2:放っておけない義姉


冷たい木枯らしが吹きこむ内庭を陸遜は一人歩いている。
行き先は数カ月前に出来た義姉の部屋である。

何の前触れもなしに光の中から彼女が目の前に現れた光景とその衝撃は今でも覚えている。
それは彼女の側にも言えることだったらしい。
自分の意思とは関係なしに気づいたらここにいたと陸遜に告げた瞳には困惑を含んではいたが嘘偽りの色は一切みられなかった。

とはいえいきなり現れた不法侵入者をすぐに信じられるほど陸遜は軽率ではない。
最初は疑いの色を見せることなく動揺と警戒を隠せないでいる相手に安心を与えるべく自分が敵ではないことを説明した。
人を疑うということを知らないのか彼女はその言葉に胸を撫で下ろし安堵の表情を浮かべた。

陸遜の態度に心を許した彼女は自分がどういう人間であるのか、ここがどこであるのかなど陸遜に理解を求めつつも現状把握に努めようとした。
これには如何にして情報を聞き出そうかと思案していた陸遜にとって好都合な展開だった。

しかし、ここで一つ、思わぬ事実に直面することになった。
ここがどこかという先程の問いに陸遜が率直に答えても彼女は納得というよりもむしろますます解らないという難しい表情をしたのである。
陸遜の言葉が理解できていないのかといえばそうではないらしく、視線を床に落として言われたことを確認するかのようにぶつぶつと反芻していた。
そして、ある結論に達した直後、彼女の表情は一気に強張った。

驚愕。
その言葉がまさに当てはまると言っていいほどその時彼女は目を大きく見開き茫然としていた。
数分後に彼女から話を聞くまで陸遜は何故そこまで驚いているのか理解できなかった。
その間言ってしまえば間者がヘマをして偵察相手である自分の前に姿を晒してしまったのかと思ったくらいである。
だが現実は陸遜の予想を遙かに凌駕するほどのものだった。


(異世界とは…本当に予想外でしたね)


未だに信じがたい事実であるが後のやりとりで嫌というほど証拠を突きつけられたため信じざるをえなかった。
パソコンやテレビといった聞いたこともない言葉に携帯という謎の機械。
思えば彼女の服装自体この地では目にしないものだった。

未知の言葉や道具に最初のうちは好奇心と驚きでいっぱいだった陸遜だったが、話が一段落した頃には事の重大さに内心危険を感じていた。
彼女自身もさることながら彼女の持つ情報は他所に流出させてはならないほどの価値があるのではないか。
そう判断してから陸遜の行動は速かった。

身寄りのなく路頭に迷う彼女の保護である。
実質上監視の意味を裏に秘めた提案だが彼女にとっても悪い話ではないはず。
もとより陸遜の思惑など知る由もない彼女はその提案に迷うことなく賛成した。

こうして現在に至るわけであるが、一つある問題が浮上した。
彼女の立場をどう置くのかということである。
安易に使用人として住まわせるには不特定多数の人間との接触という危険が伴うため、そこから情報が漏れる可能性がある。
いっそ許嫁かそれに近い関係としてしまおうかとも考えなかったわけではない。
その方がもし彼女が自分の世界に帰ったとしても後腐れがない…とはいえ世間体に多少混乱を来すことにはなるわけだが。

どうしたものかと思案して数日が経った後、決まったのは本当に成り行きだった。
この世界の様子を見てみたいというエナガの要望に応えて、弟の陸瑁を連れて外出した際に迷子の少年と出くわした時のことだ。
そのまま見て見ぬふりをすることもできず、結局三人で少年の親捜し出したまではよかった。

事の発端は少年の母の言葉である。
謝罪と感謝の言葉の次に出たのは仲の良いご兄弟ですねという言葉だった。
勿論自分と瑁は言わずもがな兄弟であるが、エナガは違う。
だが、この母の言動によるとどうも三人含めての感想らしい。

とはいえ偶然にも自分たちの立場が気づかれていなかったため、その場で態々否定するのも面倒だと敢えて何も言うことなく母子に別れを告げた。
彼女らと別れて暫く経った後、瑁がふと先程の母の言葉をぽつりと呟くと途端に目を輝かせ、ならいっそエナガを義姉にすればいいではないかという提案をしたのだ。
要は勘違いがそのまま決定事項となったというわけである。


「兄上!」


背後から近づいてくる足音にそれが誰であるかを察した陸遜はそれまでの思考とともに足を止める。
振り返れば案の定、陸瑁が息を切らせこちらにやってきた。


「エナガ義姉上のもとに行かれるのですか?」


弟の弾む声にそういえば自分と違い弟はまず彼女の人柄に興味を持ったようだった。
一緒に行くかと誘うも予定が入っているためまた今度にすると至極残念そうな声が返ってきた。


「エナガ殿のこと、随分と気に入っているみたいですね」

「もちろんっ。でもそれは兄上も同じですよね。…最初はそうではなかったみたいだけれど」

「………そうですね」


瑁の言葉に陸遜は痛いとこを突かれたと苦笑する。

そう、誤算があった。
要は彼女、エナガに向ける意識の問題である。
情報源としての関心から人としての純粋な興味へと移行しただけ。
弟の前で敢えて口にこそしなかったものの、どうやら気づかれていたようだ。

困ったような笑みをみせる兄に陸瑁は陸瑁で何か別に思うところがあるのか一人思案の後、徐に口を開いた。


「兄上、エナガ義姉上のことどう思ってますか?」

「一言で言えば、放っておけない存在ですね」

「放っておけない存在…?」


それはどういった意味でのものなのか。
陸瑁としてはそこが兄の口から知りたくて疑問めいた口調にしたのだが、肝心の陸遜はそれを陸瑁の期待した方向と外れた解釈をしたらしく、もちろん情報源扱いではなく人としての意味だと苦笑気味に返してきた。

鋭いのか鈍いのか…はたまた全てを察した上でのものなのか。
いずれにせよ兄の真意を聞き出すにはまだまだだということになる。


「それでは私は行きますが、瑁も用事があるのでしょう?」

「はい。エナガ義姉上によろしくとお伝えください」

「分かりました」


エナガへと向けるその感情が出来れば自分の予想したようなものであってほしい。
心でそう願いながら陸瑁は去っていく兄の背を見送った。



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