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一面砂が広がる世界に静かにそびえたつピラミッドがあった。まさしくそれは墓、わたしたちの目的地である。パレスに来たときはずいぶん遠くにあると思ったが、モルガナが車になって走ってくれたおかげですぐ辿り着くことができた。ピラミッド前の広場で降りて、モルガナが車から猫に戻る。猫、と呼んでいいのかわからないが、二足歩行する猫だ。
暑さで長めのスカートが足にまとわりつく。涼しい空気ではないが幾分か入れ替えになればと思い、指で裾を掴んで軽く横に振る……と、視線を感じた。顔を上げると暁くんと一瞬目が合い、すぐにお互いが逸らした。車内であの朝の出来事を思い出してしまったせいだ。今の今まで何でもなかったというのに、どうして、急に。

「まさか、本当にこれがパレスだなんて」

全容を確かめようと新島さんは太陽を手で遮りながら見上げる。崩れかけた石柱が通路に沿って並び、長い階段が入口へと続いていた。ピラミッドの頂点はさらに首を上げても見えず、かなり高く積み上げられているのだと予想できる。双葉ちゃんに会うために一番上まで行かなければならないとなれば、考えるだけでも精神的にくるものがある。

「なあ、ピラミッドって墓なんだろ?」

「王墓だな」

「それが有名だけど、諸説あるわ。死者の復活装置、なんて言われてたりもするし」

「そちらの説で考えれば、生き返らせたい人がいるのか……」

純粋な坂本くんの疑問に喜多川くんと新島さんが答えた。喜多川くんとは別の、穿った考えをするのならば、自身が生まれ変わりたいのか。改心をそういう意味で捉えることもできる。

「それにしても美しい……黄金比、完璧だ……」

「つかさ、もう、入らねえ? 暁も顔赤えし、マジで溶けそう……」

「……ああ、行こう」

このままここにいては熱射病になりかねない。いざ敵が現れたときに動けなくなっては問題だ。重い足取りの坂本くんに続き、手のひらで口元を押さえた暁くんがピラミッドへ続く階段に向かう。顔を合わせづらいので、彼が先頭を歩いてくれるのはありがたい。それに加え、足が中々上がらない……それは暑さのせいだけではなかった。パレスに入ってから、身体が重い気がする。わたしはピラミッドを観察しながら上っていく喜多川くんと最後尾についた。

「何を見ているのです?」

「向こうに小さな街が見える」

階段の途中でピラミッドを背にし、指で額縁を模っていた。喜多川くんのすぐ隣に立ちわたしもその額縁を覗いてみたかったが、身長差があり過ぎて背伸びをしても叶わない。諦めたのを察してか、彼が手の位置をわたしが覗ける高さまで降ろしてくれた。こじんまりとした土地に家屋が密集している。喜多川くんの作る視界は細く長い指で切り取られた絵画のようだった。

「パレスの中も芸術として見ているんですね」

「感性が磨かれ、創作意欲も湧く。怪盗団に入った理由はそのためでもある」

「何か作品が生まれそうですか?」

「そうだな……一つだけ、思いつくものがある」

少しだけ迷いながらもはっきりとわたしの目を見返して答えた。初めて会ったときはこの視線に恐怖を感じたが、今はそんなことはない。純粋に芸術と向き合い、求めているからこそ真剣なのだと、理解したから。

「喜多川くんは本当に一途ですね」

「変だろうか」

「いいえ、素敵です」

本当にそう思う。わたしは持つことがないものだ。色々なことがあったが、彼が絵を描くことを捨てずにいてくれてよかった。
幾分遅れて入口の大きな石扉にたどり着く。この先に待ち受けているものは双葉ちゃんの苦しみのはずだ。未だに怪盗服に変わることはないが、簡単にオタカラを盗めるはずもないだろう。全員揃ったことを確認し、暁くんがその扉を開けた。
中は太陽光が当たらないから、というだけではない涼しさで、急激に汗が引いていった。壁面は見た目通りの石造りなのだが、所どころにブラックライトのようなものが淡く明滅している。冷房の効いた部屋、パソコンを彷彿とさせる光に、双葉ちゃんの現実との繋がりを感じられて少し安心できた。

「この先にオタカラの気配をビンビンに感じるぞ!」

「この階段、ピラミッドの中心部に向かってるみたいよね、そこにオタカラがあるのかしら……」

「……かなり奥まで続いてますね」

「なげえ……これ、登んの?」

「敵に襲われないだけマシでしょ。贅沢言わない」

坂本くんが苦々しい顔をするのもわかる。何段あるのか全く分からない程の階段が続いているのだ。辛うじて目的地が見えることが救いだった。体力に自信はないが、ついてきた以上自分の足で登り切らなければ。

「しっかし、こういう平和なイレギュラーなら大歓迎だよな」

「佐倉双葉が悪人じゃないから?」

「本人がウェルカムだからだろうな」

「あまり油断しないほうがいい、何があるかわからない」

「ピラミッドだけに、罠とかありそうだわ」

会話をする余裕があるのはさすが怪盗団といったところか。怪盗服に変わっていなくても身体能力が現実世界よりも底上げされているのか、わたしの体力がなさ過ぎるのか。

「瀬那、大丈夫か?」

「はい……何とか」

「無理して転ばないように」

「気を付けます……」

「しかし、本当に凄い、古代の神秘だな……」

相変わらず一番後ろからついていくわたしに喜多川くんが隣を歩いてくれる。その実、内装鑑賞が主だった理由のようだ。現実にピラミッドを見るとなると、お金も時間もかかり学生の身分ではとてもじゃないが無理だ。苦学生の喜多川くんなら尚更のこと。実物とは異なるかもしれない双葉ちゃんの創造したピラミッドだが、彼は満足そうだった。大袈裟なくらいの輝いた表情に頬が緩んでしまう。

「何が面白い?」

「ごめんなさい、本当に楽しそうなので」

堪えていた笑い声が漏れだす。パレスに来る前もこれから起こるであろうことも、苦しいに違いないのに。それが故意なのかわからないところが喜多川くんらしい。

「……ありがとうございます、なんだか緊張が解れました」

「そうか、役に立てて何よりだ」

穏やかな微笑にどきりと心臓が跳ねた。高巻さんたちが言っていた、喜多川くんは顔がいい、というの身をもって知る。芸術が絡むと少し手が付けられなくなるが、その分真摯であり、こうして他人に気を向けてくれる。いいところは顔だけではないと、きっとあの二人も理解はしているはずだ。そんなことを考えていたわたしから視線を前方へと戻した彼の顔が、すっと真顔になった。

「誰かいるな」

最奥よりも前の踊り場で暁くんたちが立ち止まっていた。その先に一人の少女が佇んでいる。ピラミッドに相応しく、肩と腹部を露出させ、足首まである白く長いスカートに腰や首には豪華な装飾を纏い、龍の首を模した頭飾りを身に着けてた。金色に怪しく光る瞳でわたしたち、侵入者を見据えている彼女は、佐倉双葉だ。

「もしかして、こいつが……?」

「……双葉ちゃん」

「リュージ、セナ、そいつはフタバの『シャドウ』だ。本人じゃない」

パレスを作った人間の分身。パレスの支配者、といっても過言ではない。確かに彼女の風貌は王のようだ。

「おい、オタカラはどこだよ?」

ぶっきらぼうに坂本くんが問うてみるが、現実と同じように返答はない。

「知らないはずは、ないけど……瀬那が聞いてみたらどうかな?」

無感情、無表情で真一文字に口を閉ざしたまま、金の瞳には何も映していない。それなのにわたしを見透かしているようにみえて恐ろしさを感じた。

「二人で見つめあって、何やってんだ?」

「うっさい竜司!」

「瀬那、無理しなくてもいい」

「……大丈夫、です」

ここに来る前にわたしが泣いていたからか、フタバちゃんの前に出るの暁くんが引きとめてくれた。小さく首を振り、何でもないように笑ってみせる。今は逃げたくない。

「急に、来てしまってごめんなさい。あなたの……、大事なものは、どこにありますか?」

フタバちゃんのやはり何も言わなかった。怯えている様子もない、まるで人形のようにそこに立っている。そう、人形の、よう。

「ラチがあかないな」

「とりあえず、奥に進んでみる?」

頭脳派の喜多川くんと新島さんが今後の方針を相談し始めた。得られるものが何もないのなら、このままここにいる意味もない。でもそれなら、どうして彼女はわたしたちの前に姿を現したのか。

「我が墓を荒らすもの。何しに来た」

「……しゃべった、けど……?」

「あなたの願いを、叶えにここに来ました」

「そうだぜ。盗んでほしいんだろ?」

現実では改心を望んでいた彼女は、こちらでも同じ思想なのだと思っていた。しかし、自分でもどうにもならない何かに苛まれているからこそ、怪盗団に依頼したのだとしたら。

「盗れるものなら、盗ってみるがいい」

口を開いたと思えば強気な発言をしたため、モルガナが険しい顔で睨む。

「挑戦的だな」

「お前らに盗れるわけがない。我がパレスは、こんなことになっているのだからな」

『薄気味悪い……』『疫病神!!』

どこからか声だけが聞こえてくる、大人たちの責め立てるの声。これは……。

「この声は?」

「わからん。用心しろ、杏」

パレスに変化が起こったため喜多川くんが警戒を促した。しかし、支配者であるはずのフタバちゃんはその場に耳を塞いで座り込む。先ほどの様子とは違い、小さな体は震えて、今にも壊れてしまいそうだった。堪らず駆け寄り、これ以上聞かせないため彼女の頭を掻き抱く。

『人殺し』『何か言ったらどうだ!?』
『あなたが殺したのよ!』『お前のせいだ!』

「ひどい……」

「おい、なんだよこれ」

次々と降ってくる言葉にみんな動揺していた。これは現実でも行われたことなのだろうか。一人の少女に対して、複数の大人が四方八方から……とてもじゃないが正気とは思えない。暁くんが苦々しく吐き出した。

「これが部屋から出られない理由、なのか?」

『近寄らないで』『何か言え……』『人殺しっ!!』

「……そう。私がやった」

確かにわたしの腕の中に居るのに体温が感じられない。見ると、フタバちゃんの身体が薄く透けていた。呆然としたままのわたしの身体を通り抜けるようにして、彼女は宙へと浮き上がる。

「母を殺したのは私」

ぽつりと溢すと同時に、頭上から大きな鳴き声が響き渡った。獰猛な動物が興奮して暴れているかのように、ピラミッドが揺れ砂埃が落ちてくる。高巻さんは身を低くして周囲を見渡した。

「今のは?」

「ここには母もいる」

母? 何故?
フタバちゃんの言っていることを理解するには、わたしの力が足りない。

「私はここにいる。死ぬまでずっと、ここにいる」

「待って! 行っちゃだめ、フタバちゃん!」

縋るように手を伸ばすも彼女は霞のように消えてしまい、空を切るだけで届くことはなかった。わたしはそのまま立ち上がることができず、力なく地に落とした拳を握りしめる。わかっていた、わたしの手なんて届かないと。自分で言っていたことなのに、胸が苦しい。そのとき、小さな爆発音と閃光に包まれて暁くんたちが制服から怪盗服へと一瞬で変身した。

「服が……!?」

「警戒されたようだな」

「クソ、何だっつんだよ……!」

「まずいわね、状況が把握できない。どこか安全な場所で情報を……」

――ドン! 地響きがした。巨大な何かが落ちたような、そんな音。その何かが不透明で恐怖感を煽る。

「今度は何っ!?」

「瀬那、立て!」

暁くんがわたしの腕を掴み立ち上がらせ、引き寄せた。警戒された今の状況では、わたしは足手まとい以外の何でもない。庇われるように怪盗団の中心に位置取り緊張していると、最上階である奥の扉の目の前に巨大な球体が落ちてきた。それは高低差に従いわたしたちに向かって転がり始める。

「マズい……マズいぞ、オマエら走れ!」

モルガナの悲鳴にも似た号令に合わせて、各々叫びながらも一斉に来た道を駆け下りる。わたしは暁くんに引きずられながらも懸命に足を動かすが、怪盗団のみんなの速さについていけない。このままでは球体に押しつぶされてしまう。そのとき、前を走っていた暁くんが足を止めた。予想外の行動に驚いたが、そのままわたしは彼を追い越してしまった。その刹那、掴まれていた腕を後ろへ引かれ、浮遊感と共に視界が無作為にぐるぐる回る。気づけば目の前には焦っている暁くんの横顔があった。

「え、え?」

「舌、噛まないように! ちゃんと掴まってて!」

自分が足を動かしていないのに、滑るようにピラミッドの入口を一直線に目指している。背中と膝裏をしっかりと支えている腕の感触に、やっと彼に抱えられていることを理解することができた。軽々と一瞬のうちに人ひとりを抱え上げるとは。決して軽いといえる重さではないが下ろしてと言える状況でもなく、出来るだけ邪魔をしないように暁くんの首に腕を回す。

「入口すぐのところに大きな穴があったわ! そこまで行けば!」

先頭を走る新島さんが振り向かずに叫んだ。大穴の前まで下り、着いた順番に横道に隠れると、大玉は段差で大きく跳ねて都合よく空いていた穴へと落ちていった。

「間一髪ね……」

息も切れ切れに新島さんは無事を確認するために全員の顔を見渡す。すると、微かな機械音を立てながら最奥に続く階段が扉で閉ざされてしまった。フタバちゃんに警戒されてから立て続けに起こる事象に、高巻さんは苛立ちを隠せずにいた。

「何!? 何なわけ!?」

「落ち着け、杏。事情を訊くために別の道から行ってみるか?」

「いや、ここは一旦退いた方がいい。思ったより単純じゃなさそうだ」

「モナの言う通りだ。瀬那も居る、このまま敵とは戦えない」

「じゃあ、ちゃんと準備してから入り直しましょう」

同意した新島さんは長いマフラーを翻した。みんなも後に続いて外へ向かう。

「いやー、今回は怪盗っつーより王子みたいだったなー」

軽快に笑いながら坂本くんは暁くんの背中を叩き、かっこよかったぜ、と言ってさっさと追い抜いていった。どうやらこの場所に敵はいないらしい。走る必要もなくなったので、腕の力を緩める。抱えられていることが申し訳ない上に居たたまれなくなり、仮面の下の窺うように視線だけで見上げた。

「ありがとございます、暁くん。もう大丈夫ですから、降ろしてください」

「いいよ、このままパレスの出口まで行こう」

「重いですから……」

「全然、全力疾走できたくらいだし」

本当に重要なのはそこではないのだが、何を言っても降ろしてはくれなさそうなので早々に諦め、大人しく彼の肩に頭を預けることにした。わたしと同じくらいの鼓動の速さが耳に届き、息切れもしていないのにと不思議に思った。
(2019/3/23)

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