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「おかえりなさい」

「ただいま」

「ちょうどいいところに来た。洗いもん溜まってんだ、瀬那ちゃん手伝ってやってくれ」

日が暮れたあとに暁くんが帰ってきた。早々に惣治郎さんに言われて鞄を置き、エプロンを付ける。一人でもできるが、洗うのと拭くの、それぞれが行えば終わるのも早い。わたしの帰宅時間を気にかけてくれているのだろう。その間に双葉ちゃんがやってきて、三人で夜ご飯を頂いた。
テレビでは、秀尽学園で起こった鴨志田事件を学校ぐるみで隠ぺいしていたことや、総理大臣が最近の噂になっている改心をメジエドの事件について警察等と事実確認を行っているというニュースを映している。どちらも怪盗団が関わっているものだ。今更それに対して、誰かが感想を言うこともない。聞き飽きるくらいやっているのだ。
 
「そういやお前、明日からワイハだっけか。夜更かししてないでさっさと寝ろよ」

ワイハ……明日から……ああ、明日から暁くんたちは修学旅行だった。しばらく双葉ちゃんとモルガナは留守番だ。帰ってきてから黒猫は一言も話さずにそっぽを向いたまま椅子に乗っている。こんなに静かなことは初めてな気がする、何かあったのだろうか。

「安心して行ってこい。例のアレ、ちゃんとやっとくから」

廃人化事件を追っているのは警察も同じであり、新島さんの姉である検事さんが担当だ。向こうは怪盗団が犯人だと思っているのだが、真実はそうではない。こちらとしては、今後の方針や若葉さんを死に追いやった人物の情報が欲しい。その足掛かりとして双葉ちゃんが作ったアプリで、姉妹であることを利用し検事さんのデータを盗んだ。双葉ちゃんが味方だと本当に心強い。

「そうじろう、保護観察の人間って、海外行っていいの?」

「行っちゃいけないなんて決まりはない。俺がいいと言えば、いい。だいたい学校行事に参加出来ねえ方が更生によくねえだろ」

「ふーん。ま、向こうでなんかあっても学校のせいだしね」

「そゆこと」

後片付けをしている間、そんな親子の会話がされていた。そんないい加減でいいのだろうか。わたしもよくわからないので何も言えない。表の看板をしまうため、惣治郎さんは外へと出ていった。

「モナー、明日からは私がご主人様だよー!」

「そうだな」

「お土産リクエストしないの? 変な人形とか」

「いらねえ」

双葉ちゃんに向き直ることなく素っ気ない返事しかしない。濡れた手を拭きながら暁くんを見上げてみても小首を傾げるだけで、モルガナがどうしてそういう態度なのかわからないらしい。

「なんかモナが変!」

「留守番は嫌か?」

「別に……」

わたしは脱いだエプロンを掛けるためカウンターを出て、その足で椅子の上のモルガナの前にしゃがみ目線を合わせる。

「何かありました?」

「なんもねえよ」

逸らされた視線。椅子から飛び降り、逃げるように二階へ上がっていった。数日前、お寿司を食べたときはこんな風ではなかったのに。

「……変なモナ」

「心配ですけど、無理に聞き出すのはきっと逆効果ですね」

「自分から話してくれるまで待つか」

いない間様子を見ていて欲しいと頼まれ、双葉ちゃんと二人で頷く。惣治郎さんも店内に戻って来たので、今日は一人で帰宅することになった。
その翌日の夜、珍しく携帯の着信が鳴った。表示を見て直ぐに応答する。

「暁くん?」

『よかった、繋がって』

「どうしたんです?」

『これから飛行機に乗るから、その前にと思って』

この時間はもう空港のはずだ。それなのにわざわざ電話してくるなんて、どんな要件だろうか。少しの間無言が続き、電話の向こうでは他の学生たちの楽しそうな声の中に、誰かが暁くんを呼んでいるのが聞こえた。多分、坂本くんだ。

「呼んでますよ」

『ん……それじゃあ、瀬那、行ってきます』

「はい、行ってらっしゃい」

何ニヤニヤしてんだよ、と底抜けに明るい男の子が暁くんをからかっているのを最後に通話が切れる。これと言った重要でも急ぎでもないたった数分の出来事だったが、どことなく感じていた寂しさが消えてしまった。もしかして彼はそんなわたしのことを見透かしていたのかもしれない。ばれていたことが気恥ずかしかったが、おかげで寝床に横たわると心穏やかに眠りに落ちた。




モルガナの様子と双葉ちゃんの解析情報が気になったので、わたしは学校が終わった足で佐倉家を訪れると、相変わらずカーテンを閉め切った部屋でパソコンと睨み合っていた。室内灯は付いていたので、以前より改善されたのだと思いたい。

「進捗はどうです?」

「順調だな。検事といっても大したことない」

双葉ちゃんのベッドに腰を下ろしても、彼女は振り返ることなく作業を続けている。モルガナはというと、その様子を隣でじっと眺めていた。猫のときは表情が読みとりにくい上に背後からでは何もわからない。

「知ってるか、瀬那。怪チャンに明智五郎がランクインしてること」

暁くんの同級生が運営しているホームページで、怪盗団の応援や改心の依頼掲示板の運営、次の標的を決めるためのランキングを行っている、というのは聞いていた。実際、怪盗団とは何の関係も無いのだが、掲示板は利用しているらしい。

「そうなんですか……怪盗団の人気が高まっている現状、対立している明智くんの立場が悪くなるのはしょうがないと思います」

「確かにそうだけど、あっさりしてるな」

「何がです?」

双葉ちゃんは座っていた椅子をくるっと反転し、わたしと向き合いあぐらを組み直した。

「前にさ、明智とは浮いてる者同士だって話してたけど、あれどういう意味なんだ?」

以前ルブランでの勉強会に参加させてもらったときの会話だ。しっかり盗聴されていた。

「ご存じだと思いますけど、わたしは世間に疎いので周囲に馴染めませんでした。その内話しかけられることはなくなって……無視されてるわけではないので、必要であれば話しかけてくれますよ」

芸能人のこともテレビ番組のことも、勉強をしても感覚がずれているのか望まれた回答の仕方はできなかった。同級生は皆、眉を寄せて言葉に詰まらせてしまっていたのを覚えている。異質な存在とは関わりを持ちたくない、それは防衛本能として当たり前のことだ。

「学校、居づらくない?」

「そんなことないです、行けるだけありがたいことですから」

「……なら、明智は?」

「明智くんは……誰にでも同じ接し方しかしないんです。笑顔で当たり障りがなくて、深く関わりを持つことを避けているみたいに。主観でしかありませんが」

特定の誰かと一緒にいるところを見たことなどない。いつも女子生徒が取り巻いているが、ありがとう、と手を振って応えるだけ。

「そんな風なので、わたしも彼も基本的にひとりで居ることが多いんですけど」

「けど?」

「わざわざ話しかけに来てくれる時があって」

自意識過剰なのかもしれないが、昼休みに探しに来たり、この前のように忙しいのにどこかに出かけたり。何故だが気に掛けてくれているような気がしている。

「それって、瀬那だけ特別ってこと?」

「仲間意識、でしょうか。彼はわたしが孤児なのも知っていますし、明智くんの家族も……」

「それは私も本人から聞いた。非嫡出子で父親はろくでもない人間だったって」

双葉ちゃんの顔が暗くなる。わたしたちはそれぞれ事情は違えど親のない子どもだ。検事さんと捜査協力をしているのだから、明智くんはその共通点を知っていて話をしたのかもしれない。

「実はわたしが家から出られたのは明智くんのおかげなんです。掴みどころはありませんが悪い人ではないと思ってます」

そう思いたい、が正しい。信じれば信じるほど、後に何が待っているのか理解しているつもりだ。

「話を戻しますけど、上位に入ったからといって理由がなければ狙わないでしょうから、そんなに気にしてはいません」

「そうだけど大物もなかなか見つからないし、これだけ怪盗団への期待が高まってると、半端なことできないな」

「……大きくなりすぎていて、正直怖いです」

「メジエド相手にハッキングしちゃったからな。偽物だったなんて誰も知らないし」

「モルガナはどう思います?」

「……」

黒猫は無反応で、尻尾も全く動かない。怪盗としてどうするべきか、モルガナの言葉には助けられているのに。

「ダメだ、こりゃ」

肩をすくめながら両手を上げ、双葉ちゃんは再びパソコンに向き直ってしまった。モルガナが気になるが、もどかしくとも何も出来はしないのだ。今は廃人化事件のことを考えよう。
簡単にデータを見たところ、廃人化事件は人為的で一連性があるとの見解だ。そして精神暴走事件もこの一連として考えられていた。どちらの事件も同一犯、ということだろう。精神暴走事件は最近では電車の脱線事故があった。対象者は車掌、速度を緩めず駅に入り、沢山の人が亡くなった。それによって鉄道会社、それを支援していた政治家の責任問題に発展した。他にもチェーン店の社長が自動車で単独事故を起こし……そんな原因不明の事故が多発していたはずだ。やはり一般人では情報は少なすぎる。双葉ちゃんの解析が終わるのを待ったほうが良さそうだ。
唐突に携帯が震える。実は夜中から何通かメッセージが送られてきていて、差出人はいずれも同じ。

「なんだ、暁が日中も写真撮りまくってたのは瀬那に送るためだったのか」

確かに送信相手は暁くんだ。わたしの携帯を見てもいないのに、双葉ちゃんが気づいたのは何故なのか。

「ふふん、元祖メジエドを侮るなよ。携帯カメラを通して見放題のアプリを作るなんて造作ないことだ」

「それ、暁くんは知ってるんです……?」

「昨日伝えてる。二人とも安心しろ、メッセージの内容まではわからんから」

にやついた顔だけでわたしを見て、作業に戻った。彼女に知られても別段困るようなものは送られてきてはいない。ただの風景の写真だ。向こうはもう寝る時間らしく、今回はホテルから見えるであろう夜の海の写真に、『黙っててごめん、おやすみ』と添えられていた。わたしのことなど気にせずに楽しめばいいのに。そんなことを返信してしまえば、また何か言われてしまうに違いない。素直に『気にしないでください、おやすみなさい』、と送るだけにした。嬉しいはずなのに胸が締め付けられるのはどうしてなのだろう。

「もう帰るのか?」

「出来ることもないですし、遅くなってしまうので。解析が終わったらわたしにも教えてくれます?」

「じゃあ、明日の夕方、また来てくれ」

日にちを断言するということは、完了する目処が立っているということだ。流石の能力である。
しかし、先ほどの双葉ちゃんの言葉が気になる。どうして、『二人とも』と言ったのだろう。あの場に居たのはわたしとモルガナで、モルガナのことを指しているわけではない。わたしとメッセージのやり取りをしているのは暁くんなのだから。そこまで考えて、はっとした。こちら側からあちらを見れるのであれば、逆が可能でもおかしくはない。聞いていた暁くんに対して言ったのだ。彼のメッセージの違和感は、わたしの話を聞いていたことに対する謝罪ということか。双葉ちゃんのことなので、全部筒抜け状態にはしていないだろうが、本当に元祖メジエドは侮れない。
(2019/7/15)

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