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講演会開始の時間が近づき、体育館へと続くこの教室前の廊下が徐々に騒がしくなってきた頃、新島さんが迎えに来た。何故か暁くんを後ろに連れて。
「お待たせ、それじゃあ、体育館に案内するわ。でもその前に」
そう言って、彼女の瞳はわたしを映した。
「御守さんだけど、ここで待っててもらうの? まさかステージ上まで一緒に行くなんて言わないわよね」
よもや、講演会を見に来ている方々にでも紹介するのではないかと、半分疑っているようだ。問われた彼は席を立ち、より出入口に近い位置のわたしの隣へ歩み寄りながら答える。
「もちろんそのつもりだよ。講演しているところを見て欲しくて連れてきたんだから、僕の一番近くで、ね」
「それは……致しかねるわ」
さり気なくわたしの腰に添えられた明智くんの手と、隣の暁くんを交互の見やり、新島さんがゆっくりと首を振る。それは責任者として当然の回答だった。期待していた来賓と共に突然知らない女が現れて、しかも身体を寄せ合っているのを見せられては、不快感しか沸かない。そんなもののために彼らは講演会を開いたわけではないのだ。
「冗談だよ、半分ね」
「面白くない冗談だ」
「そう? それはごめん」
「言葉遊びはもういいわ。結局、私はどうしたらいいのかしら?」
わたしから手を放し、睨む秀尽の二人を軽く笑っていなす。これから、取引を持ち掛けて怪盗団の中に入り込むと言っていたのに……。問題がないからやっているのだとは思うが、相手が相手なだけあって、自分が矢面に立たされていると息が詰まる。
「講演会の間、瀬那さんを預けてもいいかな。一人にしておくのは心配だし、君たちなら彼女も安心だろうから」
「お邪魔でなければ、お願いします」
「……大丈夫よ、問題ないわ。でも私は司会の仕事があるから、暁と一緒に行ってもらえる?」
下げていた頭を上げ、新島さんの顔を見て同意をする。わたしは言われた通りに行動するだけ。あくまで無理強いではないように、自分の意志で明智くんに従っているように。
「それじゃあ、瀬那さんは君に預けておくから、よろしく」
すれ違いざまに暁くんの肩を叩き、先に体育教官室を出た新島さんについていった。残されたわたしは動かずに立ったまま、暁くんが口を開くのを待つ。戸の向こうで大勢の声がしているというのに、時計の秒針がカチカチと刻む音がいやに響き、彼は明智くんが出ていった先を今だ静かに見据えている。
「……物みたいな扱われ方だ」
「ちゃんと大事にしてくれています。暁くんが気に病むことはありません」
事実、衣食住の心配はなく、傷つけられることもない。監視下に置かれていたとしても、あの人の家に居たときとは比べ物にならないほど良い待遇だ。しかし、そんなことは彼は知らないし、説明したくもない。
「講演会、もう始まる時間ですよね。連れて行ってくれます?」
問いかけに視線を合わせた彼の表情は苦しそうで、原因は自分だと理解しているから、一層微笑みを強くする。とにかく仮面が歪むのが怖かった。
「俺たちは目立たないギャラリーから見る予定だ、人が多いから離れないで」
「わかりました」
返事に対して軽く頷き、暁くんは踵を返す。最初にあいていた距離を速足で詰め、その背を追いかけた。彼の手がわたしに伸びることはないけれど、歩幅の配慮と、付いてきているか振り返り確認をしてくれるだけで有難い。
教官室を出て右側にある体育館の扉は開け放たれており、出入口近くはそうでもなかったが、中は既に講演会の観覧者で溢れていた。入って壁沿いに進むと、人ひとり通れるくらいの幅の急勾配な鉄階段があり、手すりに括られた紐には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた紙が付けられている。これで一般生徒は上ってこないということか。会場には椅子が並べられていることがギャラリーから見ることができたが、数が足りておらず、通路や後ろに立ったまま始まるのを待っている観覧者もいた。明智くんの人気は凄まじいと改めて実感するが、本当の彼を知る者は、この会場にわたしも含めて誰一人としていないというのはやるせないものがあった。
「瀬那……」
「先ほどはお騒がせしてしまい、申し訳ありませんでした」
「何でお前が謝んだよ」
「竜司、いい加減機嫌直せ」
狭い通路に居たのは三人、改心をし始めたこの春に最初に集まった顔ぶれだった。狭い通路に全員並んで見るのかと思っていたが、それもそうか、あんな風に突き放したわたしと顔を合わせたくないのも当然だ。
「双葉なら春と一緒に居る」
無意識に探していた姿を暁くんが察し、真下の観覧席を指す。いつものように椅子の上で膝を抱えているのが見え、先ほどのやり取りを引きずっていなさそうで、少しだけ安堵した。
「ねえ、ホントに明智と付き合ってるの?」
青い瞳が揺れていた。あまりにも距離が近いため疑問に思い、暁くんに聞いたのだろう。
「そうです、嘘をつく必要性がありません」
「全然幸せそうに見えないよ……」
「ったりめーだろ、相手はオレたち怪盗団の敵なんだぜ!? なのに意味わかんねーよっ」
幸せのための関係ではない。命令に従った結果だ。流されて、諦めて、こんな生き方しかできない。けれど、今はここに居るのは明確な目的があってのことだ。怪盗団にどう思われようとも構わない。制服の上からペンダントに触れ、あの時の意志を再度確認した。
「誰も得しない話はもうやめておけ。それより、そろそろ始まるぞ」
力なさげには頷きながらも未だ納得しかねる二人は、ギャラリーの柵にもたれ掛かるようにして、わたしから壇上へと視線を移した。その後ろから他の二人と一緒に講演会を眺める。さり気なくポケットから取り出した携帯を握りしめながら。
間もなく新島さんが手にマイクと黒いボードを抱えて上手から現れた。緊張感は相変わらずで、大勢の前と相まって強張った表情になっている。彼女の他には校旗が置かれ、頭上には大々的に『巷を騒がす怪盗団の正体に迫る』と書かれた看板が吊るされていた。
『それではただいまより、講演会を始めます。本日のゲスト、明智吾郎さんです、どうぞ』
拍手と声援の中、同じく上手から明智くんが登壇し、応えるように客席に向かって微笑みながら手を振り、真ん中の演台に着いた。
『本日はお招きいただき、ありがとうございます。でも、なんだかすみません。こんなに集まってくれてるのに……歌手の方とか、マスコットとかの方が、皆さん、嬉しかったですよね?』
笑い声が起こる。生徒のアンケートで選ばれたと明智くんだって聞いているはずなのに、知らないふりをして、こうして周囲の空気を掌握していく力は流石だ。
『本日、明智くんには、巷を賑わせている怪盗団……その捜査過程の実体験など、お聞かせ願えればと思います』
『尋問される側には慣れてなくて……お手柔らかに』
「あいつには何も話してない、よね……?」
恐る恐る、高巻さんが顔だけ振り返り、わたしに問う。色々あったけれど、自分から協力したことはないはずだ。どちらにしても、この場で話していたと肯定する人間もいないだろう。
「何もしていません」
「……私、信じるからね」
「しかし、怪盗団を悪と言ったかと思えば、でも殺人はしてない、と……。真犯人の目星がついてるのか、それとも怪盗団の正体に気付いてるのか……」
「そこんとこ上手く訊き出してくれよ、頼む……真!」
成功を願い、考えを口にする中、リーダーである暁くんだけは黙って壇上の人物へと視線を向けていた。盗み見ているだけでは表情は眼鏡で邪魔されて読み取れない。
『正直言って、どのくらい進んでいます? 怪盗団の捜査……差支えない範囲で』
前置きもそこそこに進行していく様は余裕のなさが垣間見えるようだ。実際逃げ場のない場所で、しかも一人で立ち向かうには相手が悪すぎる。そう思うのは過大評価のし過ぎか。
『いきなり核心、突いてきますね。差支えない範囲……ってことで話すと、テレビやネットにでてるのが……全部です。まだ足取りは掴めていませんし、犯行の手口も、未だ判然としません』
『なるほど……。国家権力をもってしても逮捕は困難を極める……そういう事ですね?』
『あまり大きな声では言えませんが、……まあ、そんな感じです』
『お答え頂きありがとうございます』
高巻さんたちの張りつめた空気が徐々に緩んでいく。認知訶学の存在、改心のやり方を知られていないとしても、連日の報道で不安が募るのも仕方がない。心なしか新島さんの声も柔らかくなった気がした。
『ところで、明智さんは怪盗団と殺人との関連を否定されたそうですが……怪盗団の不正義を訴えてきた貴方がなぜ? 殺人をしていないと言い切れる根拠は?』
『尋問、慣れてません? まるで女検事さんだ』
『失礼しました。私自身、興味ある事だったので、つい……』
再び会場が笑い声に包まれた。矢継ぎ早な質問から慌てて謝罪の言葉を述べ、傍から見ると恥ずかしそうに微笑みながら司会を続ける。比較対象が高巻さんしかいないが、落ち着いていれば意外と演技派なのかもしれない。
『改めてお聞かせ願えますか? 怪盗団を悪だと訴えていた貴方が怪盗団の無実を主張する理由を』
『これまで怪盗団に改心された面々は、奥村も含め、いずれも劣らぬ悪党です。なら……なぜ奥村だけが、殺されなければならなかったのか……』
『なぜ、なんです?』
『その理由……少なくとも僕には見つけられなかった。だからこそ、この件は怪盗団とは別だと考えるべきだと思うんです』
本当によく頭が回る人だ。実行したのは明智くんなのに、そんなこと微塵も思わせない話し方、振る舞いをする。わたしは未だにあの時の冷酷な瞳を忘れることが出来ない。
『それに、もしも……の話です。怪盗団が……僕の知る、彼らなら。殺しをするなんて思えない』
怪盗団の弛んだ空気が一瞬にして緊張感が走り、会場内は周囲を気にせずにざわつきはじめる。
『今の発言……、警察は既に正体を掴んでいる……と?』
『いえ。警察もまだそこまでは……。でも、僕は目星ついています。……怪盗団の正体』
「ハッタリだっての!」
「声でかいって、竜司!」
動揺し声を張り上げるも、それでは自分で正体を明かしているも同じだ。しかし、その気持ちもわからないではない。彼が個人的に交友関係のある人間が怪盗団である、と言っているのだ。しかしギャラリーにいる皆には何もすることが出来ず、新島さんが上手く躱してくれることを祈って、固唾を飲んで行く先を見守るしかない。司会の口が止まった隙を逃さす、明智くんは微笑みで捕らえる。
『訊かないんですか? 怪盗団の正体は? って』
『……本当にいいんですか? 色々と差し障るのでは?』
『あくまで私見ですし、ここで発表するぐらい構いませんよ。でもひょっとしたら……、今日、皆さんはマスコミや警察より先に、真実を聞くことになるかもしれない』
「真実って……」
壇上で睨み合う二人を心配そうに高巻さんは見つめている。誰も声を掛ける余裕なんてなかった。
『……すごい自信ですね。そこまで仰るなら……分かりました。では、お聞きします。明智さんが思う、怪盗団の正体とは?』
逃げるという選択肢を捨てた参謀に、坂本くんは苛立ちを露わに身を乗り出す。その後方で観ていた暁くんと喜多川くんも、無意識なのか、食い入るように柵の近くへと歩を進めた。
「馬鹿か!」
「いや、どうせ証拠なんてないはずだ……」
「それでも名前を出されるのはマズい」
例え白を切ったとしても、明智くんに疑われた人間として噂が広まれば動きにくくなる上、そのうち本当に捜査に上がるだろう。そうなれば怪盗どころか日常生活までままならなくなる。暁くんはそれを身をもって知っているからこそ、誰よりも恐れているのかもしれない。そんなことを携帯の画面をなぞりながら考えていた。
『怪盗団の正体……、それは、皆さんもよくご存じの人たちだ』
その言葉を聞き、通話ボタンを押す。会場に響き渡るのは携帯の着信音。講演会だというのに、マナーモードにしていないのは誰だろうと犯人を捜す観覧客をよそに、携帯を取り出し、着信を止めたのは講演会の来賓である明智くんだった。
『僕のだ、すみません。かかわっている立場上、携帯切れなくて。ちょっと……十分ほどいいですか?』
彼の携帯の音が止むのと同時に、わたしの発信画面が通話終了に切り替わった。役目を終えた携帯をポケットにゆっくりと仕舞い込む。
『それでは恐れ入りますが、一旦、休憩といたします』
『『マナー悪いぞ明智!』とか、ネットで叩かないでくださいね?』
演台から外れ新島さんとすれ違いざまに、明智くんは数秒足を止めた。何を言っているかはマイクが音を拾ってくれないのでわからない。しかし、彼女の表情から察するに、怪盗団を追い詰めるに十分なものだというのは明確だ。
(2020/2/18)
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