無題
それは唐突だった。
「ねえ氷河君、カミュって好きな人いるの?」
ベギッ―――!
静まり返った室内で、シャーペンの握りつぶされる音がやけに大きく響いた。
家庭教師役のエナガが脈絡なく問いかけたのは、ただ今勤しむ勉学とは程遠く、かつ、予想だにしていなかった内容で、氷河の思考はいとも簡単に停止した。
「あ、やっぱりいるんだ」
「そ、それは、その…」
得心とばかりに呟くエナガに、氷河は内心冷や汗ものである。
いるもなにも、あなたです。
言えるものなら声を大にして言いたい。
…が、己の口から言ってしまっては駄目なのだ。
あくまで橋渡し役。
もちろんカミュが望んで氷河にその役割を求めたわけもなく、全ては氷河が勝手に自負しているだけなのだが。
(落ち着け。ここで動揺しては悟られる…)
努めて冷静を装うものの、そんな氷河を目の前の彼女は暫し眺めてから、短く嘆息すると、
「それなら私は失恋確定って訳か…残念」
「ち、違います!そんなことあるはずが――――あ…」
「………」
「………」
訪れる沈黙が痛い。
氷河は己がした失言を盛大に呪った。
彼女の発言を否定するということは、すなわち、師の想い人が彼女だと言ったも同然。
どんなに鈍い相手でも、ここまでくれば分からないはずもなく、ましてや、エナガは鈍感ではない。
居た堪れなさに氷河がエナガの顔を見られないでいたのだが、次の瞬間、エナガの一言を聞くや、ハッと彼女に視線を向ける。
「な〜んてね。ごめんなさい。カマ賭けたの」
「どういうことですか?」
「なんていうか、氷河君、ことあるごとにやたらカミュを推すから。いくら師匠大好きで師匠の素晴らしさをアピールしたくても、流石にちょっと…ね」
「あ……」
どうやら思っていた以上に熱くなり過ぎていたらしい。
微苦笑するエナガを見て、否が応でも実感させられた。
「すみません。困らせるつもりはなかったんです」
「知ってる。でもこれですっきりした」
「え?」
「卑怯だけど知ってしまった以上、なかったことにできるほど私は良い大人ではありません」
「あの、エナガさん?」
「というわけで、少し早いけど今日の勉強はここまで。あ、あと、これから氷河君のお師匠さんを借りるから」
「は、はあ…」
にこにこと人の良い笑みを浮かべながらも、口調はやけに慇懃なエナガに、氷河は一抹の不安を抱く。
怒らせてしまったのだろうか…。
氷河の不安は次のエナガの言葉により一瞬で霧散する。
「恩に着るね。クールでキュートなキューピットさん」
(完)
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2015/9
お相手がカミュなのに、一切出番がないというオチ。
師匠のために一人頑張る弟子ってのも可愛いじゃないですか。
(頑張る描写皆無なので説得力に欠けますが…orz)
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