8:義と偽
エナガが消えて三週間近く経った日の夕方。
兄が連れて帰った人物を見た陸瑁は嬉しさのあまり思わず駆け寄ると思わず彼女に抱きついた。
勢い余って二人もろとも倒れそうになるのを慌てた陸遜が後ろで支え事なきを得た。
「ありがとう、陸遜」
「すみません、兄上」
「いえ、構いません」
「あっ…」
「どうかしたのですか?」
このまま三人で屋敷へと戻るかと思いきや、何かを思い出したというようにエナガが声を挙げた。
その顔にはいかにもしまったと焦りの色が見える。
「尚香に何も言わず帰ってきたんだ…」
「もうじき日が暮れますしエナガ殿はひとまずこちらで休んでください。姫には私から使いを送ります」
「でも、なんなら私も…」
「いいえ、この時期は日も暮れるのが早いですから。万が一のこともありますし、ね?」
「り、陸遜がそう言うのなら…」
(兄上…?)
二人の…性格に言えば兄の変化に気づいた陸瑁は何かを口にしようとするも、思い留まり室内へと歩いていく二人の背中を見つめた。
何かあったのかは解らないが、以前よりエナガに対して積極的になった兄。
今も迷いがみられるエナガの肩を抱き半ば強引に誘導して歩いている。
これを機に二人の間の距離が少しずつ埋まっていってほしい。
そう願いつつ陸瑁は走り出すと後ろから二人に思いっきり飛びついた。
「エナガ義姉上」
「ん、何?」
「私はエナガ義姉上が私の‘本当の’義姉上になってほしいです」
「ありがとう、そう思ってくれるだけで嬉しいよ」
「瑁からすれば別の意味にもなりうるのですが……」
敢えて強調するような言葉を付けた陸瑁に深く考えず喜ぶエナガに対し、その裏の意味を察した陸遜は思わずそう呟く。
よりにも寄って何故肝心なところで鈍感なのか……いや、もしかしたら鈍感というよりももう一つの意味自体頭にないのかもしれない。
変なところで妙に律義で頭が固いエナガのことを考えるとそうとらえた方が正しいのだろう。
屈託ない笑顔を見せる彼女に陸遜だけでなく陸瑁もまたどうしたものかと頭を悩ませた。
二人してエナガの顔を見るも、見られた彼女はその理由が分からず頭上に疑問符を浮かべている。
やはり駄目だ…。
予想以上の意識のずれに溜息をつく陸遜とは逆に、陸瑁は何を思ったのかよしと意気込むと兄を一瞥してからエナガを彼から奪い取るとそのまま室内へと連行していってしまった。
慌てて呼び止めるもちらりと振り向いただけで止まることはなかった。
任せてくれ。
一瞬振り向いた弟のそう言いたげな目に陸遜は一抹の不安を覚えるのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「エナガ義姉上は兄上のことをどう思っていますか?」
客間に入った早々そう言って真顔で問い詰めてきた陸瑁にエナガは目を丸くする。
どう思うも何も見ての通りだと言いたいところだがただならぬ気迫でこちらを見つめる相手を見ると恥ずかしくても真面目に答えなくてはならないような気分になった。
「えっと、しっかりしていて頼りになる人、かな…」
流石に思っていること全てをそのまま言葉にするのはいささか恥ずかしさが伴うため要約して無難に答えたのだが、どうやら陸瑁を納得させるだけのものではなかったらしい。
難しい顔をして何やらぶつぶつと呟いているのを見るにつけて、一体何を聞き出したいのかと気になるのは必然というもの。
自分の思考に耽る陸瑁の注意をこちらに向けるべくエナガは逆に問いかけた。
「瑁くん、いきなりどうしたの?」
「え、ええっとですね。それは……」
「それは?」
「その…改めて聞きたくなったのです」
「改めてねえ…」
どうみても改めてというものではないことくらいしどろもどろの陸瑁から見れば一目瞭然である。
なおも何か言おうと云々唸っている陸瑁の言葉を待ちながら、エナガは彼が言わんとしている意図を探った。
態々陸遜を遠ざけ、その陸遜についてどう思うかを訪ねてきた意味。
今も言葉を選ぶように思案していることを考えると、導き出されるものがないわけでもない。
(まさか…いやでも、自惚れにもほどがあるよね?)
浮かんだ予想を打ち消したいのだが、一度浮かんでしまったものはそう簡単に消えなかった。
「エナガ義姉上、どうかなさいましたか?」
「あ、いいえ、別に……あの、瑁くん」
聞くべきか憚れるものがあるが、それでも気になるものは気になるというわけだ。
あくまでさり気無さを装ってエナガは改めて陸瑁に話かけた。
「私達がここにいることを陸遜は知ってる?」
「いいえ。すみません。私の都合でエナガ義姉上を引きずりまわしてしまいました」
「いいの。それにしても瑁くんに聞かれた時はびっくりしたよ。もしかして私が陸遜のこと好きなのかって問い質されたみたいだったから」
「えっ、どうして分かったんですか!?」
「……やっぱり」
「え、あっ、エナガ義姉上!」
まさかエナガがカマをかけてくるとは思ってもいなかったのだろう。
気を緩めていた陸瑁はあっさり本音を吐露してしまい、しまったと口を塞いで窺うようにこちらを見ている。
エナガはエナガで思ったことをつい口にしてしまったため、それ以上の聞きたいことが探れなくなってしまい次の言葉を考えあぐねた。
「えーと、エナガ義姉上」
「…ごめんなさい。つい気になって」
「ですよね。私の方こそ突然すみませんでした。あの、改めて聞いてもいいですか?もちろんこのことは兄上には一切言いません」
何を、とは言うまでもない。
好きか嫌いかと問われたら好きだと即答できるのだが、恋愛感情として好きかと問われると即決できない。
それがエナガの心だった。
「もし、私が本当のことを言ったら、一つだけ私の知りたいことを教えてくれる?陸遜には内緒で」
「はい。約束します」
「陸遜のことは先も言った通りのように思ってる。そこに恋愛感情があるかどうかは…正直私自身まだわからないの」
「分からない、ですか?」
「情けない話だけどそれが本心かな。…多分恋愛感情は少なからずあると思うのだけど」
「断定できないということですね?」
「ええ。ごめんなさい」
「謝らないでください。でも、好きになりつつあるということなのでしょう?」
「え」
思わぬ返答に一瞬反応が遅れるも、陸瑁の言うことは何故か否定できない。
むしろその言い方がしっくりくるのではとエナガは内心思い始めた。
納得すればするほど不思議にも先程の二つの混じり合った好きという感情がはっきりと分かれていくように感じた。
人としての好きと異性としての好き。
曖昧だった気持ちが陸瑁の言葉で少しだけはっきりとした形になった。
「私の問いに答えていただいたので、今度はエナガ義姉上の番です。兄上に内緒で知りたいこととは何ですか?」
「自惚れかもしれないんだけれど、それでも聞いてくれる?」
「はい」
「呆れたり、陸遜にも内緒でいてくれる?」
「もちろん」
「陸遜は…もしかして私のこと気に入ってくれているの?」
いくらなんでも流石に自分のことが好きなのかと直球で聞く勇気と度胸はエナガにない。
故に分かりにくい質問になってしまったのだが、話の流れを酌んだ陸瑁は笑顔、どころか必死に訴えかけてきた。
「ええそれはもう。気に入るどころか目に入れても痛くない…ああこれは例えが違いますね。部屋に閉じ込めて他の誰にも会わせたくないくらい……ああっ、その節は兄上が本当にすみませんでした。とにかく兄上はエナガ義姉上のことが好きで好きで仕方がないのです!」
「あ、ありがとう…?分かったら、その、落ちついて、ね?」
ただ一言好きかそうでないかが分かればよいと思っていたエナガだが、こんなにも熱い答えが返ってこようとは…。
熱意に圧されやや引き気味になりながら、エナガは陸瑁の両肩に手を置いてそう言い聞かせた。
陸瑁が落ち着きを取り戻した直後、見計らったかのように客間へと陸遜が現れた。
それまでの流れも相まって慌てて自然に振舞おうとして不自然さを強調することに陥った陸瑁とエナガに、それに気づかぬはずがない陸遜が溜息をもらしたのは言うまでもない。
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