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「おい! 何やってんだよっ!!」

センター街の裏路地から坂本くんの怒声が聞こえた。そこに飛び込むと、奥村さんと、彼女の腕を掴む身なりのいい白いスーツの若い男性がいた。

「奥村さんっ!」

「モナ!」

路地の隅に双葉ちゃんがしゃがみ込む。見ると、モルガナがぐったりと倒れていた。彼女に続き高巻さんと喜多川くんも駆け寄る。

「てめえ、俺の仲間に何してる!?」

「その手を放せ」

今にも殴りかかりそうな坂本くんと暁くんが男と対峙する。しかし、相手は意に介さず、奥村さんへ冷ややかな視線を向けた。

「何だこいつらは?」

「やめてください、彼らは関係ありません!」

「それなら教えてあげなよ。僕が誰なのか」

奥村さんは男性から顔を背けたまま、苦し気な表情を浮かべている。それは握られた腕が痛むから、というわけではないのは明らかだ。わざわざ彼女の口から言わせるのは、それを実感させるため。恐る恐る奥村さんが言葉を発する。

「この方は……私の……フィアンセ、です」

「そうだよ。ただの痴話ゲンカだ、お騒がせして悪かったね」

勝ち誇ったように顎を上げて、やっと奥村さんの腕を放す。

「フィ……え? で、でも奥村さん嫌がってんじゃん!」

思ったことをそのまま言ってしまうほど、高巻さんは意味を飲み込めずに混乱していた。それが男の琴線に触れたらしい。

「……付き合う人間は選べと言われなかったか。これ、奥村さんにも報告しておくからな」

襟元を正し、苛立ちを隠さずに吐き捨てる。この男は奥村さんに話かけているのに、一度も名前を呼んでいない。この状況に既視感を覚えた。男は全員を一瞥し、自分を見据えている暁くんに向かって対抗する。

「その顔、覚えたぞ? ……なんだ、お前見たことあるな」

その後ろにいたわたしと視線が交わり、ジロジロと顔を確認される。奥村さんに対しての接し方からしてかなりの資産家か政治家の息子か、いずれにせよオクムラフーズよりも上の立場であることには違いない。そうだ、奥村社長は政界進出を目論んでいた。公の場に出たことなどないが、もしかしたら、何かでわたしを見たことがあるのかもしれない。はっきり思い出される前に顔を背け、前に立つ二人の男の子の影に隠れる。

「……人違いではないですか」

「そうだよな、こんなみすぼらしい女の知り合い、いるはずがないか」

嘲笑い、踵を返すと裏路地から男は去っていった。あまり深く考えない人で助かった。こんなところで養父のことをばらされるわけにはいかない。いつかは、自分で言わなければならないと頭では理解しているのだが……無理だ。

「大丈夫?」

高巻さんの問に力なく奥村さんが頷く。メメントス内での明るい表情が嘘ように暗い。

「私よりも、モナちゃんが……」

「どうってことねえって……」

心配させないためか、覚束ない足取りで立ち上がる。しかし、尻尾の下がり具合がその身に受けた傷の痛みを誤魔化せないでいた。

「今の人、本当に婚約者なの?」

「ただのケンカって感じじゃなかったけど……親に相談したほうがよくない?」

そもそも高校生で婚約者だなんて、一般的ではないのに存在しているということは、親が率先して関わっているからだ。わたしと同じように。

「……無駄だと思う」

ぽつりと呟いた言葉は思っていた通りの回答だった。奥村さんの大きな瞳から堪えきれなくなった涙が零れ落ちる。

「『土下座してでも許してもらえ』って、そんな風に言われるだけ……」

「……事情がありそうだな」

「待て……さっきまでのことは、その……謝る。だから……少しハルを休ませてやってくれないか?」

奥村さんを想って、モルガナが弱々しい声で鳴いた。何も謝罪が必要なことはされてはいないだろう。項垂れる姿に坂本くんは視線を合わせるためしゃがみ、辛そうに口を開いた。

「たりめーだろ。俺も言いすぎたし……、悪かったな」

「一先ず、俺の部屋まで行こう。手当しないと」

「すまん……」

暁くんの提案で怪盗団の集合場所、ルブランの二階へ匿うことになった。モルガナは高巻さんが抱きかかえ、奥村さんには新島さんが支える。道中重い空気の中、誰も何も話さなかった。
既に惣治郎さんは店を閉めた後で、中は真っ暗だった。わたしは飲み物を用意し、双葉ちゃんは救急箱を探している間、みんなはそのまま二階へ上がる。ソファに座らされた奥村さんをみんなが囲んでいた。モルガナは中心の机の上で横になっている。その机に淹れてきたコーヒーを差し出すと、ありがとう、とか細い声で言われた。

「……ワガハイたち、やっぱり別れた方がいいと思う。役立たずのワガハイのために、これ以上命賭けてもらうわけにはいかねえよ」

震える声でそう告げる黒猫に、悲しみの視線が向けられた。索敵能力では双葉ちゃんの方が優れているが、モルガナは戦える。いわれない扱いだ。

「役立たずだなんてこと、ありません」

「誰がお前のために怪盗を? 俺は自分の見識を広げるためにやっている」

「仲間だけど、それぞれ自分の理由を持ってるよ? 私だって……」

「気休めはやめてくれ。別れてもらうぜ……いいよな?」

わたしが首を振っても、喜多川くんと高巻さんがモルガナのためだけではないと否定しても、受け入れてはくれない。怪盗団も納得できない状況を動かしたのは奥村さんだった。

「ウソ、やめよ」

机の上で足元を見つめていたモルガナの両脇を抱き上げ、彼女は互いの視線を合わせた。優しい眼差し、短期間ながらも二人は思い遣りに満ちている。

「モナちゃん、言ってたでしょう? ワガハイだって怪盗団の一員だって。強くなって認めてもらうんだって。ここが、大好きなんだよね?」

隠してきた本心をみんなの前で話され、羞恥からか全身が総毛立ち、奥村さんの拘束からもがき抜け出す。黒猫の姿にも関わらず耳まで真っ赤だということが見えているようだった。ソファに横並びになり慌てて否定する。

「そんなわけ、ないだろ!?」

「モナちゃんは、どうしてずっと、人間に戻りたいって言っていたの?」

「それは……」

しがらみをひとつひとつ解すような問いかけに、モルガナは俯きながら応えてくれた。

「はじめは記憶を取り戻すまでの仮の住処ぐらいに思ってた。でも、自分が何なのか、何のために生まれたのかも一向に分からなくて……」

生まれた理由を知ることができたら迷うことがないのだろうか。わたしにはその術がもうない。迷うことも、抗うことも諦め、生きるために人形であることを受け入れた。

「……目的が欲しかった。怪盗団にいる目的が……。復讐したい相手も、助けたいやつもいない。そんなワガハイがここにいていい理由が……」

やはりわたしが、ここにいてはいけない。相応しくない。

「ワガハイは……、ワガハイにとって、ここが唯一の居場所なんだ! ずっとここに居たいんだっ!」

「居ていい理由とか……そんなのいらねえよ。おまえは俺たちの仲間だろ」

「リュージ……」

精一杯に強がって吐き出した声は痛々しいほど切実な願いだった。受け止めたのは少し輪から外れて聞いていた坂本くんで、この騒動の始まりも終わりも二人で紡がれた。思えば雑踏の中、モルガナの助けを聞き取り、一番に走り出したのは彼だった。角の立つ言い方がばかりだったが、誰よりも心配していたのかもしれない。素直になれないのはお互い様だった。

「ワガハイと組んでたら、どんな厄介事が降って湧くか分らんぞ!」

「そんなの今さらよ」

「てか、私たちも一緒に居たいに決まってんじゃん」

「ワガハイの居場所はここだ! もう決めたからな!」

「おかえり、モルガナ」

輪の中心である机上に戻り高々と宣言するモルガナと、やっと安心できたのか暁くんは微笑み合っている。怪盗団内の分裂は解決した。あとは、モルガナが連れてきてくれた女の子、オクムラフーズの社長令嬢。

「奥村さんの方は大丈夫?」

「お父様がいないと生活なんて出来ないから。ずっと言えなかった、私の本音。でも、今のモナちゃんを見てて……わかったの。お父様がひどいことしてるから、なんて、ただの建前だって」

「本当は、結婚したくないんでしょう?」

「立場も責任もある大人の決めた事だから、きっと正しい、仕方がない……なんて。馬鹿みたい。形のないものに縛られて、ずっと黙ったまま、結婚の相手まで……。でも、もう我慢しない」

拳をぎゅっと握り、後悔に溢れた表情から一気に何かを決心したものに変わった。

「私、あの人無理っ! キモイ!」

急な叫び、予想外の単語……呆気にとられ静寂が訪れる。

「ふう……やっと言えた」

「おお……」

「すごく……シンプルだな」

「でもわかる!」

驚いていたみんなも、今までより清々しく笑う奥村さんに安堵し、声を上げて笑い始める。一歩後ろに下がりその様子を眺めていた。笑顔で誤魔化しているのは、わたしだけ。彼女は見た目に反して強い。自分の意志を持って解放を望んでいる。とてもわたしには、出来ない。明智くんの言う通りの存在意義しかないわたしは、それも無くしてしまうのが怖い。それに、どんなことがあってもあの人はわたしの唯一の……。
いつの間にか解散となっており、終電を気にしながら階下へ向かう声が耳に入った。わたしも帰らなければ。

「瀬那の言う通りだった」

何がだろう。部屋に残された暁くんがベッドで先に丸まっているモルガナを見つめていた。

「ちゃんと話せば大丈夫だって言ってくれた」

「……話さなければ、何を思っているのかなんてわかりませんから」

「それなら、瀬那は今、何を思ってるの?」

こんな暖かい場所、もっと前に出会えていたら。そんな都合のいい話あるはずがない。そもそも養父が拾い育ててくれなければ、今のわたしはいないのだから。

「モルガナが帰って来てくれてほっとしてます」

「……そっか」

嘘ではないのに、納得してくれてはいないのか会話が先に進まない。居たたまれなくなり帰るため階段へ足を向けたが、わたしを追い越して暁くんは先に降りていこうとする。

「送ってくよ。遅いし、双葉にも釘刺されたし」

もし、今ここで、全てを話したとすれば、彼はどうするだろう。裏切者と罵るだろうか、悲しむだろうか、それとも。追いかけて、背後から白いシャツを掴む。

「……瀬那?」

それで? 結局はわたしが獅童家の養女であることは変わらない。どのように生活が成り立っているのか知りつつも、それでもあの人を父として望んだわたしは、彼とは正反対で醜く悪だ。情報を持ち帰ったとしてもなかったことにはできない。手を伸ばすことなんて、許されない。

「あのさ、俺じゃ頼りないかもしれないけど……」

「大丈夫です、何でもありません」

右手を離し、精一杯微笑んでみせる。そうだ、これがわたし。わたしは奥村さんとは違う。今更何をしてもらおうとしたのか。せっかく貰ったネックレスもきっと無駄にしてしまうだろう。これ以上深く交わることはないのだから、暁くんの瞳が曇ろうと関係ない。一言も話さず、二人で帰り道を歩いたのに、あっという間の時間だった。
(2019/9/1)

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