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ついに双葉ちゃんが目覚めないまま、Xデーを迎えた。渋谷中が怪盗団とメジエドという単語ばかりが飛び交い、流石に不安であまり眠れなかった。早めに目が覚め携帯を手に取ると、メッセージの受信を知らせるライトが明滅している。急いで開くと、待ち望んだ名前が表示されていた。
『おはよ』
またしても単語だけ。しかし、わたしは返信する時間も惜しく思い、手短に身支度を整えるとルブランへと走った。角を曲がればもう目的地だ。と、その角から小柄な明るい髪色の女の子がやってきた。今度こそ本当に、会えた。そう思った。
「……おはようございます、双葉ちゃん」
「そんな急いで来なくても良いのに……」
息が上がっているわたしを見て、女の子は申し訳なさそうに笑う。その仕草だけで胸がいっぱいになった。一緒に居たのは、暁くんとその鞄にはモルガナといういつも通りの二人で、これから佐倉家に行くと言う。メジエドの企みを止めるためだ。
「約束、守らないといけないからな」
「今日がXデーだ、フタバが起きてくれてよかったぜ」
「行くぞ、瀬那!」
わたしの返事を待たずに双葉ちゃんは自宅を目指す。今日の予定はないのでこのままついて行くのもいいが、問題は暁くんだった。以前感じた隔たりが気になって、迷ってしまう。
「早く来ーい! 二人と……一匹、置いてくぞ!」
微妙な距離のまま向かい合っていたが、双葉ちゃんの声を聞いて暁くんがわたしの隣まで歩いてくる。ちらりと見上げると優しく微笑んでくれた。
「行こう、双葉が待ってる」
「――はい」
あの違和感はきっと気のせいだ。そう思う事にしよう。暁くんがいつも通りにしているのだから、わたしもそれに従うのが正しい。
双葉ちゃんの部屋は相変わらず雑然としていて、カーテンも開けられた様子はなかった。あの時は気にならなかったが、溜めすぎたゴミから仄かに異臭がする気がする。座る場所もない。部屋の主は慣れているようで、モニタ前の椅子に座りこれからの行為に意気込み始めた。
「メジエド、許せん。どうやって料理しようか?」
両手指を器用にバラバラと動かし、不敵な笑みを浮かべる。そんな双葉ちゃんを横で見下ろしながら、暁くんは少し困った顔をしている。
「まあ、ほどほどに」
「なんだ、優しいな」
「殺しはしない主義だからな。それより、時間ねえけど間に合うんだろうな!?」
「にゃ、にゃんこがしゃべった!? ……夢?」
驚きすぎて椅子から落ちそうになっている。モルガナが話しているのを聞くのは初めてだったのを忘れていた。わたしはすんなりと受け入れてしまったので、新鮮な反応だった。
「向こうの世界でモルガナの声を聞くと、こちらにも影響するみたいです」
「これが『認知訶学』か……まさに摩訶不思議アドベンチャー」
「ワガハイのことはいいから、早くしてくれ!」
「わかったわかった、始めるぞ」
それからしばらくの間、双葉ちゃんの叩くキーボードの音だけが部屋に響き続けた。会話もなく、モルガナが不安に思って話しかけるも返事はない。こちらの声が聞こえないほどの殊勝な集中力に、モルガナは飽きれながらも感心したが、流石に我慢ならなくなったようだ。
「なあ、フタバ。オマエ、ちょっとは片づけろよ」
「……」
「聞いちゃいねえ……」
「多分、まだ掛かると思いますし、座るところもないので片づけます?」
「そうだな、立ちっぱなしで待ってるのはキツい」
「しょうがねえ。タイクツだし、そうしようぜ」
勝手知ったる他人の家、というわけで、道具を持ち出し、分担して掃除を始める。溜まった埃を払い、床を埋め尽くしていた切り抜きを纏め、積みあがったゴミ袋を外へ運んだ。床が見えなかった期間はもしかしたら年を跨いでいたかもしれない。暁くんが水拭きまでしてくれたので、わたしはシーツの洗濯もした。天気がいいので、寝る頃までには乾くだろう。しかし、いきなりカーテンまでは開けられず、空気の入れ替えは持ち越しになった。
「ふう……大分綺麗になったな」
「どうだ、フタバ、こっちは終わったぞ。そっちはまだか?」
「……」
「やっぱり聞こえてねえ……」
「待つしかないか」
「そうですね……」
他に椅子もないので、ベッドの真ん中に腰を下ろした暁くんにわたしも倣う。間をどのくらい空ければいいのか迷ったが、そこまで空間の余裕もなく、数秒立ちつくしてから結局出来るだけ端に座った。いつも通りと意識すればする程、余計なことを考えてしまい不自然な行動になる。こんなこと、今までなかったのに。横に並べなくなったモルガナがわたしを見上げて何か言いたげだったが、抱き上げて膝に乗せる。手持ち無沙汰をその喉元を撫でることで防いだ。
「猫じゃねーって言ってるだろ」
文句は言うものの気持ち良さそうだ。さて、あと何時間待てばいいのだろう。このまま会話もなく長時間過ごせるのだろうか。頼みの黒猫は早々に膝の上で丸くなってしまった。身体はこんなに小さいのに、とても温かい。部屋は暗く、機械音が一定間隔を刻み、眠気が襲ってきてもおかしくなかったが、妙な緊張感のせいか全くそんな気が起きない。無言のまま続く息苦しい空間に、先に帰らせてもらおうか悩んでいたとき、不意に左肩が重くなった。
「――っ!?」
吃驚して声がでない。視界の端に映る黒髪の猫毛がわたしの頬をくすぐるのは、暁くんが寄り掛かっているから。心臓が一気に騒ぎだし、双葉ちゃんに気づかれるかと思うほど煩く感じた。
どうしていつも通りでいられるのかわからない。あの時、彼の方から壁を作ったのは確かなのに。それ以上に自分が動揺している理由もわからない。花火を見に行った夜、隣合っていもこんなことはなかった。それを思い出すと同時に翌日の出来事も蘇り、さらに思考が追い付かなくなる。
誰も見ていないからといって感情の調整が出来ていないとは、わたしらしくない。暁くんに会ってからの日々は非日常なのだ。自身が何なのか忘れてはいけない。
瞳を閉じて、じっと双葉ちゃんの作業が終わるのを待った。そのままわたしも眠ることが出来たならどんなによかったか。
「終わったー!!」
双葉ちゃんの声に暁くんとモルガナが飛び起きる。やっと姿勢が崩せるようになり一息ついた。
「なんだ! 何が終わったんだ?」
膝の上で慌てるモルガナを宥めながらちらりと隣を見ると、呆然としている暁くんと目が合う。途端に彼は口元を押さえて視線を逸らした。わたしの方が背が低いので、首でも痛めたのだろうか。
「……大丈夫、です?」
「うん、ごめん……その……重かった、よね」
「いえ、わたしは全然……」
お互いぎこちないやり取りで会話が続かない。そんな中、またしても驚きの声が発せられた。主は双葉ちゃんだ。床を見てから、座ったまま椅子を回して室内をぐるっと見渡す。
「キレイになってる! なんで?」
「ごめんなさい、勝手に掃除してしまいました」
「終わったってことは、メジエドは片付いたのか?」
「片づけたら、部屋が片付いた! よし!」
質問は簡潔に返され、こちらも会話と言えるか疑わしい。そしてやり切った顔をし、双葉ちゃんは背中に当てていた猫型のクッションをデスクに置くと、突っ伏してしまった。
「え、双葉ちゃん?」
「……寝た?」
微かな寝息が聞こえる。やっと起きたと思ったら、また寝てしまったらしい。頭を使うと確かに疲れるが、寝つきが良すぎるにも程がある。ゆっくりと話をするのはまた今後の機会になった。今ならまだ時間に猶予がある。
「よく分からんが片付いたらしいな。ワガハイたちも帰って寝るとするか……」
「そうですね、では……また」
「瀬那、待って」
モルガナを膝からベッドに下ろして立ち上がると、彼の手がわたしに向かって伸びるのが見えて、咄嗟に腕を引いた。行き場を失った手が宙をさ迷う。あからさまな拒絶。こんなこと二度目はないと思っていたのに。
「一人で帰れます、大丈夫です」
顔を見ることができず、挨拶も会釈だけで済ませ、速足で佐倉家の玄関へ向かった。どうして普通に出来ないのだ。むしろ普通とはどういうものだっただろう。わからない、わからない。どこに仮面を落としてしまったのだ。早く見つけなければ。
(2019/4/27)
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