72


秀尽学園祭での講演会当日、わたしからは何も言わなくても、当たり前のように明智くんに連れてこられた。他校生というだけでなく、テレビ出演までしている探偵王子と並んでいる女生徒が注目されない訳もなく、待ち合わせ場所として裏口を指示されてよかったと心から思った。駅から学校までの道のりでちょっとした騒ぎになるくらいだ。校内では出来るだけ二人きりにならずに行動出来ればいいのに。

「本日は講演会の話を受けていただき、ありがとうございます」

深々と頭を下げて招き入れてくれたのは、秀尽学園生徒会長、明智くんに今回の話を依頼した新島真さんだった。初対面のときを思い出す、鋭い眼差し。どうやら向けられているのはわたしではなく明智くんのようだったが、彼は全く意に介さず微笑んでいた。

「そういう堅苦しいのはなしにしようよ。知らない間柄じゃないんだし」

「そう言ってもらえるなら助かるわ」

あくまで開催責任者として接しようとしていたが、その一言であっさりと学生らしい振る舞いへと変わる。但し、互いに走る緊張感は相変わらずだった。

「それで、どうして御守さんもいるのかしら」

「あれ、もしかして、ゲスト以外は入ってはいけなかった?」

わざとらしい驚きに、そういう訳じゃ、とたじろぐ彼女を更に押していく。どうやらこの手に弱いらしい。別に何の問題もないことくらい明智くんが知らないはずはない、という思考も飛んでしまっているようだ。何故なら、洸星高校の喜多川くんも来ていると確信しているから。

「僕が無理に一緒に来てって言ったんだ。同行者ってことで多めにみてよ」

「ご迷惑お掛けします」

「……いいわ、大丈夫だから。とりあえず、簡単だけれど控室を用意したから移動しましょう。ついてきて」

わたしは今日、怪盗団と相対する側としてこの場に来た。馴れ馴れしく接してしまえば、最後の仮面も離れたときの決意も呆気なく崩れ、全てが無駄になる。それだけは避けたかった。たとえ裏切り者として見られたとしても。
学園祭という華やかかつ楽しげな雰囲気の中を新島さんについていく。会話もなく、明らかに場違いな空気を纏っているのに、明智くんの姿に気がついた生徒は目を奪われ足を止めていた。
二階への階段を上り、右へ曲がった先の突き当りには重厚そうな両開きの扉が見えた。その上に室名札が付けられてるが読まずとも体育館であろうことは、途中から廊下の作りが木製から鉄骨に変わっていることから、何となく理解できた。公演を行うのは体育館だと聞いていたので、近くの部屋を控室にするのは警備もないとすれば妥当だろう。
体育館に続く扉の横に別の緑の扉が見えたとき、背後から聞き慣れた声がわたしの名を呼んだ。問題はない、覚悟は出来ている。ゆっくりと振り返ると怪盗団のみんなが揃っていた。

「え、ウソ、何で瀬那も一緒なの」

「今日学校じゃねえのか?」

高巻さんと坂本くんが不思議そうな顔をしている。確かに今日は学校があったが、招かれた彼が教師に直接話をして『どうにか』してきたらしい。詳しい内容は知らないし、訊いても教えてはくれなさそうだ。

「明智くんがついてきてって頼んだそうよ」

半ば呆れた口調で新島さんは説明をする。本当の理由を知らないならば、ただ自分が講演する場を見て欲しくて我儘を言ったようにしか見えない。おそらく彼女は、そんなことを明智くんがするなんて、と思っているのだろう。
そうなんだ、と同意しながらさりげなく明智くんが坂本くんの前に立ち微笑むのに対して、ポケットに手を入れたまま坂本くんは睨みつける。彼はずっと明智くんに対して敵対心を露わにしていたのだ。今更隠せる程に器用ではないのは目に見えていた。

「探偵さまは学校にも口が利くってか」

「まあね、僕と瀬那さんは本当の優等生だから信用もあるし、君と違ってさ」

「んだと!」

「ちょっと、だめだって!!」

突然の怒鳴り声に反射的に身体が痙攣したが、今この場でしゃがみ込むわけにはいかないと、制服のスカートを握りしめて耐えた。明智くんに掴みかかろうと伸ばされた腕は、高巻さんの細い腕が絡み取り届くことはなくその場に止まる。歯を食いしばり、怒りを堪えて腕を下ろすと、坂本くんは無言でどこかへ行ってしまった。

「待て、竜司」

「追いかけよ! ……瀬那、ごめんね。行こう、みんな」

「まこちゃん、司会がんばって。私たち、ちゃんと見てるから」

「わかったわ」

三人を見送るわたしたちの背後から、奥村さんへ答えた声とため息が耳に届く。とりあえず高巻さんのおかげでこの場はどうにか収まった。

「……お願いですから、無意味に争うのはやめてください」

袖を引き、窘めてはみるものの、震えている声は完全に隠すことができずにいるわたしに、少しだけ申し訳なさそうに明智くんは眉尻を下げる。

「ごめんごめん、余りにも分かりやすくて」

「こちらが招いた側なのに、騒がせてごめんなさい。すぐそこが控室だから」

「そうだね、行こうか」

すぐそこだと言われたのに、袖を掴んでいた手をわざわざ握り返され、されるがままに歩を進めたとき、悲痛な叫びが再びわたしを呼び止めた。

「瀬那!!」

「双葉、やめろ」

残された二人、暁くんが双葉ちゃんの肩を掴み、前のめりになった身体を引き止める。それを振りほどき、向き合う先をわたしから暁くんへと切り替えると頭を振って叫んだ。

「やだ! だってあれじゃ、あれじゃまるで……」

口篭もる理由は、口にしてしまえば事実になってしまう気がするからだろうか。彼女が何を思ったか、きっとわたしが暁くんを傷つけた言葉と同じだ。そんな彼が反論しなかったことで自分には知らされていなかったのを察し、表情が歪む。

「知ってたの? 悔しくないの!?」

「瀬那が選んだんだ、俺たちがどうこう言えるものじゃない」

「そんなのやだよ……暁」

問い詰めたが冷静に諭されたことで、双葉ちゃんは今にも泣きそうな顔に変わり、次第に俯いてしまった。普段では考えられない、低く抑揚のない声がわたしを突き刺す。

「ねえ、なんで、『あれ』置いていったの……?」

「もう、必要がなくなったからです」

「でも」

「本当に今のわたしには要らないですから。長い間持たせてくださってありがとうございました」

「……わかった、もう行こう、暁」

こちらを見ることなく、暁くんの腕を引っ張り坂本くんたちを追いかけ、他の生徒の中に埋もれていく。見えなくなる前に、わたしたちも当初の目的通りにすぐ近くまで来ていた体育教官室に入った。
それなりの広さがある部屋の真ん中に折り畳みの長机と、その上には水のペットボトルとよく見るメーカーのコーヒーボトルが置かれている。学園祭だが一応来賓のため、明智くんにと用意したのだろう。壁際には冷蔵庫、コピー機、机が二つ、テレビと並び、掲示板や壁に掲示物が沢山貼られている。片づけられたとは言い難い空間の中で、右側の机だけ、何も載っていないのが気になった。そういえば、怪盗団が一番最初に改心させたのは秀尽学園の体育教師だ。そこが空席なのは、荷物が捜査のために持っていかれたか、代わりの人間がまだ見つからないか。何にせよ警察の捜査やマスコミ対応、学校行事と余裕のない中で、間に合わせで部屋を用意したのは明らかだ。

「こんな場所で申し訳ないけれど、ここで待っていてもらえるかしら。時間になったら迎えに来るわ」

「うん、わかったよ」

「それじゃあ、また後で」

軽く会釈すると新島さんは静かに教室の戸を閉めて出ていった。見送るのもそこそこに、明智くんが用意されたコーヒーボトルに手を伸ばして中央の席に座る。ボトルを捻ると空気の抜ける音が鳴った。

「そんなところに立ってないで座りなよ。講演会までまだ時間あるよ」

「……はい」

ぴたりとつけられた机二つに椅子が四つと何故だか多めに用意されており、わたしは彼の正面だが向かい合わない斜めの位置に腰を下ろした。それに苦笑いが返ってくる。

「あの子……佐倉双葉ちゃん、だっけ。彼女が言ってた『あれ』って何のこと?」

「彼女から借りていた物です。返し忘れてしまっていたので、引っ越す機会にお返ししただけです」

「そうなの?」

「はい。直接顔を合わせなかったので、怒らせてしまいましたね」

静かに微笑んで見せると、明智くんはふうん、と聞いてきた割には素っ気ない態度でコーヒーを飲み始めた。彼女が怒ったのは、明智くんとの関係を暁くんに伝えたただけで、わたしの口から告げなかったことが原因だと思われる。それ以上の追及はなかったが、彼の疑念がこんなもので誤魔化せるのならばありがたいのに。

「それにしても、あんなに君に懐いているとは思わなかったな。僕のこと、目の敵にするくらい」

そう呟く彼の顔はあの時パレスで見たのと同じで瞳だけは笑っておらず、息が詰まり、静かに目を逸らした。会話は途切れ、楽しげな声を遠くに聞きながら、時間まで静かに過ごすことになった。
双葉ちゃんが濁してくれたことに便乗し、わたしも明確に答えなかった『あれ』とは、暁くんに貰った人形のことだ。せっかく密かに置いてきたのに言ってしまえば意味がなくなってしまう。黙っていなくなったことも、きっと怒っているだろうに、わたしが置いていった人形を棄てず、何かを察して明智くんには話さずにいてくれている。どれだけ助けられているか伝えられたなら。自分に都合のいい話ばかりが思考を占めるが、それはもう叶わないことだ。
(2020/2/2)

prev / back / next