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それから明智くんは無言で迷わずにどこかへ向かって行く。わたしに気を遣うようにして動いてくれてはいたが、鎮痛剤を飲んでいても徐々に痛みがぶり返している身体にはそれすらも堪えた。自分の意志で動かせない手足はおそらく折れているだろう。明智くんが来てくれなければどうなっていたのか。その彼の足が止まったので視線を上げると、豪華な装飾がなされた客室ではなく、配管が張り巡らされた質素な機関部のようだった。ここで怪盗団を待つのだろうか。むしろここに怪盗団か来るのだろうか。しかし明智くんは確信を持っているらしく、奥にある下り階段を見つめていた。すると駆けてくる数人の足音が視線の先から聞こえてきた。そうか、これからではなく、既に彼らはここにいたのか。
「テメエは……!?」
骸骨の仮面の少年は驚愕して足を止める。それにつられて、他の仮面の人たちも倣った。
「久しぶりだね」
明智くんは声を上げた少年を無視して、中心に立っていた彼に声を掛ける。真っすぐに見つめて。
「まさか僕を騙すとは恐れ入ったよ。君を甘く見ていた」
「お前が自ら手を下してくれたおかげだ、そうじゃなきゃ成功しなかった」
ピエロマスクの少年の彼、暁くんが明智くんを見返し告げた。これはある意味の信頼関係なのか。二人は正反対のようで似ているのだから。久しぶりに聞いた声に思わず顔を上げ、視線が交わり、自分の現状を思い出してすぐに布で遮った。
「瀬那を離せ」
「それはダメだよ」
鋭い口調に、布を巻かれた状態のわたしに気づいていなかった他の皆がざわついた。明智くんはわたしの頭の部分の布を下ろそうとするので、抵抗したが、片手でどうにかできるわけもなく、皆の前に顔が晒される。獅童に殴られたせいで、腫れているであろう頬を見られないように顔を背けた。やっと会えたのにこんな顔を見られたくなかった。
「彼女、怪我してるんだ」
あんなに心配してくれた明智くんの声色が楽しそうなものに変わっている。見られてしまったわたしの顔に双葉ちゃんが声を張り上げた。
「それ……お前がやったのか!?」
「僕はこんなことしないよ。だけど、すぐに病院に連れて行った方がいいと思うな。顔だけじゃないから」
「じゃあ、尚更だ」
「話はまだ終わってないんだ、そう簡単にいくわけないってわかってるだろう?」
暁都くんに意味ありげに微笑む。そして、まるで人質であるかのように見せながら、怪盗団の中心を大袈裟な口調で歩いて行った。
「君はさ面白いやつだよ。口数は少ないけど、行動力も度胸もある。こんな立場じゃなきゃ、いいライバル同士になれたのかもね」
「既にライバルだ」
「……あはは、確かにそうとも言えるね」
怪盗団よりも通路の奥側へ位置取った明智くんの背に、迷いなく暁くんは言ってのけ、彼は一瞬呆気に取られて声を上げた。
「君は、今までの自分とか、人間関係とか……そういうものに囚われない。いつだって心が『自由』だ。僕とは反対……心底羨ましいよ」
通路の端まで歩を進めると、ここで待っていてと声を掛けながらわたしをゆっくり降ろし暁くんへ振り返る。引き留めようと伸ばした手も届く前に行ってしまった。
「なんで、あと数年早く出会わなかったんだろうね、暁……」
それは不思議と悲し気で本心からの言葉なのではないかと思わせた。高巻さんが、ぽつりと明智くんの名前を呟く。多分、怪盗団のみんなもわたしを同じことを思ったのだろう。
「でも……タラレバの話をしててもしょうがないよな。現実は……そうはならなかったんだからさ」
開き直ったように両手のひらを大袈裟に肩まで上げたのを見て、堪らず新島さんが声を張り上げる。
「貴方、どうして獅童なんかに協力してるの? パレスの景色も御守さんの扱いも見たでしょう!? アイツの本性は――」
「協力? 何言ってんだ。俺にはこんな国、どうだっていい。それに瀬那さんの人形は既に燃やしたよ」
「燃やっ!?」
挑発的な言葉にも乗らず明智くんは冷静に対応しているかに見えた。が、何かの歯車は既に狂っていたのかもしれない。証拠に明智くんが静かに本心を吐露していく。これが最初で最後の対峙だと示すかのように。
「全ては、獅童正義に……父に、この俺を認めさせ、復讐するためだ」
「獅童が……父親!?」
「そんな……」
怪盗団は非嫡出子以上のことをはじめて知ったようだ。明智くんは自分の身の上話を始める。母親が獅童の愛人だったこと、自分が隠し子だということ、そのせいで母親は亡くなった、所謂『生まれることを望まれなかった子供』だと。それがわたしと明智くんが惹かれ合う理由。同じ境遇であることへの傷の舐め合いかもしれない関係。わたしと明智くんとの関係はいつから歪んでしまったのだろう。獅童が実父だと知ってから? それとも最初から?
「恨み抜いたよ……けどヤツは、当時もう与党の都議サマで、子供じゃどうしようもなかった。けどさ……そんな時だ、知っちまったんだよ、『認知の世界』ってやつをさ!! 神様だか悪魔だかがチャンスをくれたんだ! ……笑いが止まらなかったね!!」
「でもその力をそんな風に使うのは間違ってる」
比較的落ち着いている新島さんが意義を唱えたが、明智くんは鼻で笑ってみせる。
「別にいいだろ? どうせヤツら自身だって、薄汚い『食うか食われるか』をやってんだ。そんな害悪を処理してやったのさ。……瀬那さんならわかるだろう?」
「明智くん……もう……」
急に優しい声色でわたしに問われ、やめて、という言葉は飲み込んだ。痛いほど知っている、獅童の側にいたのだから。自分はその蜜を吸って生きてきた。最低限の暮らしでさえもそれがなければ生きてはいけない子供なのだ。わたしの静止を無視して怪盗団へ向き直る。
「『怪盗団』と何が違う」
「人殺しと一緒にするなっ!」
高巻さんの叫びが無機質な通路に響いた。確かに怪盗団は人殺しはしていない、が人格を変えたことが果たしてどう違うのかと、問われれば人によっては答えるのは難しいのかもしれない。しかし、明智くんにとってはそんな他人の意見などどうでもいいことだった。
「それがどうしたっ!? やっと手が届くんだよ、獅童正義に!! アイツが権力の頂点を極め、俺を必要な右腕だと認めた時に、耳元で囁いてやるんだよ……俺が『誰なのか』をな!! その時初めて存在自体が『醜聞』だった俺が、ヤツを支配する……ヤツを超えるんだ!!」
両手を広げ、天を仰ぐ。その姿は先ほどまでの正気とは思えないものだった。一体どれが本当の明智くんなのだろう。わたしに手を差し伸べてくれた彼はもういないとは思いたくない。
「歪んでいるな……哀れな程に」
「あと数週間で全てが実る筈だった……それを、お前らが……!」
地面から黒い気の様なものが渦巻いている。かつて見た仮面に変わろうとしているのか。
「だが、まだ取り返せる。お前ら全員の首があればな」
不敵に笑う明智くんにモルガナも同じく笑った。
「フン、そんな事のために首はやらねえよ」
「獅童正義は、俺が責任をもって生き地獄に突き落としてやるよ、瀬那さんと一緒にな。だからジョーカー、お前は安心して……逝くがいい」
「死ぬ気はない、瀬那も返してもらう」
「はっ、出来るならやってみるといい!!」
黒い気が明智くんの前進を纏うと赤い仮面が黒へと変わる。その様相に怪盗団は驚きの声を上げた。あの時と同じように、怪盗団のみんなも消してしまおうとしている。わたしは何も出来ない、動けない身体、思考は痛みにかき消されて何の役にもたたず、ただこの状況に流されていくだけ。今までと同じだ。手を伸ばしてみても、ペルソナを持たないわたしは蚊帳の外。泣いてもどうにもならないことだ。ただ暁くんと明智くんの行く末を見守るだけ……とても、歯痒かった。
(2021/4/23)
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