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纏めきれないくらいの出来事があった夏休みは今日が最終日。課題もこなし、アルバイトも入れずに決めていた通りルブランでゆっくり過ごしている。開店前から訪れたわたしに惣治郎さんは呆れながらも笑っていた。曰く、物好き、らしい。
テレビは相変わらず怪盗団の話ばかりで、メジエドを屈服させた影響か、世界でも義賊やらダークヒーローと呼ばれ取り沙汰されているそうだ。最も双葉ちゃんが言うには本物ではなかったようだが。
昼は暑いせいか客の入りも芳しくない。そんな中来店したのは双葉ちゃんだった。

「おっす、瀬那。今日の予定は何かあるかな?」

「今日はお邪魔でなければ、一日ルブランです」

「だって、そうじろう」

「そんじゃあ、暁呼ぶか」

出入口から動かずにいた双葉ちゃんは、そのまま看板をひっくり返してしまった。店を閉めるにはまだ早すぎる。流れに付いていけず戸惑うばかりだ。

「おーい、ちょっと話がある。降りてこい」

「降りてこーい!」

自室で過ごしていた暁くんがモルガナを足元に引き連れて降りてきた。来ているのが双葉ちゃんだけなのに呼ばれたので、彼もわたしと同じように戸惑っている。

「少し早いが昼メシ食いに行くぞ」

留守番はいいから出掛けてくる、という意味だと思った。わざわざ双葉ちゃんが来て店を閉める理由なんて、そうそうない。思考が同じだと、出てくる言葉もやはり同じだ。

「「いってらっしゃい」」

二人でそう答えると、惣治郎さんは笑う。

「何言ってんだ、みんなで行くんだよ」

みんな?  暁くんと顔を見合わせると、あちらも小首を傾げたままだった。

「双葉が外出られるようになったし、お前たちは夏休み最後だしな」

「私の希望で寿司になった。ありがたく思え」

「寿司だと! ワガハイも連れてけよ!」

そういえば、双葉ちゃんの家に乗り込んだ日、惣治郎さんへの手土産としてモルガナの寿司折を代用したのだっけ。結局モルガナはずっとお寿司を食べられていないことになる。こうなるのも無理はない。というか、みんな、というのはわたしも入っていることに今更ながら気がついた。

「ニャーニャーうるせえな?」

「行きたいらしいです」

「猫は無理だぞ。追い出されるだろ」

飲食店は普通そうだろう。アルバイト先も特別な理由がなければお断りしている。しかし、あまりにも騒ぐので惣治郎さんが折れた。

「……まあ可哀想だから、寿司折、買ってきてやるか」

「心が通じてるぜっ!」

中トロ、大トロ、イクラと穴子……次々と注文を付ける。メモってけ、と自分から言うように覚えるのも大変だ。そんなに沢山、購入できるだろうか。




双葉ちゃんの希望とは銀座にある寿司屋、そう、高級店。学生の身分で入るのは気が引ける店構えだった。カウンターしかない席に四人で並ぶ。惣治郎さんが注文してくれたものは、まさにモルガナが要望していたものばかりだった。

「どうだ、旨いか?」

「ふはひ!」

「そんなにがっつくな。誰も取らねえよ」

無我夢中で頬張り、話をする時間も惜しいようだ。そして上手く飲み込めなくなる。

「いわんこっちゃねえ……お茶飲め、お茶」

惣治郎さんに手渡された湯呑みを一気に飲み干し席を立つ。

「ほひへ!」

「トイレか? トイレはあっちだ」

落ち着く暇がない食べ方だ。それだけ美味しいのか、はたまた出掛けられたことが嬉しいのか。忙しい奴だな、と惣治郎さんは娘の作法に呆れるばかりだったが、ふと、慈しむような微笑みを浮かべた。

「昔は、よくアイツの母親と三人で飯を食いに行ったもんだ……。懐かしいな……そんな事があったことすら忘れてたよ……」

「今日は、連れてきてくれてありがとうございます」

「気にすんな」

暁くんの言葉に合わせて、わたしも頭を下げた。双葉ちゃんの実母である若葉さんとは昔馴染みだったと聞いている。それも双葉ちゃんが産まれる前から。大切な人の大切な娘なのだ。その娘が戻ってくるとしんみりした空気は何処かへ飛んでいってしまった。

「危なかった……死ぬかと思った! さて、仕切り直すか」

「ん? まだ食うのか?」

「もう、おなかいっぱい。お手上げだ!」

「どっちだよ……」

ため息をついて、全員が食べ終わったことを確認すると席を立つ。

「ちょっと便所行って、会計してくるわ。大将、お勘定」

「あいよ!」

威勢のいい声がし、惣治郎さんはそちらへと向かった。

「中学の入学祝いで、お母さんとそうじろうとお寿司を食べにきたことがあるんだ。あのお寿司、美味しかった……」

湯呑みの中身を見つめながら、双葉ちゃんも若葉さんのことを思い出していた。今の佐倉家にとって忘れられない人なのだ。惣治郎さんの横顔と重なる。

「今日のもなかなかだったぞ。また四人で来たいな」

「そうだな」

きっと来ることはできる、三人で。同じ食べ物ではなくても、今日と同じで、きっと美味しい。きっと。その光景を想像できるから。

「じゅ、じゅうろくまん!? うそだろ!?」

「……そうすぐには来られなさそうです」

「寿司折も無理そうだね」

「モナ、楽しみにしてたのにな」

この状況で猫の分までなんて我が儘は言えない。あまり高いのは無理だけれど、わたしが買って行こう。それくらいなら失礼にもならないはずだ。




「そうじろー、美味しかったー」

「そりゃよかった、俺の財布は軽くなったよ」

わたしたちの前を佐倉家の二人が並んで歩く。少しからかわれているにも関わらず惣治郎さんは嬉しそうで、暁くんと静かに眺めていた。血の繋がりがないようには見えない。そんなもの、関係がないのだ。本当に大切なものは互いを思いやる気持ちなのかもしれない。欲しくても、欲しくても、一生手に入らないからこそ、輝いて見えた。

「……よかった」

「ん?」

「家族の温かさを知れて、よかったです。取り戻せて、よかった……」

勝手に出た言葉だった。ただのひとり言。そこに自分の居場所がなくてもいい。望むものはそれではなかったのだから。
強く握りしてめていた掌が解かれ、大きな手で覆われた。包み込むようにわたしの手を握ると、暁くんは前を見たまま歩き続ける。幸い惣治郎さんたちは後ろを向くことはなく、気づく様子もなかった。

「なんか消えそうだったから」

「ふふ、ちゃんとここに居ます」

「そうじゃなくて……」

不服そうに瞼を下ろす。何となく言いたいことは理解できた。目的が達成できた今、黙って消えてしまうのではないか、という危惧。笑って誤魔化してはみたものの、彼の体温が確かにわたしをここ繋ぎ止めている。これはわたしのものであってはならない、振りほどかなければならない。その命令処理すらままならなかった。

「もう、こうやって歩くことなんて、ないと、思っていました」

繋がれた手に少しだけ力を込めた。そうすると、同じ分だけ返ってくる。むず痒い感覚、恥ずかしいけれど……嬉しい。駅に着くまでの短い間、彼は離すことはしなかった。
ルブランの前で双葉ちゃんたちと別れ、モルガナに寿司折を渡すために暁くんと店内へ入る。一階で待機していたらしい黒猫が、期待で胸いっぱいと言った顔で駆け寄ってきた。

「お帰り! 待ってたぜ〜!」

「ただいま」

「おお、それが夢にまで見た中トロ! 大トロ!」

彼が持っている手土産を見上げて瞳を輝かせている。学生の身で購入したのだ、そんな大層なものではない。

「ごめんなさい、あんまり豪勢なものは買えませんでした」

「瀬那が買ってくれたんだ」

「暁くんも出してくれましたよ」

「マジか……ありがとな!」

二階に上がり、暁くんがソファに座って机の上に寿司折を広げた。モルガナの歓声が上がり、舌鼓を打ち始める。少々高価だったが買ってきてよかった。モルガナにもお世話になっているのだから、蔑ろになんてできない。
隣に腰かけて、なんともなしに二人を眺める。それだけでこちらまで安心感を錯覚してしまうのは、見えない絆があるからなのかもしれない。

「眠たそうだね」

「連日騒ぎすぎました……高校生にもなって」

恥ずかしい。それは一般論なのか、教えられたことなのか。どちらでもいいか。実際のところ、そこまで深刻に思ってはいなかった。それよりも頭が重たくて仕方がなく、腕を枕にして机に伏せる。

「いいんじゃない、それだけ楽しかったってことだから。俺も、こんな身でこんなに楽しめると思わなかった」

声がだんだんと落ちていく。そうだ、彼は保護観察中。本来ならば楽しめるような状況ではなかった。泣いていたりはしないだろうか。余計な心配だと思ったけれど目線を上げると、暁くんは微笑んでわたしの頭を撫でてくれた。優しくて、温かい。

「二学期から、朝一緒に行かないか?」

「……わたしと、です?」

「他に誰かいる?」

確かに今ここにいるのは暁くんとモルガナとわたしの三人だけだ。でもどうして急に。

「まあ、渋谷までだけど」

「ルブランで待っていたらいいです?」

「あー……いや、通りの角のところで」

黒い前髪に触れ視線を泳がせている。柔らかそうだ。モルガナとどっちが気持ちいいだろうと、了承しながら瞳を開けている時間が徐々に短くなっていく。

「ベッド、使わしてやったらどうだ?」

「え…………?」

いい考えだとばかりに寿司から顔を離してモルガナが提案する。それを理解するまでしばらくの間、暁くんの動きが止まっていた。

「えっと、嫌じゃ、なければ」

「ワガハイが許すぞ」

「……ありがとう」

以前にも借りたことがあるのだ。嫌なわけがない。どちらかというと、落ち着く。今回はきちんと了承を得られたため、お言葉に甘えて少し寝かせてもらうことにした。靴を脱いで横になると一気に深みへと引きずり込まそうだ。すぐ隣に誰かが来た気配を感じたが瞼を上げずにいると、素肌が晒されていた足元に何かを掛けられ、再び髪を梳かれるように撫でられた。安心できる温もりと匂いに、わたしは眠りに誘われていくのだった。





冷たい空気、薄暗い牢獄、重たい枷。ここは夢の中なのだろうか。訪れる度に頭がはっきりとしている。鉄格子の向こうには、やはり誰かが椅子に座っていた。指で机を叩く音が規則正しい感覚で響き渡っているのだ。

「……あなたは、誰?」

初めて声が出た。前に訊けなかった問。わたしの声が届いたのか、机を叩く音が止んだ。静寂が耳に痛い。

「我は汝……汝は我……。汝、既に契りを得たり。契りは即ち、囚われを許容する鏡なり……」

低音のよく通る声が聞こえた。未だに椅子の背しか見ることができない。この人がわたしで、わたしがこの人?

「これより、物語が大きく動くことになるだろう」

「物語とは、なんです? 何を……言っているんですか?」

「……期待しているよ」

質問には一切答えない。ただその声色は必要以上に優しく、恐ろしかった。
(2019/6/30)

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