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今日のわたしの予定は午後からアルバイトだ。それなのに、午前中の現在、渋谷にいる。理由は水着を買うためだ。昨日、双葉ちゃんに海に行くのを断ったばかりなのに何故こんなことになったのかというと、高巻さんに却下されたから、である。去り際に双葉ちゃんに言われた、瀬那が行かないなら自分も海に行かない、というのが皆にも伝わったため、わたしがどうして行かないのか直接聞きたいのだと言う。待ち合わせ時間に早く来てしまう自分の性質は変えられない。
やってきたのは高巻さんと新島さんだ。双葉ちゃんの水着を買いに来たのかと思ったら、自分たちの分も買うらしい。あと、わたしの分も。いきなりの人混みは辛いだろう、ということで双葉ちゃんはお留守番だそうだ。わたしの都合もあるため、水着を選びながら件の話をすることになった。
目的の特設会場はそれなりに込み合っている。青、黄、赤、花柄や幾何学模様などの色々なデザインがハンガーに敷き詰められているが、どれも露出が高く心許ないものばかりだ。手の届く範囲の気になるものを手に取りながら、早々に本題に移っていく。

「急に誘ってごめん、だけど……何で行かないの?」

「御守さん、来てくれないと双葉も行かないって言い出しちゃって、せめて理由を聞かせて欲しいのよ」

責めるような口調ではないので、不思議な感覚だった。あまりにも強引に拒否をしたため、不審に思われているのだ。ここに来た時点で理由を話すと決めていたので、淡々と口を開く。

「わたしは行かない方がいいと思うんです」

「誰に何か言われたの?」

「いいえ、そうではなくて」

じゃあ何なのだ? という顔で二人の頭に疑問符が浮かんでいる。

「暁くんの気分を害してしまったようなので、わたしが行ってはきっと楽しめないと思うんです」

高巻さんが水着を物色する手を止めて、眉間に皺を寄せ。長い指を添えた。心なしか低いうなり声が聞こえる。わたしの言葉を飲み込もうとしても、呑み込めないようだ。

「……ちょっと待って、よくわかんないんだけど」

「とりあえず、暁をシメればいいのかしら?」

「違います。わたしが悪いんです」

拳を作って今にも戦いを挑むかのような新島さんを慌てて止める。イセカイの中で武器を持たずに戦ってるのだから、流石の暁くんも彼女に手を出されては無事では済まなそうだ。背後から肩を捕まれ反転させられると、高巻さんが険しい顔でわたしを見ていた。どうやら彼女も怒らせてしまったらしい。

「何かしたって、何したの?」

「わかりません」

「わかんないのに、瀬那が悪いの?」

「はい」

「それで、暁に嫌われたってこと?」

「……はい」

あの隔たりの意味はそれ以外考えられない。だから避けらている……、いや、避けているのはわたしの方かもしれない。彼から決定的な言葉を聞きたくなかったから。受け答えをしていて改めて他人の反応に怯える自分を痛感していた。すると、そのまま高巻さんがぐっと顔を寄せる。

「あのね、暁が瀬那のこと、嫌いなるなんて絶対ないから」

「そうでしょうか」

「うん、なんなら瀬那のこと一番よく見てんの、暁だからね」

確かによく目が合う気がする。初めて金城に会った日の夜、わたしの変化に気づいたのも暁くんだった。それでも、絶対、なんて信じることが出来ないのは、自分が歪んでしまっているからだろうか。
『素敵なお養父さんだもの、絶対幸せになれるわ』、『あのお養父さんなら、あなたのことを絶対大切にしてくれるからね』。本当に、そうだろうか。
素直に首を縦に振らないことに苛ついてか、徐々に声に熱が宿っていく。

「向こうに着いてきてもらったとき危険がないように近くにいたし、拉致されたときだってすっごい顔してもの凄い速さで戦って帰ってったんだから」

両手で眉尻を上げ、さらに眉間に皺を寄せて大袈裟に表情を真似してみせてくれた。どうやら怒っていた、ということを表現してくれているらしい。早口でまくし立てる彼女の話を、急に新島さんが焦ったように割って入った。

「ちょっと杏、待って――」

「いい、真。瀬那って鈍感だから、ちゃんと言ってあげないとわかんないの」

鈍感、初めて言われた。観察するのは得意、そう思っていたのに。過大評価していただけなのかもしれない。そしてあの新島さんが押されている。ぐいぐいと高巻さんに追い詰められ、通路の両側に掛けられている水着によって退路を断たれていた。

「だからって、全部言っちゃうのはマズイでしょ……」

「そんなこと言ってたらずっとこのままだよ? そんなのイヤ、瀬那も暁も友達だもん」

「ああ……そうね、友達、ね」

何故かその単語を意味ありげに繰り返した。しかし、珍しいものを見ることができて少し気が楽になる。わたしは未だに距離感がわからないのだ。友達と言ってもらえる人は初めてだし、何処かへ出かけるのも、こうやって買い物をするのも、全てが初めてだ。何が正しくて、間違っていて、そもそも正解があるものなのだろうか。わからないものは不安でしかない。もうこれ以上考えたくなかった。

「いいんです。もう、これで……」

一度は受け止めてくれると信じたはずなのに。距離が近づくにつれて恐怖心が湧いてくる。いずれ離れることが決まっているのに、それに耐えられなくなるかもしれないという恐怖。暁くんに会う度に仮面が剥がされていくのが怖い。だから、これでいい。これが正しい距離感なのだ。

「いくない! そんな顔しといていいわけない!」

一際大きな声が騒がしい店内に響く。長く細い人差し指がわたしの額を軽く弾いた。全く痛みはなかったけれど、触れられた場所に手を添えてしまう。見上げると青い綺麗な瞳にわたしの虚ろな顔が映っていた。

「てか、あんま避けてると、どんどん話しにくくなるよ? 本当にそれでいいの? 後悔、しない?」

わからない。はじめてのことなのだから、経験を元に行動をすることさえできない。

「私は、後悔したよ。ちゃんと話せばよかったって……話し合ってれば、何か違ったのかなって」

「杏……」

上がっていた肩が語尾と共に下がっていく。今にも泣きそうな顔に、励ますためか新島さんが優しく彼女の背に触れた。

「そうね……杏の言う通りだと思うわ。二十九日までにちゃんと話しておくこと、わかった?」

日付までも指定されてしまい、結局は二人によって説得するはずがされてしまった。頷く以外に解放される術はなさそうだ。話す、と簡単に言うが、それが難しい。切り出し方もそうだし、暁くんが付き合ってくれるだろうか。気が重い。そして二十九日は双葉ちゃんにも予定を聞かれたはず、確か、皆で海に行く日だ。
よし、と言って高巻さんは両頬を軽く叩いて落ち込んだ気分を吹き飛ばし、無理やり空気を変える。にっこり笑ってわたしに肩をぽんっと手を置いた

「ってことで、瀬那の水着も選ばなきゃね」

「え、まだ行くとは――」

「行くでしょ!」

まだ暁くんとのことも解決していないのに。わたしを置き去りにして、二人は再び水着を物色し始める。新島さんの手には鮮やかな水色の上下が分かれている水着があった。

「じゃあこれなんてどうかしら」

「いえ、お腹が開いているのは、ちょっと」

とてもじゃないが着られない。腰周りは見せられないのだ。わたしの言葉に高巻さんは唇を尖らせながら残念そうに身体を揺らす。

「えー、せっかくの十代なんだから出していこうよ」

「もう少し布面積が多いのでお願いします……」

自分で選べるだけまだいいかもしれない。双葉ちゃんは問答無用であのタイプの水着を着せられそうだ。上品なものよりも、元気で明るい感じの方が似合いそうだ。きっと可愛いだろうな、と目先の問題から逃げるように思考から追いやった。
(2019/5/19)

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