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驚くべき知らせが二つ、翌朝届く。
一つは寝起きで気がついたメッセージ。送り主は双葉ちゃんで、簡潔に纏められた内容に思わず声を上げそうになった。

『そうじろうに全部バレた。瀬那のことも。でも問題ない、心配無用』

全部のあとに、わたしのこともと続いたので、獅童の養子の件かと早合点しそうになったが、おそらく怪盗団関連で間違いない。どういう経緯で知られてしまったのか、気にはなったが、返信をしてしまっては明智くんに怪しまれてしまう。もうこれ以上、彼らの情報を流すことを避けるため、目を通して削除した。復旧も彼なら出来るだろうが、知らなければそうする考えも思いつかない。その方がいい。

「おはよう、瀬那さん」

「おはようございます。少し起きるのが遅くなってしまいました」

「間に合うから大丈夫だよ」

「支度をし終わりましたら、朝ごはん作ります。待っててください」

わかった、と穏やかに返事をし、明智くんは先に洗面台へと向かった。携帯を誰の手に渡っても問題ないと思わせるため、目の付きやすい場所に放置し、わたし自身も寝間着のボタンに手を付けて制服の白いシャツに袖を通す。黒いストッキングを履き、スカートのホックを止め、ネクタイを締めるのも今ではもう慣れた。そうこうしている間に洗面台から出てきた明智くんと入れ替わる。こうすることで着替える場所を分ける必要もなく、時間的にも効率がいい。
身支度が終わり、台所に行くと、明智くんがコーヒーを淹れていた。ドリップ式のカップに掛けるタイプで、ルブランには勿論劣るけど、粉のインスタントよりは美味しいと言っているものだ。最初の頃はわたしの分もと聞いてくれたが、朝にコーヒーを飲む習慣がなかったので今はお湯の準備だけしてくれている。
身支度が済めば朝食の準備が始まる。その間、明智くんはコーヒーを飲みながら新聞代わりにもなっている携帯に指を滑らせるのだ。これが数日間で自然と決まった効率的な流れ。命令されたわけではなく、自分から行っていることだ。何もしなくてもいいのかもしれないが、その分明智くんとのやり取りが増えるし、嫌なことばかり考えてしまうので動いている方が楽だった。
テーブルに目玉焼き、ウインナー、ミニトマトにパンと簡素な食事が並ぶ。そうしてわたしも明智くんの隣に少し間を空けて座った。テレビが付いているのが珍しく、何となく視線がそちらへ向かうのは、明智くんが朝の情報番組は時間が経つにつれて娯楽色が強くなるため好きではないと言っていたからだ。何か見たいものがあるのだろうか。

「よそ見してるとこぼすよ?」

「あ、行儀が悪くてすみません」

「はは、謝るほどのことじゃないよ。いつも付けてないから気になるよね」

隠す気がなければ全てバレてしまう。しかし、気になると正直に答えてしまうのも怖かった。明智くんは待っているのだ、わたしが聞いてくるのを。その内容はきっと良いことではない。

『——では、奥村氏の死亡事件などの容疑がかけられている怪盗団の続報です』

その単語に思わず身体が画面を見る。いっぱいに表示されているのは赤いシルクハットに燃える瞳、喜多川くんが描いた怪盗団のシンボル。これだ、明智くんがわたしに見せたかったもの。

『警察は怪盗団を『警察庁指定被疑者特別指名手配』とし、怪盗団に関する有力な情報提供者に対して、三千万円の報奨金を支払うことを決めた模様です。金額の大きさからも異例の事態であることが伺えます』

指名手配、報奨金……淡々と読み上げる内容はとても現実的ではないものだった。

『報奨金は、警察と被害者の会によって賄われ……』

被害者なんて、いるはずがない。怪盗団は誰も殺していないのだから。呆然とテレビを見つめる、どうして、何故、そんな言葉しか出てこない。それなのに、隣にいる彼は堪えきれないというように喉から徐々に声を上げて笑い始める。

「くくっ、あはは、予想通りの面白い反応をするなあ」

「面白いことなんて何もありません」

「そうかな、これで彼らは警察だけでなく、世の中全てから追われることになった。少し前まで怪盗団は称賛されていたのにさ。民衆はすぐ強い立場に流される……本当、滑稽だよ」

それには何も言い返せない。人間は本当に弱い。結局のところわたしも養父への恐怖心がこの身を占めている。怪盗団のため、と言いながら、完全に袂を分かつことができずにいるのが、その証拠だ。これはわたしの弱さだ。明智くんから顔を逸らし黙っていると、頭を優しく撫でられたが、咄嗟に振り払った。

「おっと、慰めてあげようと思ったのに」

「必要ありません」

「みたいだね、まあ、そんなに落ち込まないでよ。向こうもこれで泣き寝入りなんてしないだろうし、これからもっと面白くなるよ」

「……それは『協力』を意味しています?」

問いに答えることはせず、明智くんは涼やかにほほ笑んだ。これ以上話をしていても情報は出てこなさそうなので、静かに食事に戻ることにする。大した料理でもなかったけれど、すっかり味がしなくなってしまった。食材が勿体ない、などと思考を明後日の方へ飛ばして平静を取り戻す努力をした。程なくして二人の皿の上は綺麗に片付いた。これが二つ目の知らせだった。
こんな状態でも明智くんとは傍から見れば仲良く登校をして授業を受けて、といつもの日常を過ごす。怪盗団で騒ぐ政府も異常だが、わたしたちの歪な関係も十分異常だと思った。養父に言われて譲渡された所有権、付き合っているふり、怪盗団を巡る敵対関係。それでもわたしは明智くんを嫌いになれないでいた。引き返せずとも止めることは出来ないのだろうか。その役目はきっと、わたしではないのだと、半分自覚はしていた。こうして何となく言うことを聞きながら、別のことを考えている。助けたいと願うのは二人のうちどちらなのか、優柔不断過ぎる。
その夜、明智くんが暁くんにメッセージを送った。秀尽学園祭での返事を聞かせて欲しい、と。場所はルブラン。今朝のニュースの後に問うことで逃げ道を塞ぎ、相手の潜伏先にこちらが入り込むことで、協力に肯定させやすくしているのだろう。その上怪盗団の全員で集まるとなれば、それなりの場所が必要になる。ルブランは以外に場所はない。惣治郎さんは怪盗団の正体がわかっても、危険も承知で場所を貸してくれそうだ。情け深い人だから。……わたしのことを知っても今まで通りにおかえり、と言ってくれたなら、なんてあるはずもないことを考えてしまうくらいに。




いつもなら心地いいはずのベルが緊張感を増幅させる。明智くんに続いてくぐったドアの先には、見慣れた店内とコーヒーの香り、そしてわたしの存在に気づき固まった怪盗団のみんながいた。彼らにとって、明智くんとの取引とわたしの関係性がわからないのだから、戸惑うのも当たり前だ。入口から続く通路の先、待ち構えていた暁くんが明智くんの背後に立つわたしを見透かしている。

「また瀬那も連れてきたのか」

「彼女も無関係じゃないからね」

「怪盗団のメンバーだから……」

「そういうこと」

一番奥のボックス席の背もたれに両腕を乗せた双葉ちゃんの呟きに、明智くんは笑顔で答えた。実際にはわたしに立場をわからせる意図もあるのだろう。今の怪盗団は明智くんの手のひらで転がされている、そして、わたしは彼らを裏切り敵対していると。大丈夫、理解しているし、それでもやりたいことを忘れてはいない。明智くんのために用意されたカウンターの椅子を勧められ腰掛けると、モルガナがさりげなくすり寄ってくる。抱き上げて膝に乗せ、その柔らかさと温かさに少しだけ安心を得られた。

「それで、『捜査に協力しろ』って、私たちに何をさせるつもり?」

「そうだね、まずはコーヒーもらえるかな?」

爽やかに相手の神経を逆なでするのが本当に上手な人だ。坂本くんなんて絶対に乗ってきて声を張り上げるのだからやめて欲しい。

「余裕ぶっこいてんじゃねえ!」

「手短にお願い」

簡単な煽りを受け流し、隣の坂本くんにも視線をやらずに正面のボックス席に座っている新島さんはただ真っすぐに明智くんを見据えていた。それに応え、明智くんもカウンターによしかかっていた腰を上げ、微笑を消す。

「冴さん、かなり切羽詰まっているみたい。指名手配に加え、懸賞金までとは……、戦略としては悪くない手だとは思うけど」

「ケーサツは私たちの事を掴んでいない。タイホできるわけがない」

「そうだね。君たちの正体まで気付いているのは僕と瀬那さんだけだ。だが、証言者を捏造して犯人をでっち上げる準備は着々と進んでいる」

「ノーガキはいい。本題を言え」

隣のボックス席の背もたれから顔を覗かせて双葉ちゃんは先を促した。怪盗団のみんながこちらを睨んでいる気がして肌が痛い。

「わかった、僕はね、冴さんを改心させようと思ってる。彼女にパレスがあることはは調査済みだ。新島さんも知っていたんだろう?」

「え、そうなの……?」

新島さんの正面に座った高巻さんが発したのと同時に、みんなが彼女と同じ方を振り向いた。当の本人はばつが悪そうに伏し目がちに謝罪と肯定をし始める。

「……ごめん、本当はだいぶ前から知ってた。みんなには黙ってたけど、私が怪盗団に入ったのはね……お姉ちゃんを改心させたかったから。こんな風にならない事を願ってたけど」

「なんで言ってくれなかったの?」

「こんな、自分勝手な理由……ただ、それ以上のことは、恐くて調べてないけどね……」

「それで、その改心は捜査機関の暴走を阻止する為か?」

困ったように微笑む彼女を庇うためか、高巻さんの座席の背もたれによしかかった喜多川くんの強い口調が話の流れを元に戻す。

「だからって改心させなくても……」

標的が新島さんの姉だからなのか、高巻さんが言い淀む。きっと奥村社長のこともあったからだろう。それを明智くんは呆れ、笑う。

「たかが一人の捏造でそんなこと、なんて甘いこと考えてる? もし周りの人間が捏造を黙認するとしたら?」

「警察がそんなことするってのか!」

「信用されてるんだな。向こうの最優先はこの事態の収束、もう手段は問わないよ」

そう、もう何もかも動き出すには遅いのだ。警察、もとい国を動かしている人間がなりふり構わなくなっている今、司法が役に立たなくなれば、わたしたちなんていつでも殺せる。身をもって知っているのは暁くんだ。わたしの目の前でポケットに手を入れたまま、ぽつりと呟く。

「俺のときでさえ……嘘の証言が通ったくらいだからな」

「腐ってやがる!」

「僕の目的は真犯人を探すこと。それは君たちも同じはず。だけど今の状況は非常にマズイ」

「真犯人どころか、最悪の場合、無関係の人間が犯人にされてしまう……か」

喜多川くんが話の流れを察すると、明智くんは再びカウンターに体重を預ける。次の段階に移ろうとしている。

「唯一の解決方法は、冴さんの目を覚まさせること。正気の彼女なら、この状況を止められる。彼女の正義が許さないはずだ」

「そういうことだったのね……」

「それに冴さんを改心させることは、彼女を守るためでもある」

「どういうこと?」

予想外な発言だったのか、新島さんの表情に間が生まれる。

「怪盗団捜査の責任者が冴さんであると、廃人化の犯人が知ったら……どうなる? 命が狙われる可能性が高い。怪盗団に罪を着せる、格好のターゲットでもあるしね」

彼の言う犯人は、既にその情報を知っているし、共に捜査もしていた。そして自信に満ちた微笑みを浮かべ提案する。

「どうだい? 僕の話、乗ってくれるかな?」

「正義にこだわるのに、正義の為なら手を汚すというのか?」

「真相を突き止めるためには仕方ない。それに、冴さんを改心させるメリットはもう一つある。『手を出すな』という警告だ。捜査関係者に改心が起きても、公には出来ない。すれば自分たちの不正まで表に出てしまうからね。後は僕が真犯人を突き止めるだけだ」

噛みついた喜多川くんをいなし、計画の全容を語り終える。高巻さんがその言葉の裏を探るも、一瞬の沈黙の後、眉間に皺を寄せた新島さんが答えた。

「どういうこと……?」

「『真犯人が逮捕されたら解散宣言を出せ』……って言うんでしょ」

「さすが。どうだい、お互い悪くない話だろ?」

「良く出来た計画だわ。……ご丁寧に私達を終わりにさせる所まで入ってる」

「お褒め頂けて光栄だよ」

にっこり微笑む彼は本当に嬉しそうだ。その裏の真意が隠されているなんて思いもしないだろう。

「なぜそこまでするの? 明智くんにとって正義って何なの?」

ここにきてはじめて奥村さんが口を開き、問いかけた。わたしには聞けなかったそれの意味。

「サイテーな大人……」

二人のときに聞かせられていた低音と一瞬だけ陰る表情に、身体が震えた。明智くんの言う人間は養父を指しているのだから。わたしもその対象だと思うと……、膝の上のモルガナを強く抱えて耐えるしか術はない。

「そいつへの反骨心が僕の正義への源だ。社会の為とか、理想の為とか、そんな大層な理由じゃない。極めて個人的で……ただのくだらない恨みだ」

お前……、とあんなに敵対心をむき出しにしていた坂本くんの視線が同情的になった。明智くんの言っていることに嘘はない。けれども、真意は別にあると、このまま気づかなければ怪盗団は消されてしまう。

「なんか、私たちと似てない……? うまく言えないけど……サイテーな大人のせいで、ムカつかされたこととかさ」

「似た者同士、か……だから、僕は君たちにこんなこと頼もうと思えたのかな……」

高巻さんの言葉に明智くんは困ったように微笑む。そして怪盗団のリーダーである暁くんへ答えを求めた。

「冴さんを改心させるって作戦、協力してくれるかな?」

「悪くない話だ」

少しだけ盗み見た暁くんはいつも以上に何を考えているのかわからず、あの黒い瞳が見られれば不安も拭えただろうか、なんてどうにもならないことを考えてしまった。

「……ありがとう。内心、ヒヤヒヤしてたんだ。君たちが協力してくれないと、この作戦、成立しないからね」

「怪盗団は消滅、全てが丸く収まる……か。上手くいくといいんだが」

珍しく不安そうに喜多川くんは腕を組み直した。その言葉に配慮したのかどうかは不明だが、先程よりも声を少し高くして明智くんが提案をする。

「じゃあ下調べも兼ねて今から行ってみないか? 色々初めてだから、慣れておきたいしね」

「ごめん、今日はちょっと用事が……」

「そうか、残念だな」

あっさりと身を引くところをみるとパレスに行くまでは予定に入れていなかったらしい。慣れる必要なんてないのだから、当たり前か。ふと、奥村さんが苦し気に目を伏せる新島さんに気づき声を掛けた。

「マコちゃん……この事をお姉さんに?」

「もちろん話さないわ。ただ……」

「珍しく歯切れが悪いな。どうかしたのか?」

「何でもないわ、祐介。ただ、ちょっと今日は……ね」

他の皆も不思議そうに新島さんを見つめているので、これは打ち合わせではなく、本当に個人的な不都合があるようだ。

「じゃあ、明日から始めるってことで今日はお開きにしようか」

「みんな、ごめんね」

その言葉を誰一人責めることなく、今日は解散の流れになる。何を目的とするでもなく床を見つめていたわたしを、膝の上のモルガナが見上げていた。青い瞳の優しさに胸が締め付けられたとき、明智くんに名を呼ばれ帰宅を促される。黙って頷き、椅子から立ちあがり、抱えたモルガナを暁くんに受け渡した。何か言いたそうだったが、口を開く前に速足で明智くんの背中を追いかける。わたしは一言も発することなくルブランを後にした。
(2020/10/4)

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