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呼び止められたのも気にせずに双葉ちゃんを追いかけ、彼女の部屋の前で暫く蹲っていて気がついた。静かだ。暁くんたちはどこにいったのだろう。
「ここにいたのか」
誰かが階段を上がる音が聞こえたので、顔を上げると苦笑した惣治郎さんがいた。
「勝手なことをしてすみませんでした」
「俺が鍵かけ忘れたのも悪いんだ、気にすんな」
目線を合わせるようにして屈み、わたしの頭を撫でてくれる。惣治郎さんが本当にこうしたい相手はこの扉の向こうにいる佐倉双葉という娘で、赤の他人であるわたしではないのに。
「暁たちには事情を話して帰るように行った。もう遅いから、瀬那ちゃんも帰んな」
「わかりました。……双葉ちゃん、またね」
もとより返答は期待していない。彼女に届けばそれでよかった。惣治郎さんに会釈をしてから、未だ降り出さない曇天の中に歩き出す。惣治郎さんに嫌われないように注意深く行動していたのに、無謀なことをしてしまった。それでも変わらず優しい眼差しを向けてもらえたことに安心する。しかし、この後はどうすればいいのだろう。結局、双葉ちゃんの顔も見れず、会話すらまともにできなかった。わたしのせいで怪盗団の作戦が後退してしまったかもしれない。一抹の不安を胸に荷物を置いたままのルブランに一度戻ると、店内には暁くんだけが暗い顔でカウンターに座っていた。
「瀬那……」
「みなさんは?」
「帰った。明日、秀尽は学校あるから」
「そうですか……」
何からどう切り出せばいいのか、その場から動くことが出来ずに立ち尽くしていた。
「惣治郎さんから双葉のこと、聞いた」
「……黙っていて、ごめんなさい」
「勝手に言いまわるようなことじゃない、当たり前だ」
おもむろに立ち上がり、暁くんはボックス席に置いてあるわたしの荷物を持って目の前までやってきた。
「送ってくよ」
彼だって明日は登校しなければならないのに。しかし断っても引き下がらないような気がして、ありがたく申し出を受けることにした。二人で並んでアパートへ向かう途中、スーパーの前で足を止める。既に閉店している店内を見つめるわたしを、少し先に進んだ暁くんが不思議そうに見ていた。
「ごめんなさい」
やや速足で追いつき、道すがら話をすることにした。
「双葉ちゃんと会ったのは、ここに引っ越してから少し経った頃です」
一人暮らしに慣れた頃、学校からの帰り道。あのスーパーの前で右往左往していた女の子がいた。細身で小柄の大きな黒縁眼鏡。買うものがあったので必然的に近づいていくと、目の前で座り込んでしまった。流石に放っておけずに膝をついて恐る恐る話しかけた。
「どう、しました?」
「あっ、あのっ……えっと、な、なんでも……っ」
「具合、悪いのです?」
「ち、違う! おっ、つかいに来たんだが……中に、入りにくくて……」
不安で今にも泣きそうな顔を少しだけ自分に置き換えてしまった。どうしてこんな状態の女の子が一人で外出しているのかはわからない。だが、そのままにはしておけなくて、彼女へ手を差し伸べた。
「わたしもこれから買い物するんです。良ければご一緒してくれません?」
「へ」
「こういうのは、二人でした方が楽しいらしいですよ?」
「……らしいって、なんだ」
「まだしたことがないので……。あなたがご一緒してくれたなら、初めての経験になります」
「なんだそれ」
呆れられたが固かった表情は和らぎ、その瞳にやっとわたしを映してくれた。彼女が双葉佐倉。買い物を終えた足でルブランに連れられ、惣次郎さんとも出会った。そうして何かと時間があればわたしはルブランに立ち寄るようになり、双葉ちゃんとたくさん話をした。彼女の話は専門的で興味深いものばかりでどちらかというと聞き役が多かった。コーヒーの淹れ方も、包丁の使い方も、カレーの作り方も惣治郎さんが教えてくれた。双葉ちゃんはまだ中学生だったが学校は行っておらず、ほとんど自宅で過ごしているみたいだった。彼女の自室に入れてもらったこともあるが、電子機器が半分以上占めており驚いたことを覚えている。とある情報を探るために『メジエド』と名乗って活動している、と自慢気に言っていた。ハッキングで義賊的な行動をしている集団らしい。
「私、お母さんを殺したんだ」
パソコンのモニターで照らされた薄暗い部屋で、彼女はぽつぽつと話し出してくれた。わたしが施設育ちで一人で暮らしていると身の上話をした後のことだ。
「車道に自分から……私の目の前で。育児疲れだって」
「それは……」
「お母さん、研究で忙しくて……認知訶学、調べてた。それには私が邪魔だったんだ」
親から子への無償の愛。棄てられたわたしは、そんな曖昧なものは信じていなかった。慰めるすべも知らず、否定することもできず、ただ黙って聞いているだけしかできない。
「瀬那にはなんか、親近感沸いてた。そっか、納得した」
そう言って笑う双葉ちゃんに手を差し伸べることさえも、できなかった。
後日、その話を惣治郎さんにすると目を見開いて動きが止まってしまった。話してしまっては不味いかと思ったのだが、どうやら双葉ちゃんが自分から身の上話をしたことに驚いていたのだ。
「俺と双葉は赤の他人だ。アイツの母親とは知り合いでな」
もっと詳しくわたしに教えてくれた。変わり者で惣治郎さんと気が合ったこと。毎日遅くまで仕事に励んでいたが、子育ても一人でやっていたこと。
「でもある日、双葉の目の前で……自殺だ。暫くふさぎ込んでたが、やっと喋ってくれるようになったし、部屋の外にも出るようになってくれた。それがまさか、瀬那ちゃんとこんなふうになるなんてな……」
首元に手をやり、嬉しそうに笑う。同じ笑顔なのに、いつもの客相手とは違う雰囲気を感じた。
「よかったら、これからも双葉と仲良くしてやってくれ」
そう頼まれてから彼女の状況に進展はなかったが、わたしは変わらずに双葉ちゃんの元へと話をしに通った。双葉ちゃんが再び自室に籠るようになったのは数か月前から。母の声が聞こえる、見ていると怯えて、ほとんど話もしてくれなくなった。彼女は最愛の母を自分が殺したという自責の念に囚われている。一番近い位置にいる惣治郎さんでさえも拒絶しているため、わたしは何もできない。
詳細は惣治郎さんから聞いているだろう。同じ内容かもしれないのに、暁くんは黙ってわたしの話を聞いてくれた。
「瀬那と双葉は友達だったんだな」
「そう、なのでしょうか。とりとめのない話をしていただけです」
本当に友達だったら、もっと踏み込めただろうか。境界線が見えないものは判断が難しい。
「なんか、俺たちが初めて会ったときと似てるな」
「……確かに、こういう感じでしたね」
足元ばかり見ていたわたしが顔をあげると、彼は優しげな眼差しでわたしを見下ろしていた。あの時はわたしが蹲っている側だった。
「これから、どうします?」
「双葉にパレスがあったが、キーワードが足りない。モルガナも戻ってきてないから、また明日集まることになった」
「戻ってきていない?」
「双葉に会うまではいたんだけど……、何か探ってるんだと思う」
猫の姿なら怪しまれにくい。単独で調査するのに適している。まだ佐倉家に潜んでいるのかもしれない。
「双葉と話、できた?」
「少しだけ……。声が、聞こえました」
謝罪だけだったが、辛うじて聞き取ることが出来た。弱々しく悲し気な声で、久しぶりに聞けた喜びも感じることはできなかった。
「双葉と話をしなきゃいけなくなると思う。その時は瀬那も来て欲しいんだ」
確かに顔見知りが居た方が安心感があるかもしれない。それが通用するのかは不明だ。彼女は一般的には当てはまらないし、わたしがいるからこそ話にくいということもある。それでも、どうしても行かなければならない理由があった。
「わたし、もう一回だけ双葉ちゃんに会って、言いたいことがあるんです」
自分勝手な我儘でしかない。双葉ちゃんのことを考えての行動ではないのかもしれない。最終的に嫌われても構わなかった。どちらにしても彼女とはずっと一緒には居られない。結果的にあの部屋から出て、惣治郎さんと双葉ちゃんがまた並んで過ごせるようになればいい。
「……助けて、くれますか?」
「当然だ」
口の端だけを上げて暁くんは笑った。明日からは夏季休業のため午前中からアルバイトが入っている。秀尽学園も午前中は全校集会があるため集まるとすれば午後になるとのこと。終わり次第ルブランに行くことを告げて、彼と別れた。
(2019/2/28)
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