5:違和感



会わせるべきではなかった……。
目の前で繰り広げられた光景により陸遜は後悔と不快の波に襲われることになった。


エナガの引き籠りが改善されてから数日後、孫尚香の提案により非公式の宴が開かれた。
宴と言ってもかなり小規模なもので、エナガの知り合いである陸遜や尚香以外では男性陣は甘寧、凌統、女性陣は二喬とほとんど身内間での飲み会である。
階段での一件より前も不用意に城内の者と会うことをしなかったエナガは外に尚香以外然程知り合いはいない。
そのため今回が初見の面々が多く、緊張しつつも知り合いが増えたことに嬉しさを感じていた。
一度打ち解けてしまえば酒の勢いも相まって後は簡単に距離を縮めることができた。
同性の大喬や小喬は言うまでもなく、意外にも男二人にも自然と会話が弾んでいき、エナガの気分は思っていた以上に高揚していた。
それを見ていた提案者の尚香は大成功とばかりに上機嫌ではしゃいでいた。

しかし、そんな彼女とは対照的に当初この話に好意的であった陸遜の心持は非常に穏やかではなかった。
もちろんただでさえ引き籠りがちなエナガに新たな知り合いができることは陸遜にとっても望ましい。
付き合いが広がればそれに応じて外の世界にも足を運んで行ってくれたのなら願ってもないことである。
そう、喜ばしいことではあるのだが…。
実際エナガが他の者、とりわけ甘寧と凌統と楽しく談笑する光景は陸遜にとって不愉快以外の何物でもなかった。
流石に尚香もエナガの出自についてこの場で深く告げるつもりはなかったようで、エナガは一応陸遜の義姉という形で他の者に紹介された。
更に付き合っている者はいるのかという凌統の問いにエナガがいないと答えた結果、男がいないなら余計な遠慮はいらないとばかりに態度をより軟化させた。
それが陸遜の神経をより一層逆撫でさせた。
時間が経過していくにつれて陸遜の気分は不愉快を通り越して仕舞いには不快に変わっていった。

嫉妬。
言われるまでもなく陸遜自身も‘自覚していた’。
自覚こそあるものの、ただその事実をなかなか認めることができないのだ。
だから胸の内に湧き上がる不満や苛立ちを外に吐き出すわけにもいかなかった。
異変を尚香に気づかれるも誤魔化せるように感情を抑え込むことこそできたが、消えることはなくずっと陸遜の中で蓄積されていった。


月が天に昇りきり再び地に沈もうと降り始める頃。
凌統らと別れ無事家に戻った屋敷内の回廊をエナガと陸遜は無言のまま足を進めていく。
屋敷の者もほとんどが寝静まった室内に二人の歩く足音だけが響いている。

皆と別れるまで上機嫌だったエナガは陸遜と二人の帰路になってから前を歩く彼の静かな怒りを察して不安を覚えていた。
怒りの原因を聞くべきか散々迷った末、このままでは気になって眠れないと思い直したエナガは、無言ながらも態々自室まで送ってくれた陸遜を引き留め部屋に入れると意を決して口を開いた。


「あの、陸遜、今夜…嫌なことあったの?何か機嫌悪いみたいだから…その、気になって」

「気のせいです。もしくは貴女が疾しい気持ちがあるのでは?」

「――!…どういう意味?」

「どういうも何もそのままの意味ですよ」


否定を許さないような妙に棘のある物言いに心当たりなど全くないエナガは不快を露わにする。
心にもないことを咎められるのはいくらなんでも笑って許せるエナガではない。
売られた喧嘩は買う性格ではないのだが、とは言ってもそれをさらりと流せるほど大人でもなかった。


「疾しい気持ちはこれっぽちもないけど…安心して、これ以上の迷惑はかけないから」

「……どうするつもりです?」

「元の世界に帰るの」

「帰り方も分からないのにですか?」


いつになく挑発的に投げつけられた言葉に驚くもむっとしたエナガは、今の今まで言うタイミングを逃して言えなかった言葉を口にした。


「昨日、見つかったの」

「――っ、いい加減なことを言わないでください」


告げられた言葉を信じることができず反射的に否定するも、きっと自分を見据える偽りの色がない瞳に頭を殴られたような衝撃が走る。
冷静な理性が一つの情報としてその事実を受け入れるも、信じたくないという感情の方が勝っていた。
そして、次に発した言葉は自分でも信じがたいくらいの低く冷たいものだった。


「帰しません」

「そ、れ…は陸遜が決めることじゃないでしょう?」


陸遜の纏う空気の変化を感じたエナガは思わず後ずさると、それに応じて陸遜もエナガの方へと歩み寄る。

一歩、また一歩。
じりじりと追い詰められたエナガの背が壁へとぶつかるのはそう遅くなかった。
後ろが駄目ならとそっと左手を戸にかけようとした刹那――。


「帰さないと言ったでしょう?」

「――!」


ドンッ…と壁に伝わる衝撃と出口へと向けた視線は陸遜の腕によって遮られた。
背後と左右、退路を全て塞がれたとエナガが理解したのはそう時間がかからなかった。


「陸、遜……?」

「帰しません」

「……っ」


二度目の宣告は最早脅しに近い狂気を含んだものだった。
驚きと恐怖で足が竦むエナガだったが、そう易々とその場に崩れ落ちてなるものかという意地がそれを拒んでいる。
エナガが何も言えなくなったのが分かると陸遜は無言のまま部屋を出た。

がちゃり、と堅く閉められた鍵音を聞いた直後、エナガは壁に寄りかかったままずるずると崩れ落ちた。
閉じ込められたと頭が状況を完全に理解した頃、足音はおろか人の気配すら感じられない静寂だけが辺りを支配していた。
闇に浮かぶ朧げな月さえもその時ばかりは自分を監視しているかのように冷たい光を窓から注いでいるよううだった。




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