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「明日から夏休みだっていうのに、元気ないね」

終業式が終わり、教室にてクラスメイトが帰り支度をしながら談笑をしている。その声をどこか遠くで聞きながら窓の外を見ていたわたしに、誰かが声を掛けてきた。そんな奇特な人物ひとりしかいないのだけれど。

「そんなことないですよ、明智くん」

さも自分の席のようにこちらを向いて座っていた。いつもと変わらず爽やかな笑みをたたえている。

「目、赤いけど?」

「昨日、少し寝るのが遅かったせいです」

「ふーん、そう……、それならいいけど」

双葉ちゃんのことが気になって眠れなかった。何もできないのに。
それにしても、傍目にわかるほど酷いのだろうか。確かに睡眠時間が足りずに眠い。今日が授業がなくてよかったと思う。あまり探られたくなかったので、わたしは話題を変える。

「夏休みの間は捜査協力です?」

「そういう瀬那さんはアルバイトかな?」

質問に質問で返されてしまった。話の流れを先読みされていたのだと思い苦笑していると、あっ、と急に明智くんが声をあげる。

「でも今年はルブランの彼がいるんだっけ」

ルブランの彼、とは暁くんのことだと思われる。彼がいると何かあるのだろうか。怪盗活動で忙しいはずなので、わざわざわたしとどうこうするはずがない。

「暁くんとは何もないですけど……」

「それじゃあ、せっかくだからどこか行こうよ。高校最後の夏休みだしね」

どうしてそうなるのか全く理解できない。先程否定しなかったのだから、明智くんも捜査でそれどころではないだろう。誘われる理由も何もかもがわからない。どう引きとめるべきか悩んで口ごもっていると、明智くんは席を立った。

「もう行かなきゃ。あとで連絡するね」

わたしの返事も聞かず、振り向きざまに軽く手を上げてにこやかに去っていく。これは約束したことになるのだろうか。謎ばかりの行動に動揺してしまい、結局何も言わずに明智くんの背を見送ってしまったのだった。これも建前だろうと思い、何事もなかったことにしてアルバイトに向かう。その途中、アリババの件で暁くんから再び連絡があった。

『改心させる相手と会う必要があると伝えたら、取引が中止になった。これ以上、佐倉双葉を詮索するなと釘を刺された』

双葉ちゃんはやはりあの部屋から出られないでいた。せっかく彼女から動きがあったのに。メジエドはどうするのか聞いたが、動きがないので様子見にしたとのこと。こちらからは手を出しようがないので、仕様がない。最後に金城の打ち上げに一緒に行かないか、と暁くんに誘われたが、アルバイトを理由に断った。双葉ちゃんのことも気になってしまい、楽しい雰囲気を台無しにしてしまうのが嫌だった。




その翌日、メジエドに動きがあった。怪盗団に宣戦布告したのだ。このままメジエドを放置しておけなくなり、そのためにはアリババの助けが必要不可欠である。しかしアリババは取引を中止にしてしまった。八方塞がりの状態の今、双葉ちゃんに連絡を取るべきか。アルバイトからの帰り道、どう切り出そうか考えながらルブランの前を通ると、閉店の看板がかかっているのに店内の明かりがついていた。気になって中をちらっと見ると暁くんと目があった。彼の口が動き、それに反応して店内にいた皆がわたしに振り返った。そこから高巻さんによってルブランの中へ連れていかれるまで、あっという間の出来事だった。

「バイトだって言ってたから、会えると思わなかった!」

「ちょうど帰るところだったんです。それより、今日のメジエドの……あれは」

「ああ、ヤバそうだよな……」

坂本くんが苦々しい顔をしているが、それもそうだ。未だに怪盗団を正義と信じる大衆を浄化するため、日本経済に壊滅的打撃を与えると言い出した。期限を『Xデー』とし、それまでに怪盗団は改心の証として世間に正体を晒せと要求したのだ。最後に『日本の未来は怪盗団の判断に委ねる』と締めくくられていた。

「私たちはもう一度アリババとコンタクトを取りたくて。だから、マスターの家に行ってみようと思ってるの」

「……え」

「アリババは、佐倉双葉なのかもしれない。それを確認しに行く」

この件を解決するにはアリババの力が必要だと、新島さんは判断していた。そして、暁くんの言葉は確信を持っている。直接やり取りをした彼はそのメッセージ内容から気づくものがあったのだろう。先日、わたしに双葉ちゃんの名前を出したときから、もしかしたら気づいていたのかもしれない。

「もし虐待を受けてて、私たちに会いにくいとかかもしれないじゃない」

「高巻さん、それはありえません」

「……瀬那、双葉のこと知ってんのか?」

本気で高巻さんがそんなことを考えているとは思っていなかったが、仮定の一つとしても否定しておきたかった。その言い方は知り合いであると認めているようなものなのに、まだ坂本くんの問には答えることができずに沈黙するしかできない。

「竜司、瀬那にも何か事情があるみたいなんだ」

「すみません……」

「んならしょうがねえな」

先日同じ質問をした暁くんが察してくれたおかげで、坂本くんはそれ以上聞いてこなかった。しかし今の会話を踏まえて、新島さんが提案をする。

「できれば御守さんも一緒に来て欲しいのだけど」

「……わたしがいても、何もできません」

「事情を知ってるだろう御守さんがいれば、マスターも話しやすいと思うの」

話をする対象は双葉ちゃんではなく、惣治郎さんなのか。どちらにしても、佐倉家の問題を話すかどうかは、わたしが居るかなんてのものは関係ない。でも、これが最後のチャンスかもしれない。双葉ちゃん自身も現状の変化を求めている。怪盗団に接触したのが証拠だとは思えないだろうか。現時点からもっと状況が悪くなることは、ない。何も出来ないとわかっていても、彼らはわたしを必要としてくれている。それならば。

「わかりました」

逃せばもう彼女には会えない、藁にも縋るというのは正にこのことだ。
軽い足取りで佐倉家へ向かう怪盗団の最後尾からついて行く。ルブランから五分も掛からない場所にある目的地は暁くんが知っているので、惣治郎さんを訪ねる理由としての手土産を持ってリーダーらしく先頭を進んでいた。両手を握りしめて眉間に皺が寄っているであろうわたしを心配してか、喜多川くんが隣で歩調を合わせてくれた。佐倉、と書かれた表札と石塀。この家の敷居を跨ぐのはいつぶりだろうか。新島さんが呼び鈴を押すが反応がない。

「出ないわね?でも明かりがついてる……」

「居眠りか?」

「これだけ鳴らせば起きるでしょ」

「フタバがいるなら、出てきても良さそうだが」

双葉ちゃんは起きている、でも絶対に出ては来ない。惣治郎さんもいないとなれば入る方法はない。困っていると高巻さんが不意に門扉に触れると動いた。

「門の鍵、開いてる?」

「勝手に開けんなよ」

「よく見たら中の扉も、うっすら開いてるんじゃない? なんでかしら。不用心ね……」

惣治郎さんは何かがあって急いで外出したらしい。たまにこういうことをする人だったことを思い出した。不安と呆れがない交ぜになっていると、顔にぽつっと何かが当たる。それにモルガナも声をあげた。

「おっと、ひと雨来そうだな……とりあえず入ろうぜ?」

「……いいのかな?」

「大丈夫じゃね?」

「マスター、ごめんなさい!」

いわゆる、不法侵入だ。謝罪の言葉を述べながら、新島さんは率先して中へと入っていく。続いていく暁くんたちの背を微動だにせず見ていると、喜多川くんに背後から覗き込まれた。

「瀬那、大丈夫か?」

「……はい」

「濡れる前に入ろう」

わたしの腰に軽く手を当てて、中へと誘導される。玄関先では新島さんが室内に向かって声を掛けていたが、返事がないためそのまま上がることにしたようだった。喜多川くんにされるがまま、わたしも靴を脱いで居間へと続く廊下を進もうと見通す。テレビがついているのか戸の隙間から明かりが漏れていた。

「――っ」

自室の記憶がよぎる。向こうにあの人がいる。そんなはずはない、ここは惣治郎さんの家だ。違う。そう理解しているのに、居るはずのない人間の存在を感じてしまう。あの扉が開いたら、開いてしまったら……。うまく息が吸えずに苦しい。目の前がチカチカと明滅しているのは、テレビのせいではない。

「瀬那?」

必死に喜多川くんの腕にしがみつき、自分の体を支えた。いやだ、いや。開かないで、来ないで。
突然大きな雷鳴と共に、電気が消えた。真っ暗になり騒ぎ出したことで今の状況を思い出す。そうだ、ここは自室じゃない。大丈夫。両腕で抱きしめていた喜多川くんの腕に顔を埋めて、自分へと言い聞かせた。

「密着し過ぎだと思うのだが」

「もう少しだけ、このままで……」

誰かの体温は安心感を得られる。あの部屋に自分とあの人以外は入らない。だから喜多川くんに触れられるということは、わたしがいるのは自室ではないと実感できる。落ち着きを取り戻している間に、二階から悲鳴と物音がしたせいで慌てて皆が引き返していた。わたしが顔をあげると暁くんと目が合い、彼の隣にはへたり込んだ新島さんがしがみ付いていて……、その後ろに誰か居る?

「きゃあああああああ!!」

「うわあああああああ!!」

甲高い悲鳴が二つ聞こえた。一つは新島さん、もう一つは。

「――双葉ちゃん!?」

身体の硬直が解けて、悲鳴を追いかけるように階段を駆け上る。間取りを理解しているので、目が暗闇に慣れてしまえば足が勝手に動いた。向かう先で勢いよく扉が閉まり、鍵がかかる音が聞こえる。『DO NOT ENTER』『CAUTION』と装飾された双葉ちゃんの自室の戸を軽く叩き、中に声を掛けた。

「双葉ちゃん、驚かせてしまってごめんなさい」

返事はない。聞こえているかもわからない。

「双葉ちゃんが……アリババなの?」

確信はあったが、確認のために聞いてみる。やはり答えはなかった。

「どうして怪盗団にお願いしたのに……中止にしたの?」

「ごめ……瀬那、ごめん」

微かに聞こえたのはそれだけ。謝罪が欲しい訳じゃない、そんなの必要ない。双葉ちゃんもどうにかしたかったのではないのか。この部屋から、出たいと思っていたのではないのか。

「やっと会えたのに……」

それは問いかけではなく、独白だった。もう時間がない……冬を過ぎればあの人の所へ帰らなければならないのに。ごめんなさい、という言葉は届いているかもわからず、たった一枚の隔たりの大きさを実感するしかなかった。
(2019/2/16)

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