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双葉ちゃんの部屋の扉と向き合うようにして廊下で座り込み、わたしは怪盗団が戻ってくるまで待っているつもりだった。話しかけることもせず、だたじっと。待つことも大事だと思ったから。
どれ程時間が経ったのかわからない、多分時計の針は一回りしていないはずだ。かちゃりと目の前の扉が静かに開く。驚いて顔をあげると、赤い画面の真ん中にマイクのアイコンが表示された携帯が目の前にあった。

「瀬那、一緒に来て欲しい」

「これ……」

パレスに行くためのアプリが、どうして双葉ちゃんの携帯にインストールされているのか。

「さっき言ってたのってこれのことだろ……?」

画面には既に『佐倉双葉』と『佐倉惣治郎宅』が入力されていた。予告状を渡した時の会話からアプリの使い方を察したのだろう。

「あとひとつ……、そういえば、あの時ここで……」

「パレスは危険なところです。暁くんが言っていたように自分の心の中に入っても大丈夫なのか、わかりません」

「わかってる、それでも……もうここには居たくないっ!」

勢いよく双葉ちゃんがわたしの胸に飛び込んできた。わたしには聞こえない何かが聞こえているのかもしれない。苦しみ怯えている小さな背を抱きしめる。

「もうヤダ……」

「落ち着いてください……。パレスに行くためには『名前』と『場所』と『歪み』の三つが必要なんです」

「歪み…………そうか、『墓場』……」

ぽつりとそう告げると、機械音声が音声を認識して視界が歪み始めた。暁くんから聞いた話ではパレスのフタバちゃんは何かを知っているみたいだった。オタカラを盗んで改心させるよりも、記憶に蓋をしている彼女が真実を思い出すのなら、この選択は間違ってはいないはずだ。待っていろと言った怪盗団には申し訳ないが、わたしには無理やりにでも双葉ちゃんを止める術はない。それならば一人で行かせるよりもついていったほうが状況は幾分か良いだろう。
気づけばわたしたちは石造りの建物の中に居た。以前来たピラミッド内の階段の一番上、閉ざされた扉の前だと思う。双葉ちゃんの認知が変わったため、既に扉は開いていて、その中に金色の瞳で見据える女の子がいた。こちらに来い、とその瞳が物語っている。顔を伏せたままの双葉ちゃんを立ち上がらせると、いつの間にか彼女は消えていた。閉ざされていた扉の向こうはエレベーターになっていて、乗り込むと勝手に上へと動き出す。その先にあったのは大きな広間で、壁も天井もパソコンのモニタのように何かの文字列がバックライトに照らされて浮かびあがっていた。

「これが、わたしの心……」

調子を取り戻し、双葉ちゃんは周囲をきょろきょろ見回す。古代の墓と現代の叡知が入り交じっている不思議な空間だ。興味が湧くのも仕方がない。その時ピラミッドが大きく揺れ、獣の咆哮が聞こえた。このすぐ上で怪盗団が戦っている。

「……呼んでる? 行こう、瀬那」

わたしの手を取って、双葉ちゃんは上を目指して駆けだした。不安はある、でも大丈夫、彼女なら偽りに打ち勝てる。怪盗団がついているのだから。
階段を上ると不自然に先が切り開かれていた。その先は壁面を壊され、砂漠を見渡せるほど高所だった。その場所で、怪盗団が膝をついていた。

「双葉!? と……」

「瀬那……入ってきたのか」

「……すみません」

新島さんと暁くんが驚きの声を上げた。怪盗団と相対していた巨大な何かが空へと舞いあがる。それを追うように双葉ちゃんが一歩前へと進んだ。

「あれは……お母さん……」

ライオンの身体と人間の顔。ピラミッドに相応しいスフィンクスの出立をした怪物が空高く舞っている。まさか、と喜多川くんが眉根を寄せた。

「あのバケモノが母親か!?」

「死んだ母に生き返って欲しいという願いと、気味の悪い罵声が入り混じって、認知を歪ませたんだろう」

この世界に詳しいモルガナが言うのだから、間違いはないだろう。あれは双葉ちゃんが創り出した、母親の若葉さんなのだ。

「お前さえいなければ! 時間を削られることなく、成果を発表できたのに! 心血注いだ世紀の発見を!」

「『認知訶学』のことか?」

暁くんが独白のように尋ねるも、こちらを無視し、ただただ双葉ちゃんが誰かに言われた言葉を呪のように吐き続けた。

「お前が私を殺した! お前が生きている意味なんてない! 誰にも必要とされてない!」

「私のせいでお母さんが……」

怯え、耳を塞いで蹲る彼女に駆け寄り抱きしめた。煩い、無意味に双葉ちゃんを傷つける生き物。植え付けられた記憶を必死に払拭しようとしているのに、邪魔をしないで。わたしは大きく見開き血走った怪物の目をじっと見つめた。

「少し、黙っていてください」

「ぐっ……」

怪物は怯み、話したくても口を開くことができずにもがいている。よくわからないが、これで双葉ちゃんと話をする余裕ができた。

「誰も私のことなんて……」

「そんなことありません……双葉ちゃんのおかげで、今、わたしがここに居るんです」

わたしの声は届いていない。頭を振って拒絶し、眼鏡の奥の瞳はどこも見ていないかのようだ。自分が母親を殺した、そんな自分なんて死んでしまえばいいという、双葉ちゃんの中の歪んだ認知が彼女自身を苦しめている。

「いつまたバケモノが襲ってくっかわかんねえぞ、どうする!」

「双葉ちゃん、しっかり見て! あんな化け物がお母さんな訳ないでしょ!」

「だ、だって……」

「マスターが言ってたわ! 『母親ひとりで、頑張って育ててた』って!」

「誤った記憶を刷り込まれてるんじゃないのか!」

「誤った記憶……お、お母さん……私は……」

どうすればいい、どうすればわたしたちの声が届くのか。彼女が真実を掴まなければ、あの怪物には勝てない。彼女が自分自身と向き合わなければ。そのきっかけを与えてくれる鍵はきっともう一人のフタバちゃんだ。あの子は真実を知っている。力を貸して、そう強く願ったとき、金色の瞳の主がどこからともなく現れた。双葉ちゃんの、シャドウ。

「佐倉双葉! 思い出せ!」

シャドウの力なのか、双葉ちゃんはパレス内のさらに異空間へと誘われる。側にいたわたしも巻き込まれたのか、思考だけがそこにいた。

「自殺したのは、お前のせい。なぜそう思った」

「……遺書」

唐突に壁画らしきものが降ってきた。パレスの主が白い仮面をした黒い服の人間と相対している。先頭の人間が白い何かを読み上げているようにみえるが、これは、暁くんが言っていた……。

「そうだ。黒い服の大人に見せられた遺書だ。何が書いてあった?」

「私への、恨み」

「お前は、ショックで目を逸らした。だが、黒服は延々と読み上げた。大勢の親戚の前で」

フタバちゃんも双葉ちゃんの一部であることを考えると、心の奥底に封じた真実を思い出させようとしているのだろうか。金色の瞳は変わらず冷静に双葉ちゃんを見下ろしていた。

「よく考えろ。あの遺書は本物か? 本当に、大好きなお母さんが書いたのか?」

「……イヤ」

「逃げるな。怪盗団と話して、決心したんじゃなかったのか?」

怪盗団、という言葉を聞いて、悲痛な面持ちで口を開いた。壁画の絵が変わる。信号機、黒い車、それに飛び込む女性。目の当たりにして嘆くパレスの主。

「……私、ワガママ言った。旅行に行きたいって、わめいた。お母さんに迷惑かけて、怒られた……」

「そうだ」

「やっぱり、私が、お母さんを殺した。私が悪い子だったから、お母さんを悩ませて、嫌われた……」

「本当にそうか?」

「え?」

「よく思い出せ。目をそらすな。お前のワガママに、お母さんは何て言った?」

「『駄目』って怒られた」

「それだけだったか?」

また壁画の絵が変わった。女性に縋りつくようにして、パレスの主が何かを訴えている。表情に変化はないのに口調は必死さがあった。これが最初で最後の機会。双葉ちゃんもそれに応えようとしている。

「お母さん言ってた。『今は忙しいから駄目』、『認知研究を早く完成させなきゃいけない』」

「お前はどうした?」

「駄々こねた。『私より、研究が大事なんだ!』って。そしたら、怒られた……」

「そのあと、何と言われた? 言われたはずだ」

うう、と呻いていた声が止んだ。頭を押さえていた両手もゆっくりと降ろされていく。

「『もうすぐ、研究は終わるから、双葉の好きなところに連れて行くわ』『双葉、ずっとひとりにさせてごめんね』、『でも、本当に大事な研究だから、命を懸けても完成させなければいけないの、わかって』」

黒服の大人たちによって、双葉ちゃんの母親への認知が捻じ曲げられていた。研究者として没頭していたのは事実だったが、一人娘を放置し、愛していないわけではなかったのだ。

「お前は、嫌われていたのか?」

「違う……?」

呆然としながらも立ち上がり、もう一人の自分の言葉を受け入れた。歪んだ記憶が正されていく。

「あんな酷いこと、一度でも言われたか?」

「ない! 私がワガママ言ったときは怒られたけど、優しかった!」

「ならば、あの遺書は?」

「真っ赤な偽物だ!」

「お前は利用されたんだ。遺書を捏造し、死をなすりつけ、幼い心を傷つけ踏みにじった! 怒れ、クズみたいな大人を許すな!」

「私が自分自身と……お母さんの死と、ちゃんと向き合わなかったせい! なんで私、あんなこと言われなきゃならなかったの!」

今までとは違う強い眼差しで互いを見つめる。やっと見つけた真実に双葉ちゃんは怒りをあらわにした。その瞬間にパレスへと意識が戻る。わたしが支えなくても、双葉ちゃんは自分の力でしっかりと立ち上がった。

「わたしは、もう、歪んだ上っ面なんかには騙されない……他人の声にも惑わされない……自分の目と心を信じて、真実を見抜く」

「お前のせいで私は……! 今度は、お前が死ねッ!!」

歪んだ認知存在の怪物が背中の大きな羽で突風を巻き起こす。双葉ちゃんはずっと俯いて目を逸らしていたが、飛ばされそうになりながらも今度は真っすぐその存在を捕えていた。

「お前なんて、お母さんなわけない! 腐った大人の創った偽物だっ! ぜったいに、ぜったいに……許す、もんかっ!!」

双葉ちゃんの身体から金色の瞳の少女が現れ、その少女が光と共に姿を変える。緑色に幾何学模様が発光する、未確認飛行物体が双葉ちゃんの頭上で浮いていた。伸びてきた軟体生物の触手が双葉ちゃんの身体を掴み、取り込んでいく。

「お、おお……?」

戸惑う双葉ちゃんを呆然と見上げるしかなった。あれは、双葉ちゃんのペルソナ? 飛行物体の中から彼女の声が響き渡る。迷いのない、真っすぐな声だ。

「瀬那は下がってて! 暁、お願い、手伝って。あいつ、やっつける!」

双葉ちゃんの決意を聞き届け、暁くんは黒いコートを翻し怪物と向き合った。

「ああ、行くぞ!!」





双葉ちゃんは自分の世界であるパレス内の認知を操作し、辛くも怪物を撃退した。怪盗団を置き去りにして、わたしは双葉ちゃんに手を引かれて現実世界、彼女の部屋に帰還する。怪盗服であるゴーグルの下で泣いている顔を見られたくなかったのだろう。安心したのかわたしに抱きついて、膝から崩れ落ちた。

「……お母さん、笑ってた」

「うん……」

震える小さな身体を抱きしめながら、その言葉一つ一つに相づちをつく。

「あれが私の望んだのお母さんの姿だとしても……それでも……」

最後の言葉は小さく掠れて聞き取れなかった。双葉ちゃんは本当の母の記憶を思い出すことができた。改心させてもらったのではなく自身の力で掴みとった。怪物を倒したあとに現れた若葉さんが笑顔で、娘に大好きだ、と伝えて消えていったのだ。

「凄いです……双葉ちゃんは、強いですね」

宥めるために、小さな背を優しく撫でる。

「そんなこと、ない。瀬那が、いて、くれた……から……」

「……双葉ちゃん?」

「私……瀬那のこと……も……」

ずっしりと重くなった身体がわたしによしかかる。幾分か小さい体格なのに、意識がないため支え切れない。ベッドまで運ぶため立ち上がろうとした途端に、眩暈に襲われた。彼女を抱えたまま、ゆっくりとわたしも意識を失った。
(2019/4/7)

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