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わたしがメメントスを出てからはいつも通りに戻ったこと、現実の天気や注意報によっても内部の状況は変化するのでわたしが原因と決まったわけじゃないことを、双葉ちゃんがメッセージで送ってくれた。それと、今日はルブランに来るのかどうかも。昼頃に届いたメッセージに返信出来ない理由はそれだった。放課後までにはと悩んでいる時に限って、あっという間に授業は終わってしまうなんて。教師は自分の教科書をまとめ扉に手を伸ばすが、届く前に勝手に開き驚いて声を上げた。

「なんだ、明智か。ちょうど今終わったところだ」

「最後くらい間に合うかと思って急いできたんですけど……」

「警察の手伝いか? 俺たちのために忙しいのに学業を疎かにしない明智に免じて、出席ってことにしておくな。ただし試験も頑張れよ」

「ありがとうございます」

そんなやりとりがなされ、明智くんに笑顔で見送られていった。そもそも彼は元々学年主席だ。これ以上何を頑張れと言っているのだろうか。ざわついた女生徒の声を廊下に置き去りにし、ホームルームだけのために席に座るその一瞬、目が合った気がした。
今日は学校の図書館で過ごそうか。受験勉強のため行けない、と返信してしまえば全て嘘ではなくなる。現地に着いてから返信しよう、鞄を担ぎ教室を出ようとしたとき、腕を掴まれた。

「僕を置いて、ひとりで帰るの?」

「お約束をした覚えはありませんけど……」

「せっかく来たのに、冷たいなあ」

授業を受けるために急いできた、と先ほど言ったばかりではないか。どちらも本音ではないだろうに、悲しそうに眉尻を下げる。それを見ていた女生徒の黄色い声が一層強くなった。

「このあとルブランに行くのかい?」

行けるはずがない。わかっていてそういう質問をしてくるなんて、悪趣味だ。顔色を変えることが相手を楽しませるなら、淡々と済ませていくのが最良だ。無駄な労力を使わずにすむ。

「予定ないなら、付き合ってよ。その方が断りやすいよね」

どうやら全てが見透かされている。ここで逃げても居場所は隠せないので意味がない、大人しく明智くんに同行することにする。メッセージを送り、そのまま携帯を鞄へしまった。双葉ちゃんへ嘘ではない返信理由ができたことに安堵していることも、きっと見透かされている。明智くんは嬉しそうにほほ笑み掴んだ手を繋ぎ直すと、下校する他の生徒の波に加わった。

「それでどこに行くんです?」

「家だよ」

「うち?」

「僕の家。前も来ただろう?」

そうではない。何故、明智くんの家なのか聞きたかった。

「家なら周りを気にせずに過ごせるし、好きなだけ居ていいよ」

聞かれちゃいけない話も出来るしね、と付け足され、それが理由なのかと悟る。何か養父関係でわたしに伝えることがあるのか。
学校から電車を乗り継ぎ、明智くんの家に向かう。途中でいろんな視線を感じるのは気のせいではない。それもわたしに向けられている。あの有名な探偵が連れ立っている女性としてだろう。ホームで待っている際、後ろから声を掛けられた。他校生の少し派手な女の子二人組が、上目遣いで恥ずかしそうに尋ねる。

「あのー、明智くんですよね?」

「いつもテレビ観てますっ」

「ありがとう」

照れたように答える様に女の子たちはきゃー、と歓声を上げた。

「あのー、こちらの……彼女さんですかー?」

唐突に話題が逸れる。怪訝な視線がわたしと交差した。それもそうか、好いている対象に特定の相手がいるかどうか、気になるところだろう。同じ制服を着ているのだから、嘘偽りなく同級生であると告げようと口を開くが、腰に腕を回され軽く引かれる。

「……内緒、かな」

「えー、なんですかそれー」

「大人の事情ですね! というか、めっちゃお似合いですっ」

軽快な音楽が鳴り、ホームに入ってきた電車に乗り込むわたしたちを、女の子たちは応援してます、と手を振って見送ってくれた。扉の前に並んでいるため、ガラスに反射する彼の顔しか見えない。

「……同級生って答えるのが正しいんじゃないです?」

「だって、僕たちは普通の同級生じゃないから」

女の子たちに向けられた微笑みは既になく、わたし以外の誰にも見られていないと理解し横目で見下す。確かに明智くんの言う通り、普通ではない。ではわたしたちの関係は何なのだろう。彼の指示に逆らえないのは養父が関わっているからだが、彼は養父の協力者で、そんな彼にとってわたしは利用出来る存在だ。この関係に名前なんて付けられない。
駅を出て明智くんの家へと向かう。日は沈み始める前だが、駅から出てくる学生が多くみえる。無言だった彼が唐突に話だした。

「瀬那さんって、いつもご飯はどうしてるの?」

何事かと思ったが、視線の先にスーパーがあり特に意味のないものだと思った。

「簡単なものなら作れるようになったので、出来るだけ自炊してます」

「え、そうなんだ……意外」

どういう意味の意外なのか。実際、惣治郎さんに教わって出来るようになったのだから、あながち間違いでもないのか。しかし、そんなに不器用そうに見えるのか。

「明智くんはどうしてるんです?」

「僕? 僕は時間の無駄だから買ってるよ。おかげさまで、お金には困ってないし」

君もそうだと思ってた、付け足される言葉はわたしの罪の話。最低限の生活費は毎月振り込まれているのだから、本当はアルバイトなんてする必要はない。それでも、せめて使わずにいられたら。振り込まれたお金がどうやって稼いだものなのか知っているから。

「そんなことしても、無意味だよ」

わかっている。ただの悪あがきだ。自分で稼いだお金だけでは生活なんてできないし、今まで生きてきた分もある。明智くんが言うことは何も否定できない。

「ねえ、お腹空いたし何か作ってよ。瀬那さんの手料理、食べてみたい」

「……いえ、そんな披露できるものは作れませんので」

「それで構わないから」

了承する前に引きずられてスーパーに連れていかれた。一般的なところよりも少しだけ高級志向の品揃えだが、かごを持っている明智くんはなんだか不釣り合いに感じる。何が食べたいのかによって買うものが決まってくるのだが、彼は自炊しないといっていたので、量のあるものを購入するのはもったいない。本当に作れるものの種類があるわけではないので悩んでしまう。

「何か……食べたいもの、あります?」

「ん? お任せするよ」

それが一番困る回答だ。好きなもの、嫌いなものも知らない。甘いものはよく食べている印象がある。わたしの玉子焼きもそうだ。

「そんなに悩まないでよ。大事なのは瀬那さんが作ってくれるってところだから」

入口近くの青果売り場から動かないわたしを見て、耐え切れずにお腹を抱えて笑い始める。真面目に考えすぎなのだろうか。聞くとフライパンと小さめの鍋はあるらしいので、それで作れる主菜、副菜、汁ものと決めた。必要な材料を購入し、会計をしてくれたのも荷物を持ってくれているのも明智くんだ。少し前を歩く背を見ているとよくわからなくなる。この人が優しいのか、それとも。
明智くんの家に着き、さっそく料理の支度にとりかかる。エプロンはないのでブレザーを脱いでワイシャツになり、ハンガーにかけてもらった。そのまま明智くんには台所と一続きの居間で待っていてもらう。
さて、お米は急速だと三十分程で炊けるはずなので、遅くならないように作ってしまおう。既に切られているごぼうと人参が詰められている袋を開けて、油で炒めて、砂糖と醤油で煮詰める。一旦冷ますと味がしみ込むので、その間に魚をコンロにで焼きながら、小さめの鍋でお湯を沸かして、出汁と具を入れる。使った食器を洗っていると背後から気配を感じた。

「手際いいね」

「もしかして嘘だと思っていました?」

「まさか……でも、なんか」

壁にもたれ掛かかり、腕を組んでこちらを見ているだけなので、本当に空腹で待ち疲れたのかもしれない。もうそろそろ出来上がるので、皿によそっていこう。コンロを開けると魚の香ばしい匂いがするが、焼き過ぎてはいない。あとは鍋のお湯にお味噌を溶かして完成だ。コンロの火を止めたとき、すぐ背後に気配を感じた。

「……こういうのも、悪くないね」

腕が回され、その驚きで身体が反射的に揺れる。耳元から明智くんの声がして、すがるように、逃さないようにきつく抱き締められた。

「誰かが自分のためにご飯を作ってくれたりしてさ、家族ってこういうものなのかな」

彼も家族のことをあまり覚えていないのか。もしくは母のことを思い出しているのかもしれない。わたしは彼が何歳まで家族と過ごしていたのかわからない。幼い頃から親戚中をたらい回しにされた、と言っていたのであまり長い期間ではなく、親戚は家族として扱ってはくれなかったのだろう。わたしたちは同じ痛みを抱えている。
孤児院の人も養父も口では家族だ、と言ってくれたけれど、本当にそう呼べるものなのか。特別に誰かに愛されたこともなく、そもそも愛するということがわからない。孤児院の人は良くしてくれたけれど、当たり前だがわたしだけが特別ではなかった。

「わたし……、家族ってよくわからない……」

それでは養父は? 抱きしめられていた腕を握りしめる。それをすり抜け、大きな手がわたしの顎に添えられぐっと後ろを向かされた。目の前に男の人の顔があり、薄く開いた唇がわたしのそれに引き寄せられるように重なって……。

「――っいや!」

咄嗟に手を振りほどき、明智くんの腕から逃れ距離を取った。嫌悪よりももっとこの身を支配するものは恐怖。小刻みに震える身体を自分自身で抱きしめる。あの一瞬明智くんではない人間が脳裏に浮かんだ。突き飛ばされた彼は、呆然としていたがやがて目元を隠し乾いた笑い声を上げる。

「……はは、やっぱり血は争えないのかな」

謝罪を述べなければならないのに、歯の根が合わず声が出ない。怖い、大丈夫、怖い、落ち着け。反復し続けていると、携帯の着信音が鳴り響く。明智くんが受話向こうの相手を冴さん、と呼んだところをみるに、会話の内容に察しがついた。

「怪盗団から奥村邦和へ予告状が送られたって。明日、僕たちもパレスに行くから、いいね」

「……わ、たし、は……行く理、由」

「だめ」

頭を振ってもすぐに拒否されてしまった。まだわたしを共犯者として連れ回したいらしい。戦えない足手まといだというのに、わざわざそんなことまでする理由はなんなのだ。

「ごめん。せっかく作ってくれたんだから、冷める前に食べよう」

動けないわたしに代わって皿によそって運びはじめる。この話はもうどうにもできない。ただ密かに、怪盗団の無事を願うしか、できない。
(2019/9/22)

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