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「話ってなに?」

真からのメッセージで急遽俺たちは体育教官室へと集められた。実際に指示を出したのは明智で、嫌な予感が付きまとう。この場所にはいい思い出はない。鴨志田の悪事を問い詰め、退学を言い渡された場所。怪盗団を始めるきっかけになったことは確かだが、同時にどうしても鈴井さんのことも思い出してしまうのだ。
モルガナが乗った長机を怪盗団と明智が囲み、教室内の空気は張りつめていた。その中で真が髪をかき上げ苦虫を噛み潰したような顔で明智を睨みつけながら、話を切り出す。それに対して、無言で制服の胸ポケットから取り出したのは、オクムラフーズ本社前を撮った写真だった。

「うそ……」

誰も驚きで声も上げられなかったが、春のか細い声だけが耳に届く。その写真には何もない空間から、徐々に祐介の頭が現れ、続けて杏も走りながら姿を現す様子が連続で写されていた。周囲に気を付けながらイセカイナビを使用していたが、パレスから出るときは確認しようがない。結果、一番マズい相手に見つかることになるとは。生半可な返し方では切り抜けられない。俺たちの提案に乗ってきた時点である程度のことは覚悟はしていたが、さてどうしたものか。

「でっちあげだろうがっ!」

「なんなら、動画もある。ねえ、シラを切るのはやめようよ。君たちもあっちの世界に行けるんだろ?」

冷静な対応、写真だけでなく動画という二つの証拠、用意周到に組まれた尋問だ。しかし、気になったのはそれではなかった。

「君達も?」

まるで自分もイセカイを知っているかのような言い方に、思わず眉根が寄る。瀬那が話したとは考えられない、明智の隣に位置どった彼女は半歩後ろで俺たちの話を無表情で聞いていた。笑っていたときが嘘だったと思えて怖くなる。

「ああ、僕もあの世界を知ってる、向こうへ行くと恰好が変わるのも。それも、あの不思議な力のせいなんだよね?」

明智も俺たちと同じく、イセカイへ紛れ込み、ペルソナの力を得ていたとは。とりあえず、調べがついたことは全て話してくれるらしいので、黙っていることにする。相手の手の内を知り、何が目的なのか確認したかった。向こうも目的なくベラベラと話しているわけではないだろう。

「僕があの世界を知ったのは一ヶ月前。いつの間にか、こんなものがダウンロードされていたんだ」

「おいこれ、ナビ……」

「アプリが起動したと思ったら、いきなり周囲の景色が変わって……。僕自身、正直まだ信じられないよ。でも、この写真を見る限り、君たちは随分慣れているみたいだ」

「黙って聞いてりゃ、妄想で喋ってんじゃ……」

「君たちは異世界で怪盗行為をやってる。同じ力を持っているからこそ、僕は確信を持って言える。違うかい?」

自信の携帯のホーム画面に表示されたイセカイナビを見せながら、竜司の制止も気にせずに問い掛ける。というよりも明智の視界に入っているのは、俺だけのようだ。怪盗団のリーダーとしての答えを求められている。

「……その通りだ」

「瀬那は明智がイセカイに行けると知っていたのか?」

「わたしは……つい、最近まで知りませんでした」

「秘密にしていてって頼んだんだ、怪盗団を追っていたからね。板挟みになって辛かったのは彼女だから責めないであげて」

そう言われてしまえば引き下がらざる負えない。祐介だって問い詰めたかったわけではなかったのだ、済まない、とだけ言って口を閉ざした。

「実を言うとね、班目のあたりから、君たちのことは気になっていた。でも、まさかこんな事になるなんて……」

余裕ある笑みを浮かべていた表情が、哀れみに変わる。身濡れ衣を着せられたと、癇に障った春が珍しく声を張り上げ、一歩前へ足を踏み出した。

「私たち、殺してませんっ!」

「僕もそう思ってる」

間を開けずに同意を示す探偵に呆気にとられながら、恐る恐る真が疑問をぶつける。自信を裏付ける情報を持っているのか引き出さなければならないのだ。

「……確証があるの?」

「それは……僕が真犯人を見たからだ」

「マジか!?」「誰よ、それ!?」

こんなときでも竜司と杏は息が合っている。しかし、躊躇わずに殺人を行える人間と会って、よく生き残れたものだ。それもペルソナのおかげか。俺も初めてパレスに迷い込んだとき、あの力に助けられた。双葉のこともある、認知の力をこれ以上好きにさせる訳にはいかない。

「俺たちはその犯人を探している、顔は見たのか?」

「いや、残念ながら……仮面を被っていたからね。実はこの写真を撮った時、僕もあの世界に入ったんだ。そこでソイツを見た……向こうも僕を見つけるなり、いきなり撃ってきた。こんな所で死ねない、真実を突きとめなきゃ……、そう強く思ったとき、あの力が覚醒した。そこは怪我の功名かな」

「こいつもペルソナを……」

「この猫……たしかに、喋ったよな……?」

「モルガナ。私たちにイセカイのことを教えてくれた、仲間」

ぽつりと呟いた声は、鳴き声ではなく、確かな言葉として明智の耳に届いたらしい。真ん中に居座る黒猫をまじまじと見つめながら、黒い手袋を嵌めた手を顎に添えて、杏の説明を頭で理解しようとしていた。

「……本当? 信じられない……でも事実、君たちは僕の知らないことも知っている……。改心の手引きもモルガナ君がしたのか? 僕はあの世界を体験したけど、その謎だけはまだ解けていない」

「イセカイ……ワガハイたちはパレスって呼んでるが、そこで欲望のコア……オタカラを盗ると、盗られたヤツは改心するって寸法だ」

簡潔な流れだけの説明を相槌を打ち聞き終わると、片手で顔を覆い、自嘲の笑みを浮かべた。

「ハハハ……、そんな手口、確かに分かるはずない」

「つか! さっき話したヤツ! そいつのせいでこんな目にあってんのかよ!!」

「君たちがしているのは、あくまで改心だ。殺人犯は他にいる。けど、警察は怪盗団を犯人だと決めつけて……このまま逮捕する気だ」

「そ、そんな……私がお父様を殺したなんて……」

「そんな間違いを見逃すわけにはいかない。だから……僕と取引して欲しい。僕なら君たちの状況を救えるかもしれない」

「取引……?」

「真実への捜査に協力して欲しい」

双葉の問に対して、そいつは至極真面目に答えた。怪盗団を追っていた名探偵が協力を申し出るなんて、向こうが有利な条件を突き付けてくるに決まっている。

「断ったら?」

「警察に話すしかないと思ってる。さっきの動画と一緒にね」

「脅しじゃねえか!」

おそらく祐介も俺と同じく、こちらに拒否権がない取引であると理解した上での確認だろう。芸術に関しては独走していく男だが、そのおかげか、観察眼が優れていた。あくまで冷静に対応する明智に、竜司は徐々に苛立ちを露わにしていく。あまり大声を出されて誰かに聞かれてはマズい。それ以外にもう一つ心配事もあった。

「何とでも言ってくれて構わない。これが僕なりに正しいと信じる方法だから。人の命を奪うことをためらわない悪党……そんなの、僕の正義にかけて許せない」

正義……、明智がその単語を口にしたとき、僅かに瀬那の肩が震えた。それでも変わらない表情は何を意味しているのか、本当はあいつを選らばされたのではないか。瀬那に一番近い距離に居るのに、明智は気づかずに話し続ける。

「君たち怪盗団の捜査を指揮するのは、冴さんだってことは聞いてるね? 上の連中は事件の収束しか頭にない。精神暴走事件の犯人を捕まえて、この騒ぎを鎮静化させたいと考えている。そんな連中がプレッシャーを掛けるんだ。冴さんは相当焦っているはずだ」

「俺たちがやった証拠は? どうやって証明する気だ?」

「手法の客観的解明がなくとも、因果関係が認定されたらそれまでだ。彼女は正常な判断ができていない。追い詰められたら……自白をでっち上げるかもしれない」

「でっち上げ……!?」

「全部俺らのせいにすんのか! それもテメエらの勝手で!?」

さすがに嘘の証拠を作る可能性を上げられ、実妹である真は信じられないと言った様子だ。しかし、周囲の影響を含め自身が歪んでしまっているのなら、今までのパレスを見ている限り完全には否定できない。

「掴まれば有罪、しかもかなり重い罪になるだろう」

「ざけんなっ! 何一つ納得できねえ!」

教室に怒声が響き渡る。顔を見られないようにしたのか、さり気なく瀬那は明智の影に隠れた。以前のように崩れ落ちないため、俺の見えないところで明智に支えてもらっているのかもしれない思うと、苛立ちを感じる。

「残念だけど僕一人じゃ、もうこの流れは止められない……」

自分の力のなさを嘆いているかの如く、頭を緩やかに横に振った。

「だから協力……?」

「そう。代わりに君たちのことは見逃す、それが条件だ。もっとも、これっきり怪盗からは足を洗ってもらう」

「それしかない、のか」

「残された時間はそう多くはない。まあ、悪い取引じゃないと思うから、来栖くんなら、いい返事をして貰えると信じてる」

ひとり言として呟いた真と俺へ返答をし、全てを話し終えたのか、いつもテレビで観る爽やかな微笑みを浮かべた。

「今日は有意義な時間を過ごせたし、わざわざ来た甲斐があったよ……いろいろとね」

有意義な時間とは推理披露のことか。含みのある言い方から、瀬那絡みのこともあるのは考え過ぎではないのかもしれない。明智とは何度かルブランや渋谷でも偶然会い、話をしたことがあり、まあ、仲良くとは言い難く討論相手として付き合わされていた。俺も悪い気はしなかったし、普通に接してくる珍しい人間だと思っていたのが、間に瀬那が入ってからは怪盗団リーダーとしても、別の意味でも明智は好敵手になった。

「そろそろ戻らないと……ってことでごめん、新島さん。講演会は、おひらきでいい? 元々、僕を呼んだのも、情報が欲しかったからだろ? 僕の方も用件は終わったから」

「適当に処理しとく」

ポケットから取り出した携帯を確認し終わり、後ろでずっと話を聞いていた瀬那に手を差し伸べる。その様は誰が見ても親密な関係だった。二人はわざと俺を視界に入れず、自然な動作で視線を交わらせる。

「それじゃあ、行こうか」

「……はい」

ただ静かに頷き、明智についていく姿を嫌でも追ってしまう。未練がましいと言われても、全く表情の変わらない瀬那が心配だった。目の前を通っていく彼女の手を掴んでしまいそうになり、触れた気がして、視線が交わる。それも一瞬で、すぐに明智に視線を戻し、教室を去っていった。

「クソが! 完全に向こうのペースじゃねえかっ!」

「瀬那も、一体どうしちゃったの……」

「とりあえず、ここから出るわよ。集まってたら怪しまれるわ」

講演会の後始末もあるから、と真が出ていくのを見て、他の皆も重い足取りで続く。外から講演会に来ている観覧者もいるのだ。怪盗団のこともあるが、その前に生徒会長にはしなければならない仕事がある。それを理解していたので、俺たちは今は何も言わずに解散となった。俺とモルガナを残して。
何も映していない虚ろな瞳、冷たい手。あんなに綺麗に笑っていた彼女はもういない。ルブランで過ごすことも、一緒に登校することも、来年皆で海に行くことも、二人で街に出かけることも叶わなくなってしまった。探しておくと約束した美味しいパンケーキの店も見つけられたのに。夏に瀬那が言っていた、自分は居なくなる、というのはこのことだったのだろうか。

「行くぞ?」

顔を上げるとモルガナが心配そうに見ていた。誰も居なくなったのにずっと自身の手に目を落としていたせいだ。俺もここを出なければ、皆待っているかもしれない。ふと、モルガナを見て、どうして急にそんなことを言い出したのか不思議に思った。唐突な質問過ぎたし、世間の流行りに疎い彼女から出る単語としては違和感があった。それで尋ねると、俺なら知っていると『聞いた』と答えた。まるで事前に『誰か』から聞いていたかのように。…………そうだ、瀬那に訊かれる前に同じようなことを言っていたやつがいた。

「気づいたか?」

黒猫の瞳がまさしくその爪のように鋭い光を放つ。流石、イセカイを教えてくれた相棒だ。あの時の会話を覚えていてくれていた。この重要な情報で劣勢をひっくり返せるかは作戦次第。精神暴走事件の犯人を捕まえるため、そして再び瀬那の仮面を……いや、今度は彼女自身を盗むために。さあ、大舞台の始まりだ。
(2020/3/4)

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