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「すごい盛り上がりだね、ほら」

オクムラフーズのビルの前で携帯を眺めながら明智くんが呟く。渡された携帯に映されていたのは怪盗お願いチャンネルで、依頼をする相手に対して面白おかしく中には辛辣に、早く奥村を謝罪させろという文章が追いきれない速さで書き込まれている。これをみんなが見ているのかと思うとやりきれない気持ちだ。自分たちと同じように、理不尽な大人から世の中の困っている人を救うために危険を冒しているというのに。

「さあ、そろそろ行こうか」

「……何を、しに行くのです?」

「ついてくればわかるよ」

差し出された手に彼の携帯を返すと、イセカイナビを起動しわたしたちはパレスへ進入する。中は鉄の塊と多色多様の光模様が規則的に並ぶ近未来の建物だった。警報が鳴っているのは予告状を出したせいだ。ガラス張りの天井から見えるのは闇。このパレスは一体どこに建っているのだろうか。

「どうやら外は宇宙のようだね。奥まで行くから、離れないで」

見上げていたわたしを追い越し先を進んだ背中は、わたしと同じ制服から宇宙と同じ黒に染まった外套と衣服に変わっていた。パレスに迷い込んでイセカイナビを持っているのなら、ペルソナを手に入れていてもおかしくない。でも仮面の色を見て、パレスに来た理由を察してしまった。

「……どうしたの、瀬那さん?」

ペルソナを持つ者の証である仮面は頭部に短い角が二本生えており、顔の上半分が覆われ赤い双眸が隙間から覗いている。それは学校で見ていたものでも、パレスに入る前のものでもない、初めて感じる突き刺さる視線。

「ねえ、どうしてそんなに怯えてるの?」

「その……仮面、は」

「ああ、前にパレスに入ったときにこの力に目覚めたんだ」

口角は綺麗に上がっているのに瞳は笑っていない。前に、というのは最近ではなく、ずっとという意味にもとれる。そして、もし暁くんの情報が真実だったとして、わたしの憶測が正しければ、このままパレスの奥に行って起こることはひとつだ。しかしわたしに何が出来る? こうやって彼の目の前に立ちはだかっても障害にすらならない。

「どうしても、行かなければいけないの?」

「……そうだよ」

「やめましょう、もう怪盗団の正体も追い詰める材料も出来たでしょう。もうこれ以上は――っ」

「そんなこと……言わなくてもわかるだろ?」

制服のネクタイを強く引かれ、身体が僅かに持ち上がる。喉が締まり声を発したくてもかすれてしまう。至近距離で見下される瞳は歪んでいた。黒い仮面の奥で。

「……ぁ、けっ……ん……くるし……」

ゆっくりと明智くんの手が降ろされ脇に放れる。軽く咳込んでいても、何の反応も返ってこない。同じ位置で微動だにせずこちらを見ている。

「……無駄話してる時間はない。さっさと行くぞ」

わたしの腕を掴み立ち上がらせる。行きたくないと足に力を入れてみても、彼に勝つことなんてできるはずもなく、ただ子どものように駄々を捏ねているだけになってしまう。戦えないわたしを無理やり連れてきても問題がない程、襲ってくる者がいない。先行している怪盗団が倒したのだろうか。ひたすら鉄の通路と扉を進んでいくと、一際開けた場所にたどり着いた。空洞の中心には円盤が浮いており、上を見上げると明智くんが言う宇宙と繋がっている。

「あれを動かすためのコアが奥村のオタカラだ。政界に行くのに宇宙船だなんて、ガキっぽくて笑っちゃうよ」

そもそも行けないのにさ、と嘲笑する。やはり明智くんがそうなのか。

「ほら、見てみろ」

明智くんが指さす方のは部屋の向こう側で怪盗団のみんなが戦っていた。対峙しているのは頭に透明のヘルメットを被り、黒い外套と恐らく宇宙服に身を包んだ奥村邦和のシャドウだった。覗くために顔を出し過ぎたのか、後ろから明智くんの手がわたしの口と身体を押さえ込み柱の陰に隠す。
暁くんと手を合わせ入れ替わるように奥村さんが先頭に出る。羽根付き帽子にドミノマスクを付けた彼女がそのマスクに手をあて呼び出したのは、ピンクのドレスに扇子を持ったペルソナ。それは躊躇いなく実父のシャドウに魔法を使用していた。オクムラは自分が座っていた機械的な椅子から落とされ、地面で蹲る。怪盗団の改心は成功したのだ。

「奴らがここから出たら、行くぞ」

「でも主を倒してオタカラを盗むと、パレスは実態を保てなくなるって」

「だから時間がないって言っただろ。ぐずぐずするな」

パレス内で大きな音がし建物が揺れる。モルガナがオタカラを手に入れたことでパレスが崩壊し始めたのだ。それでもまだオクムラに何かを問いただしている。彼が現実世界で何をしていたのか、そして黒い仮面の人間を知っているのかを聞いているのだろう。目的の人物は今、わたしの隣にいる。その手に銃を握って。
もしオクムラが消えてしまうとどうなる? イセカイの主が消えてしまうと……『廃人化』、『精神暴走』、もしくは自ら……死を選ぶ。明智くんはそのためにここに来た。やはり奥村は養父とつながっていて……。
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。怪盗団が今まで成し遂げたことが全て無駄になってしまうことを避けるにはどうすればいい。やがて砂埃が天井から落ち始め、怪盗団に続き奥村さんが後ろ髪引かれるように、この部屋を最後に出て行こうとしている。それと同時に明智くんの銃が狙いを定め始めた。部屋の中心、オクムラに。

「こうするとわかっていて、どうして連れて来たんです?」

両手を広げて射線を遮る。こんなこと無意味だけれど、わたしは無力だけれど、奥村が『廃人化』してしまうのは最悪の事態だということが理解できてしまうから。

「そんなことしても無駄だ、君ごと撃っても構わないんだから」

「……撃つなら、撃ってください」

わたしなんてみんなの役に立てるのならばどうなってもいい。しかし黒い仮面の下で憎悪が痛いほど溢れているのを受け止めるのが精いっぱいだ。その時、建物が大きく揺れ、足元がふらついた。パスッと空気が抜ける音と共に左頬に走る一筋の熱さ、遅れてくる痛み。手を触れると微かに赤く染まる。振り返るとオクムラは既に力なく倒れ、明智くんは銃を下ろしオクムラの元へ向かっていた。あとを追い、背中から腕を回して引き留める。

「やめて、お願い……」

これ以上、明智くんにこんなことをして欲しくないのに。養父のために手を汚す理由は何なのか。オクムラを見下ろしたまま、銃を持った手がゆっくり上がる。

「もう遅いんだよ、何もかも」

絞り出された言葉と、放たれた銃弾。彼の身体の向こうで物体だったモノが黒く霧散して消えていくのが見えた。ああ、もう戻れないところまで来てしまっているのか。膨れ上がった罪と拭えない罰だけが溢れ、零れ落ちるものは何もなかった。
これ以上長居しては消滅に巻き込まれる。無言のまま明智くんとパレスを後にし、彼に連れられるままわたしの……養父の自宅に来ていた。以前明智くんと鉢合わせた書斎のデスクに座り、誰かと話している落ち着いた声が聞こえる。部屋に入り扉の横で待つのは、それ以上入ってはいけないからだ。明智くんは真っすぐデスクまで進み、その人物と向かい合った。

「君か。今『掃除』の件で話していたとこだ」

携帯電話をデスクに置き、明智くんを見上げるのは黒のジャケットを羽織り、下のみの黒いフレームに薄いオレンジの色付きレンズ、顎髭を蓄えたスキンヘッドというあまりにも政治家とはかけ離れた見た目の男。名前は獅童正義、わたしの養父であり次期総理と言われている衆議院議員だ。随分と久しぶりに顔を見た。明智くんは日常生活での対応と同じく爽やかにほほ笑んでいる。

「問題なく終わりました」

「よくやってくれた。あの女の研究の通り、君の力は本当に役に立つ」

「うまく使えているのは獅童さんのおかげですよ」

女、研究、力……ペルソナの、『認知訶学』の話をしているのだろうか。やはり養父は知っていて明智くんの力を利用しているのだ。養父に『認知訶学』を教えた女性は誰なのだろう。思いついたのは双葉ちゃんだったが、すぐに改める。双葉ちゃんは研究をしていたのではない。彼女の母が行っていた研究を探していると思いいたったとき、血の気が引いていくのが自分でも分かった。

「謙遜はいらない。そうだ、何か欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」

「そうですね……、では彼女を頂けますか?」

「それでいいのか? 女としても使えない人形だが」

「ええ」

「君も物好きだな。書類上は私の養女となっているから、面倒事を起こさなければ好きに使ってくれて構わない」

「ありがとうございます」

結局養父は一度もわたしを見ないまま話は終わり、明智くんに連れられて書斎を後にする。名前を呼ばれることもない。その方がいいのに、どうしてこんなにも苦しいのか。

「今日はもう帰ろうか、疲れたよね」

「……さっきみたいに話し、していいですよ」

「傷の手当もしないと。女の子なのに痕が残ったら大変だよ」

エントランスで足を止め、わたしの頬に優しく触れた。相反する鈍い痛み。彼がつけた傷なのに、そんな顔をされては何も言えない。

「ごめん、治してあげられなくて」

「いえ……もう、いいんです」

本当に何もかも遅かったのだ。暁くんのことも、……双葉ちゃんのことも。全てはわたしの知らないところで既に起こり、終わっていた。明智くんのことだって、多分……そうだ。わたしはきっと仮面を付けて微笑んで、生かされていくだけ。
(2019/10/6)

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