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翌日から怪盗団は双葉ちゃんのパレス攻略のため、あの長い階段を閉ざした扉を一枚ずつ開けて、最後の扉……オタカラを目指した。ニュースからは、メジエドの宣戦布告から何の行動も表さない怪盗団への不平不満が流れてくるので辟易する。唯一の対抗策、アリババである双葉ちゃんのパレスの進捗状況を暁くんが教えてくれるのだが、彼女の母である、若葉さんの死は意図的に操作された可能性が出てきた。大人たちが遺書を読み上げる記憶があったそうだが、その内容は双葉ちゃんを責め立てたるものだったらしい。その内容が嘘だったとしたら……。そうまでする目的は不明だが、若葉さんが研究者だったことを考えると、研究内容が関係しているのではないだろうか。
そうして最後の扉までのルート確保が完了し、思っていた通り双葉ちゃんの部屋に入れてもらう必要ができた。わたしもルブランへと招集され、みんなが来るまでソファでモルガナを膝に乗せて待った。怪盗団が揃うとモルガナは中央のテーブルに軽く跳び、全員の顔を見渡し指揮をとる。

「今回は今までと違って、予告状はフタバに直接渡す事になる。予告状を見せたら、そのままパレスに向かうぞ」

全員がそれに対して静かに頷いた。前回は不法侵入という非合法な手段を行ったが今回はわたしが鍵を持っている。惣治郎さんに言って、夏休みの間の食事の支度や会話ができたことで進展があるかもしれない、と家にお邪魔できるようお願いしたのだ。双葉ちゃんの部屋までは問題なく行けるだろう。そのあとの問題を喜多川くんが提示した。

「しかし、双葉をどう説得するんだ? マスターでさえ入れてもらえないんだぞ。瀬那でも荷が重いんじゃないか?」

「素直に話をしてみます。双葉ちゃんなら、わかってくれます」

「私もそう思う。彼女はパレスの事も、私たちが何をしてるのかも知らないんでしょ? だったら『心を盗みに来た』って伝えれば、きっと開けてくれるわ」

わたしの提案に新島さんも同意する。それだけ?、と高巻さんは心配そうだったが、双葉ちゃんは認知訶学について知っているのだからすぐ理解してくれるはずだ。以前その話を暁くんにしたため、彼も頷いた。

「それで十分だ。引きこもってる双葉が自分から接触するほどだ。あの扉も、開けてくれる」

「よし! じゃあ、双葉を信じてやってみっか!」

坂本くんの掛け声を合図に皆は立ち上がり、階段を下りていく。一番奥に座っていた暁くんが階段に差し掛かったところで、彼が羽織っているシャツの裾を軽く掴んで引きとめた。

「あの……、双葉ちゃんと、戦う……の?」

今まで聞いてきたのは、オタカラを守っているパレスの主と戦ったということ。オタカラはその名の通り大事なもの、守ろうとするのは主として当然の行動だ。だから、今回はあのフタバちゃんを倒さなければならないのだろうか。

「いや、彼女に敵対心はなかったから、そんなことにはならないと思う」

不安気に見上げるわたしと目が合うと安心させるように微笑むが、でも、と真剣な眼差しに変わった。

「きっと、別の何かとは戦うことになるよ」

何か……、初めてピラミッドに入ったときに大きな声で鳴いていた何かが居たことを思い出した。フタバちゃんとではなく、あれと戦うことになるかもしれない。怪盗団がパレスの中で戦っているものを改めて実感し、シャツを掴んでいた手が無意識に強くなる。

「大丈夫、俺たちは負けない」

そういうと、暁くんは引きとめていたわたしの手に優しく触れた。信じて待つことがわたしにできることだ。それが彼らの力になるのなら、忘れてはいけない。

「はい」

惣治郎さんに怪しまれないため、いつもと同じように振る舞いルブランを出る。先程までいい天気だったのに、今は豪雨で地面が跳ねた雨で白んでいる。傘が意味をなさないため、佐倉家まで急いだ。玄関の鍵を開けて、真っすぐ双葉ちゃんの部屋へ向かう。その扉を見上げてモルガナが鳴いた。

「間違いない、パレスの扉と同じだ」

「ねえ、双葉。いるんでしょ? 返事をして」

新島さんが軽く戸を叩くが前回と同じく返事はない。肩を落として一歩下がり、わたしを扉の前へ促した。改めてノックをして話を切り出す。

「双葉ちゃん、瀬那です。チャットで構わないので話、してくれませんか?」

携帯のバイブ音が聞こえる。先日と同じく暁くんにメッセージを送ってきたらしく、画面上で猫らしきアイコンが喋っていた。

『来るなら先に言え』

「急にごめんなさい。お願いがあってここに来ました。心を盗むために、ここを開けて欲しいんです。わたしたちを部屋へ入れてください」

『心の準備ができてない!』

「双葉ちゃんの心の中で、もう一人のあなたがここを『開けてもらえ』って言っていました」

『もう一人の、わたし?』

フタバちゃんは開けて欲しいのだと思う。改心させて欲しいと言う望みは本物だが、現実の双葉ちゃんは閉ざしたまま。この扉が開かない限り、それは叶えられない。自分の望みを阻んでいるのは他の誰でもない。

「俺たちは約束を果たそうとしている。それを拒んでいるのは、双葉だ」

暁くんがはっきりと口にすると観念したのか、了承ともとれるメッセージが送られてきた。

『少し時間をくれ』

「んな時間、ねえんだよ!」

「……十秒」

『短い! 三分……頼む!』

「しょうがないわね。ただし……マスターが来たら、蹴破ってでも入るから」

容赦ない新島さんの制限時間の提示と、最終手段に恐怖を感じる。実際にやりかねない。大人しそうな見た目とは裏腹に彼女は武闘派なのだ。

「時間よ、アリババ」

『わかった、今開ける』

カチャリと鍵が外れた音が静かな廊下に響く。それから動きは何もない。こちらから入ってこい、ということだろうか。しかし、これでは認知が変わるか不明だ。双葉ちゃんがわたしたちを招き入れた形にしなければならない。彼女の心の中で、この扉の力はそれ程強い。

「……双葉ちゃんから、開けてください」

少しの間のあと、ノブが回り扉が開けられた。

「よし、入るか……」

坂本くんを先頭に双葉ちゃんの部屋の中へと足を踏み入れる。室内は最後に入ったときと同じように見えて、あの頃よりも雑然としていた。床は足の踏み場がないほど雑誌や新聞が広げられており、袋に詰められたゴミがいくつも壁際に積み上げられていた。長い間カーテンが開けられていないためか、空気が重く感じられる。異様な雰囲気に圧倒されているのか、喜多川くんが言葉が出ないようだった。

「なんだこれは……」

「医学、情報工学、生物学、心理学……専門書ばかりね……」

横して上に積まれた本のタイトルを順に新島さんが読み上げていく。十代の女の子の部屋に似つかわしくないと思うのも無理はない。わたしの後ろ、一番最後に入った高巻さんが険しい表情で見回していた。

「こんな部屋に、ずっとこもっているの……?」

「それより、双葉はどこだ?」

「どこに隠れて……」

部屋の主が居ないことに喜多川くんと坂本くんが気づくと、ガタンッと目の前の押入れから物音がした。室内に隠れる場所なんて、ここ以外にない。全員が注目するも出てくる気配は全くなく、喜多川くんが呆れた声を上げた。

「あくまで引きこもるか」

「ジョーカー、このままだとあの扉が開いたところで、中でまた足止め食らうぞ」

自身の前髪に触れながらどうしたものかと暁くんが考えていると、押入れからどもった声がした。

「ぃぃぃ意味が分からないぞ! 説明しろ!」

「お、しゃべった……」

「貴方の認知を変える必要があったの。そうしないと盗むことができないのよ」

「説明した所で到底、理解できるとは思えないが……」

すっかり説明役と化した新島さんが真面目に伝える。喜多川くんは難しい顔をしているが、彼女には端的な言葉だけで十分だった。

「つまり、わたしの認知が障害となっていて、認知世界の核に到達できないということか?」

「え? 理解してる?」

「なぜ、知ってるの? 貴方は何者?」

驚く高巻さんを後目に新島さんは疑問を解決しようと問い詰めた。しかし肝心なところを双葉ちゃんは黙秘する。会話が続かない。意識的にかわからないが、坂本くんが違う話題にした。

「お前、アリババなんて名乗って、なんでややこしいことしたんだ? 助けて欲しけりゃ、言えば良かっただろ」

間を置いて返事があったが小さすぎて聞こえず、え? と聞き直すと、辛うじてか細い声が聞き取れた。

「……恥ずかしかったから」

その言葉で胸が苦しくなった。双葉ちゃんの本音がやっと聞けた分、長い間苦しんでいたことを改めて理解してしまった。

「……『助けて欲しい』って自分から伝えるの、そんなに簡単じゃない、よね……」

高巻さんが吐露する。秀尽学園での苦しみは彼女から消えることはないのだろう。

「ねえ、双葉、教えて。認知世界の事、どうして知ってるの?」

「母親が、認知訶学を研究していたから、か?」

「認知『訶』学な! 科学の『科』じゃないぞ、摩訶不思議の『訶』な! そこ大事」

この手の話になると饒舌になるのはあの頃を変わらない。若葉さんの研究が一体どういうものなのか、認知訶学というものに対して疎いわたしたちは教えを請うも、心的苦痛が強くうめき声が押入れから漏れる。これ以上はただ双葉ちゃんを責めるだけだ。

「今は、やめといたほうがいんじゃね? 昔、酷え目に遭ったっぽいし」

詰問を止める坂本くんに、高巻さんが食い気味に声を張り上げた。

「双葉ちゃん。お母さんは、本当にあなたが殺したの?」

「ちょ、バカ、お前……」

「お母さん、事故死じゃないの? どういうこと? 育児ノイローゼ? 本当にそうなの?」

「高巻さん、待って」

真後ろに居た高巻さんの目の前で掌を広げて宥め、止めようにも彼女の口は止まってくれない。

「あなたの心、見させてもらった。でも、全然わからない。マスターが語ってくれたお母さんと、全然違うんだもの」

うう、と再び押入れからうなり声が聞こえる。母親のことを、事件のことを思い出しているのかもしれない。

「あなたの口から、本当のことが聞きたい」

「……お、お母さんは……、……殺したのは……うう……」

「無理してはだめです!」

このままだと、先に双葉ちゃんの心が壊れてしまうかもしれない。幻覚が見えるほど、彼女は限界に近いのだ。戸を開けて、パレスのときのように側に居たいが、逆なでしてしまうのが怖い。

「杏、落ち着いて。心が歪んでいて、思い出せないだけかもしれない」

ハッとして、高巻さんが口元を手で押さえる。

「双葉ちゃん、ごめんなさい。私、その、色々あって、ごめ――」

「さ、さあ、盗め!!」

「ひゃ!?」

勢いよく押入れの戸が開き、両手を広げた華奢な女の子が飛び出してきた。突然の出来事に驚き、バランスを崩したわたしはそのまま後ろにあったベッドに尻もちをつく。ベッドに乗っていたモルガナはその瞬発力でわたしを避けてくれたので下敷きにならずにすんだ。

「ほ、ほら、さっさとしろ!」

「心を盗みに来たんだけど、今ここで盗むわけじゃなくて……、開けてくれれば、それで良かったんだけど……早とちりさせてゴメンね。そんな風にしなくても大丈夫だから……」

「……そ、そっか」

捲し立てるようにして、新島さんが状況を説明する。それを聞くと、すごすごと後ろ歩きで押入れの中へと戻り戸を閉めてしまった。一人になったことで落ち着きを取り戻したのか、双葉ちゃんはいつもの通りにどもりながらも叫び出した。

「……ど、どういうことだ! おまえら、だましたな?」

「そんなつもりは……心を盗むには、必要なことなんです」

どうやら改心の詳しい方法は未だ不明らしい。腕を組みながら暁くんが問いかけた。

「双葉は認知世界の事をどこまで知っている?」

「認知する別の世界があるのは知ってる。だけど、そこに行く方法は知らない。さっき、『心を見た』って言ってた、お前らは行けるのか?」

「ああ、携帯のアプリを使って行ける」

「わたしも連れて行ってくれないか?」

その提案を暁くんは却下した。これからオタカラを盗むところなのだ。慎重に行かなければ、双葉ちゃんの身に何が起こるかわからない。

「ダメだ、自分の心の中に入るのはリスクがあるかもしれない」

「俺たちに任せとけって。約束、忘れんなよ?」

明るく言う坂本くんに、納得しきれないでもとりあえず押入れの中から返事が聞こえた。パレスに行くために双葉ちゃんの部屋を後にする。坂本くんもベッドに座ったままのわたしの前を通り過ぎようとしたのだが、あっと声を上げ、再び押入れに向き合った。

「忘れるとこだったぜ!」

押入れの前で隙間に赤いカードを差し込む。それには喜多川くんが考えた怪盗団のマークが書かれていた。

「ん? ……なんだこれ」

「お前が用意したヤツだ。後で読んどいてくれ」

「……分かった」

「ワガハイが見届けておく、先に行ってろ」

暁くんが自然に差し伸べてくれた手を取ってベッドから立ち上がると、モルガナだけを残して一度部屋から出た。パレス内の認知を変えることと、オタカラを出現させること、どちらの目的も達成された。双葉ちゃんが予告状を読んだことを確認したモルガナも合流し、あとはこのままパレスに進入してオタカラを盗むだけだ。

「わたしはここで双葉ちゃんと待っています」

鍵がかけ直されることはなかったが、廊下で待っていようと決めていた。おう、と坂本くんが明るく返事をして、片手を上げる。高巻さんも綺麗にウインクをして、アプリに巻き込まないようにわたしと距離を取る。

「んじゃあ、ちゃちゃっと盗んでくっから」

「瀬那、待っててね!」

「行ってくる」

そう暁くんが言うと同時にアプリを起動された。目の前の空間が歪み、わたしだけを残してみんな消えてしまった。待つことしかできないけれど、それがわたしの出来ることだ。彼らが無事に帰ってくること、双葉ちゃんを救ってくれることを信じて。

「……いってらっしゃい」
(2019/3/31)

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