ちた。
そこにあったのもまた、『サユリ』だった。しかし、この絵だけ色鮮やかで、筆遣いが違う気がした。まさか。
「これは……本物の『サユリ』!盗まれたはずでは……!」
驚きを隠せない喜多川くんが班目に詰め寄る。
「これも模写だ!」
「いや、これは違う、俺にはわかる……今までずっと『サユリ』に支えられてきたんだ……」
きっぱりと言い切る。わたしでさえ何となくわかってしまうのだ、彼ならそんな言葉に惑わされたりはしないだろう。
「先生は嘘をついてる……サユリの真実……話してくれませんか?」
「お前まで……」
そういうと班目は懐から携帯を取り出し、ボタンを数個押す。右手に掲げた携帯をわたしたちの前に突き出し、勝ち誇った顔をしだした。
「警備会社に通報してやったわ!迷惑な三流記者対策のつもりだったが、とんだところで役立ったわ」
「待ってください、話を……」
「話なら警察でしてくるといい、……お前も一緒にな、祐介」
「アン殿、セナ!走るぞ!!」
物陰からモルガナが班目に飛び掛かり隙が生まれた。そのままモルガナが部屋を出て行き、高巻さんがそれに続く。状況が飲み込めない喜多川くんを置いていくことなどできない。彼の背を押しながら、わたしも二人の後を追った。角を曲がったところで高巻さんがナビを起動させるために携帯を出している。わたしたちは頷き合うと同時に、視界がゆがんでいった。
(2018/10/6)
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