51


水面に反射した夕日を喜多川くんがいつもの格好で目に焼き付けている。綺麗だけれど切なくなるのは、皆と一緒に過ごした今日一日が終わろうとしているからだ。あんなに人で溢れかえっていた砂浜はもうまばらになってる。
一応課題としていた、双葉ちゃんの人混みに慣れることも問題なく終われたので、目的は達成した。新島さんの一声でわたしたちも帰り支度を始めることになったのだが、波打ち際でこちらに背を向けて立っている双葉ちゃんが急にしゃがみ込んだ。具合でも悪くなったのかと、隣に屈むと重々しい表情で遠くを見つめていた。

「私ね……ずっと、お母さんが死んだのは自分のせいだと思ってた」

それは懺悔のようだった。悲しみを吐き出し、聞いている方も同じ気持ちを錯覚してしまう。

「みんな、『私が殺した』って言うから、私が人殺しだって見られてた。だがら、この世界が嫌いになって、殻に閉じこもって耳を塞いだ」

部屋から出られなくなったのは、そういうことだったのか。わたしの反対に位置している暁くんも心配そうな顔で見下ろしている。

「私、願ってた。お母さんが生き返ればいいのにって。全部夢だったらいいのにって。私……お母さんが好きだった。お母さんみたいになりたかった」

泣きそうな顔だったがそれも一瞬だけ。前を見据えて立ち上がり、怪盗団へ振り返った。わたしも膝に付いた砂を払い皆と目線を合わせる。

「認知する世界は欲望によって歪んでしまう。その世界が歪むと、現実で問題行動を取るようになる。認知世界の核を取り除くと、その世界は消えて、問題行動も収まる。お母さんのノートに書いてあった。意味わかんなかったけど、実際、自分がそうなったことで理解できた」

「異世界! 知ってたのか」

若葉さんの研究である認知訶学は、本当に怪盗団が行っていたパレスでの改心、そのままだった。モルガナが驚きの声を上げるのも無理はない。

「私、お母さんのことばっかり考えた。気が付いたら、認知の迷宮に囚われてた。出られなくなっちゃってた。自分ではどうしようもできなくなってた」

「だから心を盗めって? 色々、飛躍しすぎだろ!」

「心を盗む怪盗の噂、最初は信じてなかった。でも偶然、聞こえてきた。すぐ近くに怪盗がいた」

「やはりルブランを盗聴していたんですね。でも、どうしてです?」

「瀬那にはバレてたか……そうじろうがしっかり働いてるか、監視しておかないといけないからな」

「悪趣味な奴……」

実際の所、外界との関係を完全に断ち切ることができず、監視ではなく、自分を養っている惣治郎さんを心配していたのかもしれない。いずれにせわたしの憶測であって、坂本くんの感想も最もだった。

「心を盗んだって話。聞いてて飛び上がるほど嬉しかった。怪盗なら、私の心を治せるかもしれないって」

「最初からそう言ってくれれば良かったのに……」

「杏は簡単に言うけど、いきなり頼んだら怪しまれるかもだし、そもそも悪い奴かもしれない。まあ、瀬那が一緒に居たから、それはないと思ったけど……念のため慎重に接触した」

「ええ、随分と振り回されたわ」

佐倉家に忍び込んだことや、驚かされたこと……、新島さんが思い出すように呟いた。わたしが知っていること以外にも色々あったようだ。

「でも双葉、マスターと瀬那以外とは、長い間、誰とも話してなかったんだよね? 怪盗団に連絡取るのは、かなり勇気がいったんじゃない?」

「……理由は、三つある。一つは、メジエドの挑発。怪盗団が情けなくてムカついてた。解散されたら、困ったし……」

「俺たちには手が出せない相手だったからな、アリババは頼みの綱だった」

アリババが接触してくれなかったら、今頃どうなっていただろう。怪盗団が解散していたのは確定事項だ。

「二つ目は、瀬那がメジエドの件ですぐに連絡をくれたから……もう、心配させたくなかった」

決まりが悪いのかわたしと視線が交わらない。勝手にやっていたことが迷惑ではなく、双葉ちゃんの背中を押すことができた。

「三つ目は、ルブランの盗聴で聞こえてきたこと。そうじろうが、私を虐待してるって責められて、お母さんのことを吐けなんて脅されてて……悲しくて、苦しかった。そうじろう、助けなきゃ、なんとかしなきゃって、思った」

「捏造もいいとこだよな」

それを言っていたのは新島さんの姉である女検事さんだ。坂本くんの口調からはそのことを知らなさそうだ。彼女はどちらの事情も知っているため複雑な表情をしていた。

「でも、怪盗団……私のために、あんな危険を冒してくれてるとは思わなかった。二人以外にもこんなに心配してくれてるって思わなかった。疑うような真似してゴメンな」

「私たちのこと、信じてもらえた?」

「うん。だから頼みがある。私を仲間に入れてくれ」

「入れるも何も、もう仲間だろ?」

わたしのときもあっけらかんとして同じことを言っていた。坂本くんの明るさは時に救われるときもある。双葉ちゃんは一度首を振ると、その内をしっかりと主張する。

「正直に言う。私、改心とか目的じゃない。お母さんのことが知りたい。ノートに書いてあったんだ。認知世界にいる自分が死んでしまうと、現実の自分まで意識不明なるって……」

「廃人化、か」

「あまり考えたくないけど、もしかして、双葉のお母さんは……」

殺された、のだろうか。認知訶学を、彼女自身の研究を利用して。本当にそうなら、研究を知っている人間がいることになる。認知訶学、廃人化、ノート……何故だろう、引っかかる。

「わからない。でも、死ぬ直前のお母さん、様子がおかしかった」

「どんな風に?」

「話しかけても、返事してくれなかった。道路に向かって、飛び込むというより、倒れこむ感じで……。それで、ノートのこと、本当かもしれないって思って、調べた。本を読んだり、ネットに公開されている論文を調べたり……色んな研究所のネットワークに忍び込んで秘密のデータも見た」

「それでハッキング……どんな頭してんだよ」

多分、双葉ちゃんとわたしが出会ったのはその頃だ。まだメジエドと名乗っていた時。

「でも、何もわからなかった。お母さんの研究はどこにも見つからなくて、無かったことにされた。きっと、偽物の遺書を読んだ黒い服の大人に……アイツら、ぜったい、許さない」

「双葉……」

「みんなと一緒なら、あの世界のことがわかる。そしたら、いつか、黒い服の大人に繋がる気がする。怪盗団に入りたいのは、超個人的な理由だ。……ダメか? 足手まといか?」

恐れることなく暁くんを見上げていた。既に怪盗団としては坂本くんが答えている。

「そんなことない、今度ともよろしく、双葉」

安心したのか、二人で微笑あった。横から坂本くんが猫相手にからかい始める。

「むしろ頼もしいぐらいだ。な、モナ?」

「なんでワガハイを見る? 力不足とでも言いたいのか?」

「実際、お前より役に立ってたじゃねえか」

「オイ、聞き捨てならないぞ!」

せっかく怪盗団が増えたのに、これでは台無しだ。モルガナを胸に抱えて、坂本くんと引き離した。暴れるので少しきつめに抱きしめると、おお? と、呻いて大人しくなる。

「喧嘩は止めてください。モルガナだっていつも助けてくれています、そんなこと言わないでください」

「そ、そうだぞ! セナはわかってるなあ」

「……モルガナ、帰ったら話、あるから」

「お、怒んなって、不可抗力だ!」

暁くんの声に怯えて、腕から飛び降りたモルガナは、高巻さんの足元へと逃げて行った。苦笑しながら、彼女は双葉ちゃんに向き合った。

「こんな怪盗団だけど、改めてよろしくね」

「ありがとう、……あと、瀬那」

「はい?」

「瀬那が側にいてくれたから、頑張れた。ルブランに来てくれてたのも、私のため、だろ? ありがとう、昔も、今も一緒にいてくれて」

「……わたしも、双葉ちゃんとあの日出会えなければ、今こうしてここにはいません。夢のような日々を過ごせているのは、双葉ちゃんのおかげです。……ありがとうございました」

駆け寄ってきた双葉ちゃんに抱きしめられる。小さな背に手を回し、優しく撫でた。やっと言えた。これで思い残すことはない。さようなら、は言えないから、これだけは言いたかった。身体を離すと、にっこりと双葉ちゃんは笑っていた。

「不束者だが、これからも末永くよろしくな!」

「……それは嫁ぐときの挨拶よ、双葉」




帰りの電車では疲れ切ってうたた寝している人もいた。双葉ちゃんに促されて、彼女と暁くんに挟まれた席に座らされていた。双葉ちゃんはわたしに寄りかかって寝ている。

「楽しかったな」

起こさないように小声で話しかけられる。顔だけ動かすと、眼鏡をつけた暁くんも眠そうな顔をしていた。気の抜けた顔に頬が緩む。思いのほか楽しんでいたのも事実だ。色んなことを忘れてしまうくらいに。

「ふふ、そうですね」

「また行こう」

「…………そう、ですね」

また。その言葉は叶えられない。わたしに夏はもう来ないから。正直に断ることが出来ずに、曖昧に答える。それ以上、会話は何もなかった。
(2019/6/15)

prev / back / next