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数日後すっかり体調は良くなったため、お礼と薬の効果を伝えに武見診療所を訪ね、その帰りにルブランへ足を運ぶ。少し遅くなったがバイト終わりではないので、まだ手伝うには余裕のある時間だ。

「こんばんは」

ルブランの扉を開けると本日も客はいなかった。喫茶店の営業時間としては遅めの時間だ、それもしょうがない。惣治郎さんは包丁を持ってカウンターに立っていた。

「瀬那ちゃんか、いらっしゃい」

「明日の仕込み中でした?」

「そんなところだ、夜ご飯まだだったらカレーなら残ってるよ」

「手伝いが終わったらいただきたいです」

鞄をカウンターの椅子に置いて制服のジャケットを脱ぐ。もう手慣れたもので、壁に掛けてあるエプロンを着て手を洗い惣治郎さんの隣に並び準備万端だ。

「別にすぐ食べてもいいのに、変なとこ律儀だよなあ」

「お役に立てることがあるなら少しでも何かしたいので」

「そうかい、じゃあいつも通り頼むよ」

誰かと何かをする楽しさを教えてくれたのは惣治郎さんだ。何でもいい、何かを手伝わせてもらえるのが嬉しい。そのおかげで包丁使いも大分上手くなった。下ごしらえは順調に進み明日の用意は万端だ。

「御守さん、こんばんは」

二階にいた来栖くんが下りてきた。カレーの匂いに釣られてきたのかもしれない。

「タイミングのいい奴だな、お前も食べるか?」

「是非、いただきます」

二人分のカレーがカウンターに並べられる。量が多い方が来栖くんの分なので、少ない方が置かれている椅子に座った。彼も座ったことを確認し惣治郎さんに向かって、いただきますと両手を合わせた。あと何回こうやって楽しめる食事ができるだろうか。惣治郎さんの作ってくれたカレーをよく味わう。食べ終わったら食器を洗っておけ、と言って惣治郎さんは自宅へと帰り、閉店後のルブランに食器の音だけがしばらく響いた。

「あのさ」

ふと来栖くんが声を掛けてきたので、そちらを見やる。

「暫く会ってなかったけど、怪我のせいじゃないよね」

「違いますよ、アルバイトがある時は来ていないんです。どうしても遅くなってしまうので」

「バイトってハンバーガーの?」

「そうです、先日高巻さんと来ていたところです」

なるほど、と頷きながら彼はスプーンで一口運ぶ。わたしは食べ終わってしまったので、皿の上にスプーンを置いて水の入ったコップで喉を潤した。
来栖くんにいつもの元気がない。眼鏡の奥に不安の色が見える気がする。

「この前のパレスのことだけど……明日、予告状を出すんだ」

「確か改心させるためのオタカラを盗むのに必要なんでしたよね」

「ああ……」

「……大丈夫ですよ、きっと上手くいきます」

きっとだなんて、そんな願望を口にできるなんてどうかしている。望んだって自分で動かなければ何も手に入りはしないのに。先のわからないことを予測したってしょうがない。わたしができることは、わたしが彼をどう思っているか伝えること。スプーンを握ったまま動かなくなってしまった右手にそっとわたしの手を重ねた。来栖くんの体がびくっとし、こちらに顔を向けた。

「わたし、来栖くんを信じています」

彼の目が見開かれる、それに微笑んで返した。

「わたしと高巻さんを助けてくれたように、来栖くんならあの教師のせいで苦しんでいる人たちを助けられるって信じています」

「……俺が弱気になったらだめだよな」

「そうだぞ!ワガハイがいるんだ、オタカラは必ず盗んでみせる!」

その声に驚いたように来栖くんは自分の手をわたしから離す。振り返るといつの間にか下りてきていたモルガナが後ろにいた。ここがパレス内ならえっへんと胸に手を当てて立っていそうだ。ふっと彼が笑う。

「そうだな」

わたしは椅子から降りてモルガナの前にしゃがみ、両手で優しく抱き上げて彼に向き直る。

「高巻さんと坂本くんもいますよ」

「あと、君も」

わたし?ペルソナもないわたしが何の役に立つというのか。拘束から助けてくれたときのような力強い真っすぐな眼差しが突き刺さる。

「御守さんが俺を信じるって言ってくれるだけで力になるよ」

一瞬、息をするのを忘れていた。モルガナを抱き締める手に力が入る。ゆっくりと深呼吸をして外れかけた仮面をつけ直した。

「よかった。わたしで力になれることがあるなら、お手伝いします」

何時ものようににっこりと笑って来栖くんに応える。腕の中のモルガナが、それならいいのがあるぜとぴょんと飛び出して二階に戻ってしまった。皿洗いは来栖くんがやっておくと言ってくれたのでお言葉に甘えてわたしはモルガナを追いかけた。
二階は大分人の部屋らしくなっており、あれから一人で片付けをしたことが垣間見えた。奥に置かれている作業机の上でモルガナが待ち構えている。その小さな前足で椅子を指し、ここに座れと言われた通りにした。

「セナには潜入道具作りを手伝ってもらう。器用そうだからな」

パレス内で使う道具、ということだろうか。魔法のような力が使えるのに別に道具が必要になることがあるとは不思議だ。
机の上には赤い工区箱と緑のマット、何やら鉄の棒や黒いテープなど何に使うかわからないものが並んでいた。

「器用かは保証できませんが……何からやればいいです?」

「まずはキーピックからだな、いいか?この留め具をだな……」

「……こう、です?」

「そうだ」

「ペルソナでは鍵は開けられないのですね」

「壊すことはできるかもしれないが、鍵をかけると開かないという認知があるからな。安全にやるにはこれが一番いいんだ」

モルガナの指示通りに作業机上にあるもので作成していく。少し力加減を間違えると折ってしまいそうな程薄い鉄をペンチで曲げる。キーピックというのは鍵のかかった扉を開ける道具だった気がする。こういう風に作るのか、モルガナは物知りだなと感心した。

「思ってた通り筋がいいな」

「ありがとうございます」

「俺よりうまいんじゃないか?」

「――っ」

「あ」

バキンという音がして曲げていた鉄が二つに分かれてしまった。熱中しすぎて来栖くんがすぐ真後ろ、触れられる距離でわたしの手元をのぞき込んでいることに気が付かなかった。

「びっくりしてしまいました……」

「気づいてなかったのか、セナの集中力はスゴイな!」

「そこは俺の忍び歩きを褒めるべきじゃないか」

「お前のせいでキーピックが一個ダメになったんだぞ」

「……ごめん、御守さん」

「気にしないでください、もう一個作りますね」

モルガナはしっぽを上下させるので作業机がてしてし音を立てた。近くにあったもう一つの椅子を持ってきて来栖くんがわたしの隣に座る。大き目の机も二人並べば少し狭く肘が当たりそうだ。また違う道具を広げて、彼は別の潜入道具を作るらしい。

「ありがとう」

「手伝うと言ったのはわたしですから、それにこういう作業もなかなか楽しいです」

「そうか……なら、よかった」

それから二人で並んで手順を説明するモルガナの指示のもと、黙々と作業を行った。
他人と深く関わっても意味がないと、そう思っていた。特別で唯一の関わりの場はルブランだけ。最後の年でこんな不思議な縁ができるなんて思いもしなかった。それでも期待してはいけない、どうせ未来は確定しているのだから。
それでも仮面を剥がさずにさえいれば、人間らしく振舞ってもいいだろうか。

「あ、栄養剤買ってくるの、忘れていました」

「栄養剤?」

「この部屋の植物に使おうと思っていたんです」

「じゃあ、今度俺が買ってくるよ」

俺の部屋の植物だし、優しく笑う来栖くんにわたしはお願いします、と短く答えた。
(2018/7/22)

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