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翌日から新島検事のパレス攻略が始まった。裁判所がカジノ、それがキーワードだった。パレスに行くため、流石にわたしを連れて行くことはなく、少し遅めに帰宅した明智くんが教えてくれた。表向きの学生に探偵、裏ではあの人の駒としてペルソナの力を使い、その裏ではあの人を陥れるために暗躍している。気が休まるときは一体いつあるのだろう。
わたしは相変わらず明智くんの家と学校の往復の生活を続けており、怪盗団とは特に連絡も取らないままだ。邪魔になってはいけない、悟られてはいけない、相手が明智くんでも中々に神経が磨り減る。ただ静かに従うだけの日々は楽だったのだなと思い知った。
「おかえりなさい」
「ただいま、先に寝ていてもいいって言ってるのに」
鞄を置きジャケットと皮手袋を無造作にソファに放り投げる。明智くんはいつも気遣う言葉を使うのだ。一応居候の身でご飯の準備をしている以上、知らないふりはできず、日が変わる前に帰っては来るため待っていた。彼は支度をして汗を流したあと、わたしが作った食事を食べ、そして明日の学校の準備をし就寝する、というのがいつもの流れだったのだが、今日は違った。
寝る支度が済んだわたしたちは、それぞれ布団に入ると思っていた。が、明智くんはソファではなくベッドへ向かい深く腰掛けたかと思うと、手招きをし始める。意図は読めずとも拒否も出来ず、大人しく歩み寄れば、急に手を引かれその腕に倒れ込むことになった。
「……あの、もう寝るのではないのです?」
「ちょっとだけ話をしようよ。どこまで進んだのか、聞きたいでしょ?」
別に眠たくて仕方がないわけでもない。正直、期限も迫っているのだから状況は気になってはいた。自分が何も出来ないからなおさらだ。隣に移動しようと向き合っていた身体を反転させた瞬間、またしても後ろから引かれ、腰を押さえられた。視線を落とすと、見た目よりも意外に力強い腕が、わたしの腰に回されている。
「この状態で話す気です?」
「ダメかな」
「こんなことしなくても、今更逃げたりなんてしませんよ」
「確かに。でもいいじゃない、たまには恋人らしいことしても」
明智くんがこちらを見つめ、唇は綺麗な弧を描いた。こんなの傍から見れば無邪気にじゃれ合っている恋人同士でしかない。自然と眉間に皺が寄ってしまう。
「それは暁くんたちを騙すためのものでしょう」
後ろを振り返り、彼の腕を外そうと手を添えるも、それすら巻き込まれ指を絡めとられる。何が望みでこんなことを繰り返すのか理解できる日はきっとこない。反発し続けても時間を損するだけなので、明智くんのしたいようにさせてみることにした。少しだけ肌寒い季節に、シャワーを浴びた彼の体温は心地よく感じてしまう。
「まあ、気にしないことだよ、君は僕の人形なんだし」
話が進まないからもういいよね、そう言ってこの行為の話を終了させ本題へ移った。
「冴さんが裁判所のことをカジノだって考えてたのも驚いたけど、怪盗団にはコードネームが必要って言いだしたときは、もっと驚いたよ。幼稚でお気楽だなって」
「非日常を受け入れるために必要だったのではないでしょうか」
「肩を持つなあ」
「一般的な思考ではないかと」
「そう思えない僕の方がおかしいってこと?」
「どうして極端に考えるんです……」
すれ違う会話に、あはは、と明智くんは声を上げる。彼はただわたしを困らせて楽しんでいるだけのようで、笑っている顔はとても幼く帰ってきたばかりのときとは別人だ。
「まあ理由なんてなんだっていいんだけど。それで僕のコードネームを決めることになってね」
新しく怪盗団が加わった際の恒例の流れだ。確か半数は見た目から呼び名を決めているはずで、そこから考えると明智くんは黒を想像する名になるはず、と考えたとき、例の黒い仮面を思い出した。怪盗団はその人物が真犯人ではないかと探っているのに、共にイセカイに入ってしまっては黒い仮面が明智くんだとバレてしまう。さすがにあの姿を見られては誤魔化しようがない。
「あの、それで……なんて……?」
「カラス」
「からす?」
「そう、元々白いカラスがフクロウに全身を真っ黒に染められたっていう民話もあるくらいだし、ちょうどいいと思って」
元々白い、とはどういう意味なのだろう。明智くんはイセカイでは真っ黒のスーツと外套だったはずだ。あれは脱ぎ着出来る仕様なのだろうか。意図せず赤い瞳を見つめたままになっていたらしく、明智くんは優しく微笑んだ。
「眉間に皺を寄せて見つめられてもあまり嬉しくないなあ」
「あ、すみません」
「俺の仮面が黒だって知ってるからだろ? あれは本当の姿の方さ」
片方の口角だけが上がる笑い方。奥村社長のパレスで見た話し方。優等生をやめた明智くんは瞳の奥で笑うことはなく、心なしかわたしの腰に回した腕の力が強まった。互いの顔の距離が縮まる。
「誰も使えるペルソナがひとつだなんて言ってないだろう? あいつ以外にいる可能性を考えないとな」
「……明智くんはペルソナを変えると、姿が変わる?」
「あいつらといるときは赤い仮面に白の衣装だ、カラス――クロウから結びつけるなんで出来るはずがない」
「クロウ……」
確認するため名呼ぶとぐっときつく抱きしめられる。重なる身体からはわたしの心音の速さのみが目立った。こんなにも冷静に話を続けて、罪の意識など皆無のように、それは互いが共犯者であると認識しているせいなのか。
「パレス内ではカジノらしくコインを集めて奥に進むんだけど、正攻法のやり方ばっかりで、効率が悪いったらないよ」
不満を言いつつ、何故だか楽しそうにも聞こえる。心の内は全くわからない。どう反応したものか迷っていると、肩口に顔を埋められ、くぐもった落ち着いた声色が発せられた。
「ねえ、瀬那さん」
はい、と返せば、もっと、しかし優しく抱きしめられた。
「お願い、あるんだけど、いいかな」
顔も見ずに改まっての願いとは何か。命令ではないのは何故か。気にはなったが聞いたところで答えてくれるとは限らない。変な疑問を持って機嫌を損ねるよりも大人しく従っていた方がいい。それが人形というもの。
「なんでしょう」
「……少しの時間でいい、抱きしめてくれないかな」
相変わらずこちらを見ないまま、声の調子も変えずに言ってのけたのは、子どもの願いかと思うものだった。どういう気持ちの願いなのか、わたしには推し量ることしかできない。寂しさ? 悲しみ? 同情を求めるような人ではない。だけれど、いつもわたしを強く抱きしめるのはそのためだったと考えると、わたしの方が苦しくなった。
そっと両手を回し、緩やかに撫でてから背に落ち着かせた。明智くんと違って回りきらない腕に、自分よりもかなり大きな背だと実感する。どうしても彼を引き戻すことは出来ないのか。犯した罪は消せなくとも、彼だけが悪となるのは納得がいかない。力のないわたしには、こうして抱きしめることしか出来ないのだ。
「また難しいこと考えてる」
「そんなこと……」
「手、力入ってる。もっと純粋に抱きしめてくれていいのに」
背に回していた手が無意識に明智くんの寝間着を強く握りしめていた。慌てて力を弱めて手も元に戻そうとした刹那、わたしの身体ごと明智くんがベッドに倒れ込んだ。
「ふあっ」
「瀬那さんってば、すぐに人を信用するんだから、こういうことになるんだよ?」
「えっと……一緒には寝ないのではなかったです……?」
「あーそんなこと言ったかな」
言った、確かに言った。ここ、明智くんの家に来てすぐの頃だったはずだ。わたしの嫌がることはしない、そう言っていたはずで、わたしも覚悟は出来てはいたはずだが、流石に急な行動に動揺してしまう。身じろぎ拘束を解いてみようとするも、やはり明智くんは解放してはくれない。
「これ以上は何もしないから、もう少しだけこのままでいさせて」
「それは構いませんが」
うん、と小さな呟きが耳元で聞こえ、それきり静かになってしまった。明智くんにしては珍しい行動だと思う。人肌恋しいのか、それか単純に寒さから逃れるためというのもあり得るか。本意は不明だが、もういいと言われるまで従っておくのが賢明だ。と、規則正しい寝息をし始めた。まさか本当に寝てしまうとは思わず、少しだけ途方に暮れるも、このままでは風邪を引いてしまうと見当違いの答えで自分を誤魔化して、掛布団を下敷きにしていなかったことに安堵する。未だ解かれない腕の中で身じろぎ、何とか布団を手繰り寄せて互いに掛けた。きちんとベッドに寝かせられたならよかったのだが、男性を動かせるほどの力はない。せめて出来ることはこれくらいだ。
「寒くない、です?」
当たり前だが訊いたところで返事はない。
「……おやすみなさい」
諦めてわたしもこのまま寝ることにした。普通なら嫌悪感の方が勝るのかもしれないが、そういうものは何も感じず、ストックホルム症候群などと言う単語を思い出す。まあ養父の元にいるよりは心休まるのは間違いない。そう考えれば、ここでの生活も悪くないのかもしれない、そんなことを思いながら目を閉じた。
心のどこかでみんなのところに戻りたいと願いながら、諦めてもいた。明智くんとの生活も悪くないと思いながら、やはり幸せをくれた暁都くんの隣に居たいと望んでいた。どちらも結局は身に余る願望だった。わたしは罪からは逃れられない人形。それを突き付けてきたのは、あの日、全ての始まりの日に電話の向こうで聞いた声の主だった。
「お迎えに上がりました」
学校からの帰りの駅前。黒い車の横でその人物は抑揚なく告げる。おかしい。わたしは明智くんに差し出されたのではないのか。今更養父が必要とする意味がわからない。呆然としているわたしに説明をする気もないのか、車の後部座席の扉を無言で開け、乗るように促す。この人間は表向き敬語を使うがわたしを敬う気は全くない。
「わかりました」
元々拒否権などないのだから、大人しく乗り込む。走り出した車に、この先待っているものが何なのか、想像に容易く身体が震えたが、見えないようにネックレスを握りしめると、不思議と心が落ち着いた。これは最後の好機かもしれない。
(2020/12/20)
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