6:からっぽの部屋




太陽が漸く顔を出し始めた早朝、いつもより早く起きて身支度を整えると一人エナガの部屋へと足をはこんだ。
屋敷の者もまだ活動を始めてまもない時間帯のため、部屋へ続く廊下には陸遜以外人の気配はみられない。
外は分厚い鉛色の雲により昇り始めた日も遮られ届く光も僅かなものだった。
その陰鬱な空模様が今の陸遜の心をより暗いものへと変えている。

酷いことをしている自覚はある。
ただその自覚よりもエナガを元の世界に返したくないという思いに理性が負けてしまった。
先日、陸瑁に問われた際言わんとする意図に気づくも、自分の中でどうすべきか答えを出していなかったため何も言えなかった。
感情のやり場に困りながら現状維持という選択をしたことで、今、この事態を引き起こしてしまったと言っても過言ではない。

痛む良心を無視して陸遜はエナガがいる部屋の戸に手をかけた。


「義姉上…?」


呼びかけるも返事はおろか室内には人の存在すら見られなかった。
まるで最初からそこに居なかったかのように……。


(そんなはずは……)


ない。
そう言い切りたい…しかしこの部屋には陸遜以外人の気配は存在しない。
こちらへ来たきっかっけと思われる階段に近づけさせない意図も含めての監禁だったのだが、それが裏目に出てしまったのだろうか。
エナガの運動神経と部屋の位置を考えると窓から逃げ出すことは不可能に近い。
仮に強引に脱出を図ったとしても、一般人が二階から飛び降りれば少なからず怪我はまずがれない上に物音で屋敷の誰かが気づくはず…。

動揺しつつも辺りを見渡すと、机に何やら手紙が一枚置いてあった。
徐に手に取りよく見たところ、筆跡からして間違いなくエナガのものであることが分かった。
そこに書かれた内容は陸遜が恐れていた予想の決定打になるものとなる。


「――っ」


目の前が真っ暗になり愕然としその場に膝をついた。
手紙にはただ一言、こう書かれていた。

今までお世話になりました。さようなら――。





◆ ◆ ◆ ◆





広いわりに簡素な客室に一人、エナガは窓にもたれながら外を眺めていた。
今にも雪が降りそうな空はエナガの心を映し出しているように鈍色で日の光を遮っている。


「落ちついた?」

「うん、ありがとう……尚香」

「気にしないで。友達として当然のことをしたまでなんだからっ」


あの夜、事実上監禁状態になり茫然自失のエナガのもとにやってきたのは飲み会に同席していた尚香と彼女に強引に連れて行かれた周泰だった。
宴会の最中に陸遜のふとした変化に気づき、お節介とは知りながらも心配で様子を見にきたのだ。
屋敷の主内緒でこっそり庭先に忍び込み、そこで聞こえてきた二人のやりとりを上手く耳にしたというわけである。

予想よりも悪い展開に慌てた尚香は陸遜が部屋からいなくなったのを確認すると窓から部屋にもぐりこみ、周泰の手を借りてエナガを部屋から連れ出したのだった。
要は周泰もまた尚香同様共犯者ということになる。


「でも、これでよかったのかな…」

「陸遜のことなら気にしないの!エナガをあんな目に会わせるなんて、少しは痛い目をみるべきだわ!」

「閉じ込められた時には確かに驚いたけど、流石にあの手紙はやり過ぎな気が…」

「大丈夫!陸遜に反省の色が見えるまで周泰にもエナガの居場所は言わないように言ってあるから」

「なんか周泰さんにまで迷惑をかけたみたいで申し訳ない気が…」

「だからエナガは気にしなくていいの!…ほんと少しは頼ってよね」


業とらしく大げさに嘆息する尚香を見てエナガは見知らぬ世界でも良い友に出会えたことに嬉しさをかみしめた。
彼女たちを信頼していないわけではない。
ただこれ以上この世界の人たちの優しさに甘えていいのかという迷いがあるだけ。
それでもやはりこうして自分を思ってくれる尚香らに、嬉しさと感謝の念を抑えきれないあたりで自分は甘えているのかもしれない。

ありがとう。
口にこそしないものの隣にいる親友にエナガは再度感謝の言葉を送った。

いつの間にか曇天から粉雪が降り始めていた。




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