07
甲冑から角の生えた悪魔に変化したものをあっという間に倒し、確信していた通り来栖くんがわたしに駆け寄ってきてくれた。
「御守さん、大丈夫か?」
手足の拘束が魔法のような力で壊され重力に従い崩れ落ちる。床に足がついたが体重を支え切れず転びそうになるが、前に立っていた来栖くんの胸に倒れ込むような形で支えてくれたため免れた。
「大丈夫です……ありがとうございます」
「立てる?」
「ちょっと難しそうです」
来栖くんに捕まっているおかげでなんとかといったところだった。わたしの横に立ち直して腕を抱えるように支え直してくれる。
部屋を見回すと鴨志田という男の姿はなく、真ん中で高巻さんが尻もちをついていた。なんだか慌てているようだ。それを金髪の少年が支えて立ち上がらせていた。黒い猫のような生き物が全員に言い聞かせるように喋り始める。
「すぐ追手が来る!いったん退くぞ!」
「あれは、猫?ロボット?」
「本人に猫って言ったら怒るから気を付けて」
「……わかりました」
とりあえず猫ではない、ということしかわからなかった。
城外の校門を出ると、元いた秀尽高校前に戻ってきた。高巻さんとわたしは疲労感が大きく帰宅するために駅へ向かう。そこで来栖くん、金髪の少年の坂本竜二くん、黒い猫のモルガナが亜空間の説明をすると言った。
来栖くんはわたしのことを心配してホーム横のベンチに座らせてくれた。隣に彼も腰掛ける。高巻さんはその横で立ったまま、駅に着いたとたんにどこかへ行ってしまった坂本くんを待った。数分後に坂本くんが何かを持って戻ってくる。
「どれがいい?」
「炭酸じゃない方」
「どっちも炭酸だ」
「じゃあ……」
飲み物を買ってきたらしく高巻さんに渡している。すこし粗暴な振る舞いだが、実はこの人も優しい印象を受けた。その坂本くんがわたしにも飲み物を差し出す。
「御守さん、だっけ、どれも炭酸だけど飲めっか?」
「……あ、え、っと、……これを」
「おう!」
まさか自分の分が含まれているとは思っていなかった。
炭酸は飲んだ経験があまりないので得意ではないが、誰かに貰うという行為そのものが嬉しくて、思わず頬が緩んでしまった。ありがとうと告げると、気にすんなと少し照れたように笑う。そして来栖くんにも飲み物を差し出し、それを受け取ると彼はわたしの前に位置どった。
少しの談笑のあと、来栖くんの学生鞄に収まっていたモルガナが顔をだしあの世界について話し始めた。モルガナの声はパレスでモルガナが喋ることを認知したわたしたちでないと聞こえないらしい。パレスとは先程の亜空間のことで、強く歪んだ心を持つものの歪んだ認知が具現化した異世界のこと。その核の象徴である「オタカラ」を盗まれるとパレスは消滅し現実世界では改心するが、主までも消滅させてしまうと廃人化や自殺する恐れがあるという。
この四人が呼び出していたのはペルソナ、叛逆の意志。パレス内で戦うにはペルソナの力が必要で、その力を使って鴨志田という教師を改心させようと来栖くんたちは動いていた。
わたしにペルソナに力が発現しなかったのはそういう理由か。
「だったら、私にもやらせて。志帆の事、償わせてやりたい」
覚悟を決めた強い眼差しで高巻さんは坂本くんにはっきり告げた。
「志帆をあんな目に遭わせて……のうのうとしてるなんて絶対に許せない」
志帆という子が羨ましくなった、高巻さんみたいな人と友達なのだから。
ペルソナを持つ高巻さんは自分も鴨志田の改心計画に参加を望んだ。坂本くんは不安げだったが来栖くんとモルガナは戦力が増えることに賛成している。高巻さんの参戦は決定した。
「ってゆーか、御守さんはどうすんだよ」
「わたしにはペルソナはないので……お力になれなくてすみません、でも他言はしませんので安心してください」
「そーいうこと言ってるわけじゃなくって、もう!坂本のいいの方が悪いせいよ!」
「御守さんがそういうことするなんて思ってない、直接戦わないにしてもこっちの世界で力を貸して欲しい」
「……わたしに何か出来る事があるとは思えませんが」
自分自身の力なんて何もない、亜空間でさえも。
これから彼らは内密に行動を起こさなければならなくなる。パレス内でのことを知っている人間は少ない方がいいし、ただ知っているだけで何も出来ないわたしはあまり関係を持たないほうがいいだろう。ルブランでも気まずくなってしまいそうで、少し悲しかった。
それを聞いて高巻さんが首を振る。
「そんなことない!私のこと守ってくれたでしょ、ありがとう」
「お礼を言われるようなことは……」
高巻さんだってわたしを助けようとしてくれた。お礼を言わなければならないのはこちらだ。
身を乗り出して、モルガナが続ける。
「信頼できる人間は多い方がいいんだぜ」
ひとつ頷いて来栖くんが笑う。もしかして必要とされているのか、そう思ったら拒否なんてできなかった。
「よろしく、御守さん」
「わたしでよければ、よろしくお願いします」
携帯の連絡先を交換する。パレスに行くわけではないのに、わたしも参加者の一人になっていた。
画面をみると見知らぬアイコンが入っていることに気付く。赤と黒の禍々しい目のモチーフだ。
「なにこれ」
「やめろ、後で説明すっから」
高巻さんが起動するのを強めの口調で坂本くんが止めた。パレス関連のものなのだろうか。わたしも後で来栖くんに聞いてみることにしよう。
そうして今日は解散となった。来栖くんとわたしは最寄り駅が同じ四軒茶屋なので、家まで送ると言ってくれた。
高ぶっていた感情が落ち着いてくると、だんだんと体の痛みが思い出される。電車内の座席が空いておらず、来栖くんによしかかるしか逃げ場がなく申し訳なかった。四軒茶屋駅から地上に出ると彼は提案してきた。
「ごめん、結構ひどい怪我してた?近くに診療所があるみたいだから、寄っていこう」
診療所……あまり気乗りはしなかったが、これでは明日学校に行けるかも怪しい。心配をかけるのも本意ではないので来栖くんの厚意に甘えることにした。
四軒茶屋の裏路地に目的の診療所はあった。待合室には誰もいない。
「受診希望?」
受付から女性の声が聞こえた。パンクファッションに身を包み、その手には雑誌を持っていた。その上に白衣を着ていなければ誰も医者とは思わないだろう。しかしその格好はよく似合っていた。彼女はルブランで見たことがある、たしか武見さんという名前だった気がする。
「彼女を診て欲しいんですが」
「ちょっと転んでしまって……」
「ふーん……あなた、ルブランでたまに働いている子ね、まぁいいわ」
大きな甲冑に握りしめられたなどとは言えないので、それらしいことを言ってみたが怪しまれている。だるそうな態度で差し出されたのは受付票。必要事項を記載し、診察室へと通される。
奥の椅子に武見さんは腰かけ足を組む。わたしは彼女に向き合う椅子に座り、来栖くんはその後ろで見守っていた。
「それで、どこが痛いの?」
「両腕と肋骨の辺りが」
「……見せてもらっていい?とりあえず上着脱いで」
「はい」
制服のジャケットに手を掛けようとしたとき、女医がちらりとわたしの後ろの来栖くんを見やった。
「あなた、この子の彼氏?」
「え?いえ、違いますけど」
「じゃあ、待合で待っててくれる?彼氏でもない男がいると、脱げないでしょう」
「!?す、すみません」
彼は慌てて診察室から出て行った。あのまま脱がなければいけないのかと思っていたのほっとする。はあ、と彼女は頭に手をやって呆れていた。
わたしはジャケットを脱いでシャツのボタンを外しながら、武見さんの顔を見ずに話した。
「あの、ここで見たことは誰にも言わないですよね」
「当たり前、個人情報があるから」
「その言葉を信じていますから」
シャツの下の肌が露わになると、彼女の目は見開かれた。真新しい鬱血痕以外にいくつか傷が残っている。それは火傷や、切り傷、打撲を負った古い痕だった。
「……どうしたの、これ」
「転んだんです」
「そっちじゃなくて」
「……」
それ以外言えない。
口を閉ざして彼女の目を見て訴える。数秒だったかもしれない、お互いの目を見つめあっていたが武見さんが先に折れて目を逸らした。
「はぁ、わかったわ、転んだのね」
「はい」
「そういうことにしておいてあげる、転んだっていうのに場所がおかしいと思ったら……脱がせなきゃよかった」
「すみません」
武見さんはカルテに打撲と記載し痛み止めを処方してくれた。彼女曰く良く効くお薬らしい。後日効果と感想を聞かせて、と艶やかな笑顔で言われた。
わたしは服を着直し、待合で待つ来栖くんの元へ向かう。彼は携帯を触っていたがわたしの顔を見ると、どうだった?とすぐに声を掛けてくれた。初めて会ったときから来栖くんには心配されてばかりだ。優しすぎて苦しくなる。
支払いも終わり帰宅しようとすると、御守瀬那さん、と呼び止められた。
「わたし、武見妙、また何か困ったことがあったらいつでも来て」
「はい、ありがとうございます」
感謝を述べ、診療所を後にした。
来栖くんと並んで歩く。薬のおかげか大分体が楽になった。異様に効果が早い、後日武見さんに報告しよう。
「身体のダルさはパレスでシャドウに長時間触れすぎたせいだな」
「辛そうだったからもっとひどい怪我かと思った」
「すみません、大げさにしてしまって」
「いや、巻き込んだのは俺たちだから」
ごめん、と小さく呟いた。モルガナが鞄からにゃーにゃー言っているのが聞こえる。こちらが勝手に巻き込まれに行ったのだ、謝る必要などどこにもないのに。
程なくわたしの住んでいるアパートに着く。
「家まで送ってくださってありがとうございます」
「いや、ルブランから近いし気にしないでいい」
謝らなければならないことがたくさんあったが、モルガナが言っていたように疲労感が強く早く横になりたかった。来栖くんと違い、わたしは自分のことばかりだなと自嘲する。
「顔色が良くないから、ゆっくり休んで」
「休息は大事だぞ!」
「……そうします」
ぺこりと会釈してわたしは自宅へと足を向ける。
女を欲望のはけ口ってしか見てないクズが!『愛』だなんて笑わせんな!
高巻さんがパレス内で叫んでいた言葉がわたしの胸に残っていた。
(2018/7/2)
prev / back / next