9:仕切り直し




慌ただしい足音が廊下に響くこと数十秒。


「見つけましたよ」

「あ、兄上…」


後ろめたさもありここ数日逃げるように兄を避けていたのだが、それも今日が限界だったようだ。
貼り付いたような笑顔がいつになく怖いと感じながら陸瑁は久しぶりに出会った兄を見て冷や汗をかいた。


「少しいいですね」

「は、はい…」


この兄に見つかった時点で陸瑁の中に逃亡という選択はなくなっている。
抵抗することなく先を行く兄に付いていくと、行き着いたのは兄の私室だった。
促されるように椅子に座るも目の前に座る兄に気が気ではない。
ちらりと上目づかいに表情を窺うと、案の定例の笑みは変わらない。

怒られる。
分かっていても逃げ出せるのなら逃げ出したい。
思考が現実逃避をし始めながら陸瑁は陸遜の言葉を待つ。


「私の言いたいことは分かりますね」

「はい…あの、すみませんでした。あの時はつい熱くなってしまい…あの、いつからいらしたのですか?」


あの時、数日前の客間でのやりとりこと。
陸遜の気持ちをエナガに問われた陸瑁は、エナガに誤解されてはならないという思いに駆られ慌てた結果の失態を一番知られてはならない陸遜にばれていたのだ。
エナガこそ気づかなかったものの、客間に入ってきた陸遜の表情と一瞬陸瑁に向けられた視線に、陸瑁は聞かれたことを確信した。
一体兄はいつから聞いていたのだろう。
陸瑁の最大の関心はそこだ。


「確かに目に入れても痛くはないくらい大切だとは思っていますが?」

「…本当にすみませんでした」


エナガの言葉こそ聞かれていなかったようだが、陸瑁の爆弾発言はほぼ筒抜けということらしい。
一応エナガの内緒は約束を破ることにならなかっただけほっとするも、ばっちり聞かれたとあっては今日一日は忍耐を強いられるなと一人嘆く陸瑁だった。
これから始まるであろう叱責に泣きたい衝動に駆られる陸瑁に幸運にも救いの手はすぐ差し伸べられることになる。


「陸遜、今いい?」

「エナガ義姉上?」


部屋の主より先に声を出す陸瑁を窘めつつも陸遜はエナガを部屋に通した。
中に入ったエナガは陸瑁の縋るような眼差しに疑問を覚えるも、その様子から追及してはいけないとどこかでそう感じ取った。
改めて話をきり出そうと口を開く前に陸瑁が邪魔者は失礼しますとばかりにそれではと二人に挨拶をすると陸遜の制止も聞かず部屋から逃げるように立ち去ってしまった。


「何かあったの?」

「いいえ…それよりも私に用ですね?」

「ええ。別に瑁くんもいても大丈夫だったんだけれど」

「それで話とは一体」

「いろいろと考えたのだけど、私、呂蒙さんの義妹になることに決まったの」

「呂蒙殿の…?ちょっと待ってください、いくらなんでも急すぎます」

「勝手に話を決めてごめんなさい。最初尚香に相談したら、私の義姉になってと言われたのだけれど、流石にそれは問題があるから断ったの」

「成程、…もしかしてここ数日屋敷にいなかったのはそれが原因ですか?」

「ええ」

「ですが今になって何故…」


陸遜の疑問は尤もなものでエナガにも予想される問いであったが、それでもやはり理由を話すことはやや躊躇いがあった。
一呼吸置いた後、エナガは前に陸瑁に述べたことも含めて陸遜に思いを述べた。


「私にとって陸遜はしっかりして頼りになる人だと思ってる。でも、それだけじゃなくて…その、瑁くんが言うには、陸遜のこと好きになりつつあるみたいなの」

「…っ、それは本当ですか!?」

「本当だよ。だけど、私自身自分の気持ちがよく分かってないから…。陸遜の気持ちは…」

「瑁が言った通りです」


言葉をきり、窺うようにこちらを見るエナガに、苦笑しながら陸遜はそう答えた。
本当は自分の口から告白するべきだったのだが、焦りを抑えた結果がこれである。
とはいえエナガの気持ちを聞くに、また一度仕切り直して想いを告げるのがいいのかもしれない。
机の上に置いた両手を思わず握りしめるエナガに陸遜は話の続きを促すようにそっと彼女の手に手を重ねた。


「この中途半端な気持ちと偽りをやめて一旦仕切り直したかったの」

「偽りとは?」

「今までは義兄弟というより偽兄弟だったから。ああ、もちろん、陸遜や陸瑁のことは本当の家族みたいに大切な存在だよ」

「それは分かっています」

「自分の感情をはっきり自覚するためにもある程度の距離を置いた方が冷静になれると思って」

「エナガ殿がそう決めたのなら私に異論はありません」

「ありがとう。あの、それで、私が自分の気持ちが分かったら、陸遜に改めて告白しようと――」

「駄目です」


それだけは許さないとエナガが言い終わるより先に陸遜はそう言い切った。

やはり都合が良過ぎるか…。
今まで散々自分勝手な言動で陸遜を振り回してきたのだ。
これ以上の無理強いはいくらなんでも度が過ぎる。
謝罪しようと口を開こうとするエナガを陸遜はまたも制止した。


「その時は今度こそ私からあなたに告白します。ですから私より先に告白することは許しません」

「そんなこと言われても…。第一私が自覚しなくちゃ意味が――」

「心配ありません。すぐに自覚させてさしあげますから」

「さ、させるって…っ。も、もしかしたら元の世界に帰るかもしれないのに?」

「そんなことはあり得ません」

「な…っ」


開き直ったが勝ちとはこういうことを言うのだろう。
強気な陸遜に抗おうにも羞恥と動揺によりエナガの思考はまともに機能しそうになかった。

いつの間にか結びつつあった恋の実が完全に結ばれるのはあと少し…。





【完】


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