54
もうその日しかないと思った。逃せば修学旅行で暫く会えなくなるし、次のターゲットが決まっていない今なら自由に動ける時間もある。ゲームを利用したのは自分でもどうかと思うが、ストレートに誘えるほどの度胸がなかった。手を繋ぐことはできるというのに、おかしな話だ。
行く場所は決めてある、つい最近雑誌で見たところ。あとは登校時に瀬那の予定を聞くだけだ。
「日曜日は空いています」
瀬那の家まで迎えに行くと伝える。惣治郎さんに何か言われることもないし、もちろんモルガナは留守番だ。
「楽しみにしてますね」
こんな約束で夜眠れなくなりそうだなんて、小学生みたいだ。
青空の広がるいい天気の日曜日、時間よりも少し早めに迎えに来たとメッセージで知らせる。すると、玄関扉から瀬那が顔を見せた。アパートの下で待っていた俺のところまで小走りで掛けてくる。膝丈のチェックのワンピースを翻しながら。
「迎えに来てくださってありがとうございます」
ワンピースの下に白のインナー、黒のアンクルストラップヒールという秋を思わせる装い。休日なのだから制服ではないという当たり前のことに、改めてデートという実感が湧いてくる。いや……付き合ってもいないし、そもそもデートとして誘っていないのだった。期待が落胆に変わる。落ち着け、まだ始まったばかりじゃないか。外していた視線を戻すと、俺よりも頭一つ分くらい小さい瀬那が大きな瞳で見上げている。長い髪がいつもよりふわふわして見えるのは、俺の気持ちの問題かもしれない。
「今日、眼鏡してないんですね」
「うん……ちゃんと見たくて」
「度が入ってないのに、大変なんですね」
そうじゃないんだが、彼女にはこういうことは通じない。今はその方がいい。バレてしまうとまずいことばかりだ。
「今日は何処に付き合えばいいです?」
「お楽しみってことで」
「では、付いていきます」
言葉通りに半歩後ろにつれだって、辿り着いたのは池袋にあるプラネタリウム。休日のため同じように男女で来ている客が多く、案の定一般席しか空いていなかった。そういうのはまだ先でいい、……先ってなんだ。
シアターの中に入ると、瀬那が小さな感嘆の声を上げた。花火大会や海にすら行ったことがないのだから、プラネタリウムなんて初めてだろう。俺も同じだが、何となくは理解しているつもりなので、ここまでの反応をすることはない。
「大きな機械……」
「あれで星を天井に映すんだ」
「それで円形なんですね」
何と比べているのかはわからないが、きょろきょろと観察しているようだ。声には出さないが全ての物事に対して瞳の奥を輝かせていた。転ばないように足元を気を付けてもらいながら、チケットに書いてある席を探して座る。間にある肘置きが邪魔だと感じる日が来るとは思わなかった。
「どうやって上を観るんです?」
「ああ、背もたれが倒れるんだ」
手で押して試しに見せてみると、数回瞬きしてから深く腰掛けて背もたれと一緒に後ろへと倒れてみせた。
「……いい寝心地です」
「寝ちゃだめだよ」
「そんなことしません」
少し拗ねたように言うと、口元を隠して微笑んだ。初めて会ったときと全然違う。ちゃんと瞳が笑っているなんて、以前ならほとんど見ることが出来なかったものだ。今は怪盗団のみんなにも普通に声をあげて笑ったりもする。仲良くなるのは当然いいことだけど、俺だけの特権ではなくなったわけだ。
上映時間のためドーム全体が薄暗くなる。不意に袖を引っ張られた。見ると瀬那が座席の端、俺の方へ寄っていた。暗いところが苦手なのか? 俺の部屋で待っていたときも暗かったが怯えてはいなかったはずだ。しかし、初めて惣治郎さんの家に入ったときもこうやって祐介を掴んで……いや、あれは祐介の腕に強く抱きついていた気が……今は深く考えるのは止めよう。瀬那の不安を取り除いてあげないと、せっかく来たのに楽しめないのは嫌だ。
「怖い?」
「少しだけ……でも、大丈夫です」
「……はい」
二人を隔てるそれに掌を広げて置く。誰かに触れることで落ち着けるなら、こんなにも容易いことはない。俺の顔とを見比べて、おずおずと袖を掴んでいた手を伸ばす。重ねられたそれは小さく、冷たかった。
中央の機械が動き出し、天井に数億個の星が映し出された。夏の星座と神話をナレーションが読み上げ、流星群が続き、数えきれないほどの星が頭上を流れていく。
『願い事を三回唱えれば叶うと言われています。この機会に試してみてはいかがでしょうか』
由来は諸説あるらしいが、本当なのだろうか。隣を盗み見れば唇をきゅっと結んで、食い入るように見つめる姿があった。彼女の瞳に流れ落ちる星々が反射して輝く様は、綺麗なのに悲し気で、隣にいるのに気がついたら消えてしまうのではないかとただ不安になるのだ。
「すごく綺麗でした」
近くで軽く昼食を取りながら改めて瀬那が感想を口にする。
「よかった、瀬那に楽しんでもらえて」
「暁くんもこういう鑑賞みたいなところ、好きなんですね」
「まあね、でも一人では行きにくくてさ」
これは半分嘘だ。興味はあっても一人で行く気なんて最初からない。デートスポットというものを多分瀬那は知らないのだろう。あの表情は気がかりだけど、楽しんでくれた、のかな。
「行ってみたいところってある?」
「今日は暁くんに付き合う日ですよ」
「瀬那の行きたいところに行ってみたい」
「それなら、暁くんがいつも行っているところがいいです」
俺の、か。基本ルブランから秀尽に行く毎日。渋谷が多いが、それは瀬那も同じだ。せっかくなら彼女があまり行かない場所の方がいいだろう。そう考えると秋葉原あたりがいいかな。休日で人は多いだろうけど、瀬那にとっては目新しいものばかりで楽しめそうだ。次の目的地が決まり、空腹も満たされ、いざ秋葉原に向かった。
「渋谷に負けないくらいの人混みです……」
「こっちはサブカルチャーとか目当ての人だから、ターゲット層が違うんだと思う」
「さぶかるちゃー……メイドさんがいます」
「そういう喫茶店があるんだ」
「そういう……どういう?」
「俺もよくわからない」
秋葉原のメイド喫茶にはまだ行ったことはない。出張サービスは受けたことはあるけど、あれは学校に秘密で副業をしている担任の川上先生の話を聞くためであって、やましいことは一つもない、断じてない。
思考を瀬那から外した一瞬、左腕全体が柔らかい感触に包まれる。さっきまでの頭の中を咎められたのかと思ったがそうではなかった。ゼロ距離で俺を見上げる瞳があったから。
「あ……こうすれば、はぐれないからって……双葉ちゃんが……」
完全に双葉にしてやられた。絡め取られた腕に神経が集中する。大きいとは言えないが、柔らかいものが喋る度に触れた。誤魔化すための眼鏡は今日はなくて、竜司に顔に出ないなとよく言われるのに熱が上がっていくのがわかる。目を逸らすのは簡単だが、前みたいにすれ違いになるのを避けるためひたすら我慢した。
「なんか……違うような気がしてきました」
「いや、危ないからこのままで行こう」
それにしても双葉は何で瀬那にそんなこと言ったんだ。盗聴のせいで、好意がバレたのだろうか。いや、モルガナと真以外には大丈夫、なはず。もしかしたら、別の企みがあるのかもしれない。気を付けなければ、ありがたいけど俺の身が持たない。
「暁くん、あの黒いのは何です?」
組まれていた腕を軽く引かれる。瀬那は店の前にある飲み物を写真を指した。
「タピオカ、かな。最近人気らしい」
「そうなんですね……」
じーっとメニューを見つめて動かない。黒い物体がどんなものなのか気になるのもしょうがない。
「何にする?」
「いえ、そんな」
「喉乾いたし、ちょうどいいよ」
昼食代も俺が出したから渋っているに違いない。でも今日は付き合ってもらっているから、という建前で押しきり、言葉に詰まっている瀬那に改めてどの味にするか問うと、抹茶と小さな声が返ってきた。自分用にコーヒーも買い、店の外で待っていた瀬那に手渡す。少し太めのストローを口に含み吸い込むと、思いのほか勢いよく上ってきた物体に驚き咽ていたが、表情が明るいものに変わった。
「もちもちしてます、抹茶もちょっと苦くて美味しいです」
「こっちはちょっと甘めかな」
「コーヒーなのに?」
「コーヒーなのに。飲んでみる?」
自然と出てしまった下心も何もない言葉にはっとする。しかし今さら差し出してしまったカップを引っ込められない。細い指が伸びて受け取ってくれるのかと思いきや、長い髪を耳にかける様にして押さえながら、俺が持ったままのストローへ薄いピンク色の唇が触れた。
「……カフェラテっぽいですね」
口角を中指で拭って、これも美味しい、と微笑む。完全に打ちのめされた。他の男の視線が刺さり、そこはかとない優越感と誰にも見せたくない独占欲がせめぎ合う。俺が何を考えているのかも、周囲の視線にも彼女は気づいていない。
本当にそうだろうか、いくら鈍感でも察しのいい彼女が周囲の変化に気づかないわけがない。仮面を被って、ひたすらに素顔も本心すら隠そうとする。自分のことで泣いているのを初めて見たとき、盗むことが出来たと思ったけど、勘違いだった。彼女の仮面はただ奥深くに沈んだだけだ。何かがあれば、いつでもまた現れる。
どうにかするにためには、もっと瀬那のことを知る必要がある。こんな風に二人で出掛けるようになったのに、彼女について知らないことばかりだ。ドリンクを飲み終わるまでの間、木陰で軽く腰掛け少しずつ引き出してみることにした。
「瀬那って甘いものは嫌いなの?」
「嫌いじゃないですよ」
「じゃあ、好きなものは?」
「んー、惣治郎さんが作ってくれるものです」
「他には? 好きなこととか、よく聞く音楽とか」
「趣味にできるようなことはありません」
「なんで一人暮らししてるの?」
「してみたかったから、です」
「今の両親とは……上手くいってる?」
「養母はいません。それに、一人暮らしの理由はそういうものではありません。……飲み終わってしまいました。次はどこに行きます?」
カップにとり残された氷がカラカラと音をたてる。切り上げられてしまった。この話題はタブーだと予想はしていたが、一般常識しかない箱入りの娘を家から出すというのが引っ掛かっていた。それに思った通り、彼女は自分のことを知られたくない、が正しいらしい。やっと隣で笑ってくれるようになったのに、胸によぎるのは不安ばかりだ。
瀬那が次に興味を示したのは、大きな音が鳴り響くゲームセンター。数えきれない種類の躯体に、瞳を瞬かせていた。どういゲームなのか、実際にプレイしている後ろで説明する俺の声を聞き取ろうと、自然と接近する。店内をうろうろして、彼女の足が止まったのは青い帽子を被った白い雪だるまのぬいぐるみが飾られた躯体の前。UFOキャッチャーという名前であると話していてもやっぱり瀬那は近づいてくる。腕を回せば抱きしめられる距離だ。瀬那が竜司を抱きしめようとしていたときを思い出す。細い腰、柔らかい胸の感触、髪から漂う香り……だんだんと自分が変態じみてきた気がするが、健全な高校生男子なんだからしょうがない。
「可愛いですね」
「……取ってみようか」
驚く彼女を後目にコインを入れてボタンを押す。アームがぬいぐるみ目掛けて下りていくのを瀬那がガラス越しに見つめていた。持ち上がり、穴に落ちる。日頃の行いのおかげだろうか、簡単にそれは手元にやってきてくれた。
「……大事にしますね」
手渡してすぐに、両手で抱きしめられる人形にさえ羨ましさを感じる。
「あれ、来栖さんだ。何してん……の」
「信也」
赤いキャップを被った年下の少年が顔を覗かせた。ここに来るときはいつも一人だから驚いているのだろう。織田信也は怪チャン関係で知り合ったガンシューティングゲームのキングで、その技を教えてもらい怪盗業に役立てている。ゲームプレイ中以外は年の割に落ち着いた少年だ。
「こんにちは、知り合いです?」
「俺の師匠」
「はじめまして、っていうか、彼女?」
訝しむ視線は、まさかこんなところでデートなんてと言いたげだった。
「……いいや、友達」
自分は相応しくないと理解しているのに、今はまだ、と考える自分。矛盾しているとわかっていても、誰にも瀬那を渡したくなかった。そうだ、明智になんて絶対に。そもそもあいつは純粋な好意なのかも甚だ疑問だ。狡いと責められても、好きだと言えなくても、それでも……許されるのなら出来るだけ一番そばに居たい。
(2019/7/7)
prev / back / next