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明智との決着をつけ、シドウのパレスから帰還するも、そこは国会議事堂の前であり、怪我を負った瀬那を連れている時点で怪しまれるのはわかりきっていることだ。このままのんびりと構えていてはまずい。早々に真が姉である新島検事に連絡を取ってくれていて、車で迎えに来てくれるらしい。それまでは少し外れの建物の影で、見つからないことを祈りながら待つしかなかった。瀬那を抱えて公共交通機関を使えないからだ。

「お待たせ」

「いえ、来てくれてありがとうございます」

「全員は無理だから、暁と御守さんと双葉……とモナが乗って。あとはとりあえず解散にしましょう」

「そんなっ」

真の提案に杏が非難の声を上げる。瀬那と仲良くしていたのだから、心配なのだろう。

「気持ちはわかるけど、今の状態で大勢で行くのはよくないわ」

「真の言うことも一理ある……か。状況が落ち着いたら、連絡をくれるか」

「わかった」

「ちくしょう……俺たちじゃ何にもできねーのか」

吐き捨てる言葉に誰もが黙ってしまうなか、春が竜司の腕に触れる。

「今は待ちましょう。それがわたしたちに出来ること」

「そのあとは獅童をぶっ飛ばさなきゃなんないんだからな、やるべきことはいっぱいあるぞ!」

力強く拳を作って双葉が力説した。な、暁、と同意を求めるように俺に振り返るので頷くと、怪盗団のみんなも続いてくれた。あまりゆっくりしている時間もなく、新島検事の車に乗り込んだ。俺が動いても、もやは瀬那はぐったりしたまま眉一つ動かさない。どうか間に合ってくれ、そう願うしかなかった。

「どうする、病院に行くのか?」

「獅童から隠すのなら、病院は止めておいたほうがいいわ」

直後の新島検事の否定に戸惑う。

「大怪我なら大きな病院に連れて行かれる可能性が高い、その分議員の息がかかった人間が多くなって見つかりやすくなるはずよ」

「なるほど……」

その感心は新島検事には猫の鳴き声としてしか聞こえてないだろうが、俺も同じ気持ちだった。どうにもそこまで気が回らない。

「あなた、知り合いに医者とかいないの?」

バックミラー越しに視線が合った。俺に医者の知り合い……思い当たるのは一人。医者に似つかわしくないパンクな恰好をした武見先生だ。

「連絡してみます」

「じゃあ、真っすぐそこに向かうわ」

「惣治郎にも連絡しとく!」

武見先生に外科的なものが診れるのがわからないが、拒否されないか、藁にも縋る思いだった。彼女の返事は診療所で待っているというもので、とりあえず安堵する。思いのほか早くに帰ってこれたのは、法定速度内でとばしてくれたらしい新島検事のおかげだ。感謝していると、いいから早く瀬那を連れて行けと言われた。言われた通り、先に武見診療所へ着くと、待合室で惣治郎さんと武見先生が待っていてくれた。

「瀬那ちゃん……!」

「奥に運びます」

待合室を通り過ぎ診察室の簡素なベッドに寝かせる。シーツで包まれていて気がつかなかったが、左腕だけでなく、右足にも添え木が施されていた。着ていた服も赤黒く汚れている部分があり、何が行われたのかをはっきりと自覚させた。

「先生、よろしくお願いします」

「専門じゃないけど、あなたの頼みなら聞いてあげる」

いつもなら艶やかに余裕たっぷりと微笑む顔も瀬那の有り様を見て、険しいものに変わった。棚や引き出しから何やら道具をベッドの上に広げ、俺には何か着替えを出すように指示したあと、隣で待っていてと言われ、素直に従う。待合室では双葉、モルガナ、惣治郎さんと車を停めてきた新島検事が腰掛けて待っていた。

「瀬那は!?」

「今、武見先生が診てくれてる」

「そうか……先生もお前の協力者だったんだな」

惣治郎さんの問に静かに頷く。武見先生はルブランに通っている、近くの内科医だ。惣治郎さんとも面識がある。それが保護観察中の俺と親しいので驚いているのだろう。始まりは俺がモルモット……治験として協力する代わりにパレス内で使える治療薬を買わせてもらうという取引だった。おかげで小さな女の子の命は救われたのだが、それはまた別の話だ。

「暁くん、ちょっと来てくれる?」

しばらくのち、俺だけが診察室から呼ばれ速足でドアをくぐった。ベッドには綺麗に包帯を巻かれ、点滴に繋がれ、衣服を着替えさせられた瀬那が静かに寝ていた。相変わらず呼吸はまだ弱々しく、辛うじてここに彼女を繋ぎとめている状態なのだと実感した。

「折れていたけど、応急処置が適切だったわ。あなたがやったの?」

「……いえ」

武見先生が瀬那の足と腕を指して問うも俺ではない、としか答えられなかった。もう明智はいないのだから。明智はどんな思いで瀬那に手当をし、俺に預けたのだろう。あいつも俺と同じ、瀬那を特別に想っていたはずなのだ。

「とりあえず固定し直して、鎮痛剤と抗炎症剤を投与するくらいしかできないわ。多分熱が上がってくると思うから、頭も冷やしておかないとだめね」

「わかりました」

「……これ、誰にやられたの?」

武見先生の意味するものは瀬那の怪我のことだ。明らかに人為的に傷つけられたもの。医者としての思い当たる節があり、それは当たっている。

「……多分、養父だと思います」

明智は自分が傷つけたのではないと言っていた。だとすると、あのパレスでの認知上の瀬那をみるからに、相手は獅童である可能性が高い。海で見た背中の痕、肌を見せたがらなかった理由。思えば渋谷のスクランブル交差点が見下ろせる連絡通路で瀬那が冬になったら実家に帰ると思っていたとき、なんだか話を濁らさせれていたのは住所は教えられない上、苗字も偽っていたせいだ。こんなことをされる家には戻りたくなかっただろうが、それでも何か目的があって戻った。瀬那は二度と俺と会えなくなる覚悟があったのだ。俺があげたペンダントを返したのはそういうことだった。

「ふーん、じゃあ虐待ってことかしらね」

「はい……」

「今そいつと戦ってるんでしょう? 湿った顔してないでよ」

「そう、ですね。 ……ぶん殴ってきます」

拳を握り締めてみせると、武見先生が静かに頷く。

「その意気ね。わたしがしたのも応急手当だから、早く大きな病院に連れて行ったほうがいいわ。何なら紹介してあげる」

「ありがとうございます」

「お礼を言われる程のことはしてないから」

ふっと微笑むと、武見先生は惣治郎さんに説明してくる、と片手を振って待合室へと消えた。ゆっくりとベッドに近づき瀬那の頬に触れる。まだちゃんと温かい。当たり前のことに安堵する。背後から勢いよくドアを開ける音が聞こえ、振り返ると双葉とモルガナが顔を覗かせていた。

「瀬那、大丈夫か?」

「武見先生が手当してくれた……って今説明聞いてたんじゃなかったのか?」

「惣治郎に任せてきた」

「聞こえはいいが、タケミの話は無視してきたんだぜ」

呆れながら双葉の肩に乗っているモルガナも止めはしなかったというところだ。俺の隣、ベッドのそばまでやってくる。

「息、してる」

「当たり前だろ」

「でも不安だったんだからな」

それは俺も一緒だった、双葉と全く同じことを考えていたのだ。

「それよりも、また瀬那の瞳が金色になってた」

「本当か、やっぱりセナには何か力があるのか?」

「何が起こったのかはわからなかったけど、その可能性はあるかもな」

何の話かわからない双葉は頭にはてなマークを何個も浮かべているが、説明するよりも今後のことを話さなければならない。他の怪盗団も連絡を待っている。

「獅童を改心させる理由が増えた、瀬那を早く入院施設に移動しないと危ない」

「だな」

双葉の大きな瞳が輝いた。これも俺と同じで獅童にやり返そうと企んでいる瞳だ。大事な人を傷つけられてまで、お人よしではいられない。

「じゃあ、明日は予告状を送り付けてやろうぜ!」

モルガナの声に賛同し、翌日、早々に予告状を叩きつける準備を進めた。その方法は今までで一番相手の虚をつく、大掛かりな方法だった。




暗闇の中、わたしは独り泣き崩れていた。何が悲しかったのか……、そう、暁くんと明智くんが拳銃のようなもので撃ち抜かれて横たわっていたのだった。その姿を見たくはなかったけれど、もう一度顔を上げてしまう。すると、倒れていると思っていた二人はしっかりとわたしに背を向けて立っていた。ああ、よかった、あれは悪い夢だったんだ。そう思い、立ち上がって生きていた二人に手を伸ばす。しかし、明智くんに伸ばした手は届かず、暁くんへ伸ばした手は振りほどかれ、二人ともこちらを振り返ることなくどこかへ消えてしまった。
結局わたしだけが闇の中に取り残された。そのおかげで思い出した。わたしは誰にも愛されない。必要とされない。それなら自分の意志などいらない。流されるままでいい。それがわたしの仮面。わたしの存在意義。

――そうだ、お前は他人に全てを任せ、何もせず、何も考えずに生きていけばいい

いつもの低い声が響く。と、同時に視界が開け、牢屋が数十並ぶ円形の広間に立っていた。ここも以前に夢で見た場所だ。遠くに暁くんの声が聞こえて、わたしは鉄格子の中に居て、手足を枷で繋がれていた。それが今は鉄格子からは解放され、手枷は足元に落ちており、広間に立ち尽くし自由に動き回れる状態だった。

――お前はそれでいい

目の前の紫の椅子からは細い足が見えており、あの時と同じ、誰かが据わっているのがわかった。声の主はこの人物なのか。恐る恐る近づき、背面に手を伸ばして勢いよく回してみるが、そこには誰も居ない。

「我は汝、汝は我」

背後から声がし、息が止まった。

「時はきた」

振り向く暇もなくそう告げられると、自分の身体が熱に溶かされ、どろどろと形を保てなくなる感覚に陥る。そうして声の主を突き止められることなく、わたしの目の前は再び真っ暗になった。
(2021/6/27)

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