19


班目に逃げられ、新手の敵に追われてパレスを脱出したあと、わたしたち六人はファミレスで一息つくことにした。ペルソナを覚醒させた喜多川くんを休ませるためと、連れ出されるようにあばら家を出てきたことを班目に怪しまれていないか確認するため。場合によっては喜多川くんはあの家に帰ることができないから。しかし、わたしと高巻さんを追いかけたと勘違いしているようで、その点は杞憂に終わった。
喜多川くんは幼い頃の話をぽつぽつとしてくれた。父を亡くし、母と共に班目にお世話になっていたらしい。その母が亡くなったあとも生活出来たのは班目のおかげで、絵のことも教わったのだと。語る彼の顔は穏やかで、しかし先生と慕っていた班目の本性を知った今、悲しみが垣間見えた。今までサユリを描いた人だと思っていたのに、それさえも偽りだったのだ。

「本当は気づいていたんだ、しかし、だからこそ認めることを拒んでしまった。俺は逃げてたんだ……すまない」

湯呑を割ってしまいそうな程、力を込めて言葉を絞り出す。隣に座る喜多川くんの緊張を解きたくて、その甲に指先だけそっと触れる。

「喜多川くんは、謝る必要なんてどこにもありません。自分自身を傷つけないでください」

「真面目すぎんだよ、お前」

わたしとは逆隣に座る坂本くんも心配そうに軽口を言う。重たい雰囲気を払ってしまえるのは彼のいいところだ。
眉間に皺を寄せていた喜多川くんの表情が柔らかくなり、力も抜けたようだった。
班目が変わってしまったことは戻せないが、改心させ、罪を告白させることはできる。未来を奪われた他の門下生のために、そういって喜多川くんは怪盗団に入ることを強く宣言した。

「よろしく、祐介!」

「足、引っ張るなよ」

「歓迎するよ」

対面で座っていた高巻さんが飲んでいたジュースのコップを喜多川くんの湯飲みに当てて、歓迎の意を示す。それに倣って坂本くんと、彼女の隣の来栖くんもコップを突き出した。チンッとガラスの音が二回響く。

「ほらほら、御守さんも」

高巻さんがわたしの手首を持って、喜多川くんに差し出す。急なことに戸惑い抗った。

「いえ、わたしは部外者ですし……ペルソナもないので……」

「御守さんは怪盗団ではないのか?」

喜多川くんがそう思うのも無理はない。共にパレスへ行ったのだから、わたしが戦えないことを理解しているから。何と言えばいいのか迷っているわたしの代わりに来栖くんが答える。

「彼女は協力者だ」

はあ?と高巻さんが机に頬杖をついて呆れたようにため息をついた。

「他人行儀過ぎでしょ。直接敵と戦ってなくっても、これだけ一緒にいればもうメンバーじゃない?」

「違いねえ、暁も御守さんも気楽にいこーぜ」

二人の顔を順番に見比べると同じように悪戯めいた顔で笑っている。恐る恐るリーダーの来栖くんを見ると、その視線の先にはモルガナが居て、悪かったって、とばつが悪そうにしていた。二人の間で何かがあったのだろうがモルガナが折れたらしい。わたしが見ていることに気づいて来栖くんが顔を上げた。目が合うと、彼は決心したように告げる。

「全会一致だ。よろしく、……瀬那」

「セナには助けられてる、これからも頼むぞ」

「…………はい」

初めて、来栖くんに名前を呼ばれた。動揺ですぐに言葉が出てこなかった。
どうして、こんなにももやもやするのだろう。
どうして、彼らはわたしを受け入れてくれるのだろうか。
こんなにも嘘で塗り固められているのに。上手く仮面を付けていることを喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、わからない。
喜多川くんもよろしく、と言って差し出された互いの湯飲みとコップが合わさりカンっと鳴った。澄んだ音が耳に残って消えてくれない。

「ところで、これはなんだ?」

「あ?猫だけど」

「喋ってるが?」

「文句あるのか!?」

坂本くんに猫と言われて少し怒っているらしい、モルガナの毛が逆立っている。現実世界では猫なのだから仕様がない。モルガナの造形に疑問を持つなら、パレスにいた時から不思議に思わないだろうか。高巻さんが言うように、人とテンポが違うようだ。
自分に興味を持たれたことでモデルに選ばれたと思い、急にモルガナの機嫌がよくなる。

「このワガハイを描こうってのか?ちゃんと素材の良さを引き出せよ?」

「ふむ……」

喜多川くんが立ち上がり、モルガナへと手を伸ばした。

「気安く触んじゃ……」

ピンポーン、ピンポーン

遠くでレストランのスタッフを呼び出す音が聞こえた。元の席に座り、喜多川くんは至極当たり前のように言う。

「『黒あんみつ』を注文しようと思ってな」

「『黒猫』から連想したなコイツ……」

「ああっ…!金を持って来なかった」

「やっぱ、この人ヘン……」

「……っふ」

坂本くんも高巻さんも呆れているというのに、真顔でデザートを注文する喜多川くんが余りにも対照的で。口元が緩むのを手で隠して悟られないように堪えていたのに、無駄な努力になってしまった。

「モルガナから、あんみつって……っ、急に注文して……ふふ、そんな悲しい顔……」

恥ずかしさと、みんなの視線を遮りたくて両手で顔を覆う。

「……そんなに面白れーこと、あったか?」

「瀬那って、もしかしてツボ浅い……とか」

「どうだろう……」

高巻さんが来栖くんに訊いているが、こんなこと今までなかったのだから自分でもわからない。
そうして一人で笑っていると、瀬那、と喜多川くんに名前を呼ばれる。目尻を拭いながら彼を見ると、相変わらず真面目な顔でわたしを見つめていた。

「パレスでは、支えてくれてありがとう」

「……喜多川くんが無事でよかったです」

それは偽りのない、本心だった。




ひんやりとした空気に肌が泡立つ。重い瞼を開けると、わたしは薄暗い影の中にいた。壁にもたれかかるようにして地べたで寝ていたのか。灯りが射している方をみると頑丈な鉄格子の中に自分は入れられていることに気づく。向こうには円形の広間が見え、外周を囲うように鉄格子の小部屋が無数に配置されていた。広間の中心には不釣り合いに落ち着いた色調の木製の机と紫の椅子があり、細い足が座面の下から覗いているのが見える。そこには誰かが座っているのだろうか。
ここはどこなのだろう、状況がわからない。広間へ出ようと鉄格子に近寄ろうとしたが、自身の体の自由が利かないことに気づいた。両手首と片足首に枷が施され、そこから伸びた鎖の先には重りが転がっていた。
これではまともに動けない。いや、これがなかったとしても動けそうになかった。体が鉛のように重い。頭を動かすのがやっとだった。

「……おめ……言って……」

低い老年の男の声が聞こえる。話しかけているということは、相手がいる。それはわたしではない誰か。

「……抗う…………一層更生に……」

「一体……、……俺に何をさせようとしている!」

金属同士がぶつかる音が相手であろう青年の叫びを途切れさせる。

「慎め、囚人!」

しゅうじん?甲高い少女の声が突き放すように単語を放った。
鉄格子、手枷、鎖、重り、……囚人。
置かれている状況がやっと理解できた。ここは牢獄、罪を犯したものが入る場所。わたしに相応しい場所。
少しほっとした。誰にも関わらなくてもいい、傷つけられることもないと思ったから。
それにしても先ほどの青年の声、どこかで聞いたことがある気がする。力強く、真っすぐな声。あの声で励まされたことがあった。何度も助けられた。甘えてしまいそうで……怖いと思った。わたしを惑わせる声の主は。

そう、……来栖、暁…………。

彼が、囚人?とても結びつかない単語だった。どうして、何故。そもそもここは現実なのか。
いや、これは夢だ。わたしは自室で眠りについたことを思い出した。それに、こんな場所、わたしは知らない。そう自覚した途端、頭が急に覚醒を始めた。牢獄と別れを告げるために、再び瞼が閉じられる。
起きてしまえばきっとこの夢は忘れてしまう。だから、少しだけ居心地が良かったこの場所に未練を感じていた。
(2018/10/20)

prev / back / next