67


めげることなく暁くんから誘いのメッセージが届いたのは放課後のこと。有名な遊園地に打ち上げと奥村さんの歓迎会を兼ねて行くから一緒にどうだろう、というものだ。夜には奥村邦和社長の緊急記者会見がある。多分それもみんなで観る予定なのだろう。迷わず断りを入れた、行けるはずがない。
それでもパレスでの出来事は夢だったのかもしれないと願っていたが、同日に音沙汰のなかった明智くんに呼び出され、自分はどれだけ馬鹿なんだろうと思い知った。

「遊びに行ってもよかったのに、面白いものが見られたかもしれないよ」

「そんな趣味はありません」

皮肉めいた言葉遣いで笑う。出来れば真っすぐ家に帰りたかったのに諦めて通された居間に座った。再び訪れた明智くんの家は前よりも少し片付いている。

「ごめんね、まだ散らかってて。気になるものでもあった?」

「いえ……」

続かない会話。流れるのはテーブルの上に置かれたパソコンのテレビ音声のみ。もうすぐ会見が始まると、現場で中継をしているテレビ局の人間がざわついている。時刻はまだ夕方よりも少し針が進んだくらいだが、既に日は落ちてしまっていた。きっとわたしの家にはテレビがないのを知っていて呼び出したのだ。それ以外にも理由はあるだろうが、逆らう気が無ければ考えても意味がない。
明智くんは飲み物の準備を終え、自然にわたしの隣に腰掛けた。すると都合よくパソコンの画面が激しく明滅し、会場に入ってきた対象者を多数のカメラが撮影し始めた。頭を深々と下げている奥村邦和社長が画面の真ん中に映されている。表を上げると、他の標的と同じく強い懺悔を感じさせるものがあった。

『この度は、お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます。本日は、弊社の労働実態につきまして、すべてをお話しさせていただく所存です。』

ビッグバンバーガーで働いてはいたがただのアルバイトなため、実際のところ会社内で何が行われていたのか、この中継を見ている人間と共にそれを知ることとなる。

『社員に過酷な労働を強要したこと、贖罪の衛生管理がずさんであったこと……そしてそれらを企業ぐるみで隠ぺいしたこと。誠に、申し訳ございませんでした』

再び頭を下げ、大量のフラッシュがたかれる。末端まできていた噂は本当だった。何も知らなかったとはいえ、加担していたのかと思うといい気はしない。遠慮なしに名乗りもせず新聞記者が奥村社長を問い詰めていく。

『社長に指示のうえで行われていたと……そう、とらえていいんですね?』

『……はい。私の不徳の致すところです……』

『御社の関係者で病気退職された方が十数名にのぼるとか。しかも海外出店を反対していた役員、そして同じタイミングで出店を狙っていた競合他社の担当者ばかりなんですが、これって偶然なんですか?』

『それについては……重大な事実の発表があります』

改心させられてしまえば全てを告白してしまう。奥村社長は政界進出を狙っていた分、養父に近かったのだ。だからこそ、この先どうなるのかわかってしまう。

『実は……ん……あぁ……あ……』

怪盗団が待ち望んだ時間が訪れたそのとき、予定調和のように奥村社長は胸を押さえ苦しみ始めた。絞り出した声と共に天を仰ぐと一気に机に倒れ込む。次に顔を上げたとき、思わず委縮した喉が鳴った。白目を向き、血の気の引いた顔面の全ての穴から、血液とは違う黒いドロドロとした何かが流れ落ちている。

『きゃあああ!』『撮影止めろ!』『社長!?』

男女問わずたくさんの叫び声が入り乱れ、画面は上下に揺れたあと『しばらくお待ちください』と書かれた花畑の画像に切り替わった。これが、廃人化? 想像していたものと違う。自ら死を選ばせるものではなく、得たいの知れない……イセカイで蠢いていた何かに似たものが身体を蝕んでいるように見えた。気分が悪くても倒れるわけにはいかず、制服のスカートを握りしめて耐える。
待っていても会見が再開されることはないと知っているからだろう。明智くんはパソコンの電源を落とした。

「改心させられたと言っても、あんな場で話そうとすればこうなるってわかると思うけどな」

「養父との……新政党との繋がりのことですね」

ただ奥村社長が未来連合から出馬するので養父が手助けをしていた、というのならば後ろめたいことはない。しかしこれには、今日の記者会見で起こったことも含まれているだろう。つまり、明智くんを使い自分にとって邪魔な人間を廃人化させる依頼を養父にし、お金を渡していたとすれば。

「今まで奥村社長から仕事として廃人化を請け負っていたけれど、改心されたことで口封じのため、廃人化を起こした……」

「これから総選挙があるっていうのに、そんなスキャンダルがあったら台無しでしょ?」

明智くんは大したことないように簡単に言い切ると立ち上がり、お馴染みのジェラルミンケースを持ち出した。パソコンや捜査資料と思わしきものを入れているところをみると、これから出かけるらしい。
何としてでも総理の座を我が物としたい養父からすれば、自分の思い通りにならない人間など排除対象でしかない。どんなに自分に尽くしていたとしても、あっさり切り捨てていくような人間なのだ。わたしが知らないだけで、今までどれだけ人間が消されたのだろうか。
不可解なことと言えば、奥村社長のパレスから帰った日の明智くんの言葉が引っかかっていた。

「どうして、わたしなんか欲しいと言ったのですか」

わたしに価値などないと言ったのは彼自身だ。準備が終わったのかジェラルミンケースの鍵をパチンと閉め、わたしの隣に再び腰掛けた。

「それは、獅童さんの許可を取らなくても君を好きに出来るからだよ。その方が何かとやり易いからさ」

「……何が目的なの?」

「彼らと引き離すこと」

真剣な顔をぐっと寄せられ赤い双眸がわたしを見透かしていく。

「楽しかっただろう? 彼らと一緒に行動して、怪盗ごっこで世の中を騒がせて人助けをした気分に浸る。所詮人形なのに」

「そんな……」

否定、出来ない。言われて気づいたのだ。ルブランに行くのが楽しみだったこと。惣治郎さんも双葉ちゃんも、わたしに何も聞かずに人間として接してくれた。怪盗団のみんなもそう。仲間だと言って、わたしの知らないところに連れて行ってくれた、色んなことを教えてくれた。

「でももう会えないね。だって、廃人化を止めなかった瀬那さんは、怪盗団じゃなくて僕の仲間でしょ?」

それは違う、止めたかったけれど止められなかった。頭を振っても、結果は変わらないのが事実。結局わたしは何も成しえない人形だった。どうしてここまで執着するのか。価値のないものに対しての労力とは思えない。これではまるで。

「わたしを、憎んでいるの?」

何が可笑しいのか、明智くんは軽く声をあげて笑う。長い指が、黒い手袋が、歪んだ口元を覆っているが隠しきることが出来ていない。その瞳はあの日、パレスの中で見たときと同じ、冷たいものだった。

「そうだね。まだ時間があるし、昔話でもしてあげるよ」

「昔……話?」

「僕の母はロクでもない男と愛人関係になって僕を身籠った後、手酷く捨てられ、身体を壊して早くに亡くなったって話の続きだよ」

以前に聞いた話だ。それがどう関係あるのか、全く予想がつかない。不安を隠せないでいる様を見、ふっと、冷ややかに微笑まれる。

「その男は実子を捨てたくせに、養子を迎えたんだ。僕を探しもしないで」

養子という単語、今この話をする意味。

「僕は色んなところを転々とさせられて、学校に行かせてもらうのすらやっとで、裕福とは遠い生活だったのに……、その女の子は全てにおいて不自由なく暮らしてたよ」

「誰の話を……」

「まあ、別の苦労はあったみたいだけどね。これだけじゃなくて、卒業後の事とかさ」

明智くんは自分の腹部に手を当てて、暗にわたしの傷痕に直に触れたことを示している気がした。婚約者のことも知っている、いや、消したのは彼……?

「獅童が……明智くんの父親……? だから、無条件に……協力、する?」

「母をあんな風にした奴に?」

はっ、と呆れたように息を吐くと、いきなり彼の大きな手がわたしの口に押し付けられた。これ以上喋らせないようになのか、おかげで呼吸がままならない。

「まさか。確かに、獅童は僕の力を使って自分に不要なものは全て排除した。そしてビジネスとして政治資金にも流している。獅童の部屋でファイルを見たんだろう? 何にせよ、奥村を殺したのは怪盗団のせいになる。これで世論はひっくり返り、それを利用して反怪盗団の筆頭として獅童が総理になる。これが奴のシナリオ。でも僕にとってはそこからさ」

手からは解放されたのに今も酸素が入ってくる気がしない。楽しそうに語るのは全てをさらけ出すことが出来たからなのか。

「だからこれは協力じゃないんだよ。復讐なんだ。母を捨てた父と、馬鹿な人形への、ね」

「その、ため……」

頭が回らない。明智くんの言葉を真っ直ぐに理解することを拒んでいるかのように。飲み込んでしまえば、わたしは誰よりも明智くんを傷つけていたことを認めてしまう恐怖があった。これ以上は受け入れがたく思わず立ち上がるが制止された。

「今日はもう遅いから泊っていってよ。僕はこれから出かけるから好きに使って」

「いえ……帰ります、帰らせて……」

「やめておいたら、どんな顔して彼に会うつもり? ここで彼らが破滅に向かう様を待つといいよ」

それじゃあ、と重苦しい空気とは正反対に部屋を出ていく後ろ姿を見送って崩れ落ちた。泊るための着替えとタオルを手渡たされたが何もする気力が沸かない。
微かに香るのは暁くんとは違う匂いで、どうしてか心臓が痛く、目の前が滲む。わたしは明智くんすらも苦しめていた。罵られても当然だが、時折悲し気な顔をする彼のことが全くわからなくなってしまった。
暁くんに会いたい。彼ならきっと、この苦しさを和らげてくれる。でも、もうこれ以上、彼を巻き込めない。わたしを生かしていたのは、誰かの命と引き換えに得たものだった。そんな理不尽で溢れている世の中を改心させている怪盗団と、どうして仲間だなんて思い込んでいたのだ。明智くんの言う通りだ。一緒に行動し、彼らの優しさに思い違いをしていた。
人形は人形であるべきだ。その道を外れたからこそ、こうして歯車が少しずつ狂っていく。もうやめよう、何もかも無駄なことだ。瞳を閉じ、忘れていた感覚を取り戻していた。
(2019/11/3)

prev / back / next