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今日はどこへ行こう。渋谷のカフェで一人、コーヒーを飲みながら人の行き交いをただ眺める。ここも美味しくないわけではないが、惣治郎さんの淹れるコーヒーには勝てない。最後に飲んだのはいつだったか。モルガナが戻ってきてから、わたしはルブランには行っていない……行けるはずがない。そもそも双葉ちゃんが元に戻ったし、惣治郎さん一人で経営できる規模なのだから行く必要性はなくなった。アルバイトは好きなだけシフトを入れられるものではないし、図書館で本を読むのも悪くはなかったがさすがに毎日だと飽きてしまった。横になれる場所があればいいのだが、何となく家には帰りたくはないし、何時間もコーヒー一杯で居座るわけにはいかない。店を出て、諦めてスクランブル交差点を越えた。
ふと視界の隅に入ったのは、渋谷駅の地下へ続く階段。ここは不特定多数のイセカイに繋がる入口、メメントスと呼ばれる場所。そこなら、何も気にせずに一人になれるかもしれない。改札さえ通らなければ危険がないのは、モルガナをここで待ち伏せた時に経験している。そんな安易な考えでイセカイナビを起動させ、必要な単語を囁いた。
「渋谷駅、メメントス」
『ひっとシマシタ。なびげーしょんヲカイシシマス』
一瞬眩暈のように空間が歪むと、あんなに人で溢れていた街には誰も居なくなった。風景はいつもと同じなのに、空気が違う。念のため慎重に地下へと降り、先日みんなと集まった改札前に辿り着いた。
全体的に赤く染まっており、所々黒い木の根のようなものが這っている。歩く度に何故かあがる飛沫も赤で、血液を彷彿とさせた。奥へ奥へと向かって吹く風は誘いだ。越えてはいけない改札の向こうにあるエスカレーターに、乗れと囁いている。抗うことができず一歩、また一歩と進み、閉じられることのないゲートを超え、道なりにエスカレーターを降りた。
誰もいないホームに電車が走っている。それも奥へ、一方向だけ、スピードを緩めることなく。車内は赤い光のせいで、乗客がいるのか見ることはできない。周囲を警戒してみても害はなさそうだったので、ホームの真ん中にあるガラス張りの待合室のベンチに腰を落ち着ける。失敗した、コーヒーをテイクアウトして持ってくればよかった。風と電車の音だけ、他人を気にする必要もなく、居心地がいい。養父のことも、これからのことも、……暁くんのことも、心が重くなるばかりなのに、消えてなくなってはくれない。もう、何も考えたくない。
いつの間にか寝ていたらしい。電車がゆっくりとホームへ入ってくる気配がして、瞳を開けると、電車の入口も開いていた。これに乗ってしまうと戻っては来れない、だから乗れない。しかし、いつまで経っても扉は開いたまま、まるでわたしを待っているかのようだ。立ち上がり、恐る恐る中へ足を踏み入れると、扉は息を吐くように閉じられた。長いような短いような、時間の感覚がわからないまま、どこかの駅に止まり、乗客はみんな降りていった。どうやら終着駅らしい。沢山の線路と電車が止まっており、乗客はまだ奥を目指していた。
流されるように進んでいくと、円柱の形で左右に牢獄がある場所に気づけばわたし一人来ていた。個別牢に椅子と足には鉛と鎖でできた重しが与えられ、生気のない顔でぐったりとしている。そして、格子で封じられた一際大きな扉があった。
「……ここ、知ってる……?」
懐かしい気がした。メメントスなんて来たことがないのにどうして。ゆっくりと扉に手を伸ばす。牢獄、足枷、低い声、椅子に座る男……夢、だ。あれは夢だった、はずだ。男は何て言っていた? 思い出せない。格子の間から伸ばした手が扉に触れそうになったとき、思い切り身体を揺さぶられた。
「瀬那っ」
「しっかりしろ!!」
目の前に泣きそうな双葉ちゃんと、険しい顔の坂本くんがいた。二人が近すぎて、周囲の状況がよくわからない。
「よかっ、たあ〜、全然目開けないから、私……私……うぅっ」
双葉ちゃんの両腕が勢いよくわたしの首に回された。耳元で鼻をすする音が聞こえる。視界が開けたおかげで、怪盗服に身を包んだみんながわたしを囲んでいることに気がついた。その後ろには例の電車が走っている。ということはここはメメントスの改札の先にある待合だろうか。抱きついてきた背中をさすりながらぼんやりとしていると、痺れを切らせた怒声が降ってくる。
「おまえな! 戦えないのになんでこんなとこに居んだよ! なんかあったらどうする気だ!!」
「ちょっと言いすぎだよ」
「いや、竜司の言う通りだ。何もなかったから良いようなものの、こんな奥まで一人で来るなんて危険すぎる」
「……奥?」
「そうよ、ここは私たちが現状行ける最奥のエリアなの。その分シャドウも手強いのよ」
おかしい。わたしが利用した待合だとしたら、改札からエスカレーターを降りてすぐのところだ。だから襲われることもないのだと思ったのに。高巻さんに引っ張られ遠くに連れて行かれた坂本くんと入れ替わるように、モルガナがわたしの足元までやってくる。
「そのシャドウがどこにもいないんだ、フタバのサーチでも原因がわからねえ。それでここまで来たら、セナがいた」
「……どうやって、ここまで来たんだ?」
身体を離し濡れた瞳で双葉ちゃんが問いかける。どうやって、と言われても、特別なことはしていないので、何と言っていいものか。
「わたし、ただエスカレーターをひとつ下っただけなんです」
「線路、歩いたりしてないのか?」
「電車が走ってますから、そんなこと出来ません」
目の前の線路以外に歩けるところがあり、彼らはそこを移動してメメントス内を探索しているらしい。
「とりあえず、双葉離れてあげて。御守さんが動けないわ」
新島さんに言われたとおり、双葉ちゃんは目元を拭いながらゆっくりと離れ、隣に腰を下ろした。各々空いている席を埋めた中、ただ一人、暁くんだけが立ったまま、仮面のせいでその表情は読めない。
「それで、メメントスにいるのはどうしてかしら」
ルブランには行けないから、一人になれる場所を探していた、とは言えない。それこそどうして、と聞かれてしまう。現状を混ぜて誤魔化すより他にない。
「……少し受験勉強に疲れてしまって、周りを気にせずに一人で休みたくて」
「御守さんって、私とまこちゃんと同じ学年なの?」
ええ、とわたしの代わりに新島さんが返事をしてくれる。
「受験生だもの、その気持ちはわからないでもないけど……」
彼女には申し訳ないが受験をする予定はない。しかし同情を得られたので上手くいったようだ。
「わたしもこんなことになるとは思わなくて、ご迷惑をお掛けしました」
立ち上がり、深々と頭を下げる。元々ここは怪盗団が来る場所だったのだから、選択したのは間違いだった。やはりひとりになるには家に帰るしかない。
「いや、無事ならよかった」
「今のメメントスじゃあ何も出来ねえし、ワガハイたちも一回戻ろうぜ」
「てか、もし瀬那が原因なら、戻ったあと変化が起こるかどうか調べたい!」
嬉々とした瞳で双葉ちゃんに詰め寄られ、モルガナは両手で必死に窘めている。わたしは何もしていないので原因だとは思えないが、気づかない間に場所が移動していたのは確かだ。彼女が解明できないものがここにはたくさんあって、それが楽しいのだろう。モルガナの一声で立ち上がり、ガラス張りの待合を出て行こうとする坂本くんの腕を両腕で抱きかかえる。
「おっと?」
「あの、先ほどはすみませんでした」
「あー、いや、俺も言い過ぎたっつーか……そもそも暁が何も言わねーからさ」
思えば、わたしが起きてから一言も発していない。彼はすでに一番遠い距離で背を向けている。異変に気づいているのは坂本くんだけではない。他にもわたしと彼と視線を行き交わせている人がいる。わたしのせいだ。それこそ、何も言えない。
「ま、あいつも戦いに来たのにすけこまし食らった感じ?」
「肩透かし、でしょ。一文字しか合ってないじゃない」
すかさず高巻さんの訂正が入り、そうそれ、と指を指し満面の笑みを向ける。
「つーワケだ、あんま気にすんな」
気にしていないし、落ち込んでもいない。そう言って信じてくれるだろうか。わたしへ伸ばされた手は、以前のことを思い出してなのか一瞬だけ止まったあと、軽く背中を叩いた。
「本当にご迷惑をお掛けしました」
「気を付けて帰ってね」
モルガナが言っていたように何事もなくメメントスの入口まで戻ってこられた。わたしをこのまま脱出させたあと、再び探索するらしい。深々と一礼をして、改札を後にした。それぞれ手を振ってはくれたけれど、仮面の下は見えない。そうか、疎外感を感じる必要はなかった。衣装は変わらずとも、仮面を付けているのはわたしも同じだから。
「瀬那」
現実との境目を目の前に呼び止められた。その声を聞くだけで、名前を呼ばれるだけで胸がいたい。ただ振り返った顔には微塵も出さない。暁くんはピエロマスクを外し、わたしを見上げていた。いつかの日と同じく曇った瞳で、それでも真っ直ぐに。
「迷惑なんかじゃない、そんなこと思ってないから。ただ……心配なんだ」
自分はそんな人間ではない。卑下するな、と彼が言ってくれたけれど無理だ。わたしはきっと変われない。
「ルブランにもいつでも来いって惣治郎さんが。……また明日の朝、いつものとこで待ってる」
それじゃあ、と笑って踵を返した。再び戦いに赴く背を見送って、メメントスを後にする。地下から一歩外へ出ると、人混みに溢れた見慣れた光景が広がっていた。
(2019/9/14)
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